4 / 21
花を手折るまで後、5日【1】
しおりを挟む
リシュの『花』は譲らない。
シセルははっきりとそう言った。
僕はカーテンの隙間から漏れる朝の光に目を細めながら、ベッドに寝転び頭の中で反芻した。昨日はシセルが去った後、もんもんと考え込んでしまい、結局ろくに眠れなかった。
あれは一体どういう意味だったんだろうと未だに考え続けている。てっきりシセルは僕の『花』になることを嫌がっているんだと思っていた。だけど、シセルは全く逆のことを言った。
背伸びをしながらうつ伏せになる。枕に顔が埋まって当たり前だが息苦しい。
そういえば、シセルは俺たちに拒否権はない、とも言っていた。つまり拒否権さえあれば辞退したいということなのだろう。優しいシセルのことだ、家のことや僕の立場を鑑みて、譲らないという選択肢を選んでくれたんだろう。
結果的に一応は僕の意向とシセルの意向は一致したことになる。しかしどうにも腑に落ちない。本当にこのままでいいんだろうかと考えてしまう。
と、控えめにドアをノックする音がして飛び起きた。いつもより遅い時間までダラダラしてしまっている自覚はあったが、わざわざメイドが呼びに来るくらいの時間になってしまっていたのかと反省する。
僕は返事をすると入室を許可した。
「昨日からちょっと考え事しててさ、あんまり寝れてないんだよね」
入室の挨拶がないことを不審に思いながらも、カーテンで仕切られた向こう側にいるはずのメイドに向かって話しかける。
ただの世間話のつもりだった。決して寝坊したわけではないという言い訳も少し含まれていたが。
「それは、俺のせいで?」
「え……」
カーテンの向こう側から現れたのはシセルだった。
「シセル! なんで!?」
「俺が『花』に決まったからだろ」
「あ、……そうか」
『花』に決まった人間は基本的に伴侶となる王族の傍で生活することになる。契りを交わす前の予行練習のようなしきたりだが、今の僕にとってそれは最悪の決まりだった。
それはシセルにとっても同じかもしれない。
「だからわざわざシセルが呼びに来てくれたんだ……」
「そういうわけだから、早く支度しろよ」
シセルはどちらかといえば愛想の良い方ではなかったが、昨日の一件以来、更に悪くなったような気がした。
そんな態度をとられ続けるのは悲しい。
僕は思い切って声を出した。
「あのさ、提案があるんだけど」
声が上擦ってしまい、恥ずかしくなる。
「シセルは今まで通りに過ごして欲しい。僕に付き従う必要はないし、僕も束縛したりはしない。だけど」
一晩かけて考えた僕の答え。
「花の契りだけは僕として欲しい」
僕はシセルの目を見てそう言った。二人にとって最適な答えだと思っていたのに、何故かシセルはみるみる顔を赤くした。
「それ意味分かって言ってるのか!?」
「……分かってるけど」
言葉通りの意味だ。シセルの自由を奪いたくない。僕のことが嫌いなら傍にいてもらわなくても構わない。しきたりの許す範囲でシセルには幸せでいて欲しいと思う。
シセルは何か言葉を飲み込んだ後、分かった、とだけ呟いた。
これで体面的にはシセルは僕の伴侶となった。契約で結ばれた仮初めの関係だが、少しだけ安心している自分がいた。
「そういうことなら俺はもう行く」
「え、あ、うん」
「リシュ、今日の予定を忘れてないよな?」
「予定……?」
シセルとのあれこれで頭がいっぱいだった僕は、今日の予定をすっかり忘れていた。
「乗馬大会!」
乗馬大会は国の公式行事で主催者は僕の兄である第二王子のエドアルトが取り仕切っている。エドアルト兄さんは時間に厳しいことで有名だ。弟の僕が遅刻なんてしようものなら、向こう十年は恨み言を言われ続けることになる。
「やばい!」
僕は飛び起きると急いで着替えを始めた。この時ばかりは支度の手伝いをしてくれるメイドを日ごろから断ってしまっていることを後悔した。
慌てすぎて手元がもたつく。シャツのボタンを留めながらベストを着ようとして裏表が逆になっていることに気がつく。
「あああああ」
焦りすぎて訳が分からなくなってくる。時間さえあれば自分の支度くらい自分で出来るのに、と涙目になりながらバタバタと室内を右往左往する。
「リボン! リボンはどこだっけ?」
公式行事には専用のえんじ色のリボンタイをつける決まりになっている。公式行事は年に数回しかないため、リボンタイをつける機会は多くない。
つまり、すぐには見つからない。
「どこ置いたっけ? 前に使ったのはいつだっけ? あれ?」
記憶が曖昧で思い出せる気がしない。僕はチラリと壁に掛けられている時計を見た。開会式まで後十五分と数秒。どうせ起こしに来てくれるならもう少し早く来てくれたらいいのに、とシセルに責任転嫁し始めたその時。
「動くなよ」
どこからともなく出してきたえんじ色のリボンタイを手に持ち、シセルが僕に腕を伸ばしてくる。貴族なのに香水を付けないシセルの、花のような微かな香りに思わず息をするのを忘れる。
子どもの頃からいつも不思議に思っていた。シセルはいつもいい匂いがする。こんな関係になっても変わらない香りに心が落ち着く。
シセルは僕にリボンを結ぶとすぐに離れた。
「ありがとう! どこで見つけたの?」
シセルはため息をつきながら、机の上に置いてある宝石箱を指差した。仰々しいその宝石箱は去年の誕生日にエステラ姉さんがくれたものだ。無くしたら困ると、リボンタイをその中にしまったのだが、宝石の類に全く興味がない僕はその宝石箱を開ける機会がなく、その内に中身のこともすっかり忘れていた。
僕本人が忘れていたのに、シセルは見事探し当てた。なんでもないような出来事かもしれないが、すごく嬉しかった。
「早くしないと本当に遅れるぞ」
言いながらもしっかり僕のことを待っていてくれている。そんなところも昔から好きだった。
僕はシセルにつけてもらったリボンを鏡で一瞥して、崩れそうになる顔を必死で堪えた。
シセルははっきりとそう言った。
僕はカーテンの隙間から漏れる朝の光に目を細めながら、ベッドに寝転び頭の中で反芻した。昨日はシセルが去った後、もんもんと考え込んでしまい、結局ろくに眠れなかった。
あれは一体どういう意味だったんだろうと未だに考え続けている。てっきりシセルは僕の『花』になることを嫌がっているんだと思っていた。だけど、シセルは全く逆のことを言った。
背伸びをしながらうつ伏せになる。枕に顔が埋まって当たり前だが息苦しい。
そういえば、シセルは俺たちに拒否権はない、とも言っていた。つまり拒否権さえあれば辞退したいということなのだろう。優しいシセルのことだ、家のことや僕の立場を鑑みて、譲らないという選択肢を選んでくれたんだろう。
結果的に一応は僕の意向とシセルの意向は一致したことになる。しかしどうにも腑に落ちない。本当にこのままでいいんだろうかと考えてしまう。
と、控えめにドアをノックする音がして飛び起きた。いつもより遅い時間までダラダラしてしまっている自覚はあったが、わざわざメイドが呼びに来るくらいの時間になってしまっていたのかと反省する。
僕は返事をすると入室を許可した。
「昨日からちょっと考え事しててさ、あんまり寝れてないんだよね」
入室の挨拶がないことを不審に思いながらも、カーテンで仕切られた向こう側にいるはずのメイドに向かって話しかける。
ただの世間話のつもりだった。決して寝坊したわけではないという言い訳も少し含まれていたが。
「それは、俺のせいで?」
「え……」
カーテンの向こう側から現れたのはシセルだった。
「シセル! なんで!?」
「俺が『花』に決まったからだろ」
「あ、……そうか」
『花』に決まった人間は基本的に伴侶となる王族の傍で生活することになる。契りを交わす前の予行練習のようなしきたりだが、今の僕にとってそれは最悪の決まりだった。
それはシセルにとっても同じかもしれない。
「だからわざわざシセルが呼びに来てくれたんだ……」
「そういうわけだから、早く支度しろよ」
シセルはどちらかといえば愛想の良い方ではなかったが、昨日の一件以来、更に悪くなったような気がした。
そんな態度をとられ続けるのは悲しい。
僕は思い切って声を出した。
「あのさ、提案があるんだけど」
声が上擦ってしまい、恥ずかしくなる。
「シセルは今まで通りに過ごして欲しい。僕に付き従う必要はないし、僕も束縛したりはしない。だけど」
一晩かけて考えた僕の答え。
「花の契りだけは僕として欲しい」
僕はシセルの目を見てそう言った。二人にとって最適な答えだと思っていたのに、何故かシセルはみるみる顔を赤くした。
「それ意味分かって言ってるのか!?」
「……分かってるけど」
言葉通りの意味だ。シセルの自由を奪いたくない。僕のことが嫌いなら傍にいてもらわなくても構わない。しきたりの許す範囲でシセルには幸せでいて欲しいと思う。
シセルは何か言葉を飲み込んだ後、分かった、とだけ呟いた。
これで体面的にはシセルは僕の伴侶となった。契約で結ばれた仮初めの関係だが、少しだけ安心している自分がいた。
「そういうことなら俺はもう行く」
「え、あ、うん」
「リシュ、今日の予定を忘れてないよな?」
「予定……?」
シセルとのあれこれで頭がいっぱいだった僕は、今日の予定をすっかり忘れていた。
「乗馬大会!」
乗馬大会は国の公式行事で主催者は僕の兄である第二王子のエドアルトが取り仕切っている。エドアルト兄さんは時間に厳しいことで有名だ。弟の僕が遅刻なんてしようものなら、向こう十年は恨み言を言われ続けることになる。
「やばい!」
僕は飛び起きると急いで着替えを始めた。この時ばかりは支度の手伝いをしてくれるメイドを日ごろから断ってしまっていることを後悔した。
慌てすぎて手元がもたつく。シャツのボタンを留めながらベストを着ようとして裏表が逆になっていることに気がつく。
「あああああ」
焦りすぎて訳が分からなくなってくる。時間さえあれば自分の支度くらい自分で出来るのに、と涙目になりながらバタバタと室内を右往左往する。
「リボン! リボンはどこだっけ?」
公式行事には専用のえんじ色のリボンタイをつける決まりになっている。公式行事は年に数回しかないため、リボンタイをつける機会は多くない。
つまり、すぐには見つからない。
「どこ置いたっけ? 前に使ったのはいつだっけ? あれ?」
記憶が曖昧で思い出せる気がしない。僕はチラリと壁に掛けられている時計を見た。開会式まで後十五分と数秒。どうせ起こしに来てくれるならもう少し早く来てくれたらいいのに、とシセルに責任転嫁し始めたその時。
「動くなよ」
どこからともなく出してきたえんじ色のリボンタイを手に持ち、シセルが僕に腕を伸ばしてくる。貴族なのに香水を付けないシセルの、花のような微かな香りに思わず息をするのを忘れる。
子どもの頃からいつも不思議に思っていた。シセルはいつもいい匂いがする。こんな関係になっても変わらない香りに心が落ち着く。
シセルは僕にリボンを結ぶとすぐに離れた。
「ありがとう! どこで見つけたの?」
シセルはため息をつきながら、机の上に置いてある宝石箱を指差した。仰々しいその宝石箱は去年の誕生日にエステラ姉さんがくれたものだ。無くしたら困ると、リボンタイをその中にしまったのだが、宝石の類に全く興味がない僕はその宝石箱を開ける機会がなく、その内に中身のこともすっかり忘れていた。
僕本人が忘れていたのに、シセルは見事探し当てた。なんでもないような出来事かもしれないが、すごく嬉しかった。
「早くしないと本当に遅れるぞ」
言いながらもしっかり僕のことを待っていてくれている。そんなところも昔から好きだった。
僕はシセルにつけてもらったリボンを鏡で一瞥して、崩れそうになる顔を必死で堪えた。
10
お気に入りに追加
75
あなたにおすすめの小説
【完結】俺はずっと、おまえのお嫁さんになりたかったんだ。
ペガサスサクラ
BL
※あらすじ、後半の内容にやや二章のネタバレを含みます。
幼なじみの悠也に、恋心を抱くことに罪悪感を持ち続ける楓。
逃げるように東京の大学に行き、田舎故郷に二度と帰るつもりもなかったが、大学三年の夏休みに母親からの電話をきっかけに帰省することになる。
見慣れた駅のホームには、悠也が待っていた。あの頃と変わらない無邪気な笑顔のままー。
何年もずっと連絡をとらずにいた自分を笑って許す悠也に、楓は戸惑いながらも、そばにいたい、という気持ちを抑えられず一緒に過ごすようになる。もう少し今だけ、この夏が終わったら今度こそ悠也のもとを去るのだと言い聞かせながら。
しかしある夜、悠也が、「ずっと親友だ」と自分に無邪気に伝えてくることに耐えきれなくなった楓は…。
お互いを大切に思いながらも、「すき」の色が違うこととうまく向き合えない、不器用な少年二人の物語。
主人公楓目線の、片思いBL。
プラトニックラブ。
いいね、感想大変励みになっています!読んでくださって本当にありがとうございます。
2024.11.27 無事本編完結しました。感謝。
最終章投稿後、第四章 3.5話を追記しています。
(この回は箸休めのようなものなので、読まなくても次の章に差し支えはないです。)
番外編は、2人の高校時代のお話。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】雨降らしは、腕の中。
N2O
BL
獣人の竜騎士 × 特殊な力を持つ青年
Special thanks
illustration by meadow(@into_ml79)
※素人作品、ご都合主義です。温かな目でご覧ください。

【完結】片翼のアレス
結城れい
BL
鳥人族のアレスは生まれつき翼が片方しかないため、空を飛ぶことができずに、村で孤立していた。
飛べないアレスは食料をとるため、村の西側にある森へ行く必要があった。だが、その森では鳥人族を食べてしまう獣狼族と遭遇する危険がある。
毎日気をつけながら森に入っていたアレスだったが――
村で孤立していた正反対の2人が出会い、そして番になるお話です。
優しい獣狼ルーカス × 片翼の鳥人アレス
※基本的に毎日20時に更新していく予定です(変更がある場合はXでお知らせします)
※残酷な描写があります
※他サイトにも掲載しています
【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜
ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。
そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。
幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。
もう二度と同じ轍は踏まない。
そう決心したアリスの戦いが始まる。
かくして王子様は彼の手を取った
亜桜黄身
BL
麗しい顔が近づく。それが挨拶の距離感ではないと気づいたのは唇同士が触れたあとだった。
「男を簡単に捨ててしまえるだなどと、ゆめゆめ思わないように」
──
目が覚めたら異世界転生してた外見美少女中身男前の受けが、計算高い腹黒婚約者の攻めに婚約破棄を申し出てすったもんだする話。
腹黒で策士で計算高い攻めなのに受けが鈍感越えて予想外の方面に突っ走るから受けの行動だけが読み切れず頭掻きむしるやつです。
受けが同性に性的な意味で襲われる描写があります。

[完結]堕とされた亡国の皇子は剣を抱く
小葉石
BL
今は亡きガザインバーグの名を継ぐ最後の亡国の皇子スロウルは実の父に幼き頃より冷遇されて育つ。
10歳を過ぎた辺りからは荒くれた男達が集まる討伐部隊に強引に入れられてしまう。
妖精姫との名高い母親の美貌を受け継ぎ、幼い頃は美少女と言われても遜色ないスロウルに容赦ない手が伸びて行く…
アクサードと出会い、思いが通じるまでを書いていきます。
※亡国の皇子は華と剣を愛でる、
のサイドストーリーになりますが、この話だけでも楽しめるようにしますので良かったらお読みください。
際どいシーンは*をつけてます。
【完結】『ルカ』
瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。
倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。
クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。
そんなある日、クロを知る青年が現れ……?
貴族の青年×記憶喪失の青年です。
※自サイトでも掲載しています。
2021年6月28日 本編完結
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる