俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる

春宮ともみ

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本編・第三部

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 お父さんから譲り受けた優待チケットを手に持って、助手席に乗り込む。昨日、空港から実家ここまでは私が運転したから、今日は智が運転してくれるらしい。智が運転席に乗り込み、シートベルトをカチャリと締めて中央のナビのディスプレイを操作している。

「知香、そこの電話番号だけ教えて」

「え…っとね、ちょっと待って」

 智の問いかけに、手に持ったチケットに記載された電話番号を読み上げる。智が私の読み上げた数字を入力すると、ディスプレイには複数の候補が表示された。智が長い指をゆっくりと滑らせいくつかの候補を切り替えて、悩まし気に眉を顰めた。

「ん~……知香、高速と下道。どっちがいいと思う?」

 智の問いかけに、ディスプレイを見つめて逡巡する。

 ナビが示す下道。昨日通ってきた、空港から実家ここまでの道を途中まで逆戻りし、そこから北に向かうというルート。高速は、昨日渋滞していた市街地までの道を抜けて高速道路に乗り西に向かい、テーマパークの名前がついたインターで降りるという道。どちらを選択しても、ゴールデンウィーク中で渋滞しているのは同じだろう。

「……下道は陶器市目当ての人たちで特に混んでいると思う。高速も薔薇祭り目当ての人で混雑しているとは思うけど、降りるインターが駐車場の近くだから、下道よりは高速の方がいいと思うよ」

 そう口にしながら、運転席の智に視線を合わせる。

「じゃ、高速使うか」

「ん。……ETCカード、持ってきてくれてて助かったよ。ありがと、智」

 私の言葉に、智がふっとやわらかく笑って、「どういたしまして」と、薄い唇が動いた。

 昨日、レンタカーを借りて運転席に乗り込む前に、智がETCカードをセットしてくれていた。薔薇祭りは候補から外していたし、もともとそこまで遠方に行くつもりはなかったから、ETCカードの存在が頭からすっぽりと抜け落ちていた。智が持ってきていなければ下道を行くという選択肢しかなかっただろう。

 お互いを補い合っていけている、と思うと少しだけ胸がこそばゆい。ダークブラウンの瞳と視線がかち合って、お互いにそっと顔を綻ばせた。
 視線を外し、高速道路に乗るルートを選択してナビをセットする。窓を開けて、玄関先で見送ってくれているお母さんに「行ってきます」と声をあげた。

「行ってらっしゃい。写真楽しみにしとるけんね(楽しみにしているね)」

 お母さんがにこにこと笑いながら玄関先で手を振っている。その声に智も「行ってきます」と返事をして、ゆっくりと車が動き出した。





 駐車場に車を停めて、ウエルカムエリアに向かう。隣を歩く智が、すんっと鼻をすすった。

「……ここですら、薔薇の香りが薫ってくるな」

 智の言葉に私も鼻をすすってみるけれど、私にはまだわからない。智は鼻が鋭敏だから、僅かな香りですら感じられるのだろうけれど。

「………なんか、智だけズルい」

 むぅ、と。口の先が尖っていく。少しだけむくれて、私の歩く速度が落ちる。

 ズルい、と口にしたのは、智だけが先に薔薇祭りを堪能しているように感じて、私はこの場所に置いてきぼりにされたように思えたのだ。身体能力嗅覚の差、ということは重々わかっているけれども。

 私の一歩先を歩いていた智が、私の表情をちらりと見遣り苦笑しながら手を伸ばした。

「ほら、行こう。置いてかねぇって」

 私が考えていることはきっと智にはお見通しなのだろう。置いていかない、という言葉に口元が緩む。伸ばされた手を取って、智の隣を歩くために大きく一歩を踏み出した。合わさった手のひらが自然と恋人繋ぎになる。

 レンガ造りの入国棟に入ると、天井はガラス張りになっていて、五月のやわらかい日差しが差し込んでいる明るい空間。差し込む日差しの中をふたりで歩いて、チケット売り場を通り抜け『入国手続き』と書かれた駅の改札のような場所に向かう。改札の手前に待機しているスタッフさんに、お父さんから貰った優待チケットを提示する。

 スタッフさんから園内地図と薔薇祭りのパンフレットを受け取って改札を通り抜ける。パンフレットを開くと、園内はテーマパークゾーンとハーバーゾーンのふたつのエリアにわかれているようだった。薔薇祭りはふたつのエリアをまたいで開催されている。今いる場所から近いのはテーマパークゾーン。そちらから回ろう、と話しあって、目の前に続く道を歩いていく。

 各エリアを仕切る建物には、天使や聖母などが彫られたアイボリー色の彫像。その建物を潜り抜けると、目の前に広がるのは、まるで……ヨーロッパのような異国情緒漂う街並み。赤みを帯びた茶色のレンガ造りの建物に、彼方まで続く石畳。

「……確かに。『入国手続き』だな、これは」

 ほう、と。智が感嘆のため息をつきながらぽつりと呟いた。

 私たちは日本にいるはずのに、あの改札を潜り抜けた先のこの場所は、ヨーロッパにワープして来たかのよう。こういったテーマパークは『入園する』と言われることが多いけれど、このテーマパークはまさに『入国する』と表現した方が正しい気がした。

 パンフレットに視線を落とすと、今私たちがいる場所は『フラワーロード』と名付けられているようだった。石畳を歩いていくと、三連風車が見えてくる。その手前には、ミニローズが敷き詰められたローズカーペットが、色鮮やかに広がっていた。

「……本当。お花の道、だね」

 確か、薔薇祭りが開催されていない時期だと、チューリップやパンジーなどが敷き詰められていたように記憶している。フラワーロード、という名前の通り、きっと通年お花に彩られた道なのだろう。

 三連風車の後ろに運河を隔ててワッセナー別荘地が広がっている。そちらに建っている住宅も、ヨーロッパの趣が感じられる建物ばかりだ。

 屋根がふたつのツノのようになった門を潜り抜けると、アトラクションタウンの『アンブレラストリート』。1,000本以上の傘が広げられた状態で、空を覆い尽くすように吊るされている。

「わっ……すっご……」

 写真がメインとなっている人気のSNSで『写真映えする』ことから、このアンブレラストリートは大人気なのだそう。確かにこれは、写真におさめたくなる圧巻の光景だ。

 太陽の穏やかな日差しを、広がった傘が優しく受け止めている。その光が、頭上に吊るされ広がった傘の生地の多彩な色を、石畳に映し出していた。

 智と手を絡めて、ゆっくりと七色の光の中を歩いていくと、ふと、目に留まった傘があった。

「……あ!ハートの傘!」

 思わず指さした、真上のピンク色の傘。骨が一部分だけ短く、貼られた生地がハート型になっている。智が私の指先を追って、ダークブラウンの瞳を瞬かせた。

「お、ほんとだ。良く見つけたな、知香」

 青い空を遮り、視界を埋め尽くさんばかりの膨大な傘の中から偶然見つけ出せたハートの傘。なんだか、広大な夏の野原から四つ葉のクローバーを見つけ出せた気分だ。

 アンブレラストリートを通り抜けると、白く大きな観覧車が目についた。観覧車の手前はパンフレットによると、『グランドローズガーデン』と名付けられているようだった。

 グランドローズガーデンの三分の一ほどの面積を占める、薔薇と水路で出来た『薔薇の香りの迷路ラビリンス』。

 そして、その巨大な迷路を囲むように、『薔薇の回廊』が広がる。迷路をぐるりと囲む回廊に設置された薔薇のアーチには薔薇の枝葉が這わされており、アーチひとつひとつに違った薔薇の品種が組み合わされていて、どれひとつとして同じものはないのだそうだ。



 目の前に現れた、圧巻とも言える光景。葉や枝の緑に、満開に咲き誇る色鮮やかな薔薇の花々。それらがヨーロッパの街並みと調和して見事な景観を作り出している。



 ただただ。ふたりで、その言葉にできないほど美しい光景を眺めながら、芝生をサクサクと踏みしめていく。

 会話はなくともゆっくり過ぎていく時間が心地よい。ふたりとも何も物言わない。周囲の景色に目を奪われたまま、ただただ、足を動かしていく。



 『薔薇の香りの迷路ラビリンス』と名付けられた場所に足を踏み入れた。ここには特に香りの強い品種が集められているようだった。

 迷路ラビリンスと名付けられているこの場所は、その名の通り、道が入り組んでいる。馨しい香りが漂うこの空間で呼吸を続けていると。

「……溺れ、ちゃいそう…」

 口にできたのは、それだけ。むせかえるような薔薇の香りに、溺れてしまいそう。溺れて、溺れて―――肉体ごと、この現実味のない風景の中に融けてしまいそうで。ぎゅ、と、智の手を握りしめた。


 迷路となった石畳を、手を繋いで歩く。


 鼻腔を侵蝕する強い香りに、目の前に広がる美しい花々に。まるで、世界中の全ての建物が薔薇になってしまったように錯覚する。

 ピチピチと、小鳥が囀っている。まるでお喋りしているように。

 ただただ。馨しい香りの中を、この世に存在する全ての色の中を。
 楽園とも呼べるこの世界にいざなわれるように。

 あてどもなく、彷徨うように。


 ふたりで、歩いていく。


 つぅ、と。真横の水路に視線を向ける。水面に薔薇の花びらが浮かぶ風景が、途方もなく―――美しい。


「………薔薇が…溺れてる」

 ぽつり、と。智が、呟いた。



 智の視線の先の水路に。

 外側に向かってくるりとカールし、枯れて茶色くなった花びらや、風で散った花びらたちが、集まっていた。

 水路に敷き詰められた黒い砂利が、舞い散って水面に浮かぶ花びらの鮮やかな色を、強調している。

 迷路の脇にある薔薇の回廊の影が水面に落ちて、目の前に広がる幻想的な光景を際立たせている。

 水面に浮かんでいる雫型の花びらたちは、根本が白く、外側にいくほど濃いピンクや黄色のグラデーションになっていた。



 その、花びらに、交じるように。



 ひときわ大きく咲き誇った深紅の薔薇が。

 まるで―――何かに溺れるかのように。



 一輪、落ちていた。
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