相槌を打たなかったキミへ

ことわ子

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相槌を打たなかったキミへ【9‐2】

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 滝行のように無心でシャワーを浴びた俺は、冷え切った身体を引きずりながら部屋へと戻った。
 俺のベッドでは変わらない姿で苗加が寝ている。
 つまり、素っ裸にバスタオルを巻きつけただけの状態の苗加が俺のベッドに気持ち良さそうに寝息を立てている。
 本当に勘弁してくれと思うのに怒る気にはなれない。
 俺はベッドの脇にしゃがみ苗加の顔を見た。
 高校時代の苗加の寝顔を見たことは無かったが、きっと今と変わらない顔をしていたんだろうなと思う。
 規則正しい苗加の呼吸に耳を傾けると、段々と瞼が重くなってくるのを感じた。
 疲労困憊だった俺の身体は、そのまま電源が切れたようにプツリと意識を失った。

 カーテンの隙間から漏れてくる朝日に照らされて目が覚めた。
 ベッドの縁にもたれ掛かるようにして寝ていたんだと分かったのは、身体の痛みを感じてからだった。
 変な体勢で寝ていたせいか、はたまた筋肉痛のせいなのか身体中がそこかしこ痛い。
 ほぐすように伸びながら顔を上げると目の前にはまだ寝ている苗加の顔があった。昨夜からほとんど動いていないところを見るとかなり寝相が良いらしい。まるでミイラのような不動の様子に少し笑ってしまう。
 苗加の明るい茶色の髪が朝日に透けて輝きを増す。手を伸ばして触ろうとし、前髪を軽く払う程度に留めた。
 綺麗だな、と思う。
 今さら自分の気持ちが分かっても、多分もう遅い。
 俺は短く息を吐くと苗加から離れた。
 と、苗加が薄く目を開け俺を見た。寝惚けているのか焦点は定まっていないが、小さく身体を動かし欠伸をする。

「んー、心広くん……?」
「おはよ」
「今何時……?」
「今は……丁度朝の七時半くらい」
「そっかー……じゃあもうちょっと眠れる……」

 それだけ言い残すとまたスヤスヤと寝息を立て始めた。
 夜職の生活が染み付いてしまって朝は弱いのだろう。当たり前のように二度寝を始めた苗加に思わず顔が緩む。
 起こすのも可哀想だと、なるべく物音を立てないように仕事に行く準備を済ませ、テーブルの上に置き手紙を残す。

『鍵はポストの中に入れておいて』

 もっと他にも書いたほうがいいんだろうか、と長いこと悩んだが、良い言葉が思い付かず用件のみを記す。
 きっと苗加は昨日のことは覚えていない。
 それなら俺も一緒に忘れてやるのが優しさだと思った。
 家を出る前、もう一度振り返り苗加を見る。
 次に家に帰ってくる時には苗加はもうこの家にはいない。きっとこの光景はこれで見納めだ。
 軋む胸に眉間に皺を寄せ、俺は自分の気持ちに蓋をするようにドアを閉めた。

 ***
 
 体調が悪い。
 具体的に言うと悪寒と頭痛が止まらない。
 なんとか予約が入っている午前中は凌げたが、この調子だと閉店までは持たなそうだと思った。
 原因には心当たりがある。十中八九真夜中のシャワー滝行だ。
 起きたときは身体の痛さに紛れて分からなかったが、スタジオに着いた途端どんどん悪化していった。頭がぼうっとしてミスも多くなった。
 風邪を引いたのなんて何年振りで、どうすることが正解なのか分からない。
 とりあえず、スタジオの入り口に臨時休業の紙を貼ると、すぐ家に帰ることにした。
 病院に寄ることも考えたが、今はとにかく休みたい。
 俺はふらふらともつれる脚をどうにか動かしながら帰路についた。

 精神と体力が尽きるギリギリ一歩手前で家に着く。よく頑張ったと自分を褒めながら鍵を回す。
 そういえば、苗加が置いて行った鍵を回収しないとなと思いつつも、もうそこに割ける体力が残っていない。
 俺は重たい手で鍵を開けると玄関に倒れ込んだ。

「え? 心広くん!? どうしたの!?」

 苗加の幻聴が聞こえる。
 熱が高過ぎて幻覚を見るようになってしまったんだと思っていると、不意に身体が宙に浮かんだ。

「うわ、すごい熱!」

 慌てる苗加の声に俺は閉じていた目を開ける。

「ちょっと待ってて」

 言いながら苗加は俺を抱き上げてベッドへと運ぶ。横たえられると途端に身体が震え出した。寒いのに暑い。
 ベッドの上は苗加が寝ていた形跡は無くなって、綺麗に整頓されている。

「ごめん、昨日おれがベッド占領しちゃったせいだよね? 心広くんがこんな状態だって知らなくて朝も寝坊するし……! せめて片付けしてから出て行こうと思ってたんだけど……!」

 苗加が慌てて何か言っているが脳まで届かない。
 差し出された水をを一口飲んで、コップを押し返す。

「少しだけ我慢できる? すぐに薬とか買ってくるから――」

 今にも飛び出していきそうな苗加の腕を掴む。
 苗加は固まるように動きを止めた。
 昨日とは打って変わって、ひんやりとした感触が気持ちいい。
 苗加は口を噤むと静かに俺の額に手を当ててくれた。その心地良さと安心感に段々意識が沈んでいく。
 
「――――」

 苗加が何か言っている。
 もう俺の耳には届かないが、そばにいることは分かった。
 苗加の体温に導かれる様に、俺は深い眠りへと落ちていった。
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