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挿話
We will live together for the rest of our lives. ~ side 真梨
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躊躇いを含み、見おろしがちに注がれる真っ直ぐな視線。その中に――私の心の内を、私の願いを。私の想いを寸分の狂いなく、正しく理解しようとする……ただただひたむきで、実直な達樹の意思を感じる。
「お願い、ですから」
「……え?」
困ったような、それでいて切ないような感情を吐露しているようにも聞こえる、達樹の少しだけ掠れた声。心地良くて、安心するようなその声が――優しい雨音に紛れて耳朶を打っていく。
「そうやって一人で抱え込まないでください。俺も口下手だから真梨さんのこと言えた義理ではないことは重々承知しています。でも……」
「……」
ほんの、一週間前。幸福の言葉を流れるように紡いでいたあの姿とは正反対の。今にも泣きそうで、消えてしまいそうな。偽りの関係に終止符を打ったあの日と同じような、そんな達樹の姿が――可愛らしいとすら、思ってしまう。
「俺は。真梨さんが考えていることを……何を考えているかを、……きちんと話して欲しい、です」
痛いほど伝わってくる、強い願い。知らず知らずのうちに吸いっぱなしになっていた空気をそっと吐き出す。急速に肺が萎んでいくのが苦しいほど感じられ、その感覚に小さく吐息を零せば、口元と……心が、緩やかに綻んだ。
「無理、してるつもりも……我慢してるつもりもない、の」
会話の脈略から察するに達樹は私の『今後について』を慮ってくれているのだろう。休日も実家の加勢に行っている私の身体のことを心配してくれている……のだと思う。正社員で働いている今の勤務形態をパートタイムに切り替えたり、もしくは家庭に入ってもいい、と。私がそういうことを全く口にしないから、どう思っているのかがわからない、と……達樹は考えているのだろう。
「……その。ごめん。私、は」
「……」
梅雨らしい雨はまだ降り続いていて、達樹が支えてくれている傘に水滴が打ち付けていた。この交差点で、独り泣きながら―――偽りの関係を悔いながら浴びていたあの冷たい雨とは違う。どこまでも優しい、雨。
「忙しくしている……今の生活が、好き。達樹のそばにいられる時間が短くて、……それは申し訳ない、とは思ってるんだけど」
ぎゅ、と。握られた手を握り返す。いつだって素直になれない私、だけれど。
これから先も、ふたりで共にあるために。今だけは。素直に。笑顔、で。
「我慢とか、してるつもりはないの。私が、私らしく生きていきたいから。今は――私がそうしたい、から」
夕暮れを過ぎ、月が昇る前の薄暗い時間。灯り始めた街灯が、ぼんやりと達樹の驚いたような表情を映し出している。桜を美しく見せるためにずうっと太陽が出ずっぱっていた春が終わりを告げ、青々とした新緑を芽吹かせるため、乾いた大地を潤すように……静かに。雨音が、響いている。
不意に、くすり、と。達樹が緩やかに微笑んだ。
「来週、『邨上さん』が出社されたら驚かれるでしょうね」
「……っ、」
まるで揶揄うような声色で告げられた言葉に、かっと頬が熱を持つ。来週月曜日の朝礼で通関部の全員に報告することになっている。先輩は今週一週間結婚休暇を取得していて、顔を合わせることはなかった。正直、このことがあるから先輩と顔を合わせると挙動不審になりそうで、だから……ほっとしていた、のに。
「……っ、ばかっ」
赤らんだ顔をぷいっと背けて、達樹の手を握ったままその場から歩き出す。達樹が困ったように、それでいて嬉しそうに小さく吐息を吐き出した。ふたたび、ぱちゃりとふたり分の足音が――私たちの思い出の交差点に、響いて消えた。
「お願い、ですから」
「……え?」
困ったような、それでいて切ないような感情を吐露しているようにも聞こえる、達樹の少しだけ掠れた声。心地良くて、安心するようなその声が――優しい雨音に紛れて耳朶を打っていく。
「そうやって一人で抱え込まないでください。俺も口下手だから真梨さんのこと言えた義理ではないことは重々承知しています。でも……」
「……」
ほんの、一週間前。幸福の言葉を流れるように紡いでいたあの姿とは正反対の。今にも泣きそうで、消えてしまいそうな。偽りの関係に終止符を打ったあの日と同じような、そんな達樹の姿が――可愛らしいとすら、思ってしまう。
「俺は。真梨さんが考えていることを……何を考えているかを、……きちんと話して欲しい、です」
痛いほど伝わってくる、強い願い。知らず知らずのうちに吸いっぱなしになっていた空気をそっと吐き出す。急速に肺が萎んでいくのが苦しいほど感じられ、その感覚に小さく吐息を零せば、口元と……心が、緩やかに綻んだ。
「無理、してるつもりも……我慢してるつもりもない、の」
会話の脈略から察するに達樹は私の『今後について』を慮ってくれているのだろう。休日も実家の加勢に行っている私の身体のことを心配してくれている……のだと思う。正社員で働いている今の勤務形態をパートタイムに切り替えたり、もしくは家庭に入ってもいい、と。私がそういうことを全く口にしないから、どう思っているのかがわからない、と……達樹は考えているのだろう。
「……その。ごめん。私、は」
「……」
梅雨らしい雨はまだ降り続いていて、達樹が支えてくれている傘に水滴が打ち付けていた。この交差点で、独り泣きながら―――偽りの関係を悔いながら浴びていたあの冷たい雨とは違う。どこまでも優しい、雨。
「忙しくしている……今の生活が、好き。達樹のそばにいられる時間が短くて、……それは申し訳ない、とは思ってるんだけど」
ぎゅ、と。握られた手を握り返す。いつだって素直になれない私、だけれど。
これから先も、ふたりで共にあるために。今だけは。素直に。笑顔、で。
「我慢とか、してるつもりはないの。私が、私らしく生きていきたいから。今は――私がそうしたい、から」
夕暮れを過ぎ、月が昇る前の薄暗い時間。灯り始めた街灯が、ぼんやりと達樹の驚いたような表情を映し出している。桜を美しく見せるためにずうっと太陽が出ずっぱっていた春が終わりを告げ、青々とした新緑を芽吹かせるため、乾いた大地を潤すように……静かに。雨音が、響いている。
不意に、くすり、と。達樹が緩やかに微笑んだ。
「来週、『邨上さん』が出社されたら驚かれるでしょうね」
「……っ、」
まるで揶揄うような声色で告げられた言葉に、かっと頬が熱を持つ。来週月曜日の朝礼で通関部の全員に報告することになっている。先輩は今週一週間結婚休暇を取得していて、顔を合わせることはなかった。正直、このことがあるから先輩と顔を合わせると挙動不審になりそうで、だから……ほっとしていた、のに。
「……っ、ばかっ」
赤らんだ顔をぷいっと背けて、達樹の手を握ったままその場から歩き出す。達樹が困ったように、それでいて嬉しそうに小さく吐息を吐き出した。ふたたび、ぱちゃりとふたり分の足音が――私たちの思い出の交差点に、響いて消えた。
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