73 / 92
072 慰め
しおりを挟む初撃から時間にして約三十秒。
俺は彼女と向かい合ったまま手を上げた。
とっくに鼻を折られた痛みも怒りも忘れ、その後も違う攻撃を受け、それに対応し、更に次の攻撃を……。
「はぁ、はぁ、はぁ……いい加減にしてくれ、ソリス」
「ふぅー……」
ソリスが深く息を吐く。
もう無理だ。体はともかく、もう脳が疲れ果てている。考える力というか、精神はやり直しても変化は少なく、特にげんなりした俺の心はもう悲鳴を上げていた。
「……うん、リドゥ。アンタ本当にやり直してるみたいね」
彼女は表情は散々暴れてスッキリしたのか多少晴れやかに、だが静かに言った。
その様子を見て、俺は膝を折る。床に手を付くと、多量の汗が滝のように流れて水溜りを作りそうだ。
「アタシ怒ってたのよ。アンタが自分の力を隠してたこと。ルーンもでしょ?」
「あー……うん、まあ、そうだね……」
ルーンは相も変わらずベッドに腰かけていた。さっきまで沈み切っていた表情は二人から消えていた。
彼は歯切れ悪く言い、苦笑を浮かべて頭をかいた。
「けど、今の凄まじい攻防を見てたらなんか……ああ、こうなるからリドゥは言いたくなかったのかな、って……」
彼が冗談ぽく言い返すと、ソリスは顔を真っ赤にした。
「そんなわけないでしょ! コイツはアタシたちのこと心の中では信頼してなかったのよ! 自分とアタシたちは違うって!」
「そ、そんなつもりは……! はぁ、はぁ……なかった、よ!」
「いいえ嘘ね! だったらなんで黙ってたのよ! なんでこの土壇場になるまで黙ってたのよ!」
ソリスが怒鳴ると、部屋全体が揺れた気がした。
俺はなにも言い返せない。息が切れているからじゃない。何故言わなかったのか、自分でも上手く言語化できなかったからだ。
「だけど、二人を見下していたわけじゃ、ない。この力で何でも出来ると思っていたけど、決してそんなつもりは――」
「わかってんのよそんなこと!」
ソリスは俺の言葉を遮って叫んだ。ズカズカとこちらに歩を進めると、彼女は俺の胸倉を掴んだ。
何度目かの彼女の瞳を間近で捉える。
「アンタはずっとアタシたちに対して遠慮とか、劣等感を抱いてた! なんでなのかずっとわかんなかったけど、今わかった! こんな力を持っていたから、「こんな力があるのに自分は二人ほど強くなれない」なんて思ってたんだ!」
俺は息を呑む。
「今思えばアンタの急成長やまぐればっかりの戦い方に合点が行くわ。何度も何度もやり直して、何度も何度も死にかけて、アンタはアタシたちと戦ってたんだ!」
「そ、れは……」
以前に一度彼女に打ち明けた時のことが蘇る。
何度も危ない橋を渡っていたことを察した彼女は、俺を優しく叱った。
その時のことを思い出し、俺は目を逸らす。
「やり直して手に入れた力だから自分の力じゃない、なんて思ってたんでしょう! 何度もやり直してやっと勝てただけだから、自分なんてすごくないって思ってたんでしょッ!」
彼女の瞳が潤んできている。
「アンタが劣等感を抱えている理由が、本当にわからなかったのよ……! アンタはこんなに凄いのに、なんでそんなに自信がないのか……! アタシもルーンもずっと心配してたのに、アンタはこんな大事なことを隠してた!」
「……」
ソリスが真っ赤な目で俺を睨みつけている。
目線をルーンへやると、彼は相変わらず困ったように微笑んで頷いていた。
やがてソリスは手を離すと、そっと俺を抱きしめた。突然のことに目を開くと、彼女は静かに続ける。
「アンタのこの力は悲しすぎる……」
悲哀に満ちたその声に、胸の奥が締め付けられる。
「そうだよ、リドゥ」
ルーンが立ち上がり、こちらに来ると彼は俺たちに手を回した。
「アンタがどれだけ苦しくても、どれだけ努力しても、どんな困難が訪れて、それを打開しようと頑張っても、アタシたちにはそれがわからない……。アンタに自覚があるかわからないけど、その経験の差がある限り、アタシは本当の意味でアンタを理解してあげられない……」
ああ……それは、少し自覚がある。俺がやり直す中で出会いと別れがあった。それは俺しか覚えていない。そのギャップが怖くなったのは、間違いない。
今になって彼女が烈火のごとく怒った理由を理解した。彼女はこの攻防の中で俺の全てを理解したらしかった。
彼女は俺が信頼していなかったと思ったんじゃない。俺の身を案じていたから怒ったんだ。それが俺にはずっとわかっていなかった。
「ソリス……ルーン……ごめん……」
「……いいんだ、リドゥ。君も辛い思いをしていたんだろ」
「……アタシは許さない」
ソリスが腕に力を込める。
「絶対、許さない」
それを見てルーンも強く力を込めてきた。
俺はゆっくり二人に手を回し、抱き締め返すことしか出来なかった。
しばらくその状態でいると、ソリスが呟いた。
「アタシたちが父さんと母さんの姿にショックを受けてる頃、リドゥは西区へ被害状況を確認しに行ってたわね」
「……うん」
「こういう言い方をするとちょっとアレだけど……アタシ、それにもショックを受けたのよ」
「はは、僕も」
「……ごめん」
「アンタはこういう時、きっとアタシたちの傍にいてくれると思ってたから……まあ結果的に昨日の晩には受け止めてくれたけど……。だけど、その行動にも違和感があったわ」
まるで情報収集を最優先にしているみたいだった。とソリスは付け加えた。
「アンタ、今回の件もやり直すつもりでしょ」
ソリスの言葉に、俺は静かに頷く。
「やっぱりね」
ルーンが深く溜め息を吐いた。
「今回の件の全貌を把握して、解決の糸口を掴んでから、僕たちを説得してエスクへやって来る。そうすることで結果的にこの街は被害を受けないまま、僕たちも家族を失わなくて済む。……最高のハッピーエンドだね」
ハッピーエンド。彼はそう言ったが、そんなつもりは毛頭ないことが窺える。
「君だけが全てを覚えてる。僕たちはこうやって過ごしたこと全て忘れて、君だけが。僕たちは何も知らずに呑気に「良かったね」なんて言って、君だけが真実を胸に秘めているんだ」
覚悟の上……とは決して言えない。俺が必死に目を逸らしてきた事実。
二人との思い出が失われることへの恐怖は、死と同然の喪失だ。
「……アタシはね。リドゥ」
……。
「アンタがやり直さなくてもいい、って少し思ってる」
「……うん」
「アンタが隠し事を教えてくれた今を失うのが怖い。アタシがこんなに怖いんだから、アンタはもっと怖いはず」
「……うん」
「これがアタシたちの運命なのよ。両親を失って、妹を止めることに躊躇して、こんなところで泣いているのがアタシたちなの。だからリドゥが自分の身を削ってまでこの運命を変えなくてもいい、って」
……ソリスは優しいな。
家族を失い、心が弱っているはずなのに、俺の身を案じている。
それはルーンも同じのようで、同調するように頷いている。
「最終的に判断するのは貴方よ。だけど知っていてほしい、アタシたちは今のアンタと生きてもいいって思ってること」
「……うん、知っておく」
「約束よ」
ソリスが俺の顔を見て微笑んだ。
それはとても綺麗で、優しさに満ちていて、俺の心は激しく揺れ動いた。
それから少し話して、その夜、俺たちはまた三人で手を繋いで眠った。
青い画面がちらと光ったが、その日は見る気にはなれなかった。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
転生幼女の怠惰なため息
(◉ɷ◉ )〈ぬこ〉
ファンタジー
ひとり残業中のアラフォー、清水 紗代(しみず さよ)。異世界の神のゴタゴタに巻き込まれ、アッという間に死亡…( ºωº )チーン…
紗世を幼い頃から見守ってきた座敷わらしズがガチギレ⁉💢
座敷わらしズが異世界の神を脅し…ε=o(´ロ`||)ゴホゴホッ説得して異世界での幼女生活スタートっ!!
もう何番煎じかわからない異世界幼女転生のご都合主義なお話です。
全くの初心者となりますので、よろしくお願いします。
作者は極度のとうふメンタルとなっております…
神の使いでのんびり異世界旅行〜チート能力は、あくまで自由に生きる為に〜
和玄
ファンタジー
連日遅くまで働いていた男は、転倒事故によりあっけなくその一生を終えた。しかし死後、ある女神からの誘いで使徒として異世界で旅をすることになる。
与えられたのは並外れた身体能力を備えた体と、卓越した魔法の才能。
だが骨の髄まで小市民である彼は思った。とにかく自由を第一に異世界を楽しもうと。
地道に進む予定です。
スキルが農業と豊穣だったので追放されました~辺境伯令嬢はおひとり様を満喫しています~
白雪の雫
ファンタジー
「アールマティ、当主の名において穀潰しのお前を追放する!」
マッスル王国のストロング辺境伯家は【軍神】【武神】【戦神】【剣聖】【剣豪】といった戦闘に関するスキルを神より授かるからなのか、代々優れた軍人・武人を輩出してきた家柄だ。
そんな家に産まれたからなのか、ストロング家の者は【力こそ正義】と言わんばかりに見事なまでに脳筋思考の持ち主だった。
だが、この世には例外というものがある。
ストロング家の次女であるアールマティだ。
実はアールマティ、日本人として生きていた前世の記憶を持っているのだが、その事を話せば病院に送られてしまうという恐怖があるからなのか誰にも打ち明けていない。
そんなアールマティが授かったスキルは【農業】と【豊穣】
戦いに役に立たないスキルという事で、アールマティは父からストロング家追放を宣告されたのだ。
「仰せのままに」
父の言葉に頭を下げた後、屋敷を出て行こうとしているアールマティを母と兄弟姉妹、そして家令と使用人達までもが嘲笑いながら罵っている。
「食糧と食料って人間の生命活動に置いて一番大事なことなのに・・・」
脳筋に何を言っても無駄だと子供の頃から悟っていたアールマティは他国へと亡命する。
アールマティが森の奥でおひとり様を満喫している頃
ストロング領は大飢饉となっていた。
農業系のゲームをやっていた時に思い付いた話です。
主人公のスキルはゲームがベースになっているので、作物が実るのに時間を要しないし、追放された後は現代的な暮らしをしているという実にご都合主義です。
短い話という理由で色々深く考えた話ではないからツッコミどころ満載です。
王立ミリアリリー女学園〜エニス乙女伝説・傾国騒動編〜
竹井ゴールド
ファンタジー
ミリアリリー王国の王都ラサリリーにある王立ミリアリリー女学園。
昨年度の2月の中旬のお別れ会の舞踏会で能力を覚醒した生徒達。
更には昨年の御前対校戦を見て、入学してきた新入生達がミリアリリー女学園に加わる中・・・
3年生になったエニスの学園生活が始まる。
【2022/12/2、出版申請、12/15、慰めメール】
転生幼女はお願いしたい~100万年に1人と言われた力で自由気ままな異世界ライフ~
土偶の友
ファンタジー
サクヤは目が覚めると森の中にいた。
しかも隣にはもふもふで真っ白な小さい虎。
虎……? と思ってなでていると、懐かれて一緒に行動をすることに。
歩いていると、新しいもふもふのフェンリルが現れ、フェンリルも助けることになった。
それからは困っている人を助けたり、もふもふしたりのんびりと生きる。
9/28~10/6 までHOTランキング1位!
5/22に2巻が発売します!
それに伴い、24章まで取り下げになるので、よろしく願いします。
退屈な人生を歩んでいたおっさんが異世界に飛ばされるも無自覚チートで無双しながらネットショッピングしたり奴隷を買ったりする話
菊池 快晴
ファンタジー
無難に生きて、真面目に勉強して、最悪なブラック企業に就職した男、君内志賀(45歳)。
そんな人生を歩んできたおっさんだったが、異世界に転生してチートを授かる。
超成熟、四大魔法、召喚術、剣術、魔力、どれをとっても異世界最高峰。
極めつけは異世界にいながら元の世界の『ネットショッピング』まで。
生真面目で不器用、そんなおっさんが、奴隷幼女を即購入!?
これは、無自覚チートで無双する真面目なおっさんが、元の世界のネットショッピングを楽しみつつ、奴隷少女と異世界をマイペースに旅するほんわか物語です。
夫の書斎から渡されなかった恋文を見つけた話
束原ミヤコ
恋愛
フリージアはある日、夫であるエルバ公爵クライヴの書斎の机から、渡されなかった恋文を見つけた。
クライヴには想い人がいるという噂があった。
それは、隣国に嫁いだ姫サフィアである。
晩餐会で親し気に話す二人の様子を見たフリージアは、妻でいることが耐えられなくなり離縁してもらうことを決めるが――。
異世界キャンパー~無敵テントで気ままなキャンプ飯スローライフ?
夢・風魔
ファンタジー
仕事の疲れを癒すためにソロキャンを始めた神楽拓海。
気づけばキャンプグッズ一式と一緒に、見知らぬ森の中へ。
落ち着くためにキャンプ飯を作っていると、そこへ四人の老人が現れた。
彼らはこの世界の神。
キャンプ飯と、見知らぬ老人にも親切にするタクミを気に入った神々は、彼に加護を授ける。
ここに──伝説のドラゴンをもぶん殴れるテントを手に、伝説のドラゴンの牙すら通さない最強の肉体を得たキャンパーが誕生する。
「せっかく異世界に来たんなら、仕事のことも忘れて世界中をキャンプしまくろう!」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる