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本編・第三部

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 西浦係長と南里くん、加藤さんのお花見歓迎会もお開きを迎え、完全に酔い潰れた大迫係長を南里くんが支え、水野課長が呆れたようにふたりを引っ張って帰っていった。

 田邉部長を見送って、その他のメンバーで最後の片付けをしていると、ジーパンのポケットに入れたスマホが震える。それを取り出してメッセージアプリを立ち上げた。

『もうそろそろ終わる?』

 案の定、智からのメッセージ。今日の歓迎会は、行きも帰りも智が車で送り迎えしてくれることになっていた。あと少しで片付け終わるよ、と返信をいれて、空になった仕出し弁当の中の桜の葉を模したバランや割り箸などを分別していく。

「ゴミはどうするんですか?」

 西浦係長が、今私たちに降り注いでいるような陽射しのように柔らかな声で、私に問いかける。

「私、持って帰りますよ」

 ここのお花見会場はゴミを持ち帰るのがルール。事前に調べた時にそう書いてあったから、智に相談の上、我が家に持ち帰って家庭ゴミとして捨てるつもりでいた。だからこそ、智に車で送り迎えしてもらったのだ。
 私のその言葉に、加藤さんと一緒にレジャーシートを畳んでいた三木ちゃんが、「えっ」と声をあげた。

「先輩?ゴミ、私持って帰りますよぅ?実家に持って帰れば実家の産業廃棄物としてそのまま処理出来ますし」

「えっ、そうなの?」

 思わぬ言葉に目を瞬かせる。その発想はなかった。レジャーシートをくるくると丸めながら、こてん、と首を傾げた勝気な瞳を見つめる。

「はい!というかはじめからそのつもりでいましたから、あまり気になさらないでください~」

 にこり、と、三木ちゃんが笑って私に視線を合わせた。
 持って帰るにしても、空になったとはいえこの量をひとりで持って帰ってもらうのは忍びない。行きはお父様が配達がてら一緒に来てくださっていたそうだけれど、帰りはきっと電車かバスに乗ってひとりで帰るのだろうし。

 生ゴミを詰めた袋の口を縛りながら少しばかり逡巡し、メッセージアプリを立ち上げる。

『ごめん、ちょっとお願い。後輩の三木ちゃんも一緒に送ってくれないかな?』

 車なら、ここから少し遠い三木ちゃんの実家まで環状線に乗ってすぐだ。普段から私のお願いを断らない智に甘えているのはわかっているけれど、可愛い三木ちゃんのためだから。


 送ったメッセージに既読がついて、『もちろん』と返信が届く。その返信を確認して。

「三木ちゃん、彼がご実家まで送ってくれるって。一緒に帰りましょ?」

 ガサガサとゴミ袋をまとめながら立ち上がって、レジャーシートに荷造り紐を掛け終わった三木ちゃんに声をかけた。

「え、ええ!?そんな、申し訳ないですよう」

 三木ちゃんが焦ったように目を見開く。その表情に、西浦係長が諭すように三木ちゃんに声をかけた。

「ゴミを持ったまま交通機関に乗るよりは一瀬さんの好意に甘えた方がいいと思いますよ、私は」

 ほわん、と、三木ちゃんに向かってやわらかい笑顔を浮かべた西浦係長。その言葉に、三木ちゃんがしゅんとしながら了承の言葉を口にした。

 4人がかりで取り組んだ片付けはあっという間に終わり、お疲れ様でしたと声を掛け合って。私と三木ちゃんは智が待機しているはずのコインパーキングに、加藤さんと西浦係長は私たちが歩く方向とは反対方向の最寄駅に向かって歩き出す。

「先輩、すみません……せっかく先輩と彼氏さんのラブラブな時間を…」

 日が傾いて少し風が冷たくなってきた。ふわりと吹き付ける風に乗って桜の花びらが舞い散っていく。
 幻想的にも思える風景の中を、三木ちゃんががっくりと肩を落として歩いていく。

 三木ちゃんに、ラブラブな時間、と表現されたことが照れ臭くて、その言葉に顔が赤くなるのを感じた。

「先輩も彼氏さんもお忙しいじゃないですか~~。せっかくのお休みなのに歓迎会で時間とられて、その上に送って貰うなんて。なんだか申し訳なさすぎて……」

「いいのよ、本当に。こういうのってお互い様よ?仕事もそうでしょう?頼れるなら誰かに頼る方がいいの」

 バレンタインの前に。片桐さんに、ひとりで仕事を回しているわけじゃない、と、改めて気がつかされた。誰かを頼ることで円滑に事が進むならそれが一番だから。それを気がつかせてくれたのが片桐さんというのが悔しいけれども。

「はい……」

 なおもしゅんとする三木ちゃんを連れて、コインパーキングに到着すると、智が車体に凭れかかってスマホを触っていた。

「お待たせ。ごめん、急にお願いして」

「いや、いーよ」

 私の言葉にふっと笑いながら智が返答して、車体に凭れていた身体をゆっくりと起こしていく。


(……ほんと、様になってるよね…)

 付き合い始めて3ヶ月を超えたというのに、未だに智の全てにドキドキする。見た目がひどくかっこいいから、だけではない気がするのは。昨晩……あんなに愛し合ったから、だろうか。

 そんなことを考えていたら、智の声のトーンが変わって。

「三木さん。お久しぶりですね」

 にこり、と。私たちが出会った合コンの時のようなの笑顔と雰囲気で、ふうわりと三木ちゃんに声をかけた。

「……はい、お久しぶりです、邨上さん。この度はお手数おかけします」

 三木ちゃんも、どちらかというと外向けの声色で智にぺこりと頭を下げた。ふわり、と、三木ちゃんの明るい髪が揺れる。

「いえいえ。これくらいはどうってことありませんから」

 そう口にして、後部座席のドアを開き、三木ちゃんを車内へ促す。そうして、智が、こてん、と首を傾げた。

「……三木さんとお話ししたかったことがあったので。ちょうど良かった」

 智のその言葉の意味が掴めなくて。私と三木ちゃんは顔を見合せた。私たちの頭上にはてなマークが乱立する。その様子に、苦笑したように智が眉を動かして。

「片桐のことです。三木さんも色々と動いてくださったのでしょう。……遅くなりましたが、ありがとうございました」

 そう口にした智が、開かれたドアに手を置いたまま腰を曲げて、頭を垂れた。さらり、と、艶のある黒髪が揺れる。

「おかげで……俺は、大切なひとを失わずに済みました。本当に感謝しています」

 下を向いたままの智の表情は見えない。だけど、その声色は少し震えていて。滅多に弱さを見せないはずの智のその声色を意外に感じて、思わず目を見張った。

 ふい、と。智の言葉をじっと聞いていた三木ちゃんが、勝気な瞳を瞬かせて智から視線を外した。

「……別に、邨上さんのためではありません。私の大事な先輩が傷付けられるのが耐えられなかっただけですから」

 三木ちゃんのその言葉に、智がくすり、と、声を漏らして、頭を上げる。

「なんにせよ、本当に感謝しています。ありがとうございました」

 もう一度ぺこりと頭を下げて、どうぞと三木ちゃんを後部座席に促す。その仕草に、三木ちゃんがお願いしますと声をあげて後部座席に乗り込み、自分の隣にゴミの袋を置いたことを確認して、私は助手席のドアを開けた。

 智も運転席に乗り込んで、車がゆっくりと動き出していく。智が三木ちゃんの家の方向を確認して、環状線に乗ったところで。

「あ、そうだ。ごめん、5月2日。農産品のシンポジウムと交流会に参加することになったから、夕食要らないよ」

 田邊部長から受け取った資料を鞄から引っ張り出して、夕食が要らない旨を伝える。すると、智が前を向いたまま沈鬱な声をあげた。

「……すまない。俺、4月24日から5月2日までノルウェー出張だ。昨日、正式に日程が確定してな」

「え!?」

 驚いて運転席の智の横顔を凝視する。言いそびれていた、と、智が申し訳なさそうに眉を歪めた。

 確かに、イタリアに出張が決まったと聞いた時、翌月にはノルウェー出張も決まっていると言っていたような気が。あれは2月下旬のことだっただろうか。

「……そっかぁ」

 また、ベッドの空白に慣れずに眠れない日々を過ごすことになるのか。しょんぼりと肩を落とした私に、後部座席に座っていた三木ちゃんが励ますように声をかけてくれる。

「先輩っ!じゃぁ、その期間は私の家に泊まりに来ませんか?」

「え?」

 突然の申し出に驚いてくるりと後部座席を振り返る。ブラックのアイライナーに彩られた勝気な瞳が、期待でキラキラと輝いていた。

「今まで先輩を家に呼んだら彼氏さんに悪いなって遠慮してたんです!そういう事情なら私も遠慮しなくていいですよね!愛しの先輩を独占できる日がくるなんてっ」

 キャー!!、と頬に手を添えながら目に見えて舞い上がる三木ちゃん。その様子に、運転席の智がルームミラーに視線を向けてにこりと笑みを浮かべた。

「あぁ、三木さん、ぜひお願いします。でも、その『愛しの先輩』はのものですから。そこは勘違いしないでくださいね?」

 独占欲丸出しのそのセリフに、そして『俺』ではなく『僕』と口にした、内心は怒っているとわかる智のその口調に思わずぶっと吹き出した。恥ずかしいからこんな他人がいる前で子供のように張り合わないで欲しいのだけれど……!!

 智の言葉に、三木ちゃんが口の先を尖らせて思いっきり膨れっ面をした。ルームミラーに再び視線を向けた智がふっと口の端を歪ませて、環状線を降りるために左にウインカーをあげて減速していく。


「……ま、それは冗談としておいて。片桐がまだ諦めていない、ということをご存知なのでしょう?……その申し出は本当にありがたいですよ。今後もあなたが良き後輩として彼女のそばにいてくださると安心できます」

「………ですから、あなたのためではないと」

 智の言葉に、三木ちゃんがムッとしたように眉を顰めた。ふたりの会話に小さく息を飲む。

 三木ちゃんの言葉に隠されたその真意には気が付かなかった。今までも、私が知らないところで動いていてくれたのだろうか。

 とはいえ、三木ちゃんにも予定があるだろうし、私と一緒にいれば三木ちゃんは例の好きな人にも連絡が取りづらいだろう。一週間丸々お世話になるのは気が引ける、と伝えると、「平日だけ来たらどうですか?」という返事が返ってくる。

 南里くんの教育係である私が三木ちゃんと一緒にいれば、その期間は南里くんもきっと三木ちゃんに近寄りづらくなるだろう。お互いにwin-winだと感じて、素直にその申し出を受けることにした。

「……ごめんね。じゃぁ、お願いします。本当に、ありがとう…」

 ぽつり、と、私が呟くと、車が停まった。外を見ると、三木ちゃんのご実家の近くの路上に着いていた。ありがとうございました、と三木ちゃんが声をあげて、ゴミの袋を手に持って車から降りていく。

「三木ちゃん、また月曜日ね?」

 窓を開けて、歩道に立って私たちを見送ろうとする三木ちゃんに手を振る。にこっと三木ちゃんが笑顔を向けてくれた。

 運転席の智も、身体を助手席の方に寄せて。、意地悪な笑みを浮かべて三木ちゃんに視線を合わせた。

にも、よろしく伝えてください」

「っ!」

 その言葉に、三木ちゃんが瞠目して大きく息を飲む。その会話の意味が飲み込めず、きょとん、としてふたりの顔を見比べていると。

 智が、くすり、と笑いながら身体を運転席に戻して、ゆっくりと車が動き出した。
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