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本編・第三部

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 大橋を渡ると、広大な空き地の向こう側にグリーンエバー社の物流センターが見えてくる。ウインカーをあげて正門に入り、駐車場に社用車を停める。

「はい、到着。初日に三木ちゃんが説明したと思うけど、こういう物流センターに貨物を保管しておくのね。で、それを私たちのような通関業社が手続きをして初めて輸入出が可能となります。こういった物流センターも税関に届け出て輸入出に携わる許可を得ることが求められるの」

 そう口にしながら、グリーンエバー社の正面玄関に掲示してある『保税蔵置場』という看板を指差しながら解説をいれる。なるほど、という声をあげたふたりに視線を向け、シートベルトを外す。

「保税蔵置場の許可を得るのも、施設の規模に合わせて許可手数料がかかるのよ。税関の監査も入ることがある。密輸を防ぐための砦だからね、物流センターって。だからこそ厳しい管理が求められるの。私たちの仕事って、食の安全を守るだけじゃなくて、日本という国の信用を守る意味もあるのよ」

 彼らにはこの仕事を好きになって誇りを持って欲しい。好きな仕事を嫌いにならずに続けていって欲しい。だからこそ、私たちがどんな使命を持っているのかを自分なりに落とし込んで欲しいと考えての言葉だった。

 南里くんも加藤さんも、真剣に私の話しに耳を傾けてくれている。彼らがこの先壁にぶつかっても、この仕事を嫌いにならないで欲しいな、と考えながら車を降りると、ふわり、と、嗅ぎ慣れたアメリカンスピリットたばこの香りが漂った。

 智がいつも吸っている煙草の香り。ぎちぎちに煙草葉が詰められているから吸いにくいけれど、この吸いごたえと無添加の煙草葉が魅力でコアなファンが多いんだ、といつかの時に言ってた。

 智以外の人がアメリカンスピリットを吸っているところを見たことがなかったから、智と同じアメスピ好きな人がいるんだなぁ、と、何気なく正面玄関脇の軒下喫煙所に視線を向けると、ダークブラウンの瞳と視線が交差して。

(っ、え!?)

 私が声もあげずに驚いていると、智は一瞬その瞳を見張って、その後なんでもない風に、手に持った煙草をふたたびその薄い唇に咥えて、眩しそうに目を細めた。

 どうしてここに智がいるのか一瞬理解追いつかなかった。けれど、よく考えれば三井商社はグリーンエバー社に貨物を預けている荷主だ。新部門のこともあって商談かなにかでここを訪れていたのだろう。

 一応、私たちは取引先同士だし、南里くんと加藤さんの前で取引先の人を無視するのも道理が通らないかなと思い立ち、営業スマイルを貼り付けながら「こんにちは」と軽く頭を下げた。

 智が手に持った煙草をぐりっと消して、私の後ろに視線を向ける。加藤さんと南里くんが軽く頭を下げ、智も同じように軽く頭を下げてふぅわりと営業スマイルを私に向けた。

「あぁ、一瀬さん。いつもお世話になっております」

 智の低く甘い声にどくんっと心臓が跳ねる。私の意図を察したであろうその口調に、その外向けの声色に。あの時黒川さんの目の前で繰り広げたような会話のよそよそしさに……なんとなくの寂しさを感じるけれど、こればかりは仕方ない、と、必死に自分に言い聞かせる。

「こちらこそ、いつもお世話になっています」

 にこりとした営業スマイルを崩さず、当たり障りのないことを口にしていく。

 というより、こんな時間に喫煙所に居るなんて。外では接待の飲み会の時以外吸っていないと言っていたのに。商談に出た先でも吸ってるなんて、聞いていない。出来るなら健康のためにも禁煙して欲しいと思っていたから、帰ったらこの辺りを問い詰めてやろう。

「……驚きました。邨上さんって、お仕事中もお煙草を吸われるのですね?です」

 ふふ、と。智がいつも私に向けるような意地悪な笑みを意識して、ダークブラウンの瞳を見つめた。

 私のその言葉に、智の身体がぴくりと反応する。今の一言で私が言いたいことが伝わったのだろう、一瞬だけダークブラウンの瞳が焦ったように揺れ動いたことを見逃すはずもない。

(……帰ったら普段の煙草の本数、正直に吐いてもらうんだから!)

 目の前の切れ長の瞳を不満げにじとっと見上げて、再び外向けの笑顔を智に向けながら言葉を続ける。

「移入承認申請のご依頼、ありがとうございました。後ほど返信を入れさせて頂きますね」

 にこりと笑顔を貼り付けながらも、少しでも私のこの気持ちが伝わればいい、と言わんばかりに、じと目は崩さない。

「お手数おかけしますね、移入承認申請なんて初めてで勝手がわからずご迷惑おかけする機会が増えるかと思いますが」

 智は私のじとっとした視線をものともせず、さらりと仕事の話しを続けていく。その様子に、帰ったら覚えてなさいよ、と、心の中で悪態をつきながらにこりと笑みを浮かべた。

「いえ、大丈夫ですよ。池野さんからも補足の資料を頂いて助かりました。あぁ、初めてといえば、御社の農産チームさんからも初めての輸出のご依頼をいただいて。ありがとうございます」

「輸出……?」

 私の言葉に、智が訝しげにダークブラウンの瞳を細めた。

「はい。農産チームの黒川さんよりグァテマラ向けの冷凍ブロッコリーの輸出のご依頼を頂いています。ゴールデンウィーク後にこちらのグリーンエバー社から搬出、CY通関の予定です」

 通関には二種類の方法がある。倉庫に保管している状態で通関手続きを行い、外国貨物としてコンテナに積み込む倉庫通関と、国内貨物としてコンテナに積み込みコンテナヤードCYにて通関手続きを行うCY通関。諸々の手続きが楽なのが後者のCY通関。納期も短縮できるため、ここ最近はほとんどの荷主さんがCY通関を選ぶのだ。

 私の言葉を受けた智が、口元に左手を当てて。じっと遠くを見ている。……智がなにかを深く考え込んでいる時の、癖。

(……?)

 きょとん、としながらその様子を眺める。

 てっきり今回の件は智も把握しているだろうと思っていた。いくら智を敵対視している黒川さんでも、上に報告無く初めての事例を押し進めることはないだろう、と。

 でも、この様子だと智はこの件を把握していなかったのだろう。

 それにしてもやっぱり考え込んでいる仕草が様になっていて惚れ惚れする。けれど、ここは出先だ、智に見惚れている場合じゃない。

「……邨上さん?どうされました?」

 私の声に、智がはっと我に返ったように私を見つめる。

「え?あ、あぁ……すみません、ちょっと考え事してまして、申し訳ない」

 ふわり、と、智が外向けの笑顔を私に向けて、腰を軽く曲げて足元に置いてあるビジネスバッグを手に持った。

「では……僕はこれで」

 ぺこり、と頭を下げ、長い足を捌きながら私の横を通って駐車場に向かっていく。ほわ、と、煙草独特の苦い香りが漂った。

「一瀬さん、今の方は?」

 私たちの会話をじっと見ていた南里くんが、背広のポケットからゴソゴソと小さなメモ帳を取り出しくりくりとした瞳を私に向けた。彼はプライベートでは『危険な無邪気さ』を孕んでいるとはいえ、仕事に関しては本当に勉強熱心だ。

「三井商社企画開発部の邨上さん、という方。邨、は、駐屯地の『屯』に大里おおざと。上は上下の『上』。……あ、私あの人の名刺を頂いているから帰社したらコピーしてあげるわね」

 主任に昇進したあの夜に、智と名刺交換をしたことをぼんやり思い出す。デスクの引き出しの中に仕舞っているから、それをコピーして渡しておこう、と考えて、くるりと身体を反転させる。

「三井商社はうちにほとんどの通関を依頼してくださってる大きな取引先よ。先方の営業課とうちの畜産、農産、水産の各販売部ともそれぞれ取引があるの」

 南里くんがメモを取っている様子を見て、加藤さんも鞄からノートを引っ張り出しサラサラとメモを取りだした。その様子を微笑ましく眺める。

 ふい、と、智が向かっていった方向の駐車場に視線を向けると、智が運転席に座ったままスマホを弄っていた。何か調べものをしているのだろうか、もしかしたら池野さんに今から戻りますという連絡をしているのかもしれない。
 そんなことを考えながら、智の俯き気味の顔を遠目で眺めていると、智がスマホを助手席に放り投げるように置いて車のエンジンをかけた。その瞬間、私の制服のポケットに入れていたスマホが震える。

(……あ、私にメッセージ送ってくれてたんだ)

 さっき言外に問い詰めた煙草の本数についての言い訳だろうか。あの表情は、バレた、とでも言うような少し焦ったような表情だったから、なんだか余計に面白くて。口元が緩んでいくのを必死に堪えながら、制服のポケットからそっとスマホを抜き取ってロックを解除する。

(………え?)

 そこに表示されていたメッセージは、予想だにしていなかった文章で。一瞬、呼吸が止まった。



『すまない、今日は遅くなる。夕食はいらないから適当に作って食べておいて。あと、帰るのは日付変わる頃になるだろうから俺を待たずに寝てくれ』



 2度ほど読み直して、ようやく内容が理解できたような気がする。智がここ最近遅くまで残業しているのは承知の上だけれど、日付が変わるほど遅くなることは1度も無かったのに。

(………さっきの、話し?)

 スマホに表示された画面をじっと眺める。そう言えば、さっきの……黒川さんから依頼分の輸出の話題が出た辺りから、智の様子がいつもと違った。

 そうして、思い付いた事実に、さぁっと血の気が引いていく。……もしかしてだけれど。

(この件が……智を引き摺り下ろそうとしていることの、ひとつ……?)

 でも、この件でどうやって?ただの返品にすぎないだろうに。どうやって智を引き摺り下ろすつもりなのだろうか。

 その場に立ったままじっと考えこんでいると、加藤さんが不思議そうに「主任?」と首を傾げた。さらり、と、長い黒髪が揺れたのを視界の端で捉え、はっと我にかえる。

「顔色が少し悪いですが、大丈夫ですか」

 加藤さんがそっと私に近寄って小さく呟いた。女性は急に貧血になったりしやすいけれど、南里くんの前だからきっと配慮してくれているのだろう。気配りが出来ていい子だな……と感じながら、大丈夫よ、と、微笑む。

「ごめんね、なんでもないわ?じゃぁ社会科見学に行きましょうか。受付で記帳して、セキュリティのICカードを受け取って来るわね」

「え、俺たちにもICカードが必要なんですか?」

 私の言葉に南里くんがきょとん、と、私を見つめる。その言葉に、南里くんのくりくりした瞳をじっと見つめて言葉を続けた。

「そう。さっき言ったでしょう?物流センターは輸出をする際の最後の砦。密輸を防ぐための対策として来訪者が倉庫棟に入館した時間、退館した時間。その辺りまでしっかり管理することが求められるの」

 そう口にしふたりを連れて正面玄関をくぐっていく。受付に足を運び来客簿に記名をしていると、数行上に見慣れた智の筆跡を見つけて。

(………なんか、ざわざわする…)

 ざわざわと波立つ心をぐっと押し込めて、セキュリティのICカードを受け取って。案内された応接室で1ヶ月振りに会う薫に、必死に笑顔を向けた。






 結局この夜は。

 智は、日付が変わっても帰って来なかった。


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