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本編・第三部

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「えぇ~!?例の探し人って、西浦係長だったの!?」

 ざわめくカフェで三木ちゃんが驚きの声を上げる。
 ぱっちりした目をぱちくりとさせて、そして思案の表情を浮かべた。

「ちょっ、み、三木さん、声大きいですってば……」

 加藤さんが慌てたようにして私の隣に座る三木ちゃんに声をかける。

 今日は三木ちゃん、加藤さん、私がお昼休憩に入るタイミングが被ったため、女子トークをしようと社員食堂ではなく1階にあるカフェのテラス席に来ていた。4人掛けの丸テーブルを3人で囲んで、女子トークに花が咲いていた矢先に、加藤さんから衝撃の報告を受ける。

 そう。加藤さんの幼い頃からの探し人。なんと、西浦係長だったそうなのだ。

 お花見歓迎会の帰り道。西浦係長と一緒に最寄り駅まで歩く道中の会話の中で、加藤さんと西浦係長は一時期、同じ地区に住んでいたことがわかったそうで。

「私、幼少期に小児癌を患っていて。長らく入院していたのですけれど、病院に近くのカトリック教会が……慈善活動として英会話を教えてくれる時間があったんですよ」

 加藤さんが懐かしそうに目を細めて、手元の紙カップに入ったコーヒーを口に含む姿に思わず息を飲む。加藤さんは何でもないようにさらっと口にしたけれど、彼女は私が想像もできないくらいの過酷な幼少期を過ごしてきたのだろう。

「真っ白な壁に囲まれた世界しか知らなかった私に、英語を教えてくれた。英語を話せるようになりたい。ここじゃない世界を見てみたい、ただ、その想いで……治療を頑張ったんです」

 にこり、と。加藤さんが屈託のない笑顔を向けてくれる。

 癌治療、というのは、かなりの痛みを伴う、ということだけは知っている。治療によって頭髪が抜けてしまう、ということも。

 だからこそ。その男の子に、髪が綺麗だね、と言われたことが。幼かった加藤さんの中で忘れられない出来事だったのだろう、と察して。胸の奥がぎゅうと痛んだ。

「で、でも、西浦係長って、下のお名前、敦史あつしさんだったわよね……?」

 三木ちゃんのその問いに、私もはっと我に返った。

「そうよ……だって、『マーくん』って呼んでいたんでしょう、その人のこと」

 加藤さんの探し人が見つかったことは喜ばしいことだけれど、どうも腑に落ちないことが多すぎる。名前のことも、その人の外見のことも。私の問いに、加藤さんが苦笑したように首を傾げた。

「西浦係長、洗礼名が"マルチェリノ"というお名前だったらしくて」

「それで、マーくん……」

 ぽつり、と、三木ちゃんが呟く。

 手に持ったサンドイッチに視線を落とす。疑問点はまだいくつかある。少し逡巡して、思い切ってその疑問点を加藤さんにぶつけてみた。

「けれど、西浦係長はハーフではないわよ?ずっと日本在住だったって聞いているわ」

 私の矢継ぎ早の質問に、加藤さんがふたたび困ったように眉を寄せた。

「そこなんです。でも、西浦係長……ワンエイス、つまりクォーターの子どもさんに当たるらしくて、10代の頃は外見が白人ぽかった……らしいです。あと、途中で高校を中退して、全寮制のカトリック系男子校に入学し直したそうで。だから、途中から会えなくなったのだと思います」

 なんとなく歯切れの悪い加藤さんのその回答に。本当に西浦係長が加藤さんの探し人なのか、加藤さん自身も確信が持てていないのではないか、と感じた。

(……本当に西浦係長、なのかなぁ…)

 いまいちピンとこない。なんというか、酷くこじつけのような気もする。先ほどの加藤さんの歯切れの悪さも相まって、私の中に生まれたその感覚に拍車をかけている。

「確かに西浦係長、今年31歳だったものねぇ。年齢的にも一致はしてるもの」

 三木ちゃんが思い出したかのように声をあげた。その声に加藤さんがふふ、と笑い声を上げて同調する。

「そうなんです。細かい部分は私の記憶とドンピシャではないですが、あの男の子が西浦係長だという可能性は大いに有り得ると思ってるんです」

 ふたりの会話を聞きながら、納得できないという風に自分の手元のサンドイッチを見つめて悶々と考え込んでいると、加藤さんが苦笑したように私に視線を合わせて言葉を紡いだ。

「西浦係長、私のことは覚えていらっしゃいませんでしたけれど、教会の慈善活動のなかであの病院に立ち寄った記憶だけはあられるそうで。私も当時幼かったですから、いろいろと記憶違いをしていたのかもしれません。……三木さんも主任も、いろいろと気がけていただいてありがとうございました」

 ぺこり、と、加藤さんが座ったまま頭を下げた。その動作に合わせて、加藤さんの艶のある黒髪が、さらりと揺れる。

 加藤さんがそう言うのなら、彼女の探し人はきっと西浦係長で間違いないのだろう。私は超能力のようなチカラはもちろん持ち合わせていないから、加藤さんの記憶の中を見ることはできない。長い間探していた人との再会を、彼女が大事に抱えてきた宝物の記憶を、私の中に生まれた『違うかも』という不確実な感覚でそれ否定するつもりは欠片も持ち合わせていない。

 きっと、加藤さんのいうように、西浦係長なのだ。そう結論付けて、「本当に良かったわね」と笑顔を向けた。すると、隣に座る三木ちゃんが加藤さんを軽く肘で小突きつつ悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「でも、残念だったわね?西浦係長、ちょうど今年の2月に結婚されているもの」

 三木ちゃんのその言葉に、慌てたように頬を赤らめて加藤さんが口を開いた。

「ちょっ、三木さんっ……ほんと、そういうのじゃないですから!」

「えぇ~?今まで加藤がその人のことを話す時って、顔してたわよ?」

 くすくす、と、三木ちゃんが身体を小さく揺らしながら揶揄うように笑い声をあげた。きらり、と、三木ちゃんの首元のネックレスが煌めく。

(もう、三木ちゃんってば……)

 困ったように整えられた眉を歪めた加藤さんの表情に、やっぱりお人形さんのように綺麗だなとぼんやり考えるけれど。

「三木ちゃん、加藤さんが困ってるでしょ」

 加藤さんの困った表情にいたたまれなくなって三木ちゃんを窘めると、プクッと頬を膨らましながら「はぁい」と三木ちゃんが不満そうに声をあげた。

「……あの時、英語を好きになって…大きくなったら世界を見たいと思えたから、私は癌に打ち勝つことが出来たんだって、改めて実感しました。あの男の子が西浦係長じゃなかったとしても、西浦係長と繋がりがあって、英語を教えてくれた、という事実は覆らないと思っているので。私の中の時計が、やっと……動き出した気がします」

 晴れやかに。今日の空のような、からり、とした晴天を思わせるような、すっきりした笑顔を加藤さんが私たちに向けてくれる。その笑顔につられて、私も思わず笑みが零れた。

 加藤さんなりに止まっていた時間から一歩を踏み出せたのだろう、と感じて。この話題をさらりと切り上げる。

 その後は三木ちゃん主導でこのカフェの新作の話題になった。今月の新作は桜のクッキー。生地に桜味のエッセンスが混ぜてあるようで、ほんのり香る桜の香りと、クッキーの上部にホワイトチョコと塩漬けされた桜の花がトッピングしてあり、それらがベストマッチしている。

(美味しい……)

 これ、時間に余裕があれば智に買って帰りたい。美味しい、と思ったものは共有したい。

 平日は智と一緒にいられる時間が少ない。だからこそ、思ったことや体験したことを共有できる手段があるのであれば、それを使いたい。

 同棲を始めて仕事中以外は一緒にいることが当たり前になったからこそ、こういった『気持ちを分かち合うこと』に価値を見出すようになったのかなぁ、と、最近よく思う。智が感じたものを私も感じたい、と思うし、私が感じたものを智にも知って欲しい、とも思う。

(これも何気ない幸せな日常のひとつ、だからかな……)

 そんなことをぽやっと考えつつクッキーを頬張っていくと、話題はスイーツ談義に移っていく。どこのお菓子屋さんが美味しい、だとか、あっちに新しいお店が出来るらしい、とか。後輩ふたりの会話に花が咲いているのを微笑ましく感じながら眺めていると。

「主任はどこがオススメってあります?」

 唐突に加藤さんに話題を振られて言葉に詰まった。私は食べ物に関して美味しいお店をほとんど知らなくて、外食する時だっていつも智のチョイスでお店を選んでもらっている。スイーツももれなくそうだ。

 なんと答えようかな、と、少し考え込んだ、その瞬間。

「一瀬さん、ここにいたんですね!」

 テラス席の左側から私を呼ぶ声が聞こえる。そちらに顔を向けると、くりくりした瞳と視線が合わさった。


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