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無くした記憶
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聞いたことはあるけど、本当にこういう時って世界がスローモーションに見えるんだ……などと、状況にそぐわないほど冷静な感想が頭の中に浮かぶ。かろうじて視線を動かせば、形容し難い表情でこちらに駆け寄って来る人が見える。その様子に、あ~~無事だったのか、と安心感が広がる。
直後、ドンッと聞いたことのない鈍い音と少し遅れて身体に強い衝撃が走る。痛い、と感じる間も無く、俺の身体は宙を舞いアスファルトの地面に叩き付けられた。うっ、と肺の中に残っていた空気を吐き出すのがやっとで、そのまま意識が薄らいでいく。誰かが駆け寄って来て声を発したが、その声は何か壁に遮られているかのように耳に響くことはなく、俺はゆっくりと視界を閉じた。
***
気がつくと見たこともない白い天井が目に入った。落ち着いて呼吸すれば独特の匂いが鼻の中に広がる。この匂いは好きではないが、ここがどこだかすぐに分かった。分かったが、何故自分がここに居るのかは分からない。
いつものように動こうと身体に力を入れようとすると何故か全身に激痛が走り呼吸が荒くなった。
「いっ、」
痛い、という言葉すら発せず、浅い呼吸を繰り返す。すると、すぐに人が近付いてくる気配がした。
「あ、良かった、目が覚めた」
こんな状態の俺とは正反対の穏やかな笑みを浮かべてた若い女の人は水野と名乗った。格好から察するに看護師だろう。
俺は寝かされているベッドから上半身を起こそうと手をつくが、またも激痛で断念する。
水野さんはゆっくりと俺の肩に手を回しベッドへと寝かせてくれた。
「まだ身体痛いでしょう? 無理しなくていいからね」
確かに身体は痛い。正直、こんな痛み味わった事が無いくらいには痛い。しかし、身体の痛み以上に知りたい事があった。
「あの、俺、どうしたんですか……?」
水野さんは少し瞳を大きくすると、すぐに表情を切り替えて優しく声を発した。
「昨日のこと、覚えてない?」
昨日のこと、と言われても何がなんだかさっぱりだ。昨日と言われて、思い出そうと記憶を辿るが、妙な違和感と得体の知れない焦燥感が募っていくだけで、他には何も得られなかった。
昨日。昨日のこと。昨日……?
おかしい。昨日が思い出せない。昨日だけじゃない、ここ最近、自分がどこで何をしていたのか、全く記憶が無い。そんなことあり得ないはずなのに、頭の中は空白で探り寄せる材料が何一つない。
「………………今って6月、ですよね……?」
俺の質問に水野さんはやや怪訝な表情を浮かべた。
「今は…………7月の頭なんだけど……」
「え、」
水野さんはベットの傍にあるサイドテーブルに置いてあった卓上カレンダーを指差した。確かに大きく7月と書いてある。今が本当に7月だとしたら、どうして俺は6月だと思ったんだろう。
水野さんは少し考えるような仕草をした後、また笑顔に戻って、まだ疲れていると思うからゆっくり休んでいて、と言い残すと病室を出て行ってしまった。
水野さんの反応も気になるが、今は状況を整理する方が先だ。俺は何気なく頭に違和感を感じ手を添えた。触り慣れないものが巻かれていることに気付き、姿を確認するべく周囲に鏡がないか見回した。奥まった所に壁掛け鏡があった。少しでも動くたびに鈍く痛む身体を細心の注意をはらいながら起こして、何とか鏡に写る位置にもっていく。そこには遠目でもはっきりと分かるくらいしっかりと頭に巻かれた包帯と顔に2、3箇所傷を作った自分の姿が写っていた。
***
「記憶障害の一種ですね」
髪の毛が真っ白なお爺ちゃんの先生にそう告げられたのは、水野さんが部屋から出て行ってしばらく経った時の事だった。その間、色々検査を受けさせられたり、質問をされたりしたが、これといって原因らしい原因が見当たらなかったらしい。先生が言うには事故にあった精神的ストレスによる記憶喪失だと言うが、事故にあったことさえ覚えていないのだから何とも言い難い気持ちになる。しかし、頭に巻かれた包帯や全身に走る激痛が事故を事実として容赦なく思い知らしめてくるので、認めるしかない。
まさか自分が記憶喪失になんかなると思っていなかった。映画や小説の主人公になったような気分になって、少しドキドキする。
俺がこんなにのんびり構えているのには訳があった。なんと、不幸中の幸いで抜け落ちているのはここ1ヶ月から昨日までの記憶だけだったのだ。自分の名前も分かれば、通っている高校、家族や友達の事もしっかり覚えている。不都合があるとすれば、この1ヶ月間の授業内容がまるで分からないことだけだが、そこはノートを借りるなりすれば大丈夫だろう。
少し安楽的過ぎるかな、とも思ったが、起こってしまったことを今更嘆いても仕方がない。学校に戻った時に、せいぜい話のネタになればいいや、と俺は少し笑った。
と、部屋のドアが控えめにノックされた。
水野さんが来てくれたのだと思い、気持ち姿勢を正す。と、いっても殆ど動けない状態なので本当に気持ち程度だが。
さっきまでの俺は混乱していて、水野さんの顔もまともに見ていなかった。さっき、お爺ちゃん先生の話を聞いていた時、隣に立っていたので初めて顔を見たが、水野さんは小動物のような可愛らしい顔つきで完全に俺のタイプだった。そんな可愛い人が世話をしてくれるとなれば、舞い上がってしまうのも健全な男子高校生としてはしょうがない。正直、事故にあって良かったとすら薄ら考えてしまった。色々な人に迷惑をかけてしまった事は分かっているので流石に口には出せないが。
俺は早る気持ちを抑えて、何でもないような声色で、はい、と返事をした。
が、ゆっくりと開かれたドアからは水野さんに似ても似つかない顔が現れた。
初めて見る顔だった。しかも男。期待に膨らんでいた胸は一気に消沈した。
男はドアを開けて勝手に入ってくると、後ろ手にドアを閉め、小走りで駆け寄ってきた。
直後、ドンッと聞いたことのない鈍い音と少し遅れて身体に強い衝撃が走る。痛い、と感じる間も無く、俺の身体は宙を舞いアスファルトの地面に叩き付けられた。うっ、と肺の中に残っていた空気を吐き出すのがやっとで、そのまま意識が薄らいでいく。誰かが駆け寄って来て声を発したが、その声は何か壁に遮られているかのように耳に響くことはなく、俺はゆっくりと視界を閉じた。
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気がつくと見たこともない白い天井が目に入った。落ち着いて呼吸すれば独特の匂いが鼻の中に広がる。この匂いは好きではないが、ここがどこだかすぐに分かった。分かったが、何故自分がここに居るのかは分からない。
いつものように動こうと身体に力を入れようとすると何故か全身に激痛が走り呼吸が荒くなった。
「いっ、」
痛い、という言葉すら発せず、浅い呼吸を繰り返す。すると、すぐに人が近付いてくる気配がした。
「あ、良かった、目が覚めた」
こんな状態の俺とは正反対の穏やかな笑みを浮かべてた若い女の人は水野と名乗った。格好から察するに看護師だろう。
俺は寝かされているベッドから上半身を起こそうと手をつくが、またも激痛で断念する。
水野さんはゆっくりと俺の肩に手を回しベッドへと寝かせてくれた。
「まだ身体痛いでしょう? 無理しなくていいからね」
確かに身体は痛い。正直、こんな痛み味わった事が無いくらいには痛い。しかし、身体の痛み以上に知りたい事があった。
「あの、俺、どうしたんですか……?」
水野さんは少し瞳を大きくすると、すぐに表情を切り替えて優しく声を発した。
「昨日のこと、覚えてない?」
昨日のこと、と言われても何がなんだかさっぱりだ。昨日と言われて、思い出そうと記憶を辿るが、妙な違和感と得体の知れない焦燥感が募っていくだけで、他には何も得られなかった。
昨日。昨日のこと。昨日……?
おかしい。昨日が思い出せない。昨日だけじゃない、ここ最近、自分がどこで何をしていたのか、全く記憶が無い。そんなことあり得ないはずなのに、頭の中は空白で探り寄せる材料が何一つない。
「………………今って6月、ですよね……?」
俺の質問に水野さんはやや怪訝な表情を浮かべた。
「今は…………7月の頭なんだけど……」
「え、」
水野さんはベットの傍にあるサイドテーブルに置いてあった卓上カレンダーを指差した。確かに大きく7月と書いてある。今が本当に7月だとしたら、どうして俺は6月だと思ったんだろう。
水野さんは少し考えるような仕草をした後、また笑顔に戻って、まだ疲れていると思うからゆっくり休んでいて、と言い残すと病室を出て行ってしまった。
水野さんの反応も気になるが、今は状況を整理する方が先だ。俺は何気なく頭に違和感を感じ手を添えた。触り慣れないものが巻かれていることに気付き、姿を確認するべく周囲に鏡がないか見回した。奥まった所に壁掛け鏡があった。少しでも動くたびに鈍く痛む身体を細心の注意をはらいながら起こして、何とか鏡に写る位置にもっていく。そこには遠目でもはっきりと分かるくらいしっかりと頭に巻かれた包帯と顔に2、3箇所傷を作った自分の姿が写っていた。
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「記憶障害の一種ですね」
髪の毛が真っ白なお爺ちゃんの先生にそう告げられたのは、水野さんが部屋から出て行ってしばらく経った時の事だった。その間、色々検査を受けさせられたり、質問をされたりしたが、これといって原因らしい原因が見当たらなかったらしい。先生が言うには事故にあった精神的ストレスによる記憶喪失だと言うが、事故にあったことさえ覚えていないのだから何とも言い難い気持ちになる。しかし、頭に巻かれた包帯や全身に走る激痛が事故を事実として容赦なく思い知らしめてくるので、認めるしかない。
まさか自分が記憶喪失になんかなると思っていなかった。映画や小説の主人公になったような気分になって、少しドキドキする。
俺がこんなにのんびり構えているのには訳があった。なんと、不幸中の幸いで抜け落ちているのはここ1ヶ月から昨日までの記憶だけだったのだ。自分の名前も分かれば、通っている高校、家族や友達の事もしっかり覚えている。不都合があるとすれば、この1ヶ月間の授業内容がまるで分からないことだけだが、そこはノートを借りるなりすれば大丈夫だろう。
少し安楽的過ぎるかな、とも思ったが、起こってしまったことを今更嘆いても仕方がない。学校に戻った時に、せいぜい話のネタになればいいや、と俺は少し笑った。
と、部屋のドアが控えめにノックされた。
水野さんが来てくれたのだと思い、気持ち姿勢を正す。と、いっても殆ど動けない状態なので本当に気持ち程度だが。
さっきまでの俺は混乱していて、水野さんの顔もまともに見ていなかった。さっき、お爺ちゃん先生の話を聞いていた時、隣に立っていたので初めて顔を見たが、水野さんは小動物のような可愛らしい顔つきで完全に俺のタイプだった。そんな可愛い人が世話をしてくれるとなれば、舞い上がってしまうのも健全な男子高校生としてはしょうがない。正直、事故にあって良かったとすら薄ら考えてしまった。色々な人に迷惑をかけてしまった事は分かっているので流石に口には出せないが。
俺は早る気持ちを抑えて、何でもないような声色で、はい、と返事をした。
が、ゆっくりと開かれたドアからは水野さんに似ても似つかない顔が現れた。
初めて見る顔だった。しかも男。期待に膨らんでいた胸は一気に消沈した。
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