【R18】焦がれた麻痺の限界値

春宮ともみ

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I can’t imagine my life without you.

◇ 10 ◇

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 ノア本部の地下医療管理室の扉が軋んだ音を立てた。廊下に設置された長椅子に腰掛けていた未来は、扉から顔を出した中條なかじょうの表情を見遣り椅子から腰を上げる。

「シュン、は……!?」

 目の周りを赤くした未来の問いかけに中條は力なく首を振る。彼はノアに勤務し、センチネル/ガイド能力を持つ者たちの体調管理メディカルチェックを行う専門医師だ。

「脳波にも異常はない。……首元以外の身体的な負傷もない。私は十中八九、ゾーニングが引き起こした昏睡状態にあると推測している」
「っ……そ、う……なんで、すか……」

 暗い色を滲ませた中條の言葉。自分の判断ミスだと自責の念にかられていた未来は目の前が暗くなる。
 センチネル能力を持つ人間がそのチカラを使いすぎてしまい暴走させてしまうことを、ゾーニングと呼ぶ。一般人を遥かに超越する鋭い五感は制御していなければ体感を狂わせ、精神崩壊を引き起こし――センチネル本人はやがて廃人と化す。一番大切な生命を護るため、人間の本能として廃人となる一歩手前で自らを昏睡状態へと導く。瞬哉は今現在、その状態にある。

「シュンほどの成熟したセンチネルがゾーニングすることはあり得ないと思っていた。これまで任務中にゾーニングしかかってもミクのガイディングが最後の砦を崩させなかったからね。シュン本人も能力を覚醒させて10年以上になるいい大人だ、ゾーニング寸前の感覚を把握していたはず。……ミクの報告から察するに、恐らくジルと共に行動をしていたもう一人の男もガイドではないかと思っている。そしてその男がシュンにも同じように強制的なガイディングを施した。ガイディングで精神を蝕まれたことで体感が鈍ってしまった、だからチカラを使いすぎてしまった。それが今回のゾーニングの原因だ、絶対にミクのせいではない」

 気の毒なほどに憔悴した未来の肩を抱き、中條は幼子に言い聞かせるように未来の身体を揺らす。
 センチネルにとってはガイドの存在は砦だ。本来、瞬哉と未来のような能力相性の良いガイドとコンビを組むセンチネルは、ゾーニングに対して強固な耐性を持っている。しかし、今回は未来の存在が砦となりえなかった。やはり任務中に起きた不測の事態が影響している、と中條は推論を立てていた。

 瞬哉がこの医療管理室に運び込まれたのは丑三つ時の真夜中のこと。任務中にノアに所属していない能力者と遭遇し、逃走した彼らの追跡を行っている最中に瞬哉が倒れた。未来が必死にガイディングを行うが効果は無く、瞬哉が未来に告げた通り瞬哉の血の匂いでふたりの居場所を特定した蓮と龍騎がノア本部と連携を取り、任務は中断となった。
 火急の事態にノアは騒然となった。未来は本部長へ倒れる直前の瞬哉の詳細な報告、依頼人である組対5課の朝比奈へ売人グループと接触した旨の報告を行った。彼女は本部長や朝比奈に対し任務中断は自分の判断ミスだとただただ頭を下げ続けていた。その後、受付所にて任務中断の顛末書の提出をした未来が瞬哉が眠る地下へと降りてきたのが正午のこと。気丈に振舞っているが、疲弊しきっていることは誰の目から見ても明らかだった。

「ミク。お前も一度眠ってきなさい」
「っ、で、も」

 頼みの綱に縋るように唇を震わせた未来に、中條はゆっくりと瞳を伏せた。瞬哉を目覚めさせる唯一の方法がある。だが、それは未来にとっては人生を賭けた選択となってしまう。端から見て相思相愛の関係だとはいえ、一睡もしていない状態でこの判断を彼女に委ねるのはこくすぎる――中條はそう考えていた。

「……シュンを……昏睡から目覚めさせる、方法がある」

 それでも。真夏の陽炎のように、今にも蒸発して消えてしまいそうな未来の立ち姿に、中條は我慢ならず声を絞り出してしまう。肩を掴まれたままの未来は告げられた言葉の意味を飲み込み、ハッと息を飲んだ。「その方法とは?」と視線で疑問を投げかけてくる未来を直視できず、中條はふいと目線を逸らせて小さくため息を落とした。

「ボンド――センチネルとガイドが結ぶ、パートナー契約、だ」
「……そ、れは」

 パートナー契約。コンビであるセンチネルとガイドの契り。魂を融合させ、信頼関係を結ぶ行為。ノアでは夫婦コンビである千里と遥香がこのパートナー契約の先駆者だ。ボンドを結ぶということは、未来は生涯に渡って瞬哉から離れることを赦されない立場となってしまう。契約を結んだガイドは契約相手以外のセンチネルに対してガイディングが不可能となる。また、センチネルも契約を結んだガイド以外のガイディングを受け付けなくなってしまう。瞬哉も未来も、未来永劫、その生命が尽きる瞬間まで――共に生きることを強制されるようなもの、なのだ。

 ボンドを結べばセンチネルとガイドの結び付きは更に強固なものとなり、ゾーニングに対しても更に強い対抗力を持つ。その力を利用して、瞬哉を昏睡から強制的に目覚めさせる。中條はその方法を未来へと示した。

「……」

 未来は唇を噛み、視線を彷徨わせた。チリ、と胸の底が焼け付くような感覚に、心が重く沈んでいくのを未来は感じた。


 未来の脳裏に過るのは、瞬哉のぶっきらぼうな声色と、不快そうに眉根を寄せる、いつもの表情。
 長年コンビを組んでいるが、それは能力同士の相性が良いだけ、で。
 瞬哉は自分との生活を心の底から望んでいるわけではないことは、重々に承知している。


(きっと……)

 ボンドを結び、瞬哉が目覚めたとき。自分はきっと、瞬哉から罵倒される。余計なお世話だ、これなら死んだ方がましだった、と。そういわれることを未来は覚悟した。

(それでも)

 未来は、瞬哉に生きていて欲しい、と。強く望んでいた。未来の本心はもう、偽れない。浅ましい自分のエゴでも構わない。瞬哉に嫌われたって、このまま彼を死なせてしまうより、後悔する気持ちより、彼にどんな形でも生きていて欲しいと願う感情の方が、未来の中で上回っていたのだ。



 揺れ動く感情の中。俯くよりも――――自分にできることを、するべきだ。未来が出した結論は、たったそれだけ、だった。
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