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072 慰め

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 初撃から時間にして約三十秒。
 俺は彼女と向かい合ったまま手を上げた。
 とっくに鼻を折られた痛みも怒りも忘れ、その後も違う攻撃を受け、それに対応し、更に次の攻撃を……。

「はぁ、はぁ、はぁ……いい加減にしてくれ、ソリス」
「ふぅー……」

 ソリスが深く息を吐く。
 もう無理だ。体はともかく、もう脳が疲れ果てている。考える力というか、精神はやり直しても変化は少なく、特にげんなりした俺の心はもう悲鳴を上げていた。

「……うん、リドゥ。アンタ本当にやり直してるみたいね」

 彼女は表情は散々暴れてスッキリしたのか多少晴れやかに、だが静かに言った。
 その様子を見て、俺は膝を折る。床に手を付くと、多量の汗が滝のように流れて水溜りを作りそうだ。

「アタシ怒ってたのよ。アンタが自分の力を隠してたこと。ルーンもでしょ?」
「あー……うん、まあ、そうだね……」

 ルーンは相も変わらずベッドに腰かけていた。さっきまで沈み切っていた表情は二人から消えていた。
 彼は歯切れ悪く言い、苦笑を浮かべて頭をかいた。

「けど、今の凄まじい攻防を見てたらなんか……ああ、こうなるからリドゥは言いたくなかったのかな、って……」

 彼が冗談ぽく言い返すと、ソリスは顔を真っ赤にした。

「そんなわけないでしょ! コイツはアタシたちのこと心の中では信頼してなかったのよ! 自分とアタシたちは違うって!」
「そ、そんなつもりは……! はぁ、はぁ……なかった、よ!」
「いいえ嘘ね! だったらなんで黙ってたのよ! なんでこの土壇場になるまで黙ってたのよ!」

 ソリスが怒鳴ると、部屋全体が揺れた気がした。
 俺はなにも言い返せない。息が切れているからじゃない。何故言わなかったのか、自分でも上手く言語化できなかったからだ。

「だけど、二人を見下していたわけじゃ、ない。この力で何でも出来ると思っていたけど、決してそんなつもりは――」
「わかってんのよそんなこと!」

 ソリスは俺の言葉を遮って叫んだ。ズカズカとこちらに歩を進めると、彼女は俺の胸倉を掴んだ。
 何度目かの彼女の瞳を間近で捉える。

「アンタはずっとアタシたちに対して遠慮とか、劣等感を抱いてた! なんでなのかずっとわかんなかったけど、今わかった! こんな力を持っていたから、「こんな力があるのに自分は二人ほど強くなれない」なんて思ってたんだ!」

 俺は息を呑む。

「今思えばアンタの急成長やまぐればっかりの戦い方に合点が行くわ。何度も何度もやり直して、何度も何度も死にかけて、アンタはアタシたちと戦ってたんだ!」
「そ、れは……」

 以前に一度彼女に打ち明けた時のことが蘇る。
 何度も危ない橋を渡っていたことを察した彼女は、俺を優しく叱った。
 その時のことを思い出し、俺は目を逸らす。

「やり直して手に入れた力だから自分の力じゃない、なんて思ってたんでしょう! 何度もやり直してやっと勝てただけだから、自分なんてすごくないって思ってたんでしょッ!」

 彼女の瞳が潤んできている。

「アンタが劣等感を抱えている理由が、本当にわからなかったのよ……! アンタはこんなに凄いのに、なんでそんなに自信がないのか……! アタシもルーンもずっと心配してたのに、アンタはこんな大事なことを隠してた!」
「……」

 ソリスが真っ赤な目で俺を睨みつけている。
 目線をルーンへやると、彼は相変わらず困ったように微笑んで頷いていた。
 やがてソリスは手を離すと、そっと俺を抱きしめた。突然のことに目を開くと、彼女は静かに続ける。

「アンタのこの力は悲しすぎる……」

 悲哀に満ちたその声に、胸の奥が締め付けられる。

「そうだよ、リドゥ」

 ルーンが立ち上がり、こちらに来ると彼は俺たちに手を回した。

「アンタがどれだけ苦しくても、どれだけ努力しても、どんな困難が訪れて、それを打開しようと頑張っても、アタシたちにはそれがわからない……。アンタに自覚があるかわからないけど、その経験の差がある限り、アタシは本当の意味でアンタを理解してあげられない……」

 ああ……それは、少し自覚がある。俺がやり直す中で出会いと別れがあった。それは俺しか覚えていない。そのギャップが怖くなったのは、間違いない。
 今になって彼女が烈火のごとく怒った理由を理解した。彼女はこの攻防の中で俺の全てを理解したらしかった。
 彼女は俺が信頼していなかったと思ったんじゃない。俺の身を案じていたから怒ったんだ。それが俺にはずっとわかっていなかった。

「ソリス……ルーン……ごめん……」
「……いいんだ、リドゥ。君も辛い思いをしていたんだろ」
「……アタシは許さない」

 ソリスが腕に力を込める。

「絶対、許さない」

 それを見てルーンも強く力を込めてきた。
 俺はゆっくり二人に手を回し、抱き締め返すことしか出来なかった。
 しばらくその状態でいると、ソリスが呟いた。

「アタシたちが父さんと母さんの姿にショックを受けてる頃、リドゥは西区へ被害状況を確認しに行ってたわね」
「……うん」
「こういう言い方をするとちょっとアレだけど……アタシ、それにもショックを受けたのよ」
「はは、僕も」
「……ごめん」
「アンタはこういう時、きっとアタシたちの傍にいてくれると思ってたから……まあ結果的に昨日の晩には受け止めてくれたけど……。だけど、その行動にも違和感があったわ」

 まるで情報収集を最優先にしているみたいだった。とソリスは付け加えた。

「アンタ、今回の件もやり直すつもりでしょ」

 ソリスの言葉に、俺は静かに頷く。

「やっぱりね」

 ルーンが深く溜め息を吐いた。

「今回の件の全貌を把握して、解決の糸口を掴んでから、僕たちを説得してエスクへやって来る。そうすることで結果的にこの街は被害を受けないまま、僕たちも家族を失わなくて済む。……最高のハッピーエンドだね」

 ハッピーエンド。彼はそう言ったが、そんなつもりは毛頭ないことが窺える。

「君だけが全てを覚えてる。僕たちはこうやって過ごしたこと全て忘れて、君だけが。僕たちは何も知らずに呑気に「良かったね」なんて言って、君だけが真実を胸に秘めているんだ」

 覚悟の上……とは決して言えない。俺が必死に目を逸らしてきた事実。
 二人との思い出が失われることへの恐怖は、死と同然の喪失だ。

「……アタシはね。リドゥ」

 ……。

「アンタがやり直さなくてもいい、って少し思ってる」
「……うん」
「アンタが隠し事を教えてくれた今を失うのが怖い。アタシがこんなに怖いんだから、アンタはもっと怖いはず」
「……うん」
「これがアタシたちの運命なのよ。両親を失って、妹を止めることに躊躇して、こんなところで泣いているのがアタシたちなの。だからリドゥが自分の身を削ってまでこの運命を変えなくてもいい、って」

 ……ソリスは優しいな。
 家族を失い、心が弱っているはずなのに、俺の身を案じている。
 それはルーンも同じのようで、同調するように頷いている。

「最終的に判断するのは貴方よ。だけど知っていてほしい、アタシたちは今のアンタと生きてもいいって思ってること」
「……うん、知っておく」
「約束よ」

 ソリスが俺の顔を見て微笑んだ。
 それはとても綺麗で、優しさに満ちていて、俺の心は激しく揺れ動いた。

 それから少し話して、その夜、俺たちはまた三人で手を繋いで眠った。
 青い画面がちらと光ったが、その日は見る気にはなれなかった。
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