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一途な猫は夢に溺れる
恋人(仮)
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***
「お師匠さん、流石にばれますよ」
ヴェシフート家の広大な庭に降り立った俺はこれから起こるであろう大惨事を想像して身震いした。冬の冷たい風が俺の頬を掠めたが、今の非常にまずい状況にアドレナリンが出ているのか寒さが全く気にならない。
「僕を誰だと思ってるの? 見くびって貰っちゃ困るよ」
自信満々の顔でそう言うお師匠さんの顔が段々子どものように見えてきたが、頭を振って無理やりかき消す。目の前にいる、いつももなら絶対に嫌がる正装を完璧に着こなした美しい人は高名で高貴な魔法使いの俺のお師匠さんだ。間違っても悪ガキなんかじゃない。今からやろうとしていることは悪ガキの発想そのものだが。
「そもそもなんで俺が巻き込まれないといけないんですか」
「マオは僕の使い魔だろ。僕を助けるのは当たり前じゃないか」
そう言われてしまえば黙るしかない。俺はあくまでお師匠さんの使い魔なのだ。そうでないと傍にいられない。
「それは……そうですけど。でもお師匠さんなら──」
言いかけたところで唇に軽く人差し指を当てられる。思わず言葉を飲み込むと、お師匠さんはにこっと笑った。
「恋人なんだからお師匠さんは禁止」
「え、でも」
言いたいことは分かるが、今更なんて呼んだらいいのか分からない。
「僕の名前は?」
「……アーネスト、様」
「なんで普段はさん付けなのに、名前になると様付けになるの?」
お師匠さんは笑いを吹き出しそうになるのを必死で堪えながら聞いてくる。
「なんとなく……です」
気恥ずかしくて少し俯く。
「恋人っぽくないよねぇ、それじゃ」
お師匠さんは更に畳み掛けてくる。完全にからかわれているのが分かるが、俺には抵抗する術がない。
「アーネストって呼んで?」
「…………アーネスト」
「よくできました」
俺の反応に満足したのか、お師匠さんは俺の頭を撫でると嬉しそうに笑った。
「それで、俺は何をしたらいいんですか?」
逸れてしまった本題を戻そうと問いかける。きっと名前呼び以上に無理難題を押し付けられるのだろう。
「難しいことはないって。僕の父親にマオが恋人ですって紹介して結婚を諦めて貰えば良いんだから」
「はぁ……」
難しいことはないと言うが、もう既に足元がふらついて歩くことすら難しい。一歩踏み出してよろけた俺をお師匠さんが抱きとめる。
「マオ、綺麗だよ」
お師匠さんの顔でこんな事を言われたら世の女の子たちは卒倒するだろう。しかし俺には効果はない。いくら今『見た目が女の子』でも心はしっかり男のままだ。
「この靴、まともに歩けないんですけど……」
俺はかかとを上げて抗議する。煌びやかな装飾が施された見るからに高そうな靴だったが、ヒール部分が細すぎてバランスがとり辛い。
「ね、女の子って大変だよね」
どうやら変えてくれる気は無いらしい。俺はどうにか自立すると練習がてら目の前にある噴水の元まで歩みを進めた。石畳の道はヒールの敵である溝がそこかしこにあり、少しでも気を抜くと転んでしまいそうだ。
鈍痛と戦いながらやっとの思いで辿り着くと、噴水の縁に座り込んだ。少しだけ慣れてきた気はするが、優雅に歩くには程遠い。こんな状態ではばれるのも時間の問題だと思う。
俺は噴水中を覗きこんだ。いつもの俺とは似ても似つかない美女がこちらを見ていた。艶やかな巻き毛に白い肌。小柄で華奢な体躯。俺との共通点は琥珀色の髪色くらいで、見た目だけなら誰も男だなんて気付かないだろう。
お師匠さんは楽しそうに魔法をかけていたが、これがお師匠さんの好みの女の子なんだと思うと気分が落ちる。程遠い生き物になってしまった俺にお師匠さんは笑いかけてきた。
「自分でも可愛いと思うでしょ」
「まぁ……一般的には良いんじゃないですか」
人の心情も知らずに追い討ちをかけてくるお師匠さんをなんとかかわす。
「えーそんな反応ー? じゃあマオはどんな子が好みなの?」
「は?」
言えるわけない。俺が返事に困っていると背後から声が掛かった。
「久しぶりだな」
どこか冷たく聞こえる声の主は、俺の目の前で足を止めた。
「兄さん」
お師匠さんに兄がいたことすら初耳で、俺は一気に緊張した。
「来ないかと思ったが」
兄さんと呼ばれた人物は俺を舐めるように見た後、お師匠さんの方を向いた。
「それが?」
それ、が俺のことを指していると気づくのに一拍かかった。お師匠さんの恋人として認めてもらえていないどころか、人間として見られているかも怪しい物言いに唖然とする。
お師匠さんはゆったりとした動作で俺に手を差し出すと、立たせて腰を引き寄せる。長い髪からふわっと香った香りに距離を意識させられて顔が熱くなる。
「はい」
聞いたことがないお師匠さんの固い言葉遣いに緊張が伝わる。
「マオと申します」
思わずお師匠さんの紹介を待たずに声を上げてしまった。
お師匠さんのお兄さんは俺に鋭い視線を向けると、またお師匠さんの方を向いた。どうやら俺と話す気はないらしい。
「結婚が嫌で最後の抵抗か? いつから俺の弟はこんな卑怯者になったんだか」
あまりの物言いにカッとなったのが伝わったのか、お師匠さんが俺をなだめる様に腰を撫でた。
「今夜はマオも一緒ですのでどうかご容赦ください」
お師匠さんが深々と頭を下げると、お兄さんは軽く舌打ちをして去っていった。
「はぁーだから来たくなかったんだよねぇ」
お兄さんの姿が見えなくなると、お師匠さんはいつもの調子に戻って表情を崩した。
なんと声を掛けたらいいか迷っている俺に優しく声を掛けると、大きく背伸びをした。
「マオは気にしないで。いつものことだから」
お師匠さんは俺の右手を掬い上げると優しく掴み、導くように歩き出した。
「とっとと終わらせて二人の家に帰ろう」
俺は頷くと慎重に歩き出した。
「お師匠さん、流石にばれますよ」
ヴェシフート家の広大な庭に降り立った俺はこれから起こるであろう大惨事を想像して身震いした。冬の冷たい風が俺の頬を掠めたが、今の非常にまずい状況にアドレナリンが出ているのか寒さが全く気にならない。
「僕を誰だと思ってるの? 見くびって貰っちゃ困るよ」
自信満々の顔でそう言うお師匠さんの顔が段々子どものように見えてきたが、頭を振って無理やりかき消す。目の前にいる、いつももなら絶対に嫌がる正装を完璧に着こなした美しい人は高名で高貴な魔法使いの俺のお師匠さんだ。間違っても悪ガキなんかじゃない。今からやろうとしていることは悪ガキの発想そのものだが。
「そもそもなんで俺が巻き込まれないといけないんですか」
「マオは僕の使い魔だろ。僕を助けるのは当たり前じゃないか」
そう言われてしまえば黙るしかない。俺はあくまでお師匠さんの使い魔なのだ。そうでないと傍にいられない。
「それは……そうですけど。でもお師匠さんなら──」
言いかけたところで唇に軽く人差し指を当てられる。思わず言葉を飲み込むと、お師匠さんはにこっと笑った。
「恋人なんだからお師匠さんは禁止」
「え、でも」
言いたいことは分かるが、今更なんて呼んだらいいのか分からない。
「僕の名前は?」
「……アーネスト、様」
「なんで普段はさん付けなのに、名前になると様付けになるの?」
お師匠さんは笑いを吹き出しそうになるのを必死で堪えながら聞いてくる。
「なんとなく……です」
気恥ずかしくて少し俯く。
「恋人っぽくないよねぇ、それじゃ」
お師匠さんは更に畳み掛けてくる。完全にからかわれているのが分かるが、俺には抵抗する術がない。
「アーネストって呼んで?」
「…………アーネスト」
「よくできました」
俺の反応に満足したのか、お師匠さんは俺の頭を撫でると嬉しそうに笑った。
「それで、俺は何をしたらいいんですか?」
逸れてしまった本題を戻そうと問いかける。きっと名前呼び以上に無理難題を押し付けられるのだろう。
「難しいことはないって。僕の父親にマオが恋人ですって紹介して結婚を諦めて貰えば良いんだから」
「はぁ……」
難しいことはないと言うが、もう既に足元がふらついて歩くことすら難しい。一歩踏み出してよろけた俺をお師匠さんが抱きとめる。
「マオ、綺麗だよ」
お師匠さんの顔でこんな事を言われたら世の女の子たちは卒倒するだろう。しかし俺には効果はない。いくら今『見た目が女の子』でも心はしっかり男のままだ。
「この靴、まともに歩けないんですけど……」
俺はかかとを上げて抗議する。煌びやかな装飾が施された見るからに高そうな靴だったが、ヒール部分が細すぎてバランスがとり辛い。
「ね、女の子って大変だよね」
どうやら変えてくれる気は無いらしい。俺はどうにか自立すると練習がてら目の前にある噴水の元まで歩みを進めた。石畳の道はヒールの敵である溝がそこかしこにあり、少しでも気を抜くと転んでしまいそうだ。
鈍痛と戦いながらやっとの思いで辿り着くと、噴水の縁に座り込んだ。少しだけ慣れてきた気はするが、優雅に歩くには程遠い。こんな状態ではばれるのも時間の問題だと思う。
俺は噴水中を覗きこんだ。いつもの俺とは似ても似つかない美女がこちらを見ていた。艶やかな巻き毛に白い肌。小柄で華奢な体躯。俺との共通点は琥珀色の髪色くらいで、見た目だけなら誰も男だなんて気付かないだろう。
お師匠さんは楽しそうに魔法をかけていたが、これがお師匠さんの好みの女の子なんだと思うと気分が落ちる。程遠い生き物になってしまった俺にお師匠さんは笑いかけてきた。
「自分でも可愛いと思うでしょ」
「まぁ……一般的には良いんじゃないですか」
人の心情も知らずに追い討ちをかけてくるお師匠さんをなんとかかわす。
「えーそんな反応ー? じゃあマオはどんな子が好みなの?」
「は?」
言えるわけない。俺が返事に困っていると背後から声が掛かった。
「久しぶりだな」
どこか冷たく聞こえる声の主は、俺の目の前で足を止めた。
「兄さん」
お師匠さんに兄がいたことすら初耳で、俺は一気に緊張した。
「来ないかと思ったが」
兄さんと呼ばれた人物は俺を舐めるように見た後、お師匠さんの方を向いた。
「それが?」
それ、が俺のことを指していると気づくのに一拍かかった。お師匠さんの恋人として認めてもらえていないどころか、人間として見られているかも怪しい物言いに唖然とする。
お師匠さんはゆったりとした動作で俺に手を差し出すと、立たせて腰を引き寄せる。長い髪からふわっと香った香りに距離を意識させられて顔が熱くなる。
「はい」
聞いたことがないお師匠さんの固い言葉遣いに緊張が伝わる。
「マオと申します」
思わずお師匠さんの紹介を待たずに声を上げてしまった。
お師匠さんのお兄さんは俺に鋭い視線を向けると、またお師匠さんの方を向いた。どうやら俺と話す気はないらしい。
「結婚が嫌で最後の抵抗か? いつから俺の弟はこんな卑怯者になったんだか」
あまりの物言いにカッとなったのが伝わったのか、お師匠さんが俺をなだめる様に腰を撫でた。
「今夜はマオも一緒ですのでどうかご容赦ください」
お師匠さんが深々と頭を下げると、お兄さんは軽く舌打ちをして去っていった。
「はぁーだから来たくなかったんだよねぇ」
お兄さんの姿が見えなくなると、お師匠さんはいつもの調子に戻って表情を崩した。
なんと声を掛けたらいいか迷っている俺に優しく声を掛けると、大きく背伸びをした。
「マオは気にしないで。いつものことだから」
お師匠さんは俺の右手を掬い上げると優しく掴み、導くように歩き出した。
「とっとと終わらせて二人の家に帰ろう」
俺は頷くと慎重に歩き出した。
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