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所謂膝枕

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 ニコラが千宇音と虎弥太に謝罪を試みている間、俺は部屋をこっそり抜けて楼主の部屋へと向かった。
 昼間のせいか、前回来た時より陰気な印象は薄くなっていたが、地下特有のジメジメ感は相変わらずだった。踏む度にギシギシと音を立てる階段の音に気を紛らわせながら進む。一人だと心細くなりそうだと思っていたが、案外そうでもなかった。
 本当はニコラに一緒について来てもらおうかと思った。しかし、ニコラは楼主のことをあまり快くは思っていない様子で、付き合わせるのも悪いかと考えを改めた。それに、門前払いをされてしまう可能性がある以上、そんなところをニコラに見られたくないと、ふと思った。
 結局、この計画を一人で秘密裏に遂行することに決めた俺は、覚悟を決めて大きな鉄の扉の前に立った。
 この前来た時はシャロニカさんが扉の前から声を掛けていた。しかし、正式な用事ではないのに加え、親しい間柄でもないのに、いきなり声掛けはハードルが高すぎる。周囲には呼び鈴のようなものも見当たらず、少し考えた結果、ここは普通にノックをしようと決めた。
 ゴォン、ゴン、と鈍くて低い音が鳴る。この扉の奥の部屋がどのくらいの広さかは分からないが、この程度の音だと聞こえない可能性がある。
 今度は少し強めに叩くと、銅鑼のような波の音が部屋中に響き渡った。突然の音の洪水に慌て、それを止めようとパニックになった俺はドアを手で押さえて音を軽減させようとした。が、すぐに開いたドアに体重が傾き、吸い込まれるように部屋の中へと倒れ込んだ。

「うわっ!」

 まさかすぐに扉が開くとは思っていなかった。
 心の準備をしていなかった俺は、床に倒れ込みながらこの後どうしようかと頭をフル回転させたが、そんな行動も虚しく向こうから声をかけられてしまった。

「何の用だ」

 低い、冷たい声に俺は急いで顔を上げた。
 そして、自分が今いる場所の異様な光景に目を見張った。
 俺が倒れた床は全て畳で一つ一つが正方形をしている。まるでチェス盤のように綺麗に敷き詰められていて、部屋自体もそれに倣って大きな正方形だ、と思う。何故断定ができないかと言うと、部屋の隅に積まれた『あるもの』が部屋の形を把握するのを遮っていたからだ。

(またネオン……)

 ぐるっと一周、所狭しと積み上げられたネオン看板が、今にも崩れてきそうな表情でこちらを見ている。ほぼ天井に着きそうな勢いのそれは、全て各々に光り輝いており、気持ち悪くなりそうな光の渦を生み出している。こんな光景を前にも一度見たことがあるな、と思い返してみると、前に興味本位で撮影に行ったクラブの印象そのものだった。
 クラブとは違い、光が動いていない分まだマシだが、それでも色の攻撃力は中々高いのだと実感する。
 そんな狂った空間に立ち、俺を見つめている人影があった。この部屋の主で、俺が尋ねた人だ。

「あ……えっと、今日外に行ってきたんですけど……」

 親しくもないのに、いきなり手土産持参は怪しがられても仕方ないと思う。思うのだが、楼主の目線が想像以上に鋭くて、俺の言葉は尻すぼみになる。
 俺はとりあえず見下されているこの状況を何とかしようと立ち上がった。背の関係で楼主の視線は下がったままだったが、それでも床に這いつくばっているよりは対等に近い目線になったような気がした。
 
「美味しそうなお菓子があったんで、お詫びを兼ねて買ってきました」

 楼主の視線は俺の顔から手に持っているお菓子へと滑るように移った。そしてまた俺の顔に戻ってくる。一度外れた視線に安堵したのに、再び金色の瞳に捉われ緊張が舞い戻ってくる。
 楼主は無言で俺に背を向け、そして部屋の真ん中で怠そうに座り込んだ。

(なんか……機嫌が悪そう)

 何を考えているのか全く分からない楼主の行動に、ここに来たことを後悔し始めた。その時。楼主がこれまた怠そうに頭を上げ、俺を手招きで呼んだ。
 呼ばれてしまっては帰るに帰れない。
 俺は少しだけ距離を取り、楼主の方を見ながら座る。すると、楼主は黙って小さく口を開いた。

(え……?)

 まるで餌を待つ雛鳥のような姿の楼主に困惑する。俺の想像が正しければ、楼主は『待っている』と思うのだが、もし万が一違った場合、俺の方が羞恥心でどうにかなってしまいそうだ。それに、楼主がそんなことを要求してくるとは考えにくかった。

「あ、食べますか? 待っててください今開けて――」

 言いながら包みを開け、中に入っているお菓子の一つを渡そうとした。が、伸びてきた手に手首を掴まれ、そのまま口へと運ばれる。人差し指が楼主の唇に触れ、驚いて手を離すと、お菓子は、そのまま楼主の口の中に消えていった。
 断られた時のために、日持ちしそうなお菓子を選んだ。それがいけなかった。干菓子のような花型に押し固められて作られたお菓子は、楼主の口の中ですぐに溶けて跡形もなくなってしまった。
 楼主は次を要求するようにまた口を開いた。
 正直、今の俺は、冷たい目で俺を見下していた楼主とお菓子を強請る楼主のギャップが、不気味で怖くもあり、同時に面白くも感じてしまっていた。
 綺麗な外見の立派な男が黙って口を開けている様子に、自分の中の緊張が解けていくのを感じた。施設の子どもたちにもこうやってお菓子を強請ってくる子がいた。一旦それと同じだと思ってしまうと、不思議なことに俺の中にあった抵抗感がどんどん崩れ去ってしまった。客観的に見たら異常な様子だと理解はしているのに、俺はお菓子を摘むと楼主の口へと運んでいた。
 一つ、二つ、三つ、と放り込む。何個口へ運んでも自分から手に取る様子は無く、とうとう買ってきた全てを平らげてしまった。

「あ、ごめんなさい。今ので最後です」

 空になった包みを一瞥し、楼主は無言のまま俺から離れた。
 お役御免ということなのだろうか。俺から少し離れた場所に背中を向けて腰を下ろした楼主は大きな欠伸をしたようで、表情は見えなかったが小さく息を吐く音がした。
 訪れる沈黙に耐えかねた俺は立ち上がろうと包みをしまい、床に手をついた。しかし、その手を掴まれてしまった。
 え、と思った次の瞬間には膝の上に楼主の頭があった。

(は…………?)

 流石にこれには困惑する。というより、した。
 俗にいう膝枕を、何の前触れもなく、親しい間柄でもない人からされたら、どういう反応をしたら正解なのだろうか。
 俺は叫びながら立ち上がりそうになったところをぎりぎりで止まり、息を止めて楼主の顔を見た。
 しかし、俺の目線からは楼主の後頭部しか見えない。一体どんな顔をしてこんなことをしているのか、驚きや怒りより好奇心の方が優った。
 どうにかして楼主の顔を見れないか、などと考えていると、間をおかずにすぅすぅと小さく規則的な息を吐く音が聞こえ始めた。

(もしかして…………寝てる!?)

 俺は膝の上で何人も子どもたちの頭を受け止めてきた。だから分かる。これは完全に寝ている。
 ゆっくりと穏やかに上下する肩を見ていると、元の世界がなんだか懐かしくなってくる。この世界にもだいぶ慣れてきたと思っていたが、まだ染まりきってはいないらしい。
 よくもまぁ、この状況で他のことを考えられるな、と我ながら思うが、楼主に対して一度解けた緊張が戻ってくることは無く、寧ろこの状況より、いつ帰れるんだろうか、という心配の方が大きくなってきていた。
 何があってももう驚かないという自分への誓いはこんなところでも有効らしい。
 俺が帰るタイミングについて本格的に悩み始めると、楼主に動きがあった。くるりと身体を動かし、俺の方へ顔を向けた。不意打ちで、『親しい間柄でもない男にいきなり膝枕を強要する人物』の顔を見ることが叶ったが、ごく一般的な男性の寝顔だった。細かいことを言うと、まつ毛が男性の平均より長かったり、鼻筋が通っていたり、肌がやけに綺麗だったりと、ごく一般的と括ってしまうのは語弊があるかもしれないが、とりあえず寝顔は寝顔だ。
 しかし、見慣れないものを見ている感覚はあり、最早美術鑑賞のような勢いで、俺の膝の上を占拠する顔を眺める。無意識に一番最初に薄く開いた唇に目がいってしまう。一瞬、指先に触れた感触を思い出し、流石に童貞を拗らせ過ぎていると一人で恥ずかしくなった。
 唇から視線を外し顔全体を見ているうちに、何かペットを膝に乗せているような、赤ちゃんを抱いているような不思議な感覚になってくるのを感じた。それというのも寝顔が、いくらなんでもあどけない顔をしているからだった。
 相変わらず暴力的な色の室内で、まるでここだけ麗らかな昼下がりに木陰で昼寝をしているかのようだと錯覚してしまいそうになる程だ。
 これほどまでに、全てを投げ出して他人の膝の上で爆睡出来る人間を俺は知らない。施設の子どもたちにですら、ここまでの顔を見せてもらったことはない。
 逆に言うと、ここまで信頼されている意味が分からない。いや、もしかしたら、楼主は誰にでもこうなのかもしれない。そう思うと急につまらない気持ちになった。
 そう感じてからもう起こそうと決意するまでは早かった。控えめに右の肩を叩き声をかける。

「すみません。俺、もう戻るんで」

 スッと細く金色が見えた。
 途端に眉間に皺が寄り、不機嫌そうな表情に変わっていく。そして聞こえた舌を打つ音。

(え……? 今舌打ちした……?)

 俺の聞き間違いかと思ったが、楼主は座り込んだ時と同じように怠そうに立ち上がり、いきなり俺の着物の襟、つまり首根っこを掴んで引きずり始めた。

「えっ?」

 間抜けな声を上げるのがやっとで、あっという間に俺は部屋の外に摘み出されてしまった。
 ドォン、という低い響きを伴って閉まった扉を唖然と見つめる。何が起こったのか分からないまま、室内を照らす電球に群がる羽虫の羽音を虚しく聞き続ける。

「今、追い出された……?」

 ようやく頭が追い付いてくると、状況の『あり得なさ』に更に混乱した。
 俺はさっきまで、楼主にお菓子を食べさせ、膝枕をし、そして追い出された。振り幅の広すぎる楼主の行動をどう解釈したらいいのか分からない。
 分からないなりに、何かしらのショックを受けている気はした。だからすぐにこの場を離れた。
 聞こえた舌打ちの音を頭の中から追い出すように階段の板を軋ませ、半分痺れた脚を庇いながら駆け上がった。
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