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本編・第三部
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薫と食事に行く直前に、リビングに畳んで置いておいた洋服たち。それらを智が大きなスーツケースに詰め込んでいる。私が持っていた小さめなスーツケースには、化粧品や智のシェーバーなどを詰め込んだ。
「忘れ物無いか?」
「うん、大丈夫」
荷造りを進めながらも、お互いに自分の身支度を整えていく。手早くメイクをして、軽く髪を巻いた。
飛行機を降りた後、レンタカーを借りて実家まで運転するのは私。なにせ、実家がある方面は道が細かったりと複雑なのだ。行きは私が運転して、帰りは智が運転することになった。その他の日中は適宜交代しながら運転する、と約束している。
少しだけ長い距離を運転するから、今日は動きやすさ重視で服を選んだ。ジーパンに、青みがかった灰色で袖がフワッとふくらんでいるタイプのトップス。
智は初めて私の両親に会うからか、オフィスカジュアルな服装。襟付きの白いポロシャツに黒いテーパードパンツという格好だ。
「……やっぱスーツがいいかなぁ…」
寝室のクローゼットの内鏡を眺めながら、智がひとりごちている。その悩まし気な声に、いつかの電車の中で告げられた智が考えているタイムリミットのことを思い出して、顔が一気に火照っていく。内心慌てつつ、なんでもない風を装って冷めたヘアアイロンのコードをくるくると巻きつけながらスーツケースに押し込んだ。
「や、結婚の挨拶じゃあるまいし。両親もスーツだとびっくりするよ」
そう。今回はあくまでもお付き合いしています、という挨拶を兼ねて、だ。結婚の挨拶でもないのにスーツで智が両親の前に現れたら両親も慌てるだろうし、近所でも一気に噂になってしまう。智は都会育ちだろうからわからないだろうけれども、田舎は噂が回るのが恐ろしく早い。それが特にそういう話題であればあるほどだ。
まぁ、智は見た目が肉食系だから、私の両親にチャラそうな第一印象を与えないようにと考えてくれているのだろう。でも、それとこれは別だ。
赤くなった顔を悟られないように、智直伝のポーカーフェイスを駆使して黙々と最終の荷造りを進めていく。すると、寝室のクローゼットを閉じる音とともに、智が、くくっと喉を鳴らす音が聞こえた。
「知香って、ホントわかりやすいよなぁ」
小さく。私に、聞こえるか聞こえないかの音量で紡がれたその言葉。その言葉の意味を噛み砕いていく。
私はどんなにポーカーフェイスを身につけても、智には見破られてしまう。そう……あの電車の中で私に聞こえるように浅田さんと会話していた時のことを思い出している、と。今も見破られて、いつものように揶揄われているのだ。
「~~~ッ、ほらっ、準備出来たよっ」
身体の奥から込み上げるような熱い熱を無視して、顔を背けたまま勢いよくスーツケースのチャックを締める。私の背後から、智の笑う声が響いた。
グンっと、身体の中から浮き上がる感覚があって、離陸したことを認識する。その独特の感覚に、ほう、とため息をついた。
高度が上がるにつれて段々と耳が詰まっていく。眠くもないのにあくびをしてその感覚を解消させようとすると、隣に座っている智も同じタイミングであくびをしていた。
思わず視線を向けると、切れ長の瞳と視線がかち合う。ふっと智が口元を緩めた。
「知香も、耳詰まった?」
小さく、低く囁かれるようなその言葉。智もあくびをして耳の詰まりを解消する、という同じ発想をしていたのだと実感して、なんだか胸がこそばゆくなる。夫婦は似る、なんていうけれど、私たちもずっと一緒に居るから似てきたのだろうか。
「うん。というか、智眠くない?身体とか痛くない?大丈夫?」
智はノルウェーからの帰国で16時間も飛行機に乗っていたはずだ。そして、2時間とはいえこうしてまた飛行機に揺られて。身体は大丈夫だろうか。
思わず眉間に皺を寄せながら真横のダークブラウンの瞳を見上げた。すると、その瞳が僅かに細められる。
「……ちょっと眠いのはある」
そうして、口元がふるりと揺れる。きっとふたたび込み上げたあくびを噛み殺しているのだろう、と察した。
「着く頃には起こすから。寝てたら?」
飛行機の中では、眠るか読書か、音楽を聴いて時間を潰すか、それくらいしか手段がない。日本とノルウェー間では7時間も時差があったから、時差ぼけも未だ直っていないのだろう。それなら着陸まで眠ってもらっていた方が智の身体のためでもある。
眠たそうに智が長い指で目尻を擦りながら、智がふたたびあくびを噛み殺しているような声が小さく聞こえてきた。
「ん……そうすっかな」
その返答に、私は手元のCAさんを呼び出すボタンを押した。私たちが予約した席は2つが横並びになっている前方サイドの席だったから、CAさんもすぐに来てくれた。
どうされましたか、というCAさんの声に、膝掛けをふたつ頼んで届けられた膝掛けを智にも手渡す。
「ありがとな」
「どういたしまして」
ふっと、智が声をあげて笑い、ポケットからゴソゴソとイヤホンを取り出した。機内モードになっているであろうスマホにそのイヤホンを接続している様子をぼうっと眺める。
ノルウェーでの商談では、英会話を勉強していた成果もあり、智自身で会話をして商談は順調だった、とのことだった。だからきっと、英会話の音声を流しながら眠るつもりなのだろう、と察する。
(……ちょっと寂しいけど…智、努力家だし。仕方ないもんね)
こんなに近い距離にいるのに、両耳を塞いでしまわれると……なんだか私との会話を遮断されたように感じて、幾ばくかの寂しさが募る。
「ん」
ぼんやり考えていると、智が小さく声を上げて私に何かを差し出してきた。差し出されたその手にあったのは、智のスマホに繋がる片方のイヤホン。
「……?」
智の思惑が読めず、パチパチと目を瞬かせる。ダークブラウンの瞳と視線が交差して、智がこてんと小首を傾げた。
その動作で、一緒に聴こう、と、言外に誘われているのだと気がついて、口元が緩んでいく。
そっと、目の前に差し出されたイヤホンを摘んで耳につける。嬉しそうなダークブラウンの瞳が私を見つめていた。視線が絡み合って、くすくすと笑い合う。
ただただ、時間を一緒にしているだけなのに。一緒の時間を、ふたりで過ごしているだけなのに。
心の底から湧きあがってくるような、この温かくてやわらかい感情をどう表現して、なんと名付けたら良いのだろうか。
穏やかで、ゆっくりとした時間。何気ない会話。何気ない動作。
言葉にしなくてもわかる、私を愛おしく思ってくれている智の視線。
智がスマホを操作してイヤホンから流してくれたのは、もちろん。
「……聴けば聴くほど、『溺れたい』って訳す方がしっくりくるよねぇ…」
イントロが流れ出して、ぽつりと小さく呟く。
今年の初めに、智と二年詣りに行った帰り道で、FMから偶然流れた曲。【砂糖のように甘い恋人】に向けての曲。昨年世界的に大流行した……智との思い出の曲。
あの時、私は『君の愛に浸りたい』と訳した部分を、智は『君の愛に溺れたい』と訳した。あれから何度聴いても、智が訳した『溺れたい』というフレーズの方がしっくりくるなぁ、と考えながら、耳元から流れてくる英詞を声を出さずに口だけを動かして、口ずさむ。
―――ただただ砂糖のように甘い、君の愛に溺れたい
という部分に差しかかった。するり、と。智の大きくて熱い手が、膝の上に置いていた私の手に伸ばされる。どうしたのだろう、と呆気に取られていると、半ば強引に手を絡められて、私と智の座席のちょうど中間……私と智の太ももの間に引っ張られていく。
そうして、智が私の肩に凭れ掛かって、そのダークブラウンの瞳を閉じた。
それはまるで……耳元から流れてくる歌詞のように。
『ただただ砂糖のように甘い、知香の愛に溺れたい』
と。智に、そう言われているような気がして。
「……もうっ」
瞬時に顔が赤くなる。小さく抗議の声をあげると、肩に顔をうずめた智が恋人繋ぎをしたまま、小さく身動ぎをして、愉しそうに。ふっと息を漏らした。
空港に降り立って、懐かしい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
(お正月、結局帰らなかったもんなぁ……)
昨年はお盆に帰って、結局その直後に凌牙と破局して。あの夜景の綺麗なレストランで振られた時、感情のままにお正月に帰るための飛行機のチケットをキャンセルしたのだ。だから、実に約10ヶ月振りの帰省。
手荷物受取所で、向こうを発つ時に預けたスーツケースを受け取り到着ロビーに向かうと、到着ロビーの天井にはこの県の秋の名物、おくんちの龍踊りの模型が設置してあった。以前帰ってきた時と変わらない豪華絢爛なその龍の模型を眺める。コロコロとスーツケースを転がしていくと、隣を歩く智が訝しげに眉をひそめつつ私に問いかけてきた。
「知香。そういや、なんでこっちの空港にしたんだ?」
今日降り立った空港は、実は実家がある隣の県の空港。実家がある県にも空港があるのに、どうしてわざわざ隣の県の空港を到着地に選んだのか、という智の疑問は至極当然だ。
到着ロビーを通り抜けて、びゅうと吹き付けてきた強い海風に煽られる髪を抑えながら、智のその問いに答える。
「こっちの空港からだと、実家まで車で40分なの。あっちの空港だと、車で1時間半くらいかかっちゃうから」
その言葉を紡ぎながらスマホで地図アプリを表示させ、智に見せる。現在地と実家の場所、それから智が口した向こうの空港を指差すと、智は感心したように頷いた。
「なるほどな、地理的な問題か」
「そう。こっちは観光地も多いから、便数もあっちの空港より多いの」
地元の県の、隣の県は都会、その反対側の隣の……今降り立った県は有名な観光地をいくつも有している。便数も多くなるのは当然だ。
駐車場を通り抜けて空港と陸地を繋ぐ橋をふたりで横並びになり、手を絡めて歩く。私たちが降り立ったのは海上空港。なんと、空港のために既存の島を造成して建設された、世界初の本格的な海上空港なのだそうだ。
キラキラと、目の前いっぱいに広がる海が太陽の光を反射している。
今回はお天気にも恵まれた帰省になりそうでほっと安堵のため息をついた。せっかく智といろんなところに行こうと思っていたから、雨だと台無しになるところだった。
「晴れてよかったぁ。雨だったら計画全部変更することになりそうだったもの」
困ったように笑いながら、横を歩く智に視線を向ける。すると、智が口元を緩めて。
「そのために出張頑張ったんだぜ?……ほんと、楽しみだ」
智はそう呟いて、ダークブラウンの瞳を眩しそうに細める。その言葉に、ぎゅ、と。繋いだ手を握りしめて返した。
「忘れ物無いか?」
「うん、大丈夫」
荷造りを進めながらも、お互いに自分の身支度を整えていく。手早くメイクをして、軽く髪を巻いた。
飛行機を降りた後、レンタカーを借りて実家まで運転するのは私。なにせ、実家がある方面は道が細かったりと複雑なのだ。行きは私が運転して、帰りは智が運転することになった。その他の日中は適宜交代しながら運転する、と約束している。
少しだけ長い距離を運転するから、今日は動きやすさ重視で服を選んだ。ジーパンに、青みがかった灰色で袖がフワッとふくらんでいるタイプのトップス。
智は初めて私の両親に会うからか、オフィスカジュアルな服装。襟付きの白いポロシャツに黒いテーパードパンツという格好だ。
「……やっぱスーツがいいかなぁ…」
寝室のクローゼットの内鏡を眺めながら、智がひとりごちている。その悩まし気な声に、いつかの電車の中で告げられた智が考えているタイムリミットのことを思い出して、顔が一気に火照っていく。内心慌てつつ、なんでもない風を装って冷めたヘアアイロンのコードをくるくると巻きつけながらスーツケースに押し込んだ。
「や、結婚の挨拶じゃあるまいし。両親もスーツだとびっくりするよ」
そう。今回はあくまでもお付き合いしています、という挨拶を兼ねて、だ。結婚の挨拶でもないのにスーツで智が両親の前に現れたら両親も慌てるだろうし、近所でも一気に噂になってしまう。智は都会育ちだろうからわからないだろうけれども、田舎は噂が回るのが恐ろしく早い。それが特にそういう話題であればあるほどだ。
まぁ、智は見た目が肉食系だから、私の両親にチャラそうな第一印象を与えないようにと考えてくれているのだろう。でも、それとこれは別だ。
赤くなった顔を悟られないように、智直伝のポーカーフェイスを駆使して黙々と最終の荷造りを進めていく。すると、寝室のクローゼットを閉じる音とともに、智が、くくっと喉を鳴らす音が聞こえた。
「知香って、ホントわかりやすいよなぁ」
小さく。私に、聞こえるか聞こえないかの音量で紡がれたその言葉。その言葉の意味を噛み砕いていく。
私はどんなにポーカーフェイスを身につけても、智には見破られてしまう。そう……あの電車の中で私に聞こえるように浅田さんと会話していた時のことを思い出している、と。今も見破られて、いつものように揶揄われているのだ。
「~~~ッ、ほらっ、準備出来たよっ」
身体の奥から込み上げるような熱い熱を無視して、顔を背けたまま勢いよくスーツケースのチャックを締める。私の背後から、智の笑う声が響いた。
グンっと、身体の中から浮き上がる感覚があって、離陸したことを認識する。その独特の感覚に、ほう、とため息をついた。
高度が上がるにつれて段々と耳が詰まっていく。眠くもないのにあくびをしてその感覚を解消させようとすると、隣に座っている智も同じタイミングであくびをしていた。
思わず視線を向けると、切れ長の瞳と視線がかち合う。ふっと智が口元を緩めた。
「知香も、耳詰まった?」
小さく、低く囁かれるようなその言葉。智もあくびをして耳の詰まりを解消する、という同じ発想をしていたのだと実感して、なんだか胸がこそばゆくなる。夫婦は似る、なんていうけれど、私たちもずっと一緒に居るから似てきたのだろうか。
「うん。というか、智眠くない?身体とか痛くない?大丈夫?」
智はノルウェーからの帰国で16時間も飛行機に乗っていたはずだ。そして、2時間とはいえこうしてまた飛行機に揺られて。身体は大丈夫だろうか。
思わず眉間に皺を寄せながら真横のダークブラウンの瞳を見上げた。すると、その瞳が僅かに細められる。
「……ちょっと眠いのはある」
そうして、口元がふるりと揺れる。きっとふたたび込み上げたあくびを噛み殺しているのだろう、と察した。
「着く頃には起こすから。寝てたら?」
飛行機の中では、眠るか読書か、音楽を聴いて時間を潰すか、それくらいしか手段がない。日本とノルウェー間では7時間も時差があったから、時差ぼけも未だ直っていないのだろう。それなら着陸まで眠ってもらっていた方が智の身体のためでもある。
眠たそうに智が長い指で目尻を擦りながら、智がふたたびあくびを噛み殺しているような声が小さく聞こえてきた。
「ん……そうすっかな」
その返答に、私は手元のCAさんを呼び出すボタンを押した。私たちが予約した席は2つが横並びになっている前方サイドの席だったから、CAさんもすぐに来てくれた。
どうされましたか、というCAさんの声に、膝掛けをふたつ頼んで届けられた膝掛けを智にも手渡す。
「ありがとな」
「どういたしまして」
ふっと、智が声をあげて笑い、ポケットからゴソゴソとイヤホンを取り出した。機内モードになっているであろうスマホにそのイヤホンを接続している様子をぼうっと眺める。
ノルウェーでの商談では、英会話を勉強していた成果もあり、智自身で会話をして商談は順調だった、とのことだった。だからきっと、英会話の音声を流しながら眠るつもりなのだろう、と察する。
(……ちょっと寂しいけど…智、努力家だし。仕方ないもんね)
こんなに近い距離にいるのに、両耳を塞いでしまわれると……なんだか私との会話を遮断されたように感じて、幾ばくかの寂しさが募る。
「ん」
ぼんやり考えていると、智が小さく声を上げて私に何かを差し出してきた。差し出されたその手にあったのは、智のスマホに繋がる片方のイヤホン。
「……?」
智の思惑が読めず、パチパチと目を瞬かせる。ダークブラウンの瞳と視線が交差して、智がこてんと小首を傾げた。
その動作で、一緒に聴こう、と、言外に誘われているのだと気がついて、口元が緩んでいく。
そっと、目の前に差し出されたイヤホンを摘んで耳につける。嬉しそうなダークブラウンの瞳が私を見つめていた。視線が絡み合って、くすくすと笑い合う。
ただただ、時間を一緒にしているだけなのに。一緒の時間を、ふたりで過ごしているだけなのに。
心の底から湧きあがってくるような、この温かくてやわらかい感情をどう表現して、なんと名付けたら良いのだろうか。
穏やかで、ゆっくりとした時間。何気ない会話。何気ない動作。
言葉にしなくてもわかる、私を愛おしく思ってくれている智の視線。
智がスマホを操作してイヤホンから流してくれたのは、もちろん。
「……聴けば聴くほど、『溺れたい』って訳す方がしっくりくるよねぇ…」
イントロが流れ出して、ぽつりと小さく呟く。
今年の初めに、智と二年詣りに行った帰り道で、FMから偶然流れた曲。【砂糖のように甘い恋人】に向けての曲。昨年世界的に大流行した……智との思い出の曲。
あの時、私は『君の愛に浸りたい』と訳した部分を、智は『君の愛に溺れたい』と訳した。あれから何度聴いても、智が訳した『溺れたい』というフレーズの方がしっくりくるなぁ、と考えながら、耳元から流れてくる英詞を声を出さずに口だけを動かして、口ずさむ。
―――ただただ砂糖のように甘い、君の愛に溺れたい
という部分に差しかかった。するり、と。智の大きくて熱い手が、膝の上に置いていた私の手に伸ばされる。どうしたのだろう、と呆気に取られていると、半ば強引に手を絡められて、私と智の座席のちょうど中間……私と智の太ももの間に引っ張られていく。
そうして、智が私の肩に凭れ掛かって、そのダークブラウンの瞳を閉じた。
それはまるで……耳元から流れてくる歌詞のように。
『ただただ砂糖のように甘い、知香の愛に溺れたい』
と。智に、そう言われているような気がして。
「……もうっ」
瞬時に顔が赤くなる。小さく抗議の声をあげると、肩に顔をうずめた智が恋人繋ぎをしたまま、小さく身動ぎをして、愉しそうに。ふっと息を漏らした。
空港に降り立って、懐かしい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
(お正月、結局帰らなかったもんなぁ……)
昨年はお盆に帰って、結局その直後に凌牙と破局して。あの夜景の綺麗なレストランで振られた時、感情のままにお正月に帰るための飛行機のチケットをキャンセルしたのだ。だから、実に約10ヶ月振りの帰省。
手荷物受取所で、向こうを発つ時に預けたスーツケースを受け取り到着ロビーに向かうと、到着ロビーの天井にはこの県の秋の名物、おくんちの龍踊りの模型が設置してあった。以前帰ってきた時と変わらない豪華絢爛なその龍の模型を眺める。コロコロとスーツケースを転がしていくと、隣を歩く智が訝しげに眉をひそめつつ私に問いかけてきた。
「知香。そういや、なんでこっちの空港にしたんだ?」
今日降り立った空港は、実は実家がある隣の県の空港。実家がある県にも空港があるのに、どうしてわざわざ隣の県の空港を到着地に選んだのか、という智の疑問は至極当然だ。
到着ロビーを通り抜けて、びゅうと吹き付けてきた強い海風に煽られる髪を抑えながら、智のその問いに答える。
「こっちの空港からだと、実家まで車で40分なの。あっちの空港だと、車で1時間半くらいかかっちゃうから」
その言葉を紡ぎながらスマホで地図アプリを表示させ、智に見せる。現在地と実家の場所、それから智が口した向こうの空港を指差すと、智は感心したように頷いた。
「なるほどな、地理的な問題か」
「そう。こっちは観光地も多いから、便数もあっちの空港より多いの」
地元の県の、隣の県は都会、その反対側の隣の……今降り立った県は有名な観光地をいくつも有している。便数も多くなるのは当然だ。
駐車場を通り抜けて空港と陸地を繋ぐ橋をふたりで横並びになり、手を絡めて歩く。私たちが降り立ったのは海上空港。なんと、空港のために既存の島を造成して建設された、世界初の本格的な海上空港なのだそうだ。
キラキラと、目の前いっぱいに広がる海が太陽の光を反射している。
今回はお天気にも恵まれた帰省になりそうでほっと安堵のため息をついた。せっかく智といろんなところに行こうと思っていたから、雨だと台無しになるところだった。
「晴れてよかったぁ。雨だったら計画全部変更することになりそうだったもの」
困ったように笑いながら、横を歩く智に視線を向ける。すると、智が口元を緩めて。
「そのために出張頑張ったんだぜ?……ほんと、楽しみだ」
智はそう呟いて、ダークブラウンの瞳を眩しそうに細める。その言葉に、ぎゅ、と。繋いだ手を握りしめて返した。
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