この噛み痕は、無効。

ことわ子

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一瞬の熱

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 夜になり、更に雨風は強くなってきた。
 雨が叩きつけられる音で常に騒がしく、自然に声のボリュームも大きくなっていた。
 相変わらず、筧はトキの横を陣取っていたが、想像していたよりは静かにしていて、何より俺への嫌味が一つも出てこなかった。
 おそらく、態度を切り替えるのが得意なのだろう。それはそれで腹が立つなと思いながらも、大人しいに越したことはないと放っておいた。

「あー、俺、そろそろ寝るわ」
「え、もうそんな時間?」

 母さんが時計を見て不思議そうな顔をする。

「まだ十時だけど……? 千秋いつも夜更かしするのに」
「今日は色々あって疲れたんだよ」

 二十二時。この時間に寝るのは小学生ぶりかもしれない。

「千秋は自分の部屋で寝るよね? トキくんと巳波くんは和室にお布団敷いておいたから使ってね」
「ありがとうございます」
「え、ちょっと待って、二人一緒の部屋なの……?」
「? 当たり前でしょ? ウチは旅館じゃないんだから個室なんて用意できないわよ」
「そりゃそうなんだけど……」

 なんとなく、引っかかる。

「トキくんと一緒に寝るの久しぶり~」
「子どもの頃の話でしょ」
「でも寝てたことには変わりないし」

 なんだろう。今ものすごくマウントを取られたような気分になった。
 別に、一緒に寝るくらい俺も翔としょっちゃうしていたし、何なら今でも夜通し翔とゲームして一緒に寝落ちしているし、大したことじゃないのは分かっているのに気に入らない。

「俺も和室で寝ようかな」
「え、なんで!? 三人だと狭くなっちゃうじゃない!」
「なんか……修学旅行みたいで楽しいかなっ
て」

 少し強引だっただろうか。
 筧は凄んでも全然鋭くならない丸い目で俺を睨んでいるし、トキはいつものきょとん顔で不思議そうに見ていた。

「でももうお布団敷くスペースが無くて……」
「あ、そっか……」

 ウチは一般的な大きさの一軒家だ。家族三人、しかも父親は単身赴任に出ていて中々家にいないことを考えると、充分なスペースが確保できていた。しかし、男子高校生が二人増えただけで一気に手狭感が出てくる。和室は布団を二組敷くだけでいっぱいいっぱいになる広さだった。

「今のままで多分大丈夫です。巳波小柄だし」

 そう言いながら、トキは何か言いたげな筧に視線を向ける。
 確かに筧は小柄だが、小柄とはいえ歴とした男子高校生で、母さんよりは背もある。それに、トキの体格のことを考えると、やっぱり厳しいかもしれないと思った。

「俺も修学旅行気分味わってみたいんで」

 鶴の一声だった。
 筧は押し黙り、母さんはトキの笑顔にやられていた。

「じゃあ、もう、お母さんも寝ることにするね! 男の子同士積もる話もあるだろうし!」

 何を想像しているのは、母さんははしゃぎながら階段を上がっていってしまった。この二人と積もる話なんかあるわけない。
 修学旅行と言えば、布団に入ってからの男子トークは盛り上がるイベントだが、俺はそんなつもりはなく、すぐに寝ようとしていた。

「そう言えば、先輩って寝る時もネックウォーマー付けてるんですね、暑くないんですかそれ?」

 巳波が不思議そうに俺を見た。これは嫌味というよりは純粋に疑問に思ったのだろう。
 いつもは家にいる時は外している。けれど、今日はトキに加え巳波もいるせいで外せなくなっていた。

「巳波」

 トキが名前を呼ぶと、筧はおしゃべりな口を閉じた。本当に従順な犬……というか従順なポメラニアンのように筧はトキの言うことならすぐに聞く。
 俺と翔とは違う幼馴染の関係性に不思議な感覚を覚えた。

 和室に通じる襖を開けると二組の布団がピッタリとくっついて敷かれていた。

「じゃあオレは真ん中で」
「えっ」

 筧が布団の境目に寝転ぶ。俺が中学時代着ていた半袖のTシャツを貸していたが、肘が丸々隠れる長さになっていた。
 てっきり、境目は身体が痛くなるから嫌だと拒否すると思っていたため意外だった。

「巳波は右側の布団使って。俺が真ん中に寝るから」
「えっ」

 どうしてこうも真ん中の競争率が激しいのか。訳の分からない状況になんだか不安になってくる。

 もしかして気を遣われてる……?

 家主の俺を硬い場所で寝させないという優しさなのかもしれない。そうなると、本当なら二人で快適に寝られるはずだった場所に割り込んでしまった俺の責任は大きい。

「いや、俺が……」
「それは駄目」
「それは嫌」

 二人の声が重なる。
 結局、トキの押しが強く、俺、トキ、筧の順で寝ることになった。
 電気を消して、無言になる。
 もう寝ると言ったものの、流石に早すぎるのか眠気が全く来ない。むしろいつもと違う状況に興奮しているのか逆に目が冴えてきた。
 なるべく音を立てないようにトキの方を盗み見る。すると、トキはぼんやりと天井を眺めていた。

「……トキ?」

 小さな声で名前を呼んでみる。

「先輩? 起こしちゃいましたか?」
「いや、なんか眠れなくて……トキは?」

 トキも俺と同じように眠れないんだろうか。

「寝るのもったいないなと思って」

 もったいない……?

 トキの心情が分からずに首を傾げると、小さく笑われた。

「先輩、やっぱり少しそっちに寄ってもいいですか……?」

 囁くような声で言う。

「やっぱり境目は痛いよな……あんまりスペース無いけど、寄れるだけ寄って大丈夫だから」
「ありがとうございます」

 トキは柔らかい顔で笑うと、俺の方に寄ってきた。思ったよりも距離が近くなってしまい慌てるが、拒否することもできずに受け入れる。
 肩と肩がぶつかる近さに、自然と身体が固くなる。でもこの緊張は前とは違う気がした。

「先輩、さっきなんて言おうとしてたんですか?」
「さっき……?」
「先輩の髪を拭いた後に、先輩何か言おうとしてたので……」
「あ……」

 すっかり忘れていた。
 トキの方から話を振ってくれるとは思わず、絶好のチャンスに口を開くがまた閉じた。
 一瞬、聞くのが怖いと思ってしまった。

「えと、トキの……怪我って、調子どう……?」
「もうだいぶ良くなってきました」
「そう……なんだ」

 ずしん、と心に重いものがのし掛かる。
 もう俺は必要ないのだと、突き付けられたような気分になった。

「先輩に沢山迷惑かけちゃいましたよね、すみません」
「別に、俺は迷惑だなんて──」

 嘘だ。最初は迷惑だと思っていた。
 現に今日も面倒くさいと思っていた。でもそれはトキとの関係が続くと信じて疑わなかったからだ。

「もう俺は大丈夫なんで……今までありがとうございました」

 まるで別れの言葉に聞こえる。
 実際、この件が終わったら、トキとこうやって会話することは無くなるだろう。幼馴染でもない、友達でもない人間との関係なんて縁が切れたらそこで終わりだ。
 しかし、俺には何も言うことが出来なかった。

「良かったな、治って……」

 そう吐き出すので精一杯だった。
 多分、これでいいのだ。本来俺が思い描いていた薔薇色の人生に一歩近づいたことになるのだから。

 トキとの関係が終わったら、彼女作って、沢山いちゃいちゃして、それで…………

 きっと楽しいだろうなと思う。そう言い聞かせる。

「こんなに喋ってたら筧起きちゃうよな」
「巳波は一回寝たら朝まで起きないんで大丈夫だと思います」

 そんなことまで知ってるんだな、と、ふと思った。幼馴染なのだから当たり前だけど。

「千秋先輩……?」

 トキが名前を呼んでくる。
 今はトキの声を聞きたくない。そう思うと、防衛本能なのか自然に眠気がやってくる。まるでシャッターを下ろしたかのように、周りの音が聞こえなくなってくる。
 ウトウトとする俺をトキが見ている気配だけを感じ、夢と現実の間を彷徨う。
 トキが僅かに起き上がる動きを感じても、今の俺にはどうでもいい。
 意識を手放そうとした俺の口に何かが触れた。一瞬、熱を感じたような気がしたが、すぐに分からなくなる。またすぐに同じ熱を感じ、今度は少しの間留まっていた。
 この熱がなんなのか、確かめる余裕もなく、俺は深い眠りへと落ちていった。
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