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本編・第三部
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目の前のダークブラウンの瞳が、ゆっくりと湿っていく。
「……ほんと、知香には敵わねーなぁ…」
そう、呟いて。ぎゅっと、正面から抱きしめられた。
左の耳元で、智の小さな吐息が漏れる。その吐息の甘さに、びくりと身体が震えた。
「……知香。俺のこと、好き?」
「…え?」
抱きしめられた腕の力が、強くなる。
「……俺の、こと。好き?」
何かに縋るように。確認するかのように。私に問いかける。その必死な声色に、胸の奥がズキンと痛んだ。
(……そっか)
智は、きっと。私の向こう側に、片桐さんの幻影を見ている。
(だから……)
さっき。私を見ているのに、私を見ていない、そんな瞳をしていたんだ。
勘違いでも、なんでもなくて。片桐さんの幻影が、そこにあったんだ。
それはまるで。
(片桐さんに、囚われてしまってる、みたい)
片桐さんに暗示をかけられたのは、私だ。でも、今は。
(智が……暗示に、囚われて…)
私が、片桐さんの元に行く、という、暗示に。智自身が、囚われてしまっている。
だったら。この、暗示は私にしか―――解けない。
智にかけられてしまった、片桐さんの暗示が解けるように。ゆっくりと、慈しむように。智の背中に腕を回して、ぎゅうと抱きしめ返す。
「私は智が好きだよ……愛してる」
私の中には、智しかいない。桜を見に行って、膝枕を強請られた時にも口にした言葉を。智に言い聞かせるように、口にする。
「智が私の隣にいてくれたら、それでいい。ほかに、何も要らない」
きっと、これから先。智から私を見ているのに、私を見ていない、今日のような瞳を向けられることもあるだろう。
そのたびに。何度だって、智の心の中に私を刻んで。何度だって……智にかけられてしまった、この呪いのような暗示を。私の手で、解いていくしかない。
ぎゅう、と。もう一度智の身体を抱きしめて。ゆっくりと、身体を離した。
ダークブラウンの瞳と視線が交差する。不安でふるふると揺れ動く、その瞳をしっかり見上げて。
「……愛してる」
そうして。私から。智の薄い唇に、口付けた。
ゆっくりと、唇が離れて。智が、躊躇うように瞳を瞬かせた。その動作が、その仕草が。切ないほど、愛おしい。
「ずっと……怯えてた。片桐の、影に。知香の心の中に、片桐がいるんじゃないかと。ずっと……怖かった」
「……うん」
智の中に巣食う、黒い感情を。全部全部、吐き出してほしい。
私はここにいる。ちゃんと、受け止めるから。
私が全部、受け止める。嘘をつかれたあの日に、智が私の汚い部分を、智を手放したくないと泣いてすがった、あのくしゃくしゃなみっともない姿を、智がまるっと包み込んでくれたように。私も、智の全部を受け止めてあげたい。
そう心の中で呟きながら、智のサラサラの髪をゆっくりと撫でていく。
「知香が、俺から離れていくかもしれねぇって思ったら……怖かった……」
切れ長の瞳が瞬いて、涙が零れ落ちていく。智の声が震えて。長い指が、私の唇に触れた。
私の存在を確かめるかのように。長い指で、私の唇がなぞられていく。
智の瞳から溢れた涙を私の指で拭いながら、智にも、私自身にも、言い聞かせるように。
「大丈夫。何度だって、暗示を跳ね除けてみせる。言ったでしょ?私を好きでもない人のところになんか、絶対に行かない」
智が『私』を見ているから。だから、私はあの時、暗示を跳ね除けられた。
「智が抱えてる、怖いっていう思いも、全部全部、受け止めるから。だから、お願い。私を、見て」
私を見ているのに、私を見ていない、そんな瞳を向けられている、今。
今、目の前に片桐さんがいて、私に暗示をかけてきたら。それを跳ね除けられる自信が、ない。
だから。
「お願い。片桐さんみたいな目で、私を見ないで。……ここにいる私を、ちゃんと見て」
ぎゅう、と。智の、ワイシャツを握りしめて。ダークブラウンの瞳を、真っ直ぐに見上げた。
「お願いよ、智。私を、見て。誰にも渡さないで。世界が滅んでも、私だけは手放さないで」
智が、私を見てくれるだけで。私は、強くいられるから。
私の言葉を噛みしめるように聞いたあと。智が、何かを吹っ切ったように。ほう、と、甘いため息を吐いた。
「……手放さない。絶対に」
そのまま、そっと顔の輪郭を撫でられ、愛しそうに目を細められる。智の指先に灯った熱が、私に向ける愛情に直結している気がして。その熱さに、思わず身動ぎする。
「奪わせや、しない。絶対に。片桐になんか、渡してやらねぇ」
ダークブラウンの瞳に、強い意思を宿して。私を貫いていく。その視線の強さに、どくりと心臓が跳ねた。
「………言ったろ?知香は、俺から逃げられねぇって」
にやり、と。智の口元が、つり上がっていく。
逃がさない、という、智の言葉。
あの夜……片桐さんにも同じ言葉を言われた気がする。けれど、同じ言葉なのに、耳から入ってくるその単語が、私の心に響いて…足の先まで。それこそ、神経が通っていないはずの髪の先まで、あたたかくなっていく。染み渡っていく。
同じ言葉なのに、こんなにも違うのは。片桐さんが智の声色や口調を真似たから、という話ではないのだ、と、思う。
(……智が、私を見て、愛してくれていたから)
智は、私が絶対的に欲しい言葉をくれる。私に与えてくれる大きな愛を返したいと願っているのに、いつだって返せていない事が何とも不甲斐なく感じてしまう。
「うん。わかってる。逃げるつもりもないし。……っていうか、智を私から逃がすつもりもないから」
自信家で、それでいて繊細で、誰よりも優しくて、だけど底なしに意地悪ないつもの智。私が、大好きな、智。
どこか遠くに行ってしまっていたような智が、私のそばに戻ってきた。そう考えるだけで、気持ちが高揚していく。
するり、と。智の首に、私の腕を巻きつけて、コツン、と。額をくっつけた。
「私以外のひとを見ることなんて、許さないから。それが例え、私の向こう側に見えてる片桐さんでも」
切れ長の瞳を見つめながら呟いた言葉に、智がふっと笑い声を上げる。
「俺、独占欲が異常に強い方だと思ってたが……知香も独占欲強いんだな」
智がゆっくりため息をついて。その大きな手のひらで、私の頬を包んだ。
「俺、今、すっげぇ幸せだ。情けねぇ姿、見せてごめんな。それでも……俺を受け入れてくれて、ありがとうな」
ふぅ、と、ため息をついて。恥ずかしそうに笑った。その表情に、私は怒ったように頬を膨らませる。
「当たり前だよ。どんな智を見たって引かないって、前に言ったじゃん。忘れたの?どんな智だって、受け入れるよ。……見た目ワイルドなのに繊細で、それでいてすっごい意地悪で、性欲おばけな智の彼女なんて、世界中探しても私しか務まらないんだから」
むぅ、と、口の先を尖らせながら、ぎゅう、と。ダークブラウンの瞳を睨み上げる。
ゆっくりと、智がその瞳を歪ませて。愉しそうに口の端を釣り上げて。
「……確かにな」
そう、呟いた。
じっと。智の瞳を見つめる。その瞳は、ちゃんと……私を、見ていて。
視線が、絡み合って。くすくすと、小さく笑い合った。
「知香」
低く甘い声が響く。愛おしい人の口から紡がれる自分の名前は、なんと甘美なことか。その甘さに恍惚と酔いしれる。
智が、とっても幸せそうな表情で笑っている。私まで、心が暖かくなっていく。
「なぁに?」
名前を呼ばれたから、優しく問い返すと。
ダークブラウンの瞳が。強い情欲の焔を宿して、私の顔を覗き込んでいた。その瞳が意味する、この後私に起こるナニカを理解して、思考が停止した。
「………え」
「今夜はちょっと加減が出来そうにねぇ。先に謝っとく。ごめん」
そうして、ぴしりと固まったままの私の身体を、ひょい、と、軽々と抱きかかえて、寝室へ続くドアを足で器用に開け、私を優しくベッドに放り投げる。
「……え?えええ?」
こんな時間から何を言い出すのか。智が帰宅した時点で、23時近かったのに。
「ちょ、ちょっと、なんで急にっ!?」
ギシリ、と。智がベッドに膝をついた。スプリングが軋む音がする。さっき緩めたネクタイを、片手でさらに緩めていく。長い指でネクタイの根本を引っ掛けるその色っぽい仕草に見惚れていると、ワイシャツの襟元からネクタイを勢いよく引き抜く衣擦れの音が寝室に響いた。
このまま襲われてはたまらない。明日も仕事は忙しいはず。だって決算業務もやって、月次処理もやる。南里くんと加藤さんは明日から2日間一斉研修だから不在になるけれど、それでも、絶っ対に忙しい。
智も残業をこなしてきて帰宅している。……まして、最近は夜中に起きて、私が魘されていないかと様子を確認していたのだろうから、寝不足になっていたはずだ。
「は、早く寝ないと明日に障るよ!?」
悲鳴のような声を上げながら、ベッドの上でじりじりと追い詰められていく。
私の問いに、事もなさげに智が言葉を紡いだ。
「ん?俺は知香さえ補充出来れば寝なくてもヘーキ」
「……はい!?」
どういう理論だ、それは。今まで聞いた事も見た事もない!
大体、智が平気でも私が平気じゃない。この状況をどうにか脱したくて、懸命に頭を回転させる。
「………ほ、ほら、最近、智、寝不足なんでしょ?相手だったら週末にいくらでもするから、今日は寝よう?ね?」
迫ってくる智の鍛えられた胸板をぐっと押して抵抗する。抵抗する私の腕をするりと捕らえられて、シーツに縫い付けられる。女である私と、男である智。力で、敵うはずもない。
「本当に俺の寝不足が心配なら、えっちして体力落とさせればいーだろ?そしたら夜中に起きなくなる。疲れるから。……知香の無防備な寝顔見て我慢して悶々と起きてるより百倍マシだと思うけど?」
「…!?」
私が心配だから起きていたのは事実。でも、寝不足になっていたのは、そうじゃなくて。襲いたくなる気持ちを悶々と堪えていた、と。そう言いたいのか。
「そもそも、昨日の夜だって知香が今日早出だっつーから我慢したんだ」
ニヤリ、と、智の口の端が上がっていく。
「これからは遠慮しねぇで知香を抱けるな。だって、どんな俺だって受け入れてくれるんだもんな?」
智の言葉に、口がぽかんと開く。まさに、顎が外れそうなほど。
『遠慮』、とは。今まで結構な回数、智に抱かれてきたけれど、遠慮していたとか、本気で言ってるのか、この性欲魔獣は。
目の前の、獰猛な獣の光を宿した、切れ長の瞳を見つめながら。
(……は、早まったかもしれない…)
心の中で、そう呟いた。
「……ほんと、知香には敵わねーなぁ…」
そう、呟いて。ぎゅっと、正面から抱きしめられた。
左の耳元で、智の小さな吐息が漏れる。その吐息の甘さに、びくりと身体が震えた。
「……知香。俺のこと、好き?」
「…え?」
抱きしめられた腕の力が、強くなる。
「……俺の、こと。好き?」
何かに縋るように。確認するかのように。私に問いかける。その必死な声色に、胸の奥がズキンと痛んだ。
(……そっか)
智は、きっと。私の向こう側に、片桐さんの幻影を見ている。
(だから……)
さっき。私を見ているのに、私を見ていない、そんな瞳をしていたんだ。
勘違いでも、なんでもなくて。片桐さんの幻影が、そこにあったんだ。
それはまるで。
(片桐さんに、囚われてしまってる、みたい)
片桐さんに暗示をかけられたのは、私だ。でも、今は。
(智が……暗示に、囚われて…)
私が、片桐さんの元に行く、という、暗示に。智自身が、囚われてしまっている。
だったら。この、暗示は私にしか―――解けない。
智にかけられてしまった、片桐さんの暗示が解けるように。ゆっくりと、慈しむように。智の背中に腕を回して、ぎゅうと抱きしめ返す。
「私は智が好きだよ……愛してる」
私の中には、智しかいない。桜を見に行って、膝枕を強請られた時にも口にした言葉を。智に言い聞かせるように、口にする。
「智が私の隣にいてくれたら、それでいい。ほかに、何も要らない」
きっと、これから先。智から私を見ているのに、私を見ていない、今日のような瞳を向けられることもあるだろう。
そのたびに。何度だって、智の心の中に私を刻んで。何度だって……智にかけられてしまった、この呪いのような暗示を。私の手で、解いていくしかない。
ぎゅう、と。もう一度智の身体を抱きしめて。ゆっくりと、身体を離した。
ダークブラウンの瞳と視線が交差する。不安でふるふると揺れ動く、その瞳をしっかり見上げて。
「……愛してる」
そうして。私から。智の薄い唇に、口付けた。
ゆっくりと、唇が離れて。智が、躊躇うように瞳を瞬かせた。その動作が、その仕草が。切ないほど、愛おしい。
「ずっと……怯えてた。片桐の、影に。知香の心の中に、片桐がいるんじゃないかと。ずっと……怖かった」
「……うん」
智の中に巣食う、黒い感情を。全部全部、吐き出してほしい。
私はここにいる。ちゃんと、受け止めるから。
私が全部、受け止める。嘘をつかれたあの日に、智が私の汚い部分を、智を手放したくないと泣いてすがった、あのくしゃくしゃなみっともない姿を、智がまるっと包み込んでくれたように。私も、智の全部を受け止めてあげたい。
そう心の中で呟きながら、智のサラサラの髪をゆっくりと撫でていく。
「知香が、俺から離れていくかもしれねぇって思ったら……怖かった……」
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智が『私』を見ているから。だから、私はあの時、暗示を跳ね除けられた。
「智が抱えてる、怖いっていう思いも、全部全部、受け止めるから。だから、お願い。私を、見て」
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今、目の前に片桐さんがいて、私に暗示をかけてきたら。それを跳ね除けられる自信が、ない。
だから。
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「お願いよ、智。私を、見て。誰にも渡さないで。世界が滅んでも、私だけは手放さないで」
智が、私を見てくれるだけで。私は、強くいられるから。
私の言葉を噛みしめるように聞いたあと。智が、何かを吹っ切ったように。ほう、と、甘いため息を吐いた。
「……手放さない。絶対に」
そのまま、そっと顔の輪郭を撫でられ、愛しそうに目を細められる。智の指先に灯った熱が、私に向ける愛情に直結している気がして。その熱さに、思わず身動ぎする。
「奪わせや、しない。絶対に。片桐になんか、渡してやらねぇ」
ダークブラウンの瞳に、強い意思を宿して。私を貫いていく。その視線の強さに、どくりと心臓が跳ねた。
「………言ったろ?知香は、俺から逃げられねぇって」
にやり、と。智の口元が、つり上がっていく。
逃がさない、という、智の言葉。
あの夜……片桐さんにも同じ言葉を言われた気がする。けれど、同じ言葉なのに、耳から入ってくるその単語が、私の心に響いて…足の先まで。それこそ、神経が通っていないはずの髪の先まで、あたたかくなっていく。染み渡っていく。
同じ言葉なのに、こんなにも違うのは。片桐さんが智の声色や口調を真似たから、という話ではないのだ、と、思う。
(……智が、私を見て、愛してくれていたから)
智は、私が絶対的に欲しい言葉をくれる。私に与えてくれる大きな愛を返したいと願っているのに、いつだって返せていない事が何とも不甲斐なく感じてしまう。
「うん。わかってる。逃げるつもりもないし。……っていうか、智を私から逃がすつもりもないから」
自信家で、それでいて繊細で、誰よりも優しくて、だけど底なしに意地悪ないつもの智。私が、大好きな、智。
どこか遠くに行ってしまっていたような智が、私のそばに戻ってきた。そう考えるだけで、気持ちが高揚していく。
するり、と。智の首に、私の腕を巻きつけて、コツン、と。額をくっつけた。
「私以外のひとを見ることなんて、許さないから。それが例え、私の向こう側に見えてる片桐さんでも」
切れ長の瞳を見つめながら呟いた言葉に、智がふっと笑い声を上げる。
「俺、独占欲が異常に強い方だと思ってたが……知香も独占欲強いんだな」
智がゆっくりため息をついて。その大きな手のひらで、私の頬を包んだ。
「俺、今、すっげぇ幸せだ。情けねぇ姿、見せてごめんな。それでも……俺を受け入れてくれて、ありがとうな」
ふぅ、と、ため息をついて。恥ずかしそうに笑った。その表情に、私は怒ったように頬を膨らませる。
「当たり前だよ。どんな智を見たって引かないって、前に言ったじゃん。忘れたの?どんな智だって、受け入れるよ。……見た目ワイルドなのに繊細で、それでいてすっごい意地悪で、性欲おばけな智の彼女なんて、世界中探しても私しか務まらないんだから」
むぅ、と、口の先を尖らせながら、ぎゅう、と。ダークブラウンの瞳を睨み上げる。
ゆっくりと、智がその瞳を歪ませて。愉しそうに口の端を釣り上げて。
「……確かにな」
そう、呟いた。
じっと。智の瞳を見つめる。その瞳は、ちゃんと……私を、見ていて。
視線が、絡み合って。くすくすと、小さく笑い合った。
「知香」
低く甘い声が響く。愛おしい人の口から紡がれる自分の名前は、なんと甘美なことか。その甘さに恍惚と酔いしれる。
智が、とっても幸せそうな表情で笑っている。私まで、心が暖かくなっていく。
「なぁに?」
名前を呼ばれたから、優しく問い返すと。
ダークブラウンの瞳が。強い情欲の焔を宿して、私の顔を覗き込んでいた。その瞳が意味する、この後私に起こるナニカを理解して、思考が停止した。
「………え」
「今夜はちょっと加減が出来そうにねぇ。先に謝っとく。ごめん」
そうして、ぴしりと固まったままの私の身体を、ひょい、と、軽々と抱きかかえて、寝室へ続くドアを足で器用に開け、私を優しくベッドに放り投げる。
「……え?えええ?」
こんな時間から何を言い出すのか。智が帰宅した時点で、23時近かったのに。
「ちょ、ちょっと、なんで急にっ!?」
ギシリ、と。智がベッドに膝をついた。スプリングが軋む音がする。さっき緩めたネクタイを、片手でさらに緩めていく。長い指でネクタイの根本を引っ掛けるその色っぽい仕草に見惚れていると、ワイシャツの襟元からネクタイを勢いよく引き抜く衣擦れの音が寝室に響いた。
このまま襲われてはたまらない。明日も仕事は忙しいはず。だって決算業務もやって、月次処理もやる。南里くんと加藤さんは明日から2日間一斉研修だから不在になるけれど、それでも、絶っ対に忙しい。
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「は、早く寝ないと明日に障るよ!?」
悲鳴のような声を上げながら、ベッドの上でじりじりと追い詰められていく。
私の問いに、事もなさげに智が言葉を紡いだ。
「ん?俺は知香さえ補充出来れば寝なくてもヘーキ」
「……はい!?」
どういう理論だ、それは。今まで聞いた事も見た事もない!
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「………ほ、ほら、最近、智、寝不足なんでしょ?相手だったら週末にいくらでもするから、今日は寝よう?ね?」
迫ってくる智の鍛えられた胸板をぐっと押して抵抗する。抵抗する私の腕をするりと捕らえられて、シーツに縫い付けられる。女である私と、男である智。力で、敵うはずもない。
「本当に俺の寝不足が心配なら、えっちして体力落とさせればいーだろ?そしたら夜中に起きなくなる。疲れるから。……知香の無防備な寝顔見て我慢して悶々と起きてるより百倍マシだと思うけど?」
「…!?」
私が心配だから起きていたのは事実。でも、寝不足になっていたのは、そうじゃなくて。襲いたくなる気持ちを悶々と堪えていた、と。そう言いたいのか。
「そもそも、昨日の夜だって知香が今日早出だっつーから我慢したんだ」
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「これからは遠慮しねぇで知香を抱けるな。だって、どんな俺だって受け入れてくれるんだもんな?」
智の言葉に、口がぽかんと開く。まさに、顎が外れそうなほど。
『遠慮』、とは。今まで結構な回数、智に抱かれてきたけれど、遠慮していたとか、本気で言ってるのか、この性欲魔獣は。
目の前の、獰猛な獣の光を宿した、切れ長の瞳を見つめながら。
(……は、早まったかもしれない…)
心の中で、そう呟いた。
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