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本編・第三部

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 むぅ、と。三木ちゃんが綺麗に整えられた眉を寄せながら、手元のスマホとにらめっこしている。その様子を、お弁当をつつきながらそっと眺めた。

 お昼休み。いつもふたりで社員食堂にいる時は、そのふっくらした唇から快活に言葉が飛び出てくるのに、今日は席についてからずっと顰めっ面だ。何が気にかかかっているのかが気になって、思わず「どうしたの?」と言葉を投げかけてしまった。

 私の言葉に、三木ちゃんが小さく身じろぎをして、のろのろと私に視線を合わせる。ブラックのアイライナーに彩られた勝気な瞳が、悩むように揺れ動いている。

「…………先輩。誕生日プレゼントって、何がいいと思います?」

「え?」

 思わぬ質問に、お弁当に入れていたプチトマトを口に入れたまま、パチパチと目を瞬かせた。三木ちゃんから訊ねられた言葉を噛み砕いて、ひとつの推測に行き当たる。

(……例の、好きな人。お誕生日が近いんだ)

 お花見歓迎会の、あの日。全員が来る前に歓迎会の準備をしている時、その好きな人と少しだけ進展した、という話しを聞いていた。今日はもう5月31日で、それから丸2ヶ月経つ計算になる。好きな人のお誕生日を前にプレゼントに悩んでいたから、さっきからずっと顰めっ面をしているのだろう、と察した。

 三木ちゃんの言葉に一度手に持ったお箸を置いて、口に含んだプチトマトを咀嚼しながら腕を組み私も考え込んだ。

 結局、智の誕生日まで1ヶ月を切ったけれど、私も誕生日プレゼントは決めかねている。智本人に欲しい物を聞いても、いつも『知香の全部』としか返って来ない。真顔でそんな返しが来るから、いつだって顔が赤くなって智に揶揄われる要因になってしまっている。思わず三木ちゃんと同じように顰めっ面になる。

「……実はね?私も同じこと悩んでたのよ。彼、6月下旬に誕生日だから」

 この際、思い切って、三木ちゃんにもこのことを話してしまおう。智が黒川さんの一件を暴いた時、浅田さんと藤宮くんの協力を得たように、私もこの件に関して三木ちゃんの協力を得る。三人寄ればなんとやら、だ。

「えっ、そうだったんですか?」

 三木ちゃんが弾かれたようにスマホから顔をあげて、パチリとした目をぱちくりとさせて私を見つめている。その表情に、ふっと笑みが溢れた。

「腕時計か、名刺ケース……あとはキーケースかなって思ってるの。30代だし、そんなところかなぁって。あ、でももうすぐ結婚式に参列するから、ネクタイとか、ネクタイピン……カフスボタンとかも候補に入れてもいいかなって」

 色々と考えて候補に挙げていたものを羅列しつつ、ふたたびお箸を手にして昼食を進めていく。

 今度の誕生日で智は31歳になる。ネットサーフィンをしながら調べている時に、職場でも後輩や部下が増えてくる時期の30代の彼氏への贈り物は、大人としての品格が演出できる品物が良い、という特集記事を目にしたから。そういった類いのものをプレゼントしよう、と考えていた。

(あ。三木ちゃんの好きな人って、いくつくらいなんだろう)

 今、私が口にしたのは30代の彼氏への贈り物にオススメ、というものだ。三木ちゃんの好きな人が三木ちゃんと同じ20代だったのなら、きっと違うものがいいだろう。

「私の彼は30代だからこういうのが候補になったけれど、三木ちゃんの好きな人が20代なら違うものがいいかもしれないわ?」

 手元のお弁当箱に入れていた茹でたブロッコリーを摘みながら、目の前の勝気な瞳に視線を向ける。

「毎日使えるものとかはどう?革製のお財布とか。あとは……その人のお仕事にもよるけどボールペンとか。あっ、お仕事、営業マンされているのなら、お客さんとの商談の前に身だしなみを整えるだろうからその時に使える香水とか、マウスウォッシュとか…?」

 私の言葉に、はっとしたように三木ちゃんが目を瞬かせた。にこっとした笑顔が私に向けられる。

「仕事関係!それは思いついてなかったです!ありがとうございます、先輩っ」

 思いついたものをつらつらと口にしていたら、結局、候補が幅広くなってしまった。逆に悩ませる結果になってしまったかもしれない。心の中で少しだけ苦笑しながら「どういたしまして」と言葉を向けた。

 悩まし気だった三木ちゃんが、明らかに嬉しそうに顔を綻ばせながら手元のスマホに視線を落とした。きっと、仕事関係の何かをプレゼントにするつもりで探しているのだろう。彼女の悩みごとをひとつだけでも解消出来る助けになれたと感じて、心がほんわりとあたたかくなる。

(ん~……無難にネクタイにしようかなぁ)

 三木ちゃんにアドバイスするために私の中でぼんやりと考えていたことを実際に言葉にして、私自身の考えも整理されたように思える。

 智は今、新部門の立ち上げに関わっている。これまで食品のバイヤーとして関わっていた企業とは毛色の異なる企業とも接する機会が増えるだろう。品のある柄や色のネクタイをいくつか贈るのが一番良い選択のような気がする。

 お弁当に詰めた最後の白米の最後の一口を頬張っていると、目の前に座る三木ちゃんがふっと顔をあげた。勝気な瞳が翳って、ふるふると不安げに揺れ動いている。その表情の意味が掴めなくて、きょとん、と。三木ちゃんの整った顔を見返す。

「……。やっぱり、毎日…ですか?」

 ふっくらした唇から紡がれた『あの人』という単語。三木ちゃんが『あの人』と表現するのは、彼しかいない。

「あ~……」

 ヘーゼル色の瞳を思い浮かべながら、少しだけ肩を落とす。片桐さんに帰り際に待ち伏せされるようになって……三木ちゃんと帰りが一緒になった時に、片桐さんを威嚇するように鋭い視線を送っていた彼女。

 正直に言って、三木ちゃんにはこれまで片桐さんのことでたくさん助けて貰ったから、これ以上の心配をかけたくなくて。片桐さんに待ち伏せされるようになったことは彼女には伝えていなかったのだけれど、結局、彼女の知る所となり。それ以降、殊の外私が退勤する時に心配してくれている。私も三木ちゃんもそれぞれに抱えている業務があるから退勤する時間が一緒になるということはあまりないのだけれど、それでも気にしてくれているのは本当にありがたいと感じる。

「それにしても、休憩中に絡みに来なくなったのは意外でしたねぇ。あの人のことだから、きっとお昼時も先輩を狙ってくると思っていたのに」

 ほう、とため息をつきながら手に持ったスマホをテーブルに置いて、三木ちゃんが椅子の背もたれに身体の重心を預けた。

 そう。三木ちゃんが口にしたように、あの夜の出来事がある前の片桐さんは、お昼時だろうとなんだろうと時間さえあれば私を口説きに来ていた。なのに、今は帰り際だけ。農産販売部に異動となって、勤務するフロアが違うからお昼時は来ないのかもしれないけれど。あの片桐さんのことだから、日中もこの階に昇ってくるのではないかと警戒していた。

 帰り際の待ち伏せが始まって1ヶ月が経とうとしているけれども、お昼休みや休憩中に絡まれるような事はなくて。

 だからこそ、余計に……片桐さんが何を考えているのか、さっぱり読めないでいる。

「主任、三木さん。お邪魔してよろしいですか?」

 唐突に私たちを呼ぶ声が響いた。声がした方を振り返ると、加藤さんが立ったまま手にトレーを持って、問いかけるように小首を傾げていた。艶のある長い黒髪がさらりと揺れている。

「うん、どうぞ」

 にこり、と。笑みを浮かべて加藤さんを席に促す。「ありがとうございます」と短く謝意が述べられて、すとん、と。私の隣に加藤さんが腰をおろした。デミグラスソースの濃厚な香りが鼻腔をくすぐっていく。

 加藤さんは今日は社員食堂のハンバーグ定食を注文していたようだ。ここのハンバーグ定食に使われているハンバーグは極東商社うちの畜産販売部が取り扱っている畜肉原料を、商品開発部で開発した加工食品もの。箸を入れた瞬間に肉汁が溢れ出していく絶品のメニューということもあり、この社員食堂一の人気メニューだ。

 加藤さんがお箸を手に持った瞬間、三木ちゃんが身体の重心を椅子の背もたれから前のテーブルに移動させて片肘をつき、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「加藤~。そういえば例の人とはどうなの?」

「ふ、ぅっ!」

 三木ちゃんが唐突ともいえるタイミングでぶっこんだ言葉に、加藤さんが素っ頓狂な声をあげながら固まった。お人形さんのようなきめ細かな白い肌が首筋から耳まで徐々に赤らんでいく様子が微笑ましくて。私もそっと加藤さんに視線を向ける。

「……三井商社の営業マン、ということもあって、なかなか連絡がとれないですけど…まぁ、その……」

 もじもじ、という表現するのが正しいような仕草で、加藤さんが小さく言葉を紡いでいく。



 実は。私と智で、加藤さんと藤宮くんを引き合わせたのだ。引き合わせた、というより、このふたりを幹事とする合コンのセッティングを援助した、というだけのことだけれども。

 来月、浅田さんの結婚式が控えていることもあり、藤宮くんは「彼女が欲しい」と、仕事でも帰り道でも常に口にしていたようで。
 藤宮くんは、私と智が出会ったあの合コンの場では見事に酔いつぶれてしまって、出会いには繋がっていなかった。

 絢子さんに振られて落ち込んでいた智を元気づけるために、あの合コンをセッティングしてくれたのは藤宮くん。

 それに、あの夜……片桐さんが私に催眠暗示をかけようとした夜。小林くんが智に連絡をつけられたのは、藤宮くんのアシストがあったから、なのだそう。小林くんは智の連絡先を知らなくて、藤宮くんに智の連絡先を教えて欲しいと連絡を取ったのだとか。藤宮くんも敢えて事情を深く聞かずに、小林くんに智の連絡先を教えたのだそう。

 さらに言えば、彼には黒川さんの一件に協力をしてもらったこともある。

 ……ということで、藤宮くんのために合コンをセッティングしてあげたい、という相談を受けたのが、私がちょうど智に散々日の夜のことだった。



(そういえば……あの日、買い物に行きたいと思ってたのに行けなかったんだった…)

 私よりも肌が白く見えることが悔しくて起こした行動が、とんでもない結果を招いてしまったけれど、あれに関しては未だに納得がいっていない。思わず眉間に皺が寄る。



 それはともかく。その相談を受けてからすぐに動いて、以前から「彼氏はいない」と話していた加藤さんに話を持ち掛けた。「私に幹事なんて無理です、司会とかすら苦手なのに」と腰が引けている彼女に、「あんた役員懇談会の実行委員になってるでしょ。司会の練習と思って頑張ってきなさいよ。何事も経験よ?」と背中を押したのが三木ちゃんで。

 先週の土曜日に、件の合コンが開かれた。彼女は果たして見事に幹事をやってのけたらしい。幹事同士で事前にやりとりしていたことも手伝って、その合コンで加藤さんと藤宮くんは現在、急接近中……というわけなのだ。



 ニヤニヤと。三木ちゃんが片肘をついたまま、揶揄うような笑みを加藤さんに向けている。こういうところは智と三木ちゃんは似ているなぁと感じてしまう。

「……そ、そういう三木さんだって、例の人へのプレゼント、決まったんですか?」

 加藤さんが少しだけ頬を膨らませて、さらりとした髪を耳にかけながら三木ちゃんに視線を向けている。

 三木ちゃんは加藤さんにも、例の好きな人のことを話しているのだろう。教育係と後輩という枠を越えて、後輩同士がとても仲が良い、という場面をこの目に映すことが出来て、なんだか胸がくすぐったい。

「プレゼントも、贈るものでそれぞれ意味があるんですから。選ぶのだって慎重にならないとですよ?」

「え、そうなの?」

 加藤さんの忠告めいた言葉に、三木ちゃんと私の声が被るけれど。私はその言葉に腑に落ちる感覚を抱いた。
 確かに、お菓子マカロンにも意味があるなら、贈る品物にもそれぞれ意味が含まれる、というのも納得だ。

 ……となると、俄然気になってくるのは候補にあげていたネクタイの意味。食べ終えたお弁当箱を重ねて軽く片付けながら、隣に座る加藤さんに視線を向けた。

「ね、加藤さん。私の彼も、来月誕生日なの。ネクタイを贈ろうと思ってるんだけど、どういう意味があるの?」

 加藤さんが箸を入れたハンバーグの熱を冷ますようにふぅふぅと息を吹きかけていたところを、左隣に座る私に視線を向けてくれる。

「えっと、ネクタイって、首に使用するアイテムですよね。そこが由来となって、『あなたに首ったけ』という意味になるそうです」

「えっ…」

 思わぬボディーブローを貰った気がする。『あなたに首ったけ』、だなんて、強烈な愛のメッセージ以外の何物でもない。事前に意味を知っておいてよかった。身体がジワジワと熱くなって、変な汗が吹き出てくる。

 加藤さんは口にしたハンバーグを飲み込んで「あ、そうだ」と声をあげた。

「ネクタイピンはもっと深い意味がありますよ。ネクタイを固定するものですから、『あなたは私のもの』という意味があるみたいです」

「……は?」

 これに反応したのは、三木ちゃん。整った顔に似つかわしくない、ぽかん、とした表情をしている。そうして、じんわりと。首筋が赤くなっていく様子を、私と加藤さんで呆気に取られながら見つめた。

「………ちょっと加藤。そんなのもっと早く言いなさいよ!」

 勝気な瞳に、明らかに不満気な光を宿して。三木ちゃんが加藤さんを見つめながら口の先を尖らせた。首筋が赤くなっていく様子に、加藤さんがしどろもどろになりながら口を開く。

「え、ええ?三木さん、もしかしてその人にもうネクタイピンを贈っちゃったんですか?」

「なっ!?ち、違うわよ!?」

 ぼんっと音を立てて耳まで赤くなった三木ちゃん。その様子に、加藤さんが口にした言葉が図星なのだと察して。

(……かわいいな、三木ちゃん)

 普段から気が強そうな彼女だけれど、きっと恋愛に関してはウブな部分があるのだろう。三木ちゃんに視線を向けて、ふふふ、と。動揺したように揺れ動く勝気な瞳を微笑みながら見つめる。

 その首筋に、キラリ、と。銀の光が、煌めいた。
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