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ワンダーランド改め異世界

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 俺がアリスだから。
 だから、『こう』なってもしかたがないのかもしれないと、無理矢理理由をつけて現実を見ないように目を瞑る。
 この『穴』に落ちてどれくらい経ったか。
 重力に引かれ両腕がふわりと浮き、体勢を変えることもままならず後ろ向きに落ちていく。初めの方は見えていた入り口も、長い落下時間の中でやがて見えなくなった。そこでようやく諦められた。
 この『穴』はどこまで続くのだろう、なんて考えるだけ無駄だ。そもそもの事の起こりからして異常だったのだから。
 
 今は夏だから、心霊動画は需要があると思った。だから、軽い気持ちで一人で深夜に心霊スポットに来た。別名異世界橋。市街地から離れている場所にあるわけではないのに妙に人通りは少なく、この橋を夜に一人で渡ったら異世界に飛ばされるという都市伝説にも何だか説得力があった。
 橋が掛かる川にはすぐ横に比較的新しめの大きな橋が掛かっていて、古い異世界橋を使う人は昼間でも少なそうだった。見るからにボロボロで異世界と言うよりは、むしろ橋自体が壊れて病院に飛ばされてしまうのではないかと思った。正直、そっちの方がおそろしい。
 隣に新しい橋があるにも関わらず、この橋を残しておく理由は分からないが、もしかしたらそこに『いわく』があるのかもしれない。
 とにかく、来たからには撮るしかない。
 俺はスマホで動画を回し橋を渡り始めた。後から編集で字幕をつける用に辺りの風景を長めに映しておく。
 一歩目、二歩目はなんとなく緊張した。三歩目、四歩目でこの動画のオチを察した。
 予想通り、所詮は都市伝説。橋を渡り切ったのにも関わらず、特に変化は起きなかった。
 期待していたよりも遥かに撮れ高は無く、俺は踵を返す。もう一度橋を渡り、帰りのバス停まで歩こうとした、瞬間。
 橋の中央に『穴』が現れた。
 うさぎを追いかけたりなんかしていない。
 逆に『穴』が俺を追いかけてきて、そして飲み込んだ。
 それからずっと落下し続けて現在に至る。
 落ちた時にスマホは手放してしまった。手回り品を入れていた黒のリュックは『穴』から逃げている時に走るのに邪魔で捨ててしまった。
 つまり、どうにかこの落下を切り抜けられたとしても、その先で自分の身分を証明するものは何一つ無くなってしまっていた。
 (…………今更、か)
 そもそも、俺は自分のことを何も知らない。いや、何も、というのは言い過ぎだった。正確には名前以外、何も知らない。
 鏡野亜莉寿(かがみの ありす)。それが俺の名前だ。男にアリスと名付けるなんて、俺の親は大層変わり者なんだと思う。そんな変わり者の親は度が過ぎていたのか、はたまた何か事情があったのか、俺が赤ちゃんの時に児童養護施設の前に俺を置き去りにした。亜莉寿という名前の書かれた紙と一緒に。
 だけど、俺は顔も知らない両親のことを嫌いにはなれなかった。
 名前は親からの初めての贈り物。世間では表されることも多いが、例に倣って俺もそう感じていた。名前があるだけで、自分の輪郭が少しだけ確立した気がした。
 だから、概ね自分の名前には満足していた。ただ一つ、引っかかるとすれば、名字との兼ね合いだった。
 俺が拾われた児童養護施設の施設長の名前が鏡野さんだった。名字が無かった俺は鏡野さんの名字を貰うことになり、正式に鏡野亜莉寿となった。
 すわりの悪さは初めてフルネームを口にした時に感じた。決して鏡野姓が嫌なわけじゃないし、鏡野さんのことも尊敬している。もちろん亜莉寿も気に入っているが、それとこれとは話が別だ。
 小学校、中学校、高校と同じイジられ方をしてきた。つまり、なんで名字が不思議野じゃないのか、と。
 俺だって不思議野だったらもっとネタに出来たのに、と思ったことはある。敢えて続編の鏡野になるあたり、俺はこういう人間なんだろうなと感じる。
 もし、俺が不思議野亜莉寿だったら、俺のチャンネルももっと盛り上がってたのかもしれない。色々な人と関わりたくて始めたのに、再生回数のことばかり考えることも無かったかもしれない。
 それに。
 そもそも『こんな状況にならなかった』かもしれない。
 かもしれない、と考えても仕方ないことは理解しているので、これは後悔ではなく暇つぶしだ。
 いつ終わるのか分からないこの時間の暇を潰すための回想。
 振り返る過去がスタートの時点で抜けている俺は前を向くように生きてきた。前だけ見ていればいつか必ず幸せになれると信じて。
 (そうだ)
 ここがどこだか、今がどういう状況なのか一才分からないが、俺はついさっき諦めた。そんなの俺らしくないと思う。俺が諦めの早い人間だったら、多分とっくの昔にこの世にはいないと思う。今ここにいるということは、つまりそういう事なのだ。
 俺は思い切って目を開けた。再び現実を見るために。
 
「…………え?」

 出せた言葉それだけだった。
 背中に広がる衝撃と、一拍遅れて鼻に感じるなんだか懐かしさを感じる匂い。大きく開けた口に細かい塵が入り込み盛大に咽せる。目に涙を溜めながら忙しなく呼吸をしていると、徐々にまわりの景色が見え始めた。

「ここは……?」

 多分、日本。
 でも、俺が生きていた時代ではないと感じる。少なくとも今見た限りでは。
 まるで時代劇で見たような大通りの端に山積みにされている干し草の上に俺はいた。道路は舗装されておらず土煙を立てていて、通りに連なり面している家屋はまるで京都の祇園のような様子をしている。一見すると、時代劇のセットに迷い込んでしまったかのようだったが、一つだけ、そこかしこにある異様な存在がその可能性を潰していた。
 色とりどりのネオン。
 建物一つ一つにギラギラと光り輝くネオン看板が取り付けられていた。俺は屋根に積み重ねられるように設置されているネオンを視線で辿り、そしてようやく今が夜だということに気がついた。
 夜とは分からないほど、ここは明るい。煌々と光るネオンは町全体を照らしていて、余計にここがどこだか分からなくさせていた。
 と、特に明るいと感じた大きな建物の側に人影を見つけた。派手な街並みの割に人の気配が無かった不気味さから解放された気になった俺はその人影に向かって走り出した。
 
「すいません……!」

 俺が声を出すと、人影は建物の隣の狭い路地に吸い込まれるように消えてしまった。見失う訳にはいかない。施設にいた時はよく子どもたちと遊んでいて走り回っていたが、施設を出て一人暮らしを始めた途端運動することは無くなっていた。だから、少し走っただけで息が切れる。みっともないほどに大きく口を開け、どこかも分からない場所の空気を吸い込む。

「あの~!」

 もしかしたらここは日本じゃないのかもしれない。外国語を叫ぶ男が追いかけて来たらそりゃ怖いよな、と思い始め、足を止める。
 人影は完全に見失っていた。いつの間にか裏通りに入ってしまったのか、表通りのネオンの光は届いておらず、建物から僅かに漏れるオレンジ色の光だけが暗い夜道を照らしていた。
 暗いと一気に不気味さが増す。表通りも不気味だったがまだ明るい方がマシだと思い、来た道を引き返そうとする。が。
 
「ねぇ……ねぇ……」
 
 声がした。
 瞬間、全身に鳥肌が立った。俺に霊感なんてものは無い。あったら異世界橋の時点で何かしらの撮れ高があったはずなのだから。
 なのに、なぜか感じる危険だという胸騒ぎ。いきなり穴に落ちて、知らない場所に着いたってこんな気持ちにはならなかった。あの『穴』に追いかけられた時でさえも。
 俺は声のした方を見ないように逆の方向へ走り出した。振り返ってはいけない。何を聞いても無視しなければ。
 早く行動に移したつもりだった。だけど、俺は自分の体力の無さを甘く見ていた。あっという間に声は俺の背中にピッタリとくっ付いた。皮膚を伝わって感じる声が、自分の臓器に直に触れたような気がして吐き気がした。
 (気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い)
 背中の『何か』を振り払いたい一心で近くにあった壁に背中をぶつける。しかし、そこに俺の想像していたような壁は無く、朽ちかけた竹垣諸共後ろ向きで倒れ込んだ。
 あ、と思った時にはもう遅い。ほとんど条件反射で身体を丸めると、衝撃に備えた。が、地面に叩き付けられるような痛みは感じなかった。代わりに水が耳の穴を満たしていく。
 (え?)
 耳が遠くなる感覚と同時に全身が冷たくなった。
 水の中に落ちた、と理解すると急に身体が重くなった。池か、川か、それとも井戸か。いずれにせよ、このまま沈んでいったら死んでしまう。そう思うのに四肢が全く言うことを聞かない。
 人生前向きに。
 この状況でどうしたら前向きに考えられるだろう。
 (人とは違う経験が出来たこと……?)
 少し無理があるなと思った。でも、何となく、後悔ばかりで死ぬよりは良いかもしれないと思った。
 
 今は夏、だったはずなのに。
 気付けば雪がちらつき始めた。
 どうりで寒いはずだ。そう思いながら、俺は白い息を一吐し、そのまま瞳を閉じた。
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