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天馬琴を担いだまま、私は一人で街を歩いていた。別に歌いに来たわけではない。そうではないのだが、私にとって天馬琴は唯一の財産だ。宿に残して出歩くことは考えられなかった。それに、旅を始めてからずっとこの天馬琴を担いで歩いて来たのだ。今更荷物だなどとは思わなかった。
そんな姿で歩いていると、吟遊詩人であることは示しているも同然だった。私が歩くあとを子どもたちがついて回り、仕方なく私は広場を見つけてそこで歌うことになった。
何を歌えば良いだろうか。セインテからは出てしまったので、セインテの建国叙事詩を歌うわけにはいかなかった。しかし、私はラルファリオの歌をあまり知らなかった。そこで、私は様々な国で歌われる童謡のような歌をうたうことにした。題名は「狼物語」。神が狼の姿となって現れ、一人の村娘のために願いを叶えるという物語の歌。
天馬琴を奏でながら歌っていると、人だかりができた。銅貨や銀貨どころか、金貨を投げてくれる聴衆もいた。私は予定外の収入を得ることになった。しかし、金はあればあるだけ困らないのだ。ありがたく頂くことにした。
一通り歌い終わって、そこを去ろうとしたとき、私の背中に声をかける人物がいた。
「もしかして……ディナーゼ? ディナーゼではありませんの?」
振り返ると、そこには目も眩むような美少女が立っていた。黄金色の髪、青藍色の瞳、雪のように真っ白な肌……。嘘だろう。夢にまで見た愛しい元許婚がそこにいた。
「ティファルーナですわ。忘れてしまいましたの? ディナーゼ」
ティファルーナ……。ああ、そうだった。私が夢の中でどうしても思い出せなかった彼女の正式な名前。愛しい愛しい昔の恋人の名前。彼女はどうして私のことがわかったのだろう。落ちぶれて、みすぼらしい姿になった私のことを……。どうして……。
「無理もありませんわね……。あれから何年経ったかなんて覚えておりませんもの」
彼女は私が返事をしないことで、勘違いしてしまったらしい。私は慌てて口を開いた。
「ああ……。忘れたわけではない。忘れたわけではないけれども……ティナ……」
「懐かしい呼び方ですわね。そう、あの頃はそう呼んでくださいましたわね、ディン」
「トゥルスターニャの至宝」と呼ばれた笑顔がそこにあった。私の故郷、ネザーシュカ国のトゥルスターニャ領で、ザールイン侯爵の一人娘として生まれたティナは、領地に住む人々に愛された存在だった。私の家と懇意にしていた侯爵の勧めで結んでいた婚約であったが、私もティナも喜んでそれを受け入れていた。しかし、戦争で私の家が没落し、私も流浪の旅に出たのでその婚約も破棄されたものと思っていた。
「まさかこんなところで出会えるなんて……。お元気にしていらっしゃいましたの?」
「ティナこそ……この国に、どうして……?」
「私は新婚旅行で……」
と、突然ティナは口をつぐんだ。明らかに言ってはまずいことを言ってしまったという顔だ。私に気遣ってくれているのだろうか。
「結婚したんだね、ティナ。それは良かった。おめでとう」
「ありがとうございます。でも、ディン……ごめんなさい」
「なんで謝る必要が? 私はもう君の婚約者ではないのだから、気にすることはない」
口では平気なふりをしていたが、私は正直言うと落ち込んでいた。いくら昔の恋人だと言っても、ティナは私にとって忘れられない存在だった。流浪の旅に出たとしても、結婚せずに待っていてくれる……などとは思わなかったが、いざ他の誰かと結婚したなどという事実を知らされると胸が痛んだ。けれど、謝る彼女を責めることなどできなかった。
「では、私はこれで……。済ませなければならない用事があるので」
そう言ってその場を去ろうとしたが、ティナは引き留めてきた。
「また会えますの? これでお別れなんて寂し過ぎますわ」
彼女の切なそうな瞳を見ると、気持ちがぐらついたが、やはりもう他の男の嫁となったのだ。私とは離れた方が良いだろう。
「運命が結び付けてくれるのならそのうちまた会えるだろう」
それだけ言って私は去った。ティナは追いかけて来なかった。
* * * * *
そんな姿で歩いていると、吟遊詩人であることは示しているも同然だった。私が歩くあとを子どもたちがついて回り、仕方なく私は広場を見つけてそこで歌うことになった。
何を歌えば良いだろうか。セインテからは出てしまったので、セインテの建国叙事詩を歌うわけにはいかなかった。しかし、私はラルファリオの歌をあまり知らなかった。そこで、私は様々な国で歌われる童謡のような歌をうたうことにした。題名は「狼物語」。神が狼の姿となって現れ、一人の村娘のために願いを叶えるという物語の歌。
天馬琴を奏でながら歌っていると、人だかりができた。銅貨や銀貨どころか、金貨を投げてくれる聴衆もいた。私は予定外の収入を得ることになった。しかし、金はあればあるだけ困らないのだ。ありがたく頂くことにした。
一通り歌い終わって、そこを去ろうとしたとき、私の背中に声をかける人物がいた。
「もしかして……ディナーゼ? ディナーゼではありませんの?」
振り返ると、そこには目も眩むような美少女が立っていた。黄金色の髪、青藍色の瞳、雪のように真っ白な肌……。嘘だろう。夢にまで見た愛しい元許婚がそこにいた。
「ティファルーナですわ。忘れてしまいましたの? ディナーゼ」
ティファルーナ……。ああ、そうだった。私が夢の中でどうしても思い出せなかった彼女の正式な名前。愛しい愛しい昔の恋人の名前。彼女はどうして私のことがわかったのだろう。落ちぶれて、みすぼらしい姿になった私のことを……。どうして……。
「無理もありませんわね……。あれから何年経ったかなんて覚えておりませんもの」
彼女は私が返事をしないことで、勘違いしてしまったらしい。私は慌てて口を開いた。
「ああ……。忘れたわけではない。忘れたわけではないけれども……ティナ……」
「懐かしい呼び方ですわね。そう、あの頃はそう呼んでくださいましたわね、ディン」
「トゥルスターニャの至宝」と呼ばれた笑顔がそこにあった。私の故郷、ネザーシュカ国のトゥルスターニャ領で、ザールイン侯爵の一人娘として生まれたティナは、領地に住む人々に愛された存在だった。私の家と懇意にしていた侯爵の勧めで結んでいた婚約であったが、私もティナも喜んでそれを受け入れていた。しかし、戦争で私の家が没落し、私も流浪の旅に出たのでその婚約も破棄されたものと思っていた。
「まさかこんなところで出会えるなんて……。お元気にしていらっしゃいましたの?」
「ティナこそ……この国に、どうして……?」
「私は新婚旅行で……」
と、突然ティナは口をつぐんだ。明らかに言ってはまずいことを言ってしまったという顔だ。私に気遣ってくれているのだろうか。
「結婚したんだね、ティナ。それは良かった。おめでとう」
「ありがとうございます。でも、ディン……ごめんなさい」
「なんで謝る必要が? 私はもう君の婚約者ではないのだから、気にすることはない」
口では平気なふりをしていたが、私は正直言うと落ち込んでいた。いくら昔の恋人だと言っても、ティナは私にとって忘れられない存在だった。流浪の旅に出たとしても、結婚せずに待っていてくれる……などとは思わなかったが、いざ他の誰かと結婚したなどという事実を知らされると胸が痛んだ。けれど、謝る彼女を責めることなどできなかった。
「では、私はこれで……。済ませなければならない用事があるので」
そう言ってその場を去ろうとしたが、ティナは引き留めてきた。
「また会えますの? これでお別れなんて寂し過ぎますわ」
彼女の切なそうな瞳を見ると、気持ちがぐらついたが、やはりもう他の男の嫁となったのだ。私とは離れた方が良いだろう。
「運命が結び付けてくれるのならそのうちまた会えるだろう」
それだけ言って私は去った。ティナは追いかけて来なかった。
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