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I can’t imagine my life without you.
◇ 8 ◇
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瞬哉の背後の男がゆるりと口の端をつり上げると同時に、カチリ、と、瞬哉の脳内で音が鳴った。
「は……?」
この場では、決して有り得ないはずのその感覚。この男は一般人ではない、能力者だ――驚きのあまり瞬哉は自分が演技をしていたことすら忘れ、小さく吐息を落とす。瞬哉の体内に忍び込んだ男の黒い手が、容赦なく瞬哉の感情を乱していく。
「お前、センチネルか。これはこれは……思わぬ収穫だ」
男の冷えた声が反転したように愉し気な声色へと変貌した。津波のように押し寄せる靄が身体中を這いまわる強い不快感。それでも、男が零した言葉で自らの正体が暴かれたと判断した瞬哉は、男が始めた強制的なガイディングを断ち切るように、首元に突きつけられた小ぶりなナイフを持つ男の手を自らの拳でいなして払いのけた。
「ッ……」
よもや振り切られるとは想定していなかったのか、瞬哉の背後の男が顔を顰める。その隙を待っていたと言わんばかりに瞬哉は腰を落とし男に足払いをかけようとした。が、男はそちらは想定内だったようで、長身の躯体を存分に使って扉を背に飛びしさる。
「甘いな。ノアの訓練はそんなものか。実につまらん」
瞬哉から距離を取り、煽るような嘲弄を唇に乗せた男はパチンとナイフを折りたたみ胸ポケットにすとんと落とす。そして瞬哉を試すように緩く握った拳の人差し指を唇に当て、ニヤリと嗤った。
「……近くにガイドがいるな? そいつはどうした」
「て、めぇには、……関係ねぇ」
瞬哉は絞りだすように男へ言葉を投げつけた。能力を覚醒させた人間はもれなくノアに所属することになっている。それがこの国におけるルールだ。能力者は日本のみならず世界中におり、ノアのような国家機関が形を変えてどの国にも存在している。だというのに、この男はノアの一員ではない。その事実が瞬哉をさらに混乱の沼へと突き落とした。
自分自身もガイドだというのに、それでもなお未来を探していると思しきこの男の狙いは瞬哉には全く読めない。が、自分以外のメンバーの正体を露呈させることだけは避けなければという使命感だけが、今の瞬哉の支えだった。
瞬哉の視界は歪み、薄れては鮮明に戻る。ナイトクラブ特有の騒音と熱気に加え、男の背後の部屋から漂ってくる強烈な甘い香り、そして先ほどこの男から行われたガイディングのダメージが瞬哉の肉体には如実に顕われていた。
ガイドがセンチネルへ向けて行うガイディングは、センチネルが能力を暴走させた際に代償として訪れる精神崩壊を防ぐために行うもの。そして、センチネルとガイドには相性が存在し、相性の良くないガイドから行われるガイディングはセンチネルにとって苦痛なものでしかない。まして、それが今のように平常時のセンチネルに強制的に施されたのだ。瞬哉にとっては、先ほどのような強引なガイディングは肉体的にも精神的にも影響を及ぼす。一瞬にして瞬哉の戦闘能力を封じてしまうのだ。
いびつに揺れ動く視界の中で、瞬哉は壁を支えにゆっくりと立ち上がる。それでも目の前の男に向かって闘気を剥き出しにすることは忘れなかった。
「……お前のようなセンチネルを見ていると、お前らは実に罪深い生き物だと改めて感じるな。我々ガイドという存在を搾取し続けるしか能がないのだから」
「な、に……?」
男の瞳は底のない漆黒。それを覆う瞼は長い睫毛に囲われている。彼の瞳が瞬哉を見つめ、憐れんだように細められた。その仕草の意味を掴み取れず瞬哉は訝し気に首を傾げる。
「いや。わからなくていい。わからないままでいてくれ。その方が俺たちにとって都合がいい」
瞬哉の表情を見遣って心底愉し気に嗤った男はくるりと身体を反転させ、背後の扉を勢いよく開いた。ダンッという激しい音に、室内にいた人間たちの視線が一斉にこちらを向いた。
「兄さん。撤収だ」
開かれた先の室内にいるのは両手で数えられるほどの人数。威風堂々と室内に足を踏み入れた男の顔を一瞥した人間が息を飲み、「どういうこと?」「なにが……」と小声で言葉を交わす。強引なガイディングによるダメージを受け疲弊したままの瞬哉は、壁にもたれかかりながらも任務遂行のために室内にいる人間の顔を記憶しようと視線を動かした。
そして、ひとりの男に――未来の頬に触れたままの『ジル』に、視線が釘付けとなる。
(あ、のやろ……!)
その光景を目にした瞬哉の瞼の裏は真っ赤に染まり、全身がゆっくり冷えていくのを感じた。そのように未来に触れていいのは後にも先にも自分だけだ、という瞬哉の心の奥底に抱えていた独占欲が片鱗を覗かせていく。よろめく身体を叱咤し、瞬哉は声なくジルをきつく睨めつけた。
「どうした?」
未来の頬から手を離さず、ジルは未来の眼前でやわらかく微笑んだ。それでも、相変わらず笑んだ表情と凍てついた瞳の釣り合わなさ、そしてジルが未来へ始めたガイディングを未来は振り払うことが出来ず、ただただその場に立ち尽くしていた。瞬哉を圧倒した男はツカツカとジルに歩み寄っていく。未来をこの部屋へと導いたソウイチの存在を無視し、男は抑揚のない声でジルへと声をかけた。
「ノアがいる。サツに踏み込まれる前に撤収だ」
男が放った言葉に、部屋の中にどよめきが生じた。ここには後ろ暗いことがある人間しかいない。そういう場所なのだ。警察に踏み込まれ、自らも逮捕されてしまうかもしれない。そんな恐怖心にひっと息を飲んだ面々が我先にと裏口と思しき扉へと一斉に走り出す。
「……なるほど。このお嬢さんはさながら鳥籠の姫君というわけか」
「どうする。この女も連れて退くか?」
ジルが未来の頬を慈しむように撫でた。その動作に呼応するかのように、黒い瘴気のようなモノが未来の精神を撫でまわす。振り払いたいのに、なぜか振り払うことができない――抗いがたいガイディングに、未来は硬直したまま成す術もなく不快な感覚に翻弄され続けた。
彼らの間で小声で交わされるそれらの言葉。部屋の外には聞こえるはずがない声量だが、センチネルである瞬哉に聞こえていないはずがない。このままでは未来がジルに連れ去られてしまう。襲い来る強い焦燥感に瞬哉は震える手で胸元のシャツを掴み、力の限り声を振り絞った。
「ミク!! 走れッ……!!」
名前を呼ばれた未来はびくりと身体を震わせる。刹那、未来の脳内でパチンと弾けるような音がした。不思議なことに、瞬哉の声が未来の耳朶を打った瞬間、どう頑張っても抗えずにいたジルのガイディングを跳ね除けることが出来たのだ。ひゅっと息を飲んだ未来は弾かれたように裏口へと向かう人波みとは反対の方向へと走り出す。
「おや。存外にお転婆な姫君だ」
ジルは遠のいていく未来の背中を見遣り、くすりと笑みを浮かべた。逃げ出した未来の後を追うかと思いきや、優雅な所作で反対方向――裏口を目指し、その場を離れていく。
「兄さん……いいのか?」
「構わん。今は彼女を迎え入れる準備が出来ていない」
兄弟がそんな会話を交わしながら裏口からナイトクラブの外へ出ていくと同時に、なりふり構わず瞬哉の声がする方向へと走った未来は、目にした光景に全身からざぁっと音を立てて血の気が引いていくのを感じた。
「は……?」
この場では、決して有り得ないはずのその感覚。この男は一般人ではない、能力者だ――驚きのあまり瞬哉は自分が演技をしていたことすら忘れ、小さく吐息を落とす。瞬哉の体内に忍び込んだ男の黒い手が、容赦なく瞬哉の感情を乱していく。
「お前、センチネルか。これはこれは……思わぬ収穫だ」
男の冷えた声が反転したように愉し気な声色へと変貌した。津波のように押し寄せる靄が身体中を這いまわる強い不快感。それでも、男が零した言葉で自らの正体が暴かれたと判断した瞬哉は、男が始めた強制的なガイディングを断ち切るように、首元に突きつけられた小ぶりなナイフを持つ男の手を自らの拳でいなして払いのけた。
「ッ……」
よもや振り切られるとは想定していなかったのか、瞬哉の背後の男が顔を顰める。その隙を待っていたと言わんばかりに瞬哉は腰を落とし男に足払いをかけようとした。が、男はそちらは想定内だったようで、長身の躯体を存分に使って扉を背に飛びしさる。
「甘いな。ノアの訓練はそんなものか。実につまらん」
瞬哉から距離を取り、煽るような嘲弄を唇に乗せた男はパチンとナイフを折りたたみ胸ポケットにすとんと落とす。そして瞬哉を試すように緩く握った拳の人差し指を唇に当て、ニヤリと嗤った。
「……近くにガイドがいるな? そいつはどうした」
「て、めぇには、……関係ねぇ」
瞬哉は絞りだすように男へ言葉を投げつけた。能力を覚醒させた人間はもれなくノアに所属することになっている。それがこの国におけるルールだ。能力者は日本のみならず世界中におり、ノアのような国家機関が形を変えてどの国にも存在している。だというのに、この男はノアの一員ではない。その事実が瞬哉をさらに混乱の沼へと突き落とした。
自分自身もガイドだというのに、それでもなお未来を探していると思しきこの男の狙いは瞬哉には全く読めない。が、自分以外のメンバーの正体を露呈させることだけは避けなければという使命感だけが、今の瞬哉の支えだった。
瞬哉の視界は歪み、薄れては鮮明に戻る。ナイトクラブ特有の騒音と熱気に加え、男の背後の部屋から漂ってくる強烈な甘い香り、そして先ほどこの男から行われたガイディングのダメージが瞬哉の肉体には如実に顕われていた。
ガイドがセンチネルへ向けて行うガイディングは、センチネルが能力を暴走させた際に代償として訪れる精神崩壊を防ぐために行うもの。そして、センチネルとガイドには相性が存在し、相性の良くないガイドから行われるガイディングはセンチネルにとって苦痛なものでしかない。まして、それが今のように平常時のセンチネルに強制的に施されたのだ。瞬哉にとっては、先ほどのような強引なガイディングは肉体的にも精神的にも影響を及ぼす。一瞬にして瞬哉の戦闘能力を封じてしまうのだ。
いびつに揺れ動く視界の中で、瞬哉は壁を支えにゆっくりと立ち上がる。それでも目の前の男に向かって闘気を剥き出しにすることは忘れなかった。
「……お前のようなセンチネルを見ていると、お前らは実に罪深い生き物だと改めて感じるな。我々ガイドという存在を搾取し続けるしか能がないのだから」
「な、に……?」
男の瞳は底のない漆黒。それを覆う瞼は長い睫毛に囲われている。彼の瞳が瞬哉を見つめ、憐れんだように細められた。その仕草の意味を掴み取れず瞬哉は訝し気に首を傾げる。
「いや。わからなくていい。わからないままでいてくれ。その方が俺たちにとって都合がいい」
瞬哉の表情を見遣って心底愉し気に嗤った男はくるりと身体を反転させ、背後の扉を勢いよく開いた。ダンッという激しい音に、室内にいた人間たちの視線が一斉にこちらを向いた。
「兄さん。撤収だ」
開かれた先の室内にいるのは両手で数えられるほどの人数。威風堂々と室内に足を踏み入れた男の顔を一瞥した人間が息を飲み、「どういうこと?」「なにが……」と小声で言葉を交わす。強引なガイディングによるダメージを受け疲弊したままの瞬哉は、壁にもたれかかりながらも任務遂行のために室内にいる人間の顔を記憶しようと視線を動かした。
そして、ひとりの男に――未来の頬に触れたままの『ジル』に、視線が釘付けとなる。
(あ、のやろ……!)
その光景を目にした瞬哉の瞼の裏は真っ赤に染まり、全身がゆっくり冷えていくのを感じた。そのように未来に触れていいのは後にも先にも自分だけだ、という瞬哉の心の奥底に抱えていた独占欲が片鱗を覗かせていく。よろめく身体を叱咤し、瞬哉は声なくジルをきつく睨めつけた。
「どうした?」
未来の頬から手を離さず、ジルは未来の眼前でやわらかく微笑んだ。それでも、相変わらず笑んだ表情と凍てついた瞳の釣り合わなさ、そしてジルが未来へ始めたガイディングを未来は振り払うことが出来ず、ただただその場に立ち尽くしていた。瞬哉を圧倒した男はツカツカとジルに歩み寄っていく。未来をこの部屋へと導いたソウイチの存在を無視し、男は抑揚のない声でジルへと声をかけた。
「ノアがいる。サツに踏み込まれる前に撤収だ」
男が放った言葉に、部屋の中にどよめきが生じた。ここには後ろ暗いことがある人間しかいない。そういう場所なのだ。警察に踏み込まれ、自らも逮捕されてしまうかもしれない。そんな恐怖心にひっと息を飲んだ面々が我先にと裏口と思しき扉へと一斉に走り出す。
「……なるほど。このお嬢さんはさながら鳥籠の姫君というわけか」
「どうする。この女も連れて退くか?」
ジルが未来の頬を慈しむように撫でた。その動作に呼応するかのように、黒い瘴気のようなモノが未来の精神を撫でまわす。振り払いたいのに、なぜか振り払うことができない――抗いがたいガイディングに、未来は硬直したまま成す術もなく不快な感覚に翻弄され続けた。
彼らの間で小声で交わされるそれらの言葉。部屋の外には聞こえるはずがない声量だが、センチネルである瞬哉に聞こえていないはずがない。このままでは未来がジルに連れ去られてしまう。襲い来る強い焦燥感に瞬哉は震える手で胸元のシャツを掴み、力の限り声を振り絞った。
「ミク!! 走れッ……!!」
名前を呼ばれた未来はびくりと身体を震わせる。刹那、未来の脳内でパチンと弾けるような音がした。不思議なことに、瞬哉の声が未来の耳朶を打った瞬間、どう頑張っても抗えずにいたジルのガイディングを跳ね除けることが出来たのだ。ひゅっと息を飲んだ未来は弾かれたように裏口へと向かう人波みとは反対の方向へと走り出す。
「おや。存外にお転婆な姫君だ」
ジルは遠のいていく未来の背中を見遣り、くすりと笑みを浮かべた。逃げ出した未来の後を追うかと思いきや、優雅な所作で反対方向――裏口を目指し、その場を離れていく。
「兄さん……いいのか?」
「構わん。今は彼女を迎え入れる準備が出来ていない」
兄弟がそんな会話を交わしながら裏口からナイトクラブの外へ出ていくと同時に、なりふり構わず瞬哉の声がする方向へと走った未来は、目にした光景に全身からざぁっと音を立てて血の気が引いていくのを感じた。
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