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本編・第三部
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「お疲れさまです先輩っ」
「三木ちゃん、今日もお疲れさま~」
終業を迎え、明らかに浮き足だった様子の三木ちゃんに思わず苦笑いがもれる。お花見歓迎会の帰りに、智の車の後部座席で舞い上がっていた三木ちゃんの姿を思い返すと、普段は智に独占されている『私』を、平日だけとはいえしばらくの間独占できる事が本当に嬉しいのだろう。
三木ちゃんが手早く制服から私服に着替えていく。それに倣って私もベストの前ボタンに手をかけた。すると、鼻腔の奥にふんわりと広がるような上品で甘い香りが漂った。きっと誰かの香水の香りなのだろう、と察して更衣室の入り口に視線を向けると、二重の大きな瞳と視線がかち合う。
「……あ。主任、三木さん。今日もお疲れさまでした」
加藤さんがぺこりと頭を下げた。艶ある長い黒髪が揺れて、先ほどの甘い香りがふたたび漂っていく。その香りは、『和』を連想させるようなとても落ち着く香りだった。
加藤さんはこれまで香水をつけていたような記憶が無くて。小さな疑問を口にする。
「加藤さんって、今まで香水つけてたっけ?」
するり、と、スカートを履きかえながら、ロッカーを開いた加藤さんに視線を向けた。私の問いに、加藤さんは少しだけ焦ったように自分の右腕を鼻のあたりに寄せて、すんっと鼻をすすった。
「つけすぎでしょうか?すみません……」
そう呟いて、二重の大きな瞳が後悔したようにふるりと揺れた。きっと彼女は、私の一言がつけすぎを指摘したのだと解釈したのだろう。その様子に、顔の前で違うのと手を振りつつ上ずった声で加藤さんの考えを否定する。
「良い香りだなって思って。なんていう香水?」
私のその声に、加藤さんが明らかにほっとしたような表情を浮かべた。その様子に私も胸をなでおろす。嫌味を言うつもりは毛頭なかったけれど、今の言い方は確かに嫌味に取れなくもない。放った言葉は取り戻せない。そう考えると、小さな後悔の波が押し寄せてくる。言葉って難しいなぁと心の中でひとりごちた。
「先日、初任給だったので……憧れだった香水を買ったんです」
加藤さんがロッカーの中の鞄をゴソゴソと漁って、小さな小瓶を取り出した。加藤さんの手の中にある小さな小瓶に視線を向けた三木ちゃんが、あっと声を上げる。
「これ、すっごい人気のやつ!加藤、どこで買ったの?私ずっと探してたのよ!」
三木ちゃんが勝気な瞳に爛々とした光を宿して、食い気味に加藤さんに迫っている。その様子はまるで、合コンの話しを持ちかけてきた小林くんに、先輩も一緒に参加出来ないのかと詰め寄っていた姿に似ていて。なんだか懐かしいなぁと笑みが漏れる。
「こらこら三木ちゃん、加藤さん困ってるわよ?」
そう口にしながら、すっかり困り眉をしている加藤さんと爛々とした瞳の三木ちゃんの間に割って入っていく。三木ちゃんもハッと我に返ったようで、加藤さんに「ごめん」と小さく謝った。加藤さんは三木ちゃんのその声に、「大丈夫です」と笑いかけて言葉を続けた。
「親戚が個人代行輸入をしていて、無理を言って取り寄せてもらったんです」
そう言いながら手に持った小瓶を私たちに見せてくれる。その小瓶は雫型で、切子のような繊細な細工が目に入る。全体的に磨り硝子加工が施されていて、中には黄色っぽい液体が入っていた。
外側のラベルには、ブランドにあまり詳しくない私でも知っている世界的に有名なブランドのロゴマークが入っている。そのロゴマークの下には筆記体で小さく『Osmanthus』と記されていて。
「……オスマンサス…えっと、金木犀の香り?」
その筆記体を拙く発音する。
なるほど。甘いのに過剰に甘ったるくない、それでいて上品なこの香りは、確かに金木犀の香りだ。
私の呟きに、三木ちゃんが溌剌な声で「そうです!」と声をあげた。
「最近、女優さんの間で口コミで広がっているらしくて有名なんですよぅ!加藤ってばそんな親戚がいて羨ましいっ」
その言葉の通り、三木ちゃんは加藤さんに羨ましそうな視線を向けている。そうして、はぁっと大きくため息をついた。
「私の親戚にも商社勤めている人いますけど、極東商社と同じで食品の取り扱いしてるんです……そういう面では頼れないから、本当に加藤が羨ましいわ」
むぅ、と、三木ちゃんが不機嫌な様子で眉根を寄せた。
三木ちゃん、あなた綺麗な顔をしてるのだから、そんな顔、本当に似合わないと思うのだけど……!
すると、加藤さんが三木ちゃんに向き直って。
「今度、違う要件でまた取り寄せを依頼するつもりなので、その時でよければ親戚に頼んでおきましょうか?」
こてん、と首を傾げながら加藤さんが言葉を紡いだ。さらりと黒髪が揺れて、先ほどと同じ上品な香りが漂っていく。
「えっ、いいの!?ぜひお願いするわ!!」
三木ちゃんがふたたび勝気な瞳に光を取り戻して、ぱぁぁっと笑顔になった。
後輩ふたりがこうやって仲良くなるのは私としても喜ばしい。上下関係がなぁなぁになるのもどうかと思うけれど、いがみ合っているよりは断然いい関係だ。
(……ほんと、これからもずっといい関係で仕事ができますように…)
心の中で小さく呟いて、着替え終わったロッカーをパタリと閉じた。
「今日は先輩が泊まりに来るからと思って、実家からいろいろ取り寄せて腕によりをかけた夕食を準備してるんですっ」
オフィスビルを出た後、三木ちゃんの家に向かう道中で、楽しそうな笑みを浮かべ白い歯を見せて三木ちゃんが笑う。明らかに音符が飛んでいるその様子に、私も自然と笑みがこぼれた。
「楽しみにしてる。お返しに食後のコーヒーは任せて?」
三木ちゃんはご実家が料亭で、三木ちゃんも時折手伝いに行っていると聞いている。お花見歓迎会の時の仕出し弁当はとても美味しかった。三木ちゃんの手料理が食べられると思うと、とても楽しみだ。
その代わりに。練習中ではあるけれども、少しは上達したと思われるハンドドリップでコーヒーを淹れてあげようと考えて、自宅からドリッパーなどを一式持ち出してきた。これがお返しになるかどうかはわからないけれど、少しでも三木ちゃんに感謝の気持ちが伝わればいい。
そうぼんやり考えつつ、三木ちゃんと他愛もない話をしながら歩いていると、あっという間に三木ちゃんの自宅のマンション前に到着した。
三木ちゃんが郵便受けを開いて確認している様子を眺めていると、郵便受けの中に入っていた白い封筒を手に持って。
「あぁ~…そうだったぁ……」
三木ちゃんが、しまった、とでもいうように左手を頭に添え、がっくりしたような声をあげる。その様子に、どうしたんだろう、と小首を傾げた。
「先輩~……6月26日の早出って、確か私が担当でしたよね…?」
三木ちゃんが沈鬱な表情で少し後ろに立っている私を振り返った。訊ねられた問いに、ちょっと待ってねと声を上げて、鞄から手帳を取り出す。パラパラと捲って、2ヶ月先の6月のスケジュールを確認する。
「……うん、三木ちゃんになってるね。なにかあった?」
月曜日は土日を挟んで書類が嵩む。だから、管理職以外のメンバーで早出担当を決めて順繰りに回していっているのだ。三木ちゃんが気にしている6月26日はちょうど三木ちゃんの担当で。
「出来ればで構わないんですが……その前の日の25日、再従兄弟の結婚式なんです……」
三木ちゃんが勝気な瞳を翳らせて私を見つめる。
今、三木ちゃんが手に持っている白い封筒は、きっとその結婚式の招待状だ。
彼女が言いたいことを察して、三木ちゃんよりも先に言葉を紡いだ。
「その前の週が私だから、交代する?」
前日に結婚式があるから、早出を交代してほしい、ということだろう。親戚の結婚式ともなれば相当呑まされるに違いないだろうから、その結果、二日酔いになっている可能性もある。寝飛ばして早出を遅刻するより、事前に交代しておいたほうがいい。
前日の25日は智の誕生日だけれども、浅田さんの結婚式があると言っていた。そうと知る前は、25日に少しだけ遠方に食事に行こうと思っていたから26日は予定を空けておきたかったけれど、智もその日結婚式に出席するとわかった今、26日が早出でも構わないな、と考えて、三木ちゃんに交代しようかと申し出る。
さすがは6月、ジューンブライド。ジンクスにあやかりたいカップルは大勢いて、きっと結婚式場は大忙しなのだろう。
「すみません~~……お願いします」
三木ちゃんが私の言葉を受けて、少しだけ泣きそうな顔でぺこりと頭を下げた。肩のあたりで切り揃えられた明るい髪がふわりと揺れる。
「ん~ん、いいの。私も代わって欲しい時は三木ちゃんに言うね?」
こういう時はお互い様だ。私も今度、何かある時は三木ちゃんに代わってもらおうと考えて、いたずらっぽい笑みを意識して彼女に向ける。すると、「もちろんです!」という元気な声が響いた。
そうして、ふたりで三木ちゃんの部屋まで階段を登り上がっていく。
「お邪魔します……」
「は~い、どうぞ」
三木ちゃんが軽い音を立てて玄関を開ける。その背中を追って、三木ちゃんの家に足を踏み入れた。
1LDKのとてもシンプルな部屋。リビングにはローテーブルとソファ。リビングの隅に私の荷物を置かせて貰い、夕食の準備で何か手伝えることが無いか訊ねようと息を小さく吸い込むと、三木ちゃんの勝気な瞳と視線が交差する。
「先輩、夕食の準備よりも先に、返信ハガキ書いちゃってもいいですか?」
三木ちゃんが私の方を窺うように視線を向けて、こてん、と首を小さく傾げた。
こういうのは後回しにするよりも先に書いてしまっていた方がいい。仕事上でも、提出物は早めに書いて出すように指導したのは紛れもなく私。にこっと笑いながら「どうぞどうぞ」と声をあげた。
三木ちゃんは私にふたたび笑顔を向けながら、そのローテーブルに封筒を置いて、テーブルの上のペン立てからハサミを取り出して慎重に封を開封していく。
「……あ~あ。こうして返信ハガキを出すのは、再従兄弟の結婚式よりも先輩の結婚式の方が先だと思ってたのにぃ~」
三木ちゃんがそう口にして、開封した白い封筒から招待状を引っ張り出し、空になった封筒で口元を隠して。揶揄うように私に視線を向けた。
その言葉に、智があの日電車の中で口にしたタイムリミットのことを思い出し、顔がぼんっと音を立てて赤くなるのを自覚する。
「ちょっ、ちょっと三木ちゃんっ!そんな風に言わないでよっ」
急に私の話題になり、心臓がバクバクと大きく鼓動を刻んでいるのを感じる。真っ赤になった私のその表情を見て、三木ちゃんがまるで小悪魔のように、「うふふ」と。とても可愛らしく、笑った。
「三木ちゃん、今日もお疲れさま~」
終業を迎え、明らかに浮き足だった様子の三木ちゃんに思わず苦笑いがもれる。お花見歓迎会の帰りに、智の車の後部座席で舞い上がっていた三木ちゃんの姿を思い返すと、普段は智に独占されている『私』を、平日だけとはいえしばらくの間独占できる事が本当に嬉しいのだろう。
三木ちゃんが手早く制服から私服に着替えていく。それに倣って私もベストの前ボタンに手をかけた。すると、鼻腔の奥にふんわりと広がるような上品で甘い香りが漂った。きっと誰かの香水の香りなのだろう、と察して更衣室の入り口に視線を向けると、二重の大きな瞳と視線がかち合う。
「……あ。主任、三木さん。今日もお疲れさまでした」
加藤さんがぺこりと頭を下げた。艶ある長い黒髪が揺れて、先ほどの甘い香りがふたたび漂っていく。その香りは、『和』を連想させるようなとても落ち着く香りだった。
加藤さんはこれまで香水をつけていたような記憶が無くて。小さな疑問を口にする。
「加藤さんって、今まで香水つけてたっけ?」
するり、と、スカートを履きかえながら、ロッカーを開いた加藤さんに視線を向けた。私の問いに、加藤さんは少しだけ焦ったように自分の右腕を鼻のあたりに寄せて、すんっと鼻をすすった。
「つけすぎでしょうか?すみません……」
そう呟いて、二重の大きな瞳が後悔したようにふるりと揺れた。きっと彼女は、私の一言がつけすぎを指摘したのだと解釈したのだろう。その様子に、顔の前で違うのと手を振りつつ上ずった声で加藤さんの考えを否定する。
「良い香りだなって思って。なんていう香水?」
私のその声に、加藤さんが明らかにほっとしたような表情を浮かべた。その様子に私も胸をなでおろす。嫌味を言うつもりは毛頭なかったけれど、今の言い方は確かに嫌味に取れなくもない。放った言葉は取り戻せない。そう考えると、小さな後悔の波が押し寄せてくる。言葉って難しいなぁと心の中でひとりごちた。
「先日、初任給だったので……憧れだった香水を買ったんです」
加藤さんがロッカーの中の鞄をゴソゴソと漁って、小さな小瓶を取り出した。加藤さんの手の中にある小さな小瓶に視線を向けた三木ちゃんが、あっと声を上げる。
「これ、すっごい人気のやつ!加藤、どこで買ったの?私ずっと探してたのよ!」
三木ちゃんが勝気な瞳に爛々とした光を宿して、食い気味に加藤さんに迫っている。その様子はまるで、合コンの話しを持ちかけてきた小林くんに、先輩も一緒に参加出来ないのかと詰め寄っていた姿に似ていて。なんだか懐かしいなぁと笑みが漏れる。
「こらこら三木ちゃん、加藤さん困ってるわよ?」
そう口にしながら、すっかり困り眉をしている加藤さんと爛々とした瞳の三木ちゃんの間に割って入っていく。三木ちゃんもハッと我に返ったようで、加藤さんに「ごめん」と小さく謝った。加藤さんは三木ちゃんのその声に、「大丈夫です」と笑いかけて言葉を続けた。
「親戚が個人代行輸入をしていて、無理を言って取り寄せてもらったんです」
そう言いながら手に持った小瓶を私たちに見せてくれる。その小瓶は雫型で、切子のような繊細な細工が目に入る。全体的に磨り硝子加工が施されていて、中には黄色っぽい液体が入っていた。
外側のラベルには、ブランドにあまり詳しくない私でも知っている世界的に有名なブランドのロゴマークが入っている。そのロゴマークの下には筆記体で小さく『Osmanthus』と記されていて。
「……オスマンサス…えっと、金木犀の香り?」
その筆記体を拙く発音する。
なるほど。甘いのに過剰に甘ったるくない、それでいて上品なこの香りは、確かに金木犀の香りだ。
私の呟きに、三木ちゃんが溌剌な声で「そうです!」と声をあげた。
「最近、女優さんの間で口コミで広がっているらしくて有名なんですよぅ!加藤ってばそんな親戚がいて羨ましいっ」
その言葉の通り、三木ちゃんは加藤さんに羨ましそうな視線を向けている。そうして、はぁっと大きくため息をついた。
「私の親戚にも商社勤めている人いますけど、極東商社と同じで食品の取り扱いしてるんです……そういう面では頼れないから、本当に加藤が羨ましいわ」
むぅ、と、三木ちゃんが不機嫌な様子で眉根を寄せた。
三木ちゃん、あなた綺麗な顔をしてるのだから、そんな顔、本当に似合わないと思うのだけど……!
すると、加藤さんが三木ちゃんに向き直って。
「今度、違う要件でまた取り寄せを依頼するつもりなので、その時でよければ親戚に頼んでおきましょうか?」
こてん、と首を傾げながら加藤さんが言葉を紡いだ。さらりと黒髪が揺れて、先ほどと同じ上品な香りが漂っていく。
「えっ、いいの!?ぜひお願いするわ!!」
三木ちゃんがふたたび勝気な瞳に光を取り戻して、ぱぁぁっと笑顔になった。
後輩ふたりがこうやって仲良くなるのは私としても喜ばしい。上下関係がなぁなぁになるのもどうかと思うけれど、いがみ合っているよりは断然いい関係だ。
(……ほんと、これからもずっといい関係で仕事ができますように…)
心の中で小さく呟いて、着替え終わったロッカーをパタリと閉じた。
「今日は先輩が泊まりに来るからと思って、実家からいろいろ取り寄せて腕によりをかけた夕食を準備してるんですっ」
オフィスビルを出た後、三木ちゃんの家に向かう道中で、楽しそうな笑みを浮かべ白い歯を見せて三木ちゃんが笑う。明らかに音符が飛んでいるその様子に、私も自然と笑みがこぼれた。
「楽しみにしてる。お返しに食後のコーヒーは任せて?」
三木ちゃんはご実家が料亭で、三木ちゃんも時折手伝いに行っていると聞いている。お花見歓迎会の時の仕出し弁当はとても美味しかった。三木ちゃんの手料理が食べられると思うと、とても楽しみだ。
その代わりに。練習中ではあるけれども、少しは上達したと思われるハンドドリップでコーヒーを淹れてあげようと考えて、自宅からドリッパーなどを一式持ち出してきた。これがお返しになるかどうかはわからないけれど、少しでも三木ちゃんに感謝の気持ちが伝わればいい。
そうぼんやり考えつつ、三木ちゃんと他愛もない話をしながら歩いていると、あっという間に三木ちゃんの自宅のマンション前に到着した。
三木ちゃんが郵便受けを開いて確認している様子を眺めていると、郵便受けの中に入っていた白い封筒を手に持って。
「あぁ~…そうだったぁ……」
三木ちゃんが、しまった、とでもいうように左手を頭に添え、がっくりしたような声をあげる。その様子に、どうしたんだろう、と小首を傾げた。
「先輩~……6月26日の早出って、確か私が担当でしたよね…?」
三木ちゃんが沈鬱な表情で少し後ろに立っている私を振り返った。訊ねられた問いに、ちょっと待ってねと声を上げて、鞄から手帳を取り出す。パラパラと捲って、2ヶ月先の6月のスケジュールを確認する。
「……うん、三木ちゃんになってるね。なにかあった?」
月曜日は土日を挟んで書類が嵩む。だから、管理職以外のメンバーで早出担当を決めて順繰りに回していっているのだ。三木ちゃんが気にしている6月26日はちょうど三木ちゃんの担当で。
「出来ればで構わないんですが……その前の日の25日、再従兄弟の結婚式なんです……」
三木ちゃんが勝気な瞳を翳らせて私を見つめる。
今、三木ちゃんが手に持っている白い封筒は、きっとその結婚式の招待状だ。
彼女が言いたいことを察して、三木ちゃんよりも先に言葉を紡いだ。
「その前の週が私だから、交代する?」
前日に結婚式があるから、早出を交代してほしい、ということだろう。親戚の結婚式ともなれば相当呑まされるに違いないだろうから、その結果、二日酔いになっている可能性もある。寝飛ばして早出を遅刻するより、事前に交代しておいたほうがいい。
前日の25日は智の誕生日だけれども、浅田さんの結婚式があると言っていた。そうと知る前は、25日に少しだけ遠方に食事に行こうと思っていたから26日は予定を空けておきたかったけれど、智もその日結婚式に出席するとわかった今、26日が早出でも構わないな、と考えて、三木ちゃんに交代しようかと申し出る。
さすがは6月、ジューンブライド。ジンクスにあやかりたいカップルは大勢いて、きっと結婚式場は大忙しなのだろう。
「すみません~~……お願いします」
三木ちゃんが私の言葉を受けて、少しだけ泣きそうな顔でぺこりと頭を下げた。肩のあたりで切り揃えられた明るい髪がふわりと揺れる。
「ん~ん、いいの。私も代わって欲しい時は三木ちゃんに言うね?」
こういう時はお互い様だ。私も今度、何かある時は三木ちゃんに代わってもらおうと考えて、いたずらっぽい笑みを意識して彼女に向ける。すると、「もちろんです!」という元気な声が響いた。
そうして、ふたりで三木ちゃんの部屋まで階段を登り上がっていく。
「お邪魔します……」
「は~い、どうぞ」
三木ちゃんが軽い音を立てて玄関を開ける。その背中を追って、三木ちゃんの家に足を踏み入れた。
1LDKのとてもシンプルな部屋。リビングにはローテーブルとソファ。リビングの隅に私の荷物を置かせて貰い、夕食の準備で何か手伝えることが無いか訊ねようと息を小さく吸い込むと、三木ちゃんの勝気な瞳と視線が交差する。
「先輩、夕食の準備よりも先に、返信ハガキ書いちゃってもいいですか?」
三木ちゃんが私の方を窺うように視線を向けて、こてん、と首を小さく傾げた。
こういうのは後回しにするよりも先に書いてしまっていた方がいい。仕事上でも、提出物は早めに書いて出すように指導したのは紛れもなく私。にこっと笑いながら「どうぞどうぞ」と声をあげた。
三木ちゃんは私にふたたび笑顔を向けながら、そのローテーブルに封筒を置いて、テーブルの上のペン立てからハサミを取り出して慎重に封を開封していく。
「……あ~あ。こうして返信ハガキを出すのは、再従兄弟の結婚式よりも先輩の結婚式の方が先だと思ってたのにぃ~」
三木ちゃんがそう口にして、開封した白い封筒から招待状を引っ張り出し、空になった封筒で口元を隠して。揶揄うように私に視線を向けた。
その言葉に、智があの日電車の中で口にしたタイムリミットのことを思い出し、顔がぼんっと音を立てて赤くなるのを自覚する。
「ちょっ、ちょっと三木ちゃんっ!そんな風に言わないでよっ」
急に私の話題になり、心臓がバクバクと大きく鼓動を刻んでいるのを感じる。真っ赤になった私のその表情を見て、三木ちゃんがまるで小悪魔のように、「うふふ」と。とても可愛らしく、笑った。
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