僕のために、忘れていて

ことわ子

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アキのことが知りたい

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「あ、そう言えば、さっきの浮気ってどういうこと?」

 空気の読めない香奈はもう流れたと思った話題を急に持ち出してきた。

「あれは、その、冗談だよ」

 怖くてアキの方を見れない。それでも香奈に変な誤解はされたくなくて俺は続けた。

「アキは冗談言うのが好きでさ」

 何も言わないアキの微かな呼吸音ですら気になってしまう。

「なんだそっかー! でもそうだよね、おにぃには瑠璃華ちゃんがいるしね! あっ、そう言えばさっき瑠璃華ちゃんに会ったんだった!」
「えっ」
「おにぃってば病室でイチャイチャしてないでしょうねー?」
「してねーし! っていうか瑠璃華来てたの……?」

 瑠璃華という名前に部屋の中の温度が更に低下したような気がした。アキにしてみたら自分の恋人に元カノが近づいたかもしれない状況で面白くないかもしれない。

「? 瑠璃華ちゃん、おにぃのお見舞いに来たわけじゃ無かったのかなー?」

 瑠璃華は一度顔を見せに来てからは一切尋ねて来なかった。もう別れたんだし、いつまでも思い続けるのはよくないと、瑠璃華のことは極力考えるのはやめようとしていたのに。

「別に、病院なんだし他の用事だってあるだろ」
「でもおにぃがいること知ってるんだし、顔見せに来てくれても良くないー?」

 食い下がる香奈に俺は強引に話を変えた。

「あ、香奈! もうそろそろ帰らないと、お前の……何だっけ? なんとかっていうアイドルの番組始まるぞ!」
「なんとかって! いくら興味ないからって酷いよ! あたしの推しの名前くらい覚えてよ!」
「ほら、怒ってる暇があったら早く帰った帰った」

 しっしっと手を払うと、香奈はむうっと頬を膨らませ、乱暴にカバンを掴んでドアまで大股で歩いた。そしてくるっと向き直る。

「もうお見舞い来てあげないから家まで元気で帰って来るんだぞばーーーーーか!」

 それだけ言い残すと廊下へと消えて行った。
 あまりにも、らしい、捨て台詞に思わず笑みが溢れ、アキの存在を一瞬忘れていた。不意に視界の端に映ったアキの方を見ると、しっかりと目があってしまった。気まずい雰囲気が流れる。

「妹さん……可愛いね」

 アキがおもむろに喋り始めた。

「えっ、あーまぁ、可愛いところもあるけど、基本鬱陶しいよ」
「僕一人っ子だから兄妹がいるって羨ましいよ」
「そっか」

 アキは一人っ子なのか、と今日初めて知った。相変わらずアキは自分のことを喋りたがらなかったから、何気ない話でも詮索するようで気が引けて、アキのことを聞けないでいた。

「俺、アキのこと何も知らないなぁ~」

 俺は茶化すようにそう言ってみる。これはアキのことを聞くいいタイミングかも知れないと思った。
 アキは少し眉を寄せたものの、そうだっけ?とだけ答えた。

「俺、アキのこと知りたいんだけど」

 アキのはぐらかそうとする雰囲気を察して、俺は少し踏み込んだ。自分がムキになっているのには気付いていたが、どうしても止まらなかった。
 俺の真っ直ぐな問いにアキはため息をついた。怒らせたかもしれないと感じて少し勢いが削がれる。

「何が知りたい?」
「え、」

 想像していた答えとは違い、穏やかな声でそう言われた。アキは俺のそばまで寄って来ると、ベッドの傍に置いてある丸椅子に腰掛けて俺を見た。

「あぁ、えーと…………」

 どうせ拒否されるだろうと思っていた俺は咄嗟に質問が出てこなかった。すると、俺が喋り出すのより早くアキが口を開いた。

「黒咲アキ、AB型で一人っ子。誕生日は8月21日星座は獅子座。身長184センチ。体重60キロ。これは知ってると思うけどリュージと同い年で同じ学校。部活は入ってない。好きな食べ物は特に無くて、嫌いな食べ物は野菜全般。あとは、」
「ちょっと、待てって!」

 早口で捲し立てるアキに俺は割って入った。
 確かにアキのことを知りたいと思った。だけど、これは何かが違う。こんな情報は一緒に過ごしていけば自ずと分かることだ。俺が知りたいと思ったのはこんなデータのようなステータスでは無かった。だけど、この気持ちをどう伝えたら良いのか分からずに、結局口籠ってしまう。

「あの……ごめん急に訳分からないこと聞き出して…………なんか、焦ってたみたい、だ……」

 焦っていた、という自分の言葉にこれでもかと言うほど納得してしまった。
 俺は焦っていた、アキとの関係に。
 本当なら積み重ねてきていたはずの関係が俺たち、……俺には無かった。アキのことを何も知らないんだと感じてしまえば寂しい気持ちになった。そんな気持ちを紛らわせたくて、つい、アキに詰め寄ってしまった。
 アキは急に黙った俺の様子を見て、そっと俺の手を取った。

「なんでも良いよ、聞いて」

 優しい声で投げかけられ、胸の奥がぎゅっとした。

「…………やっぱり、いいや。ちょっとずつ知っていくことにする」

 こんな質疑応答みたいなやり取りに価値なんてないと思った。大事なのは知っていることの数じゃない。
 俺の答えにアキは少し驚いたように瞳を開いて、そしてクスッと笑った。

「じゃあこれだけ、知っておいて欲しいんだけど」

 そう言ってアキは俺の耳に顔を近づけて来た。さっき香奈が同じことをしてきたのと比べ物にならないくらい心臓がうるさくなる。

「僕はリュージが好きだよ」

 聞こえるか聞こえないかの声で言われたのに、何故か真っ直ぐ伝わってきた。どんどん顔に熱が集まるのを感じるが自分ではどうしようもない。
 俺が何か口に出そうして空回り口をパクパクさせているのを見て、アキは声を出して笑った。心底幸せそうな顔で。

「伝わったみたいで良かった」

 アキはその笑顔のまま、もう帰るね、とだけ言って部屋を出て行ってしまった。
 残された俺はアキの笑顔を思い出し、1人悶々としながら手で顔を覆った。
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