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「どうぞ。口に合うかはわからないけど」
通された部屋には少し大きめの木の机に、木の椅子がいくつか並んでいて、促されるままに席についた私たちに、男は温かな飲み物を差し出した。紅茶とは違う、香草を煎じたような飲み物で、口に含むと温かさに反して涼しさが口内を支配した。貴族時代にも味わったことのない味に、一瞬毒なのかとも思ってしまったが、カルは平気な顔をしておかわりを頼んでいた。
二杯目の飲み物をカルに渡すと、男は一息ついた。そしておもむろに名乗り出す。
「僕はリューシン。この森に棲んで何年か経つけれど、僕を訪ねてきたのは君たちが初めてかな。だから、つい嬉しくなっちゃって」
屈託のない笑顔に、私はすっかり警戒心を忘れた。カルの方はどうだか知らないが、少なくとも出された飲み物を気に入ったのはわかった。
「それで、天馬琴を直したいって言うけど、それがどういうことかわかっているの?」
突然の真顔に、なぜか心臓がさっと冷えた。私は天馬琴の持ち主ではあるが、天馬琴を作った人間ではない。天馬という幻の存在を捕まえて、更には殺して作った天馬琴、こんなものを直そうとしている私は重罪人なのだろうか。
「普通に世に出回っている弦では満足できないの? どうしても天馬の尻尾の毛が必要なの?」
今までの歓迎ぶりから、突然の責めるような言い草に、どこか苛立ちを感じているのは私だけだろうか。隣に座っているカルをそっと覗き見ると、ふるふると肩を小刻みに震わせていた。
「んっだよ、それ! オレたちの旅に意味がないとか言うのかよ!?」
席から立ち上がって、今にもリューシンに掴みかかりそうなカルに驚きながらも、私は止めようとはしなかった。私もカルの怒りはもっともだと思ったからだ。それほど長い旅を続けてきたわけでもないが、楽な旅だったというわけでもない。
「ちゃんとした天馬琴で歌を聴かせたい人がいるんです。他の弦なんかじゃダメなんです」
私はふつふつと沸く怒りの気持ちを抑えて静かに答えた。声は穏やかなつもりだったが、私の気持ちは伝わってしまったようで、リューシンの瞳には驚きの色が見て取れた。
「そっか。いや、悪いって言ってるわけじゃないよ。でも、天馬に会うのはなかなか厳しい旅になると思うんだ」
真剣な顔つきから、また柔らかな笑顔に戻ってリューシンは言った。少なくとも敵意のようなものは感じられなかった。
「危険な目にも遭うと思う。それでも行くんだね?」
優しい声で諭すかのようにリューシンは訊いた。だが、私の答えは決まっている。
「勿論覚悟の上です。それでも手に入れなければ意味はない」
隣でカルが席につくのがわかった。まだ少し怒りの気は感じるが、リューシンに手を出したりはしないようなので私はホッとしていた。
「そっか。じゃあ応援するよ。それにしても君たちは運が良かったね」
「? どうしてですか?」
リューシンの意味深な発言に首を傾げると、彼は胸に大きく開いた手のひらを当てながら語った。
「僕は半分は人間だけど、もう半分にはパサコーフの血が流れている。僕には天馬のいる場所がわかるんだよ」
私は半分驚き、半分納得した。カルを覗き見ると、彼も目を丸くしていた。
パサコーフというのは天馬と同様に夢のような存在ではあるが、その恩恵を受けている人間は少なくはない。会ったことのある人間はそう多くはないものの、彼らの手による工芸品は割と頻繁に市場で取引されている。「精霊」、「妖精」などとも呼ばれるが、人間とあまり変わらない姿をしているとされている。だが、人間よりもずっと美しく、彼らを見たことのある人間は、あまりの美しさにその目を潰してしまうとも言われている。不老であり、寿命がなく、事故以外で命を落とすことはない。そんな存在に「半分人間」とはいえ、生きているうちに会えるとは思わなかった。
「そう……なんですか?」
「あ、信じられないって顔してるね。まあ信じるも信じないも君たち次第だけどさ」
そういえば、私の名を「くん」づけで呼んでいたと思い出す。カルにおっさん扱いされているような私をそんなふうに呼ぶのは、私より年上だからなのだろう。パサコーフは不老の存在であるから、若く見えても何百歳ということもある。
とりあえず、私は信じることにした。信じないよりもその方がしっくりくるからだ。それに、その方がこの人間離れした美しさの理由も説明がつく。
「そういえば最初、『泊めてくれ』って言っていたね。良いよ、今夜は泊めてあげる」
思いがけない提案に、私は心が浮くのを感じた。
「良いんですか?」
音程の違う声が重なって、カルも同じことを訊き返したのだとわかった。こんなふうにカルと気が合うのは珍しい。一緒に旅をしてきてはいるものの、カルにはいつも敵意を向けられている。護衛とは名ばかりで、旅の途中で私を仕留めるつもりの刺客なのではないかと私はひそかに疑っているくらいだ。
「うん。部屋も余ってるしね。好きに使って良いよ」
外から見る限りでは小さな小屋だったのに、中に入ってみると魔法でも使っているかのように広々としているこの家の造りを不思議に思いながらも、詳しいことはなんだか恐ろしくて訊けなかった。カルとは別々の寝室に案内され、私は久々にゆっくりと心地の良い眠りにつくことができた。
* * * * *
通された部屋には少し大きめの木の机に、木の椅子がいくつか並んでいて、促されるままに席についた私たちに、男は温かな飲み物を差し出した。紅茶とは違う、香草を煎じたような飲み物で、口に含むと温かさに反して涼しさが口内を支配した。貴族時代にも味わったことのない味に、一瞬毒なのかとも思ってしまったが、カルは平気な顔をしておかわりを頼んでいた。
二杯目の飲み物をカルに渡すと、男は一息ついた。そしておもむろに名乗り出す。
「僕はリューシン。この森に棲んで何年か経つけれど、僕を訪ねてきたのは君たちが初めてかな。だから、つい嬉しくなっちゃって」
屈託のない笑顔に、私はすっかり警戒心を忘れた。カルの方はどうだか知らないが、少なくとも出された飲み物を気に入ったのはわかった。
「それで、天馬琴を直したいって言うけど、それがどういうことかわかっているの?」
突然の真顔に、なぜか心臓がさっと冷えた。私は天馬琴の持ち主ではあるが、天馬琴を作った人間ではない。天馬という幻の存在を捕まえて、更には殺して作った天馬琴、こんなものを直そうとしている私は重罪人なのだろうか。
「普通に世に出回っている弦では満足できないの? どうしても天馬の尻尾の毛が必要なの?」
今までの歓迎ぶりから、突然の責めるような言い草に、どこか苛立ちを感じているのは私だけだろうか。隣に座っているカルをそっと覗き見ると、ふるふると肩を小刻みに震わせていた。
「んっだよ、それ! オレたちの旅に意味がないとか言うのかよ!?」
席から立ち上がって、今にもリューシンに掴みかかりそうなカルに驚きながらも、私は止めようとはしなかった。私もカルの怒りはもっともだと思ったからだ。それほど長い旅を続けてきたわけでもないが、楽な旅だったというわけでもない。
「ちゃんとした天馬琴で歌を聴かせたい人がいるんです。他の弦なんかじゃダメなんです」
私はふつふつと沸く怒りの気持ちを抑えて静かに答えた。声は穏やかなつもりだったが、私の気持ちは伝わってしまったようで、リューシンの瞳には驚きの色が見て取れた。
「そっか。いや、悪いって言ってるわけじゃないよ。でも、天馬に会うのはなかなか厳しい旅になると思うんだ」
真剣な顔つきから、また柔らかな笑顔に戻ってリューシンは言った。少なくとも敵意のようなものは感じられなかった。
「危険な目にも遭うと思う。それでも行くんだね?」
優しい声で諭すかのようにリューシンは訊いた。だが、私の答えは決まっている。
「勿論覚悟の上です。それでも手に入れなければ意味はない」
隣でカルが席につくのがわかった。まだ少し怒りの気は感じるが、リューシンに手を出したりはしないようなので私はホッとしていた。
「そっか。じゃあ応援するよ。それにしても君たちは運が良かったね」
「? どうしてですか?」
リューシンの意味深な発言に首を傾げると、彼は胸に大きく開いた手のひらを当てながら語った。
「僕は半分は人間だけど、もう半分にはパサコーフの血が流れている。僕には天馬のいる場所がわかるんだよ」
私は半分驚き、半分納得した。カルを覗き見ると、彼も目を丸くしていた。
パサコーフというのは天馬と同様に夢のような存在ではあるが、その恩恵を受けている人間は少なくはない。会ったことのある人間はそう多くはないものの、彼らの手による工芸品は割と頻繁に市場で取引されている。「精霊」、「妖精」などとも呼ばれるが、人間とあまり変わらない姿をしているとされている。だが、人間よりもずっと美しく、彼らを見たことのある人間は、あまりの美しさにその目を潰してしまうとも言われている。不老であり、寿命がなく、事故以外で命を落とすことはない。そんな存在に「半分人間」とはいえ、生きているうちに会えるとは思わなかった。
「そう……なんですか?」
「あ、信じられないって顔してるね。まあ信じるも信じないも君たち次第だけどさ」
そういえば、私の名を「くん」づけで呼んでいたと思い出す。カルにおっさん扱いされているような私をそんなふうに呼ぶのは、私より年上だからなのだろう。パサコーフは不老の存在であるから、若く見えても何百歳ということもある。
とりあえず、私は信じることにした。信じないよりもその方がしっくりくるからだ。それに、その方がこの人間離れした美しさの理由も説明がつく。
「そういえば最初、『泊めてくれ』って言っていたね。良いよ、今夜は泊めてあげる」
思いがけない提案に、私は心が浮くのを感じた。
「良いんですか?」
音程の違う声が重なって、カルも同じことを訊き返したのだとわかった。こんなふうにカルと気が合うのは珍しい。一緒に旅をしてきてはいるものの、カルにはいつも敵意を向けられている。護衛とは名ばかりで、旅の途中で私を仕留めるつもりの刺客なのではないかと私はひそかに疑っているくらいだ。
「うん。部屋も余ってるしね。好きに使って良いよ」
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