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I can’t imagine my life without you.
◇ 6 ◇
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「探し出して欲しいのはこの男です。本名、三藤 裕介。SNS上では『ジル』という偽名を使ってクスリの売人をしています」
警視庁組織犯罪対策部――通称・組対5課――に所属する刑事、朝比奈は銀縁メガネを左手でずり上げながらテーブルの上に1枚の写真を置いた。一重の鋭い眼光が印象的な朝比奈が、ノアの会議室に集まった面々――龍騎・蓮コンビ、瞬哉・未来コンビの4名をぐるりと見渡す。
「先般、大麻所持で逮捕された俳優が出入りしていたナイトクラブ。そこでいくつかの売人グループがイベントの際に情報交換を行っていることまでが掴めています。……特にハロウィーンである今夜は仮装者で街が賑わいます」
「木を隠すには森の中。クラブへの出入りが増える今夜は、売人たちからしてみればまたとない情報交換チャンス、というわけですか」
渋い顔のまま腕を組んだ蓮の言葉に、朝比奈は無表情のまま「はい」と短く返答した。彼が身に纏っている品のあるネイビーのスーツは、刑事という雰囲気を微塵も感じさせない。前髪を上げ聡明な額を全面に出し知的さをアピールするような彼の扮装は、さながら商社マンを連想させる。これから捜査だというのに、場違いにも思える朝比奈の装いに瞬哉は首を捻った。
「そいつを捕まえるのが今回の依頼……ってわけではなさそうだな」
「ご明察です」
瞬哉の言葉に朝比奈はふたたび銀縁メガネを押し上げ、瞳を細めた。朝比奈の言わんとすることを察した未来は、朝比奈に指定された自らの服装を眺めそっと言葉を引き継いだ。
「なるほど。今回はオトリ捜査、ということですね」
ノアに依頼される任務で服装を指定されることは少ない。肩を大胆に露出したオフショルダーのニットワンピース、というピンポイントな指定にどういう意図があるのだろうかと一晩悩んだが、女性である未来を主軸にしたナイトクラブでのオトリ捜査が今回の依頼内容であれば納得がいく。
法に触れる薬物の捜査は、厚生労働省管轄の麻薬取締部――通称・マトリ――と、警視庁管轄の組対5課が主に担っている。マトリには麻薬を買うことができるオトリ捜査の法的権限があるが、組対5課にはそれがない。そのためにオトリ捜査をノアに依頼したい、ということなのだ。未来をはじめとしたノア側にナイトクラブを張らせ、警視庁側は仮装した人々で賑わう街の中を張る、というのが今回の任務内容のようだ。
「その通りです。今回の依頼の目的は『ジル』の身柄確保ではありません。『ジル』が接触している売人グループの洗い出しです。クスリの商流を見極め、売人グループの主軸である人物を特定すること。必要であればその場でクスリを購入することも選択してください。我々にはその権限がなく、あなた方にしか頼めない内容ですので。……くれぐれも、目的を履き違えることなくお願いいたします」
「了解」
朝比奈が機敏な動作で一礼をし、一同はいつも通り任務前の打ち合わせを終えた。
***
今も昔も変わらず、繁華街には人と情報が集まる。とりわけ色と欲望が交錯する場所はその傾向が強い。
「『ジル』……どういう意味なのでしょう」
辺り一面のスモークの中を、閃光のような青いレーザーライトが館内を照らしている。重いベースに交じる激しく攻撃的なシンセサイザーの音が瞬哉の思考をさらに乱していく。今夜の任務では未来と二手にわかれ、単独行動の時間が増える。そのため、瞬哉は高い聴力を補正する器具を片耳にセットしているが、やはり未来のガイド能力の方が効く気がする。瞬哉は五感の全てが麻痺していくような感覚に眉根を寄せながらぽつりと言葉を落とした未来へ小声で返した。
「おおかたフランス語由来だな。ヘブライ語を語源とする名前だ。『幸福』っつう意味がある……クスリの売買をすることで幸せを届ける、という意味なんじゃねぇか」
「もしくはジル・ド・レ、か? ジャンヌ・ダルクの戦友だったが、彼女の処刑をきっかけに狂人となった。自らも狂人だと言いたいのかもしれない」
瞬哉の言葉を引き継いだ蓮も、瞬哉と同じように顔を顰めていた。センチネルにとって眩い照明と重低音の音楽、数多の飲食物のにおいが混ざるクラブという空間は鬼門でしかない。瞬哉は勢いで「とことんふざけた野郎だ」、というセリフがまろび出そうになるのをぐっと堪える。もう自分たちは敵陣に潜入しているのだ。『ジル』の尻尾を掴むため、『ジル』を批難するような言葉は慎まなければならない。
「んじゃ。ひとまずここで」
「はい」
未来は龍騎の合図を皮切りに、熱が上がっているナイトクラブの人ごみの中へと足を踏み入れた。こうした場所には初めて来たのだと言わんばかりに、うろうろと視線を彷徨わせる。
「こんばんは。君、さっきフロアのあそこら辺にいたよね?」
「あ……はい」
「可愛いなって気になってたんだ。その服も似合っててサイコー」
「あはは。お兄さんモテそうですね」
「と思うでしょ~? ノンノン、ネアカなだけ。俺、童貞だから!」
未来の思惑通り、早速声をかけてくる人物がいた。未来がナンパ男に向かって笑顔で相手をするその様子を遠巻きに確認した瞬哉は、一瞬で自分の思考回路が赤く染まるのを自覚する。打ち合わせの場で朝比奈が告げた今回の依頼内容に、瞬哉は正直に言って眩暈を覚えた。未来をオトリにする――こんな任務は受けたくない、受けられるか、と言ってやりたかったからだ。
「あ~あ~。やってんねぇ、シュン」
「……うっせぇ。おら、仕事だ、仕事」
ニヤニヤと揶揄うように瞬哉の肩を叩く龍騎をきつく睨めつけ、瞬哉は意識を未来から外した。任務上のこととはいえ、想い人が自ら進んでナンパされに行く光景をみせられるなど苦行以外の何物でもない。早いところ『ジル』と接触し、情報を引き出さなければ、と、瞬哉は龍騎・蓮コンビとわかれバーカウンターへ急いだ。酒を受け取り、この場を楽しんでいるという雰囲気を必死に醸し出す。
今夜の任務。未来はオトリとなり、声をかけてくる男性から情報を引き出す。龍騎・蓮コンビは反対に女性に声をかける。クスリを常習している人間は体臭が変わるためセンチネルである蓮の嗅覚で目ぼしい女性をリサーチし、龍騎の話術で情報を引き出すという算段。瞬哉はナイトクラブ全体を俯瞰し、怪しい動きをする人物を洗い出す――という作戦だ。
瞬哉は受け取った酒を呷り、薄暗い空間の中で視力と聴力の幅を全開にする。そのまま朝比奈から見せられた写真の『ジル』に似た男がいないか、ゆっくりとこの空間を見渡した。
(……奥、か?)
目を凝らした先。DJブースの奥にちらちらと出入りする人影を瞬哉は認識した。あの場所が密談の舞台となっているのではないかと推測し、そこに出入りする人物を見つめ観察する。……すると。
(っ……!)
未来に声をかけた男が、先ほど瞬哉が密談の舞台と見定めた方向へ未来を連れてゆっくりと歩き出した。ビンゴだ、と、瞬哉は口の中で小さく呟く。
日付をまたぎ、クラブ内の雰囲気は最高潮となっていた。人の波を掻き分け、もつれるように瞬哉はDJブースを目指す。腰を落とし、影と自らを同化させながらその奥へと瞬哉は忍び歩きで目的の場所へと近づいていく。
近づくほどに、瞬哉はくらくらと眩暈を覚えた。鼻につくのは甘ったるい香りだ。腕で鼻と口元を覆うが、遅すぎた。花の蜜のように馨しく、蜂蜜のように蕩けるような匂い。 落ちた花が踏みにじられた瞬間のような、噎せ返るほどの強い香りが瞬哉の鼻腔を侵蝕していく。
「っ、く……」
あまりの香りにふらりと瞬哉の身体が揺れる。揺れた躯体は瞬哉自身にも制御することが出来なかった。ガタリと大きな音を立て、瞬哉の肩が壁を揺らす。
「――――おい。何をしている」
鋭く貫くような低い声とともに、銀色の冷たい光が瞬哉の喉笛に当てられる。つぅ、と。灼熱の液体が瞬哉の首筋を細く滑り落ちていった。
警視庁組織犯罪対策部――通称・組対5課――に所属する刑事、朝比奈は銀縁メガネを左手でずり上げながらテーブルの上に1枚の写真を置いた。一重の鋭い眼光が印象的な朝比奈が、ノアの会議室に集まった面々――龍騎・蓮コンビ、瞬哉・未来コンビの4名をぐるりと見渡す。
「先般、大麻所持で逮捕された俳優が出入りしていたナイトクラブ。そこでいくつかの売人グループがイベントの際に情報交換を行っていることまでが掴めています。……特にハロウィーンである今夜は仮装者で街が賑わいます」
「木を隠すには森の中。クラブへの出入りが増える今夜は、売人たちからしてみればまたとない情報交換チャンス、というわけですか」
渋い顔のまま腕を組んだ蓮の言葉に、朝比奈は無表情のまま「はい」と短く返答した。彼が身に纏っている品のあるネイビーのスーツは、刑事という雰囲気を微塵も感じさせない。前髪を上げ聡明な額を全面に出し知的さをアピールするような彼の扮装は、さながら商社マンを連想させる。これから捜査だというのに、場違いにも思える朝比奈の装いに瞬哉は首を捻った。
「そいつを捕まえるのが今回の依頼……ってわけではなさそうだな」
「ご明察です」
瞬哉の言葉に朝比奈はふたたび銀縁メガネを押し上げ、瞳を細めた。朝比奈の言わんとすることを察した未来は、朝比奈に指定された自らの服装を眺めそっと言葉を引き継いだ。
「なるほど。今回はオトリ捜査、ということですね」
ノアに依頼される任務で服装を指定されることは少ない。肩を大胆に露出したオフショルダーのニットワンピース、というピンポイントな指定にどういう意図があるのだろうかと一晩悩んだが、女性である未来を主軸にしたナイトクラブでのオトリ捜査が今回の依頼内容であれば納得がいく。
法に触れる薬物の捜査は、厚生労働省管轄の麻薬取締部――通称・マトリ――と、警視庁管轄の組対5課が主に担っている。マトリには麻薬を買うことができるオトリ捜査の法的権限があるが、組対5課にはそれがない。そのためにオトリ捜査をノアに依頼したい、ということなのだ。未来をはじめとしたノア側にナイトクラブを張らせ、警視庁側は仮装した人々で賑わう街の中を張る、というのが今回の任務内容のようだ。
「その通りです。今回の依頼の目的は『ジル』の身柄確保ではありません。『ジル』が接触している売人グループの洗い出しです。クスリの商流を見極め、売人グループの主軸である人物を特定すること。必要であればその場でクスリを購入することも選択してください。我々にはその権限がなく、あなた方にしか頼めない内容ですので。……くれぐれも、目的を履き違えることなくお願いいたします」
「了解」
朝比奈が機敏な動作で一礼をし、一同はいつも通り任務前の打ち合わせを終えた。
***
今も昔も変わらず、繁華街には人と情報が集まる。とりわけ色と欲望が交錯する場所はその傾向が強い。
「『ジル』……どういう意味なのでしょう」
辺り一面のスモークの中を、閃光のような青いレーザーライトが館内を照らしている。重いベースに交じる激しく攻撃的なシンセサイザーの音が瞬哉の思考をさらに乱していく。今夜の任務では未来と二手にわかれ、単独行動の時間が増える。そのため、瞬哉は高い聴力を補正する器具を片耳にセットしているが、やはり未来のガイド能力の方が効く気がする。瞬哉は五感の全てが麻痺していくような感覚に眉根を寄せながらぽつりと言葉を落とした未来へ小声で返した。
「おおかたフランス語由来だな。ヘブライ語を語源とする名前だ。『幸福』っつう意味がある……クスリの売買をすることで幸せを届ける、という意味なんじゃねぇか」
「もしくはジル・ド・レ、か? ジャンヌ・ダルクの戦友だったが、彼女の処刑をきっかけに狂人となった。自らも狂人だと言いたいのかもしれない」
瞬哉の言葉を引き継いだ蓮も、瞬哉と同じように顔を顰めていた。センチネルにとって眩い照明と重低音の音楽、数多の飲食物のにおいが混ざるクラブという空間は鬼門でしかない。瞬哉は勢いで「とことんふざけた野郎だ」、というセリフがまろび出そうになるのをぐっと堪える。もう自分たちは敵陣に潜入しているのだ。『ジル』の尻尾を掴むため、『ジル』を批難するような言葉は慎まなければならない。
「んじゃ。ひとまずここで」
「はい」
未来は龍騎の合図を皮切りに、熱が上がっているナイトクラブの人ごみの中へと足を踏み入れた。こうした場所には初めて来たのだと言わんばかりに、うろうろと視線を彷徨わせる。
「こんばんは。君、さっきフロアのあそこら辺にいたよね?」
「あ……はい」
「可愛いなって気になってたんだ。その服も似合っててサイコー」
「あはは。お兄さんモテそうですね」
「と思うでしょ~? ノンノン、ネアカなだけ。俺、童貞だから!」
未来の思惑通り、早速声をかけてくる人物がいた。未来がナンパ男に向かって笑顔で相手をするその様子を遠巻きに確認した瞬哉は、一瞬で自分の思考回路が赤く染まるのを自覚する。打ち合わせの場で朝比奈が告げた今回の依頼内容に、瞬哉は正直に言って眩暈を覚えた。未来をオトリにする――こんな任務は受けたくない、受けられるか、と言ってやりたかったからだ。
「あ~あ~。やってんねぇ、シュン」
「……うっせぇ。おら、仕事だ、仕事」
ニヤニヤと揶揄うように瞬哉の肩を叩く龍騎をきつく睨めつけ、瞬哉は意識を未来から外した。任務上のこととはいえ、想い人が自ら進んでナンパされに行く光景をみせられるなど苦行以外の何物でもない。早いところ『ジル』と接触し、情報を引き出さなければ、と、瞬哉は龍騎・蓮コンビとわかれバーカウンターへ急いだ。酒を受け取り、この場を楽しんでいるという雰囲気を必死に醸し出す。
今夜の任務。未来はオトリとなり、声をかけてくる男性から情報を引き出す。龍騎・蓮コンビは反対に女性に声をかける。クスリを常習している人間は体臭が変わるためセンチネルである蓮の嗅覚で目ぼしい女性をリサーチし、龍騎の話術で情報を引き出すという算段。瞬哉はナイトクラブ全体を俯瞰し、怪しい動きをする人物を洗い出す――という作戦だ。
瞬哉は受け取った酒を呷り、薄暗い空間の中で視力と聴力の幅を全開にする。そのまま朝比奈から見せられた写真の『ジル』に似た男がいないか、ゆっくりとこの空間を見渡した。
(……奥、か?)
目を凝らした先。DJブースの奥にちらちらと出入りする人影を瞬哉は認識した。あの場所が密談の舞台となっているのではないかと推測し、そこに出入りする人物を見つめ観察する。……すると。
(っ……!)
未来に声をかけた男が、先ほど瞬哉が密談の舞台と見定めた方向へ未来を連れてゆっくりと歩き出した。ビンゴだ、と、瞬哉は口の中で小さく呟く。
日付をまたぎ、クラブ内の雰囲気は最高潮となっていた。人の波を掻き分け、もつれるように瞬哉はDJブースを目指す。腰を落とし、影と自らを同化させながらその奥へと瞬哉は忍び歩きで目的の場所へと近づいていく。
近づくほどに、瞬哉はくらくらと眩暈を覚えた。鼻につくのは甘ったるい香りだ。腕で鼻と口元を覆うが、遅すぎた。花の蜜のように馨しく、蜂蜜のように蕩けるような匂い。 落ちた花が踏みにじられた瞬間のような、噎せ返るほどの強い香りが瞬哉の鼻腔を侵蝕していく。
「っ、く……」
あまりの香りにふらりと瞬哉の身体が揺れる。揺れた躯体は瞬哉自身にも制御することが出来なかった。ガタリと大きな音を立て、瞬哉の肩が壁を揺らす。
「――――おい。何をしている」
鋭く貫くような低い声とともに、銀色の冷たい光が瞬哉の喉笛に当てられる。つぅ、と。灼熱の液体が瞬哉の首筋を細く滑り落ちていった。
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