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お返しさせて

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「着いた!」

 伊呂波の声に疲れて地面ばかり見ていた顔を上げた。
 目の前には木々が開けた場所があり、麓の街が一望できた。朝陽はあまり馴染みのない光景に思わず声を出した。登山を趣味にする人の気持ちが今まではよく分からなかったが、この達成感は確かにクセになるかもしれない。
 重たかった足取りを忘れたかのように駆け出す。景色が一番綺麗に見える場所で大きく深呼吸する。心なしか空気も美味しい気がしてくる。

「スゴいねー! 思ってたよりも景色が綺麗でびっくりしちゃった!」
「あの、朝陽、そっちじゃない……」
「え?」

 玄が鼻で笑った。
 …………本当に良い性格してるなぁ!
 盛大な早とちりに顔が熱くなりながら伊呂波のそばに寄っていく。伊呂波は手招きすると、大きな木の下に朝陽を導いた。
 呼ばれるがままに歩みを進める。木の下まで行き、見上げると、青々としか葉が日差しを遮ってくれた。
 これは桜の木だろうか。
 今の季節は葉しか無く、本当に桜の木かと問われれば自信はない。それに、今まで見てきた桜の木とは比べ物にならないくらいの大きさで、段々自分の答えが疑わしくなってくる。
 先程の早とちりの失敗を踏まえて、朝陽は伊呂波が何か口にするまで隣で待つことにした。

「………………」

 伊呂波は無言で桜の木を見つめ続けた。玄は少し離れたところでその様子を眺めている。
 伊呂波の優しい眼差しに、なんだか朝陽も感慨深い気持ちになってくる。この場所に思い出があるわけではないのに、まるで伊呂波の気持ちが流れ込んできているかのように同調する。


「…………伊呂波」

 しばらくして、無言で見ていた玄が伊呂波の名前を呼んだ。

「なに?」
「感傷に浸るのはそのくらいでいいだろ」
「え、ああ! そうだったね!」

 言われて朝陽が居ることを思い出したのか、伊呂波は慌てて朝陽の方を見た。
 忘れ去られていて悲しい気持ちはもちろんあるが、それよりも、一体なにが伊呂波をそうさせたのかという方が気になった。
 伊呂波の眼差しから察するに、大切な思い出には違いない。

 ふと、前にあの部屋で見つけた押し花のことを思い出した。その押し花を見る目と同じだと思った。確証はないが、なぜか確信に近い気持ちになる。

「朝陽にね、これを見せたくて」

 そう言うと伊呂波は神様を信じていない朝陽に奇跡を見せたときのように、桜の木に向かって息を吹きかけた。すると息を吹きかけられた部分だけ見る見るうちに蕾がつき、そして花が開いた。

「うわぁ……」

  何度見てもその光景は不思議で美しい。一部分だけ満開になった桜に朝陽の顔が綻んだ。

「すっごく綺麗……」
「春になるとこの木全体に綺麗な桜が咲くんだ。すごく綺麗だから朝陽にも見てもらいたくて」

 伊呂波が大切にしている感動を共有してもらえるのは、それだけ近い存在になれたようで嬉しい。

「少しでもこんなに綺麗なんだもんね! 終わったばかりなのに春が待ち遠しくなっちゃうなー」
「そうだね」
「春になったらまた来ようね! 今度はお弁当持ってきてお花見しよう!」
「オレの好物もちゃんと用意しろよな」

 背後から玄の声がした。朝陽は振り返ると「お願いします、朝陽さま! でしょ?」と笑った。
 不安ばかりだった生活が、今では未来のことを考えて笑っている。人生どうなるか分からないなと思いつつ、楽しい気持ちで満たされていくのを感じる。
 いつまでもこの時間が続けば良いなと思う。

「あ、そうだ! すっかり遅くなっちゃったんだけど、薔薇のプレゼント、伊呂波がくれたんだよね? あたし、お礼も言ってなかったなって思って……」
「あれは僕が勝手にやったことだし気にしないで」
「でもすごく、嬉しかったし……なにかお返しさせて欲しいんだけど」
「お返しなんて! 本当にただの気持ちだし……」

 伊呂波は口籠もりながら視線を泳がせた。朝陽は伊呂波の手を握ると、自分の方に視線を向けさせた。

「でも、貰ってばかりじゃあたしの気が済まない!」

 こういうところが頑固だと言われてしまう原因なんだよなぁ、と分かっているが。どうしてもお返しがしたかった。お返し、というよりは、単に伊呂波への感謝の気持ちを込めたプレゼントを送りたい気持ちが大きく、理由付けに利用してしまっている感は否めなかったが。

「なんでもいいよ!」
「なんでも………………」

 朝陽は期待に満ちた瞳で伊呂波を見た。すると、しばらく悩んでいた伊呂波は不意に目を逸らした。続けてバツの悪そうな顔をする。

「? なにか思いついた?」
「な、なにも?」

 怪しい。これはなにか思い付いたと踏んだ朝陽は更に距離を近づけて、まるで尋問するかのような口調で問い詰めた。

「今、なにを思い浮かべた?」
「だからなにも!」
「でも顔が思い付いたって言ってる」
「え、えーと……じゃあ、朝陽の身につけているもの、なにか頂戴……」
「身につけているもの……? えーと今、大したものつけてないし……」

 朝陽は自身の格好を見直した。家に帰ればそれなりにアクセサリーの類は持っているのだが、今日はつけてこなかった。服装も長袖のシャツにジーパンとスニーカーであげられそうなものが無い。強いて言えばお気に入りの帽子ならあげられそうだが、本当にこんなもの貰って嬉しいのだろうか。
 悩む朝陽に伊呂波は手首の辺りを指差した。

「それ、欲しいな」
「え、それって」

 指の先にはヘアゴムがあった。髪を纏めるのに、常に朝陽の左手首にはヘアゴムが付けられており、今日も例に漏れず茶色の機能性だけを重視したヘアゴムがあった。

「こんなのでいいの!? あんまり高いものは持ってないけど、もう少し良いものくらいあたしだって持ってるよ……?」
「ううん、これがいい」

 言いながら、伊呂波は2本ついてたヘアゴムの内、一本を朝陽の腕から抜き取り、自身の手首へと通した。

「ほら、お揃い」

 伊呂波がヘアゴムを付けた方の手首を朝陽の手首のヘアゴムに合わせるように近付けてきた。
 なんだろうこの感情。
 嬉しいような、恥ずかしいような。
 嬉しそうな伊呂波の顔を見ているとなにかが溢れ出しそうになる。

「相変わらず意気地なしだな伊呂波は」

 そう言えば玄も居たんだった、と、揶揄するような声を聞いて思い出した。完全に二人だけの世界に入っていた朝陽は、急に恥ずかしくなってきた。

「意気地なしってどういう……」

 羞恥心を誤魔化すように朝陽は声を出す。なんでもないですよ、という顔をして、さりげなく伊呂波から離れれば、この件はこれで終わるだろう。

「なんでもいいって言うんだからキスの一つでもせがんだらいいのによ」
「はぁ!?」
「はぁ!?」

 伊呂波と朝陽の声がぴったりと揃う。
 昨日の出来事からの微妙な距離感をやっとの思いで気にしないようになってきていたのに。
 このイタチは相変わらず空気を読もうとしない!
 よく見ると、玄は目を細めて笑っている。
 違う。この性悪イタチは昨日、伊呂波と朝陽の間になにかあったと分かっていて煽ってきている。

「キスとか! そんな!」

 伊呂波が赤面しながら否定する。その反応に、少しだけ寂しくなる。やはり昨日のことは伊呂波にとってただの人助けでそれ以上でもそれ以下でもないのだ。

「夫婦なんだからそれくらい普通だろ?」
「そうだけど……でも……」

 伊呂波は言いにくそうに言葉を濁した。
 あまりの居た堪れなさに、朝陽は玄に近寄った。

「え、なに? 玄、もうお腹が空いたの? しょうがないなぁー」

 大根役者朝陽は、わざとらしく大きな声を出すと玄の耳元で「黙ってて」と小さく威嚇した。

「そうだね。もうそろそろ帰ろうか」

 伊呂波はもう一度、桜の木を振り返ると無言で歩き出した。
 途中までは良い雰囲気だったのに。
 朝陽は落ち込んだ気持ちを紛らわせるように早足で伊呂波の後に続いた。
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