俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる

春宮ともみ

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本編・第三部

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「は……?」

 遠くなる片桐さんの背中を茫然と眺めながら、思わずぽかんと口が開く。

 何が起きたのか、よく分からなかった。ヘーゼル色の瞳。いつもとは違う片桐さんの瞳に、酷く混乱する。

 智は、片桐さんが私を諦めていないと言っていた。三木ちゃんもそれを知って、智の出張中は自分の家に来てくださいと言ってくれた。

 その事実を知っているから。片桐さんが私に『香典返し』を渡そうと接触してきたら、絶対にしつこく食い下がられると想定していた。

 なのに、じゃなかった。片桐さんが、こうしてさっと引いていく、ということに。非常に不本意ながらも肩透かしを食らってしまったのだ。

(な、んで……?)

 何が起こっているのか全く分からない。状況が飲み込めずにひとり混乱していると。

「主任……?」

 隣に立ったままの加藤さんが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。その声にはっと我に返る。

「あ、……ごめんね、話の途中で」

 とにかく今はそれを考え込んでいる場合じゃない。私と片桐さんの間に何があったのか、その事情を知らない加藤さんをこんな風に巻き込んでしまったから、それだけはフォローに入らなければ。

「いえ。あの方が、例の……トラブったと言われていた…」

 加藤さんが少し言い辛そうに口をすぼめる。先週、南里くんと加藤さんを連れて各販売部に挨拶周りに行った際に、螺旋階段を使って移動している南里くんに伝えた話しだろう。新入社員である彼女に、人間関係でいらぬ懸念を与えたくない。さっと笑顔を作って、フォローに入る。

「そう、片桐係長。先週まで通関部にいたの。今は農産販売部所属」

 そうして。どう説明すべきか、少し逡巡する。片桐さんには……しつこく言い寄られて、あんなことをされて。それでも、彼は仕事は真面目にこなすし、私と三木ちゃん以外からの社員受けはよかった。取引先からの評判も上々だった。彼女にいらぬ先入観を与えないように、慎重に言葉を選ぶ。

「トラブったって南里くんには言ったけれど、なにも仕事上でトラブったわけじゃないの。……要はね、南里くんが三木ちゃんに付き纏っていたみたいに、私も彼から付き纏われていた時期がだけ。仕事はすごく出来る方だからその面での信用はしているわ。プライベートでは彼を相手にしたくないだけ」

 先ほどは全く食い下がられなかった。だから、と過去形で表現する。片桐さんがあの時のように何かを企んでいての今日の言動かもしれない、という警戒心はある。業務上の信用はあるけれど、それ以外の信用は私にとってはゼロ、むしろマイナスだ。

 でも、それは私から見た角度の話であって、加藤さんから見た角度の話ではない。社会人になりたてだからこそ、何事もフラットな視線で見られるようになって欲しい、と思っての言葉だった。

「こんな風に巻き込んじゃってごめんね。まさか今日こうして接触されるとは思っていなかったの。……彼が先月まで畜産関係の通関業務を担当していて。異動の際にきちんと引継ぎはしてもらっているけれど、もしかしたら彼にしかわからないことも出てくるかも。その時、片桐係長に訊ねてもらう機会があるかもしれないわ。だから、個人的には、加藤さんには彼に対して変な先入観は持たないで欲しいなとは思っているの」

 もう一度、加藤さんににこりと笑みを向ける。片桐さんにはしっかりと水野課長に引継ぎをしてもらっている。畜産チームになっている加藤さんから彼になにかを訊ねるような事態にはならないとは思うけれど。万が一の時の為に、それだけは言い添えておきたかった。

「……わかりました。主任にとっては言いたくもなかったことでしょうに、しっかり伝えてくださってありがとうございます。そう言えば、田邉部長から言われたのですが、役員懇談会って、どういう感じなんですか?」

 加藤さんが、ぺこり、と頭を下げながら話題をさっと切り替える。小林くんに似て聡い子でありがたい。

(そういえば……凌牙に捨てられたあの日も…小林くんは私の意思を汲み取ってくれて)

 あの時は。これ以上触れるな、という意思を小林くんは汲み取ってくれた。

 もう、半年になるのか。もっと経っている気がしたのに。そんなことをぼんやりと考えながら、彼女の質問に答えていく。

「取締役とか言われるような役員の方々って、私たちは普段接することがないでしょう?だから、そういった方々との交流の場って感じかなぁ。要は立食パーティーなの」

「なるほど……全社的な飲み会って思えばいいですか?」

 確かに、言い得て妙だ。簡単に言えば、全社的なであることは間違いがないのだから。

「そうね、そんな感じよ。実行委員が司会をしたりする感じ」

 私のその言葉に、加藤さんが、ううっと。絶望したように、その綺麗な顔を歪める。

「司会……私、そういうの苦手なのですが…出来ますかね……」

 加藤さんががっくりと肩を落とす。さらり、と、加藤さんの長い髪が揺れる。その仕草を見ながら、あまり感情を表に出さない子という最初の印象がどんどん変わっていく。先週は単に私たちに対して人見知りしていただけだったのかもしれない。

(可愛いなぁ……)

 お人形さんのような見た目で近寄りがたい印象があったけれど、話すと案外人間っぽくて。見た目だけじゃなくて、中身も可愛らしい子だという風に感じる。

 私の後輩たちは本当に可愛い子たちばかりだ。三木ちゃんはさることながら、小林くんも可愛かった。加藤さんも、南里くんも。本当に、私は周囲の人たちに恵まれている環境で、好きな仕事を嫌いにならずにいられている、と実感する。

 退職する、という決断を智が反対してくれなかったら、この可愛い子たちとの関わりすら捨て去ってしまうところだった。

(本当に……智には、助けられてばかりだ…)

 だからこそ。智を引き摺りおろそうとしているであろう黒川さんの企みを暴きたい。智の力になりたい。あんな自分勝手な人の思い通りにはさせない。



 そう、小さく決意した。











「ただいま……」

 キィ、と、無機質な音を立てて玄関の扉を開く。片桐さんあの瞳のことをぼうっと考えていたら電車を乗り過ごすところだった。

 結局、色々と考えても答えは出なかった。いつもだったらあの場面でしつこく口説かれるはずなのに、それもなくて。まぁ、それはそれで、安心といえば安心なのだけれど。

「はぁ……」

 わからないことだらけだ。黒川さんが何を考えているのかも、今朝の智の様子も、片桐さんのことも。
 大きなため息を吐き出しながら、ゆっくりとキッチンに立つ。

 智には、加藤さんと別れてから書きかけのメッセージを送信した。既読はついたけれど、返信はない。ノルウェー出張の前で、仕事も立て込んでいるのだろう、と思う。

 今日の晩御飯は野菜炒めを作ろうと考えて野菜室に入っていた野菜を刻んでいく。

(……)

 トントンと野菜を刻む音に混じって、ぞわぞわと。得体の知れない恐怖感が足元を這いずっている。

 私は、ただ。智とふたりで。穏やかで、あったかい毎日を過ごせたら、それでいいのに。どうしてこうも私の周りにはトラブルが巻き起こるのだろう。

 悔しさと、哀しさと、やるせなさで。じわり、と視界が滲む。

「ただいま」

 ギィ、と、玄関が開く音が聞こえて、智の低く甘い声が聞こえた。一旦包丁を置いて、ぐい、と、トップスの袖で滲んだ涙を拭きあげる。
 リビングのドアを開けると、玄関先で智が疲れたような顔をして、スーツのジャケットを脱いでいた。

「おかえり、お疲れさま」

 パタパタと駆け寄り、ビジネスバッグとジャケットを受け取る。

「……昨日も、朝も。ごめんな」

 智の大きくて温かい手が、私の頬を労わるように撫でる。ダークブラウンの瞳が、不安気に揺れているのを確認して。

「ううん、事情があったのなら、仕方ないよ。ご飯、作ってるから。先に食べよう?」

 にこり、と。智の不安を取り払うように、笑みを浮かべて。頬に当てられた智の大きな手に、私の手のひらを添えた。

 目の前にあるダークブラウンの瞳が、大きく揺れる。

「……知香。泣いてた?」

「え……?」

 どうして、わかったのだろう。涙は落ちる前に拭いたはずなのに。

 驚いたまま智の顔を眺めていると、ゆっくりと。智がその薄い唇を動かした。

「目元のメイク……よれてる」

 智が、頬に当てていた手を動かして、長く角張った親指で。私の眦をそっと撫でた。

 目元のメイクがよれている、ただそれだけで。私が涙を拭ったのだ、と、悟ってくれるほど。

 智は、私のことを日々見てくれている。それほどに……私を愛してくれているのだ、と、改めて実感して。

(……やっぱり……私は、智に…隠し事なんて、出来ないんだ……)

 温かい智の指に、触れられていることで。堰き止められていた様々な感情が溢れ出てくる。

「……っ、ごめ…」

 脈拍が上がって。世界が思い切り歪んだ。
 ぽろぽろと、涙が零れていく。




 本当は、泣きたくなんて、なかった。
 泣くつもりなんて、これっぽっちも、なかった。


 智の力になりたい。
 智の手を煩わせたくない。



 智が忙しいことなんてわかりきっていること。事情を話さずに今朝出ていったことも、しょうがない、と、わかりきっている。

 でも。
 ただ、ただ。不安、だった。

 何が起きているのか、私には全然わからない。
 黒川さんのことも、片桐さんのことも。



 どうして、昨日は日付が変わるまで帰ってこなかったの?
 どうして、何も言ってくれなかったの?
 どうして、片桐さんはあんな瞳をしてるの?

 どうして……智は。
 そんな、苦しそうな目を、してるの?



 智が私に触れるだけで。私を硬く包んでいる殻にヒビが入って。私は、強がるということが、平気なフリが、全く出来なくなる。

 我慢を知らない幼い子どものような、暴れる感情を必死に押し込めていた自分が。丸裸になって、智の前に曝け出されていく。




 はらはらと、涙が重力に逆らわずに、私の目から零れ落ちて、智の指先を濡らしていった。

 ダークブラウン色の瞳を細めながら、吐息を漏らして、智が小さく呟く。

「……ごめんな、何も話さず出て行って。メッセージも返せなくて……今日一日、不安だったろう……本当に、すまない」

 声を震わせながら、智が言葉を紡いだ。そうして、ふわり、と。鍛えられた胸の中に、私の身体をおさめて、私の髪を、背中を。ゆっくりと撫でてくれる。

 その大きくて温かい手は、どこまでも優しくて。私の涙を加速させていく。

「……っぅ、もっ、ほんと…何が、どう、なって、るのか、わか…なくて」

 しゃくりを上げながら話す私の背中を優しくさすったまま、智が私をぎゅうと抱きしめて。私の肩口に顔をうずめた。


「すまない……」


 ただただ。


 やるせなさと、悔しさを孕んだような、そんな声色で紡がれる智のその言葉が。

 左の耳元で、小さく響いた。



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