この噛み痕は、無効。

ことわ子

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母、襲来

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「そんなわけで俺が力になれることはなさそうだわ」

 真夏の炎天下の中、道端で立ち話は結構キツい。トキには悪いが、自分の中でもう帰りたい欲が増えてきて、話を締めようと言葉を続けようとした瞬間。

「あれ~~? 千秋じゃない? こんなところで何してるの?」

 どこからが馬鹿でかい声が俺を呼んだ。
 俺は解散する判断が遅くなったことを激しく後悔して声がした方を見た。

「あれっ!? 翔くんじゃない!?」

 声の主、もとい俺の母親は、俺と一緒にいるのが翔ではないことに大袈裟に驚いた。

「翔は部活! 俺は今から帰るとこ!」

 母さんは買い物袋を乗せた自転車と共に俺とトキの間までやって来た。

「帰るってあんた、そんなゆでダコみたいになってる友達放って帰ってくるつもりなの!?」

 言われてトキの顔を見る。確かにいつもよりは顔が赤い気がするが、それは俺も同じだ。
 ここまで考えて、あ、と思い付く。
 これは"いつものアレ"だと。

「こんにちは、千秋の母です! それにしても千秋の友達にこんなかっこいい子がいるなんて知らなかったわ! 良かったらウチに寄っていかない?」

 他の介入を許さないおばちゃん特有の自己紹介と無茶振りの合わせ技。
 また始まった……と俺は頭を抱えた。
 俺の母親は重度のイケメン好きなのだ。息子はアイドルにしたいという願望があったらしいが、俺が全てにおいて平凡で、そんな子を芸能界に放り出すなんてあまりにも可哀想で諦めたと、ついこの間打ち明けられた。俺としては出来れば墓場まで持っていって欲しい話だった。
 そもそも、いきなりウチに来ない? と初対面のおばちゃんから誘われたところで、着いてくるやつなんていないだろう。

「いいんですか……?」
「ほら、こいつだって困って…………は?」
「おいで、おいで! 大したもの作れないけど、夕飯も食べていって!」
「嬉しいです。ありがとうございます」
「ちょ、待って──」
「じゃあ、おばさん先に帰って支度しておくね! また後でねぇ~~」

 言い終わらない内に母さんは自転車を漕いで行ってしまった。本当に人生ノリと勢いで生きてる人だな、と再確認する。幸か不幸か、おれにそのDNAは受け継がれなかったらしく、どちらかというと父親と話しが合っていた。

「…………本当に来る気?」
「先輩の迷惑じゃなければ……」

 全選択権が俺に委ねられる。
 これから家にトキが来る面倒臭さと、トキが来なかった時の母さんの長時間の愚痴を聞く面倒臭さを天秤にかける。

「…………大した家じゃないし、おまけに散らかっててもいいなら来れば……」

 正式に俺の許可が出た瞬間、トキは顔を綻ばせた。

「ありがとうございます!」
「言っておくけど、本当にただの一般人の家だから。多分夕食も普通だし。期待してるような御馳走なんか出てこないからな」
「そこまでの期待はしてないんで大丈夫です」
「は? うちの母さん、給食のおばちゃんやってるから料理はそこそこ出来るんだよ。朝早いから俺の弁当は作ってくれないけど……」
「先輩はお母さんのことが大好きなんですね」
「は!? どこが!?」

 思わず食ってかかってしまったが、トキの顔に少しだけ影がさしたような気がして勢いが止まった。
 俺たちは再び横並びになって、今度は俺の家を目指して歩き出した。
 俺の家まで徒歩30分。トキと話すには丁度いい時間だ。
 トキと向き合う良い機会なのかもしれないと思い、少し質問をしてみることにした。

「お前はどこに住んでんの?」
「俺は都内ですね」
「都内からって……結構通学時間かかるんじゃね?」
「一時間半くらいですかね……?」
「うわ、俺だったら無理だわ! 絶対毎日遅刻する……」

 そこまでして通うほどの高校なのかと疑問に思ったが、今は当たり障りのない会話を続けようと思った。

「トキは好きなものとかある?」
「好きなもの……?」

 聞いてから、色々と端折り過ぎたと思ったが、トキが俺を見てくるので訂正できなかった。前髪の陰から現れた瞳が薄く光っていることに今になって気がついた。

「ありますね」
「まぁ、好きなものくらい誰でもあるよな」
「先輩は?」
「え、」
「先輩は……好きなものありますか?」

 妙な間がやけに気になる。

「俺は……甘いもの、とか?」
「甘いもの…………」
「後は──って俺の話はどうでもいいんだよ!」

 いつの間にか質問される側になっていて予定が狂う。俺はもう一度話の流れを戻そうとしたが。

「俺は先輩の話、もっと聞きたい」

 真面目な顔をして、これまた真面目な声でトキが言う。
 確かに、自分の話だけ根掘り葉掘り聞かれ続けるのはいい気分じゃないかもしれない。

「分かった! じゃあ家に着くまでお互い質問し合うっていうのはどう?」
「いいですね」

 苦肉の策だったが、意外とトキは乗り気で答えてくれ、俺たち二人は大して身のない質問をし合いながら家へと向かった。
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