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手紙

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「じゃあ挨拶に行くわよ!」

 仕事の休憩時間にわざわざ時間を作って俺の様子を見にきてくれたシャロニカさんは、疲れた顔一つ見せずにそう言った。
 シャロニカさんは最初に見た薄い着物姿ではなく、遊郭というイメージそのものの豪華な着物を纏い、色がはっきりとした化粧もしていた。ただ、髪だけは軽く纏めた程度でキラキラとしたかんざしの類は付けていなかった。理由を聞くと、頭にかんざしを付けるのはもう古いのよ、と笑われてしまった。この世界にはそういった流行り廃りもあるんだと思うと、現代にも似ているところがあると感じた。
 シャロニカさんは善は急げと俺を立ち上がらせた。
 なんでも楼主は夜に行動することが多く、手紙を置くのも夜の方がいいだろうとのことだった。手紙を置いておくだけならいつでもいいのではないかと思ったが、そもそも昼間は部屋の前まで辿り着けないらしい。楼主が部屋に何重にも鍵を掛けてしまうから、とシャロニカさんは言った。
 シャロニカさんの口ぶりから、楼主は決してみんなから嫌われてはいない様子だが、俺はどうしても陰鬱な人間を想像してしまっていた。
 楼主という高い地位の人間ではあるが、まるで蝙蝠が洞窟の奥深くに住み、夜になると外に飛び出してくるようなイメージだ。なるべくならお近付きになりたくないと思いながら、シャロニカさんの後をついて部屋を出た。
 初めて廊下に立つと、俺の部屋がこの遊郭のだいぶ奥の方にあることが分かった。この部屋の並びは全て従業員の私室になっているらしく、全てが四畳ほどと小さな造りになっていると、シャロニカさんは少しだけ不満を漏らしていた。
 しかし、まだ私室を持てる遊女はマシで、それに満たない千宇音や虎弥太、その他の従業員たちは私室よりも少しだけ大きな部屋で雑魚寝だと言う。
 そう考えると、俺の待遇は破格で、なんだか申し訳なく感じてしまった。
 表門の近くは勿論お店になっていて、遊女が待機する場所や事務所のような場所があるらしい。そこから上に上がっていくと所謂個室の客間になっている。いくつか大部屋もあると言い、その前を通った時はものすごい人数の声が襖越しに聞こえてきた。
 なんとなく、楼主の部屋は最上階にあるものだと思っていた。階段を見つけ上がろうとするとシャロニカさんは俺を止めた。

「そっちじゃないわ。こっちよ」
「え……?」

 シャロニカさんは階段の横にある古い木の扉を指差した。そしてそれを横にずらすと真っ暗な闇の中に地下に通じる階段が浮かび上がってきた。
 蝙蝠とはいえ一応この遊郭で一番身分が高い人の部屋がこの先にあるとは到底思えない。地下から流れてくるひんやりとした空気が俺の頬を撫でた。

「本人が望んでここにいるのよ」

 俺が何を考えているのか察したのか、シャロニカさんはそう言うと階段を降り始めた。ギシ、ギシと階段の板を踏み締めるたび、今にも崩れ落ちそうな音がして怖い。
 降りきった先にはまた木の扉があり、そこを開ける。すると、小さな部屋のような空間があった。壁には電球が剥き出しで一つ、どこから入ったのか羽虫が集っていた。その電球ももうすぐ切れてしまいそうな心許なさで、かろうじて部屋の中を見渡せるに留まっていた。
 足元に注目してようやく、ここにもペルシャ絨毯のようなものが敷かれていることに気が付いたが、元は毛足が長かったのであろうそれは、所々禿げていて、この場所の不気味さを演出するのに貢献していた。

「こっち」

 今度は大きな鉄の扉が目の前に現れた。
 今度の扉は両開きになっていて、中央には取手のような鉄の輪が付いていた。
 その前に立ち、シャロニカさんは声を出した。

「夜柯(よか)様、新しい子が挨拶に参りました。いつものようにここに手紙を置いておきます」

 夜柯、というのが楼主の名前なのだろう。
 俺はシャロニカさんの視線の先にあった朱色の台に手紙を置いた。
 今更だが、普通に日本語で書いてしまったことを思い出し少し焦ったが、日本語が通じているのだから大丈夫だろうと楽観的に考えることにした。

「じゃあ行きましょうか!」

 一仕事終えたような表情でシャロニカさんは踵を返した。俺もそれに続こうとした。が。
 重い金属が擦れる音に後ろを振り返る。シャロニカさんも同時に振り返り、そして目を丸くした。

「夜柯様!」
「よか……えっ!?」

 薄く開かれた扉の先に見たことがある金色の瞳があった。
 その瞳が怪しく細められると、更に大きく扉が開いた。

「ついでにこいつも連れて行け」
「え……うわっ」
「きゃっ」

 狭い部屋に響く低い声の後、開いた扉から出てきたのは半裸の女性だった。
 慌てて両手で襟元を合わせていて、いかにも今さっきまで裸でしたと言っている姿をしている。セミロングの髪は黒髪だらけのこの国では珍しくほんのり茶色をしていた。元の世界だったら羨まれる髪色だ。目鼻立ちがはっきりとしているがどこか柔らかく、口紅の色だけが強烈だった。

「ペトラ! あなたまた仕事サボったのね!」
「だってぇ~夜柯様が久しぶりに相手してくれるって言うんだもん! どこの馬の骨とも知れない男と寝てる場合じゃないでしょぉ」

 ペトラ、と呼ばれた女の人は猫撫で声で言い訳を口にした。明け透けな物言いは最初のシャロニカさんに似ている。遊女なのだろうとすぐに分かるようになった。

「……あれ? その子はぁ?」
「あ、亜莉寿です……」

 急に自分に向けられた関心に怯みながら名前を名乗る。
 自己紹介をする前に格好をどうにかしてほしいと思いながら、さりげなく視界に入れないように下を向く。

「アリス? あー遊女かぁ~あたし、同業には手を出さないって決めてるからなぁ~残念」
「いや、俺は……」

 俺がどう説明しようか困っていると、横からシャロニカさんが助け舟を出してくれた。

「アリスは遊女見習いよ! 訳ありなの」
「あっ見習い? じゃあ遠慮なく食べちゃっても良いってことぉ?」

 遊女はダメで見習いはオッケーという線引きがよく分からない。自分の身を狙う不躾な視線に鳥肌が立った。あまりにも話が短絡的でそのスピードについていけない。

「駄目よ! 少なくともアリスの同意を得るまでは」
「え~じゃあ気分になったら言ってね。アリスならいつでも大歓迎」
「は、はぁ…………」

 シャロニカさんのズレたフォローのおかげか一旦会話は終了した。
 俺は短く息を吐くと、ペトラさんが出てきた扉を眺めた。鉄の扉は知らないうちに閉まっていた。
 少しだけ見えた金色の瞳を思い出す。あの目は間違いなく、外で出会ったあの男のものだ。
 あの時、一応助けて貰ったのだからお礼の一つも言いたかったが、そんな余裕は無かった。それに向こうも俺を見てもなにも言わなかった。その程度の出来事だったのだろう。
 一方的に衝撃的な出会いとしたと思っていたことが恥ずかしくなる。今もあの時の顔が目の裏に焼き付いて離れない。
 
 夜柯――あの男がここの楼主だったとは。
 
 いつの間にか手紙は無くなっていた。
 一応受理されたと思って良いのだろうか。
 受理されたとなれば、俺はここで働くことになる。流れに任せてここまできてしまったが、俺の心はまだ迷っていた。
 シャロニカさんはペトラさんの首根っこを掴み、逃がさないように階段を上がり始めた。ぶつぶつと文句を言いながらペトラさんは自身の髪の毛を手櫛で整えている。
 俺はもう一度鉄の扉を振り返り、部屋の奥へと消えていった彼のことを考えた。
 俺は彼のことを全く知らない。
 それなのに、何故ここまで気になってしまうのか。
 向こうが俺のことを覚えてなくてもいい。機会があったらお礼だけはちゃんとしようと思いながら、俺はシャロニカさんたちを追いかけた。
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