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季節は巡って
しおりを挟む夏祭りの音が遠くから聞こえてくる。
今年は行く予定はない。
朝陽は自宅の縁側に腰掛けると、オレンジ色に染まり始めた空を見上げた。もう少ししたらあの色とりどりの提灯に明かりが灯るのだろう。綺麗だったな、と物思いにふける。しかし、しばらくは見ることはないだろう。
ひとりで見ても苦しいだけだから。
伊呂波が姿を消して一年が経った。
あの後、どこを探しても伊呂波の姿はなかった。取り乱しながら伊呂波の面影を探す朝陽を玄が見つけ出し、家まで連れ戻してくれた。
あの時は正気じゃなかったと今になって思う。ふとしたタイミングで涙が止まらなくなり、なにをしても楽しいと思えなくなった。
見かねた玄や八千代、千登勢までもが家を訪ねて来てくれたが、まともに会話すらできなかった。
景色が色褪せ、感情もなく、日々を過ごしていると、伊呂波との思い出まで、少しずつ忘れ始めていることに気がついた。心の防衛本能だろうか。伊呂波との思い出が『心を蝕むもの』として自分の中で処理され始めた事実にショックを受けた。
伊呂波が居なくなってしまって悲しい事実は変わらない。しかし、伊呂波と出会わなければ良かったなんて思いたくはない。
朝陽は弱い自分を叱咤した。
諦めないと、最後までもがくと決めたのは、他でもない自分なのだ。
まだ終わっていない。そう思うと、少しだけ世界に色が戻り始めた。
玄は文句を言いながらも朝陽の傍に寄り添い続けてくれた。それにどれだけ救われたか、いつか玄にも伝えられたらと思う。
「おい、朝陽、茶くれ、茶」
「はいはい、いつものでいい?」
「おー」
縁側に座る朝陽の隣に人間の姿の玄が寄ってきた。用もないのに、理由をつけては頻繁に朝陽の様子を窺いにくる。お茶が欲しいと言うのも建前だろう。しかし、朝陽は余計なことは言わずに、すぐにお茶を用意する。
二人並んで空を見上げる。風に乗って聞こえてくる夏祭りの音に太鼓の響きが混ざり始めた。もうそろそろ盆踊りの時間なのだろう。
「そう言えば、最近八千代さま見ないね?」
「あいつは……まぁ、色々あんだろ」
「玄、なにか知ってるでしょ」
「知らねぇよ」
玄は目を逸らした。嘘が下手だなと思う。
「あたしが贈った洋服着てくれたかなぁ」
八千代のために注文していた洋服を本人に渡せたのは、伊呂波がいなくなって随分経ってからのことだった。
いなくなってしまった当時、朝陽は荒れていてそれどころではなく、届いた荷物はずっと部屋の隅に放置されていた。少しずつ日常生活を取り戻してきたときに、ようやく存在を思い出し、気まずくなりながらも八千代にプレゼントした。
嬉しそうに受け取った八千代だったが、朝陽の荒れ放題だった生活を間近で見続けてきたせいか、遠慮するような表情も見せた。
今思い返しても八千代にあんな表情をさせてしまった自分が情けない。
「着たんじゃねぇの、多分」
「多分ってなに……」
「見たことないし」
「あ、そう……」
明るい話題で励まそうとしてくれているのは伝わって来るが、玄の励ましはどうにも雑だ。
それでも誰かが隣にいてくれるのはありがたい。
「朝陽はさ、これからどうするんだ?」
少しの沈黙の後、玄が呟いた。
「どうもしないよ。あたしはずっとここにいる」
「伊呂波がいなくても?」
「伊呂波がいなくても」
「無理することないんだぞ」
「無理してないよ」
玄には似合わない神妙な口調に少しだけ吹き出してしまう。
精一杯、朝陽のことを気遣ってくれる家族がいる。それだけでも幸せなことだ。
「それに、例え伊呂波がいなくても、ここがあたしにとって大切な場所なことに変わりはないよ」
「そうか」
「うん」
玄は穏やかに笑った。
「伊呂波がいてくれたら最高なんだけどね」
朝陽は冗談めかして、しかし心の中では願うようにそう言った。
玄は優しい表情で息を吐くと、急に立ち上がった。出したお茶はまだ飲みかけで、食べ物を無駄にしない玄にとって珍しい行動だった。
「玄? まだお茶が……」
「オレはいない方がいいだろ」
「? なんで──」
立ち去ろうとした玄を引き止めようと振り返ると、気まずそうな顔をした子ども姿の伊呂波が立っていた。
「は……へぇっ?」
間の抜けた声しか出てこない。伊呂波の面影を追いすぎてとうとう幻覚まで見るようになってしまったのかと、頬をつねる。
しっかりとした痛みが走るが、まだ伊呂波は朝陽の目の前にいる。手を伸ばそうとしたが、怖くなって止めた。もし消えてしまったら、もう立ち直れないかもしれない。
「朝陽……?」
懐かしい幼い高めの声に否応無しに涙が出て来る。本当は笑いたいのに笑えない。
伊呂波はギョッとした様子で焦り出した。朝陽に、かける次の言葉を考えていたようだが、朝陽はその言葉を聞く前に、伊呂波を思い切り抱きしめた。
力いっぱい抱き締めて、伊呂波の存在を感じる。
腕の中の伊呂波は文句の一つも言わず、されるがままになっていた。
「伊呂波? 本物?」
「本物だよ、一応」
「一応ってなによぉ」
伊呂波の引っかかる言葉に朝陽は号泣しながら追求する。少しでも不安材料を減らしたかった。今ここにいる伊呂波は本物で、ずっと消えないと強く確信したかった。
「色々あってさ、この姿に戻れるまで時間かかっちゃった」
「遅いよ、ばか!」
「ごめんね」
子どもの姿の伊呂波に大人の朝陽が泣きながらあやされている姿は側から見れば実に滑稽だろう。しかし、朝陽は気にもならなかった。
いくら大人でも堪え切れない感情くらいたくさんある。頼りない背中に縋りたい時だって。
「もういなくならない? ずっと一緒にいられる?」
「朝陽が覚えていてくれる限りは」
「忘れてってお願いされても忘れないから!」
消える直前、無責任にもそう言い残した伊呂波に対しての嫌味を込めてそう叫ぶ。
バツの悪そうな顔をした伊呂波は、嫌と言うほど朝陽に抱き締められ続けた。
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