奇跡を呼ぶ旋律

桜水城

文字の大きさ
上 下
22 / 34

22

しおりを挟む
 カルの武器は長剣だ。歩いている間は鞘ごと背負っている。この旅に出てから、一度もその剣を抜くような事態にはなっていないが、果たしてどれほどの腕前なのか見てみたい気もする。
 私は吟遊詩人として、一人でずっと旅をしてきた。危ない目に遭ったことはないとは言わないが、無事に乗り切っているから今ここにいる。どちらかといえば、私の命よりも天馬琴を盗られる心配の方が大きかった。だが、それも無事に乗り切っている。護衛なんて贅沢なものはいらない……と思っていた。その瞬間までは。
 海を目指すことよりも山を目指すことにした私たちは、地図にしたがって別方向に向かっていた。今までは東を目指していたが、今度は北西方面だ。森の中で方向を定めるのには、陽の光よりも切り株の模様を頼りにした。しかし、それが合っているかはよくわからない。まあ、森を出たところに村があるようなので、とりあえずその村にたどり着ければ大丈夫だろう。
 森の中の獣道という歩きづらい道をひたすら歩いていると、突然目の前に熊が現れた。熊だ!と思ったときにはもう遅かった。私はその瞬間、死を覚悟した。そいつはばかでかい、よく太った熊で、周りの木々をなぎ倒しながら、こっちに向かってきていた。
「カル! 熊だ!」
「おっさん! 下がってろ!」
 私が声をあげたのと、カルが叫びながら背の剣を抜いたのはほぼ同時だった。
 丸腰の私はとにかく、その場から逃げようとした。しかし、熊に背を向けるわけにはいかない。熊は背を向けた人間を容赦なく襲うというのは、書物で得た知識だった。私は熊を睨みつけたまま、そうっと後ろに下がった。逆にカルが前に出た。
「食らええええええええ!!」
 叫びながらカルは熊に向かっていった。その剣は心の臓を的確に貫いたようで、カルが剣を抜くと、おびただしい量の血が噴き出し、辺り一面を真っ赤に染めた。……といえばかっこいいかもしれないが、実際は地面は土なので、血の色はまったくわからなかった。ただ、返り血を浴びたカルは真っ赤に染まり、だいぶ汚い状態になった。着替えた方が良い気がするが、生憎私たちは着替えというものを持たずに旅をしている。とりあえず村に着くまでは我慢するしかなかった。
 熊は地面にのび、びくびく痙攣していたが、やがてそれもなくなり動かなくなった。すると、カルが信じられないことを言った。
「そろそろ腹が減らないか? こいつ解体して食ってやろうぜ」
 私は言葉を失った。熊を食べる? そんな考えは私の脳のどこを探しても見つからなかった。鹿や猪ならともかく……。熊を食べる? そもそも味を想像できなかった。こんな恐ろしい生き物を食べる? 身の毛もよだつ。気色悪い。そんな感想しか浮かんでこなかった。
「なんだよ……。いらないんならオレが一人で食っちまうぞ」
 そう言って、カルは剣を使って熊の解体を始めた。慣れているわけではないのか、手際は良くないが、それでも脂肪のついた赤身の肉が次々に現れてくるのを見て、私は思わず喉を鳴らしていた。食べられるのか……? 食べてみたい。先ほどとは逆の考えが私の脳に浮かんでくる。
「熊は食べたことがないんだ。鹿なら屋敷で味わったこともあるが……」
「屋敷?」
「なんでもない」
 つい口をついて出た貴族時代の思い出を、さらっと否定した。カルは「ふーん」と言ったきり、それ以上の追及はしてこなかった。
「おっさん、焚き木にできそうな木を集めて来てくれ」
 肉を捌きながらカルが言った。そうだよな、生で食べるわけがない。指図されたのは不満に思わないわけでもないが、この場合私が焚き木を取りに行くのが手っ取り早いだろう。私は森の中を探索に出かけた。

 * * * * *
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

スキルが【アイテムボックス】だけってどうなのよ?

山ノ内虎之助
ファンタジー
高校生宮原幸也は転生者である。 2度目の人生を目立たぬよう生きてきた幸也だが、ある日クラスメイト15人と一緒に異世界に転移されてしまう。 異世界で与えられたスキルは【アイテムボックス】のみ。 唯一のスキルを創意工夫しながら異世界を生き抜いていく。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

私を裏切った相手とは関わるつもりはありません

みちこ
ファンタジー
幼なじみに嵌められて処刑された主人公、気が付いたら8年前に戻っていた。 未来を変えるために行動をする 1度裏切った相手とは関わらないように過ごす

処理中です...