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本編・第三部

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 支払い項目のピックアップを終えて、小林くんから受け取った畜産販売部の検疫証明書とその他の書類の照合を行なっていると、目の前に座る水野課長から声をかけられた。

「一瀬。税関にアポが取れたから、今からひとまず西浦のみを税関に顔出しに連れて行く。三井商社依頼分の処理を頼めるか」

「はい、わかりました」

「今朝、池野さんから来ていたメールの件だ。俺がやると口にしておいてすまないが、よろしく頼む」

 水野課長の銀縁メガネが天井の照明に反射してキラリときらめいた。耳のあたりで綺麗に切り揃えられた髪が、申し訳なさそうに揺れる。

「いえ、大丈夫です」

 水野課長のその表情に、にこりと笑みを返す。午前中に水野課長と私宛に来ていたメールは、水野課長が自分が担当すると言っていたから、メールの開封だけして内容の確認まではしていなかった。

 照合をしていた畜産販売部の書類を一旦デスクの左に避けて、マウスを手にして社外メール画面をディスプレイに表示させる。差出人が池野さんになっているメールをダブルクリックして、本文を開いた。

(んっと……移入うつしいれ承認の申請?)

 移入承認申請IM。外国貨物を未通関のまま保税工場に置いておく許可を得る手続き。外国貨物のまま日本国内で加工を行うための原料を輸入する際に使われる申請だ。

 今回は、原料となる畜肉をイタリアから輸入し、日本国内の保税工場で加工を施す。完成した製品の一部をイタリアに運び、その他の製品を日本国内で流通させる。

 原料の状態で関税を保留させ、完成した製品が日本国内で流通されるときに、日本で流通させる分だけ、通関処理を行う。これを行うことで、製品の一部をイタリアに運ぶ……所謂『積み戻し』を行う際に、日本に輸入したけれど流通はしていないため、関税を支払わなくて良い、という制度のことだ。

 PDFで添付されている書類を開きディスプレイに表示された申請書を見て、ぴしりと身体が固まった。

(……智の、字だ)

 智が手掛ける新部門は、原料を輸入して日本国内で加工させ、三井商社のブランドとして販売する。
 イタリアに出張に行って、無事に商談がまとまったと聞いている。その件に係る手続き、ということだろう。

(…………なるほど。そういうことか)

 6月の株主総会を経て新部門のプレスリリースが発表される、とのことだったから、私も智からはぼんやりとしか内容を聞いていなかった。

 外国貨物を搬入後3か月を超えて保税作業のために置こうとする場合、または3か月以内に保税作業に使用しようとする場合は、あらかじめ税関に移入承認を受ける必要がある。株主総会を経て新部門が本格稼働となるなら、この時期に移入承認申請を行うのが効率が良い。

 PDFで表示された書類を印刷し、指定保税工場を確認する。移入承認申請に伴い、指定保税工場からもいくつかの書類を入手しなければならない。念のため、私から直接指定保税工場に連絡をして良いものか、三井商社を経由して入手した方が良いのか、確認しておいた方がよいだろう。

 電話機に手を伸ばし、三井商社に電話をかける。池野さんに取り次いでもらうように伝え、保留音が聞こえること数十秒。

『申し訳ありません、池野が外出しておりますのでわたくし邨上が承ります』

 普段聞き慣れた低い声よりも、一段と落ち着いた……電話応対用の声が、受話器を当てている左耳で響いて。しかも久しぶりに聞く敬語だから。一瞬、全身が心臓になったかのようにどくんっと跳ねた。

「……極東商社通関部の一瀬です。池野さまからご依頼頂いていた移入承認申請の件でお電話いたしました」

 電話口からひゅっと息を飲む音がした。

『……あ、はい』

 智とこうして業務の遣り取りをするの初めてだ。三井商社の処理は、基本的に水野課長か小林くんが主に担当していた。私はそれのサポートをしていたに過ぎず、それに、智も新部門の立ち上げで営業からは離れていて、ウチの通関部のとの関わりが数えるほどしか無かったから。旧所属の3課の応援に行く際に少し関わりがあったくらいだろう。

 智の、少しだけ上ずった……驚いているような声色がなんだか面白い。口元が少しにやけそうになるのを必死で堪えて、要件を伝えて受話器を置いた。

(……帰ったらちょっと揶揄おう)

 営業はポーカーフェイスが大事なんだ、なんて言ってたのに。電話口でもわかるくらいにあんなに動揺して。

 ふふ、と、小さく笑みを零して、印刷した書類に目を落とした。















「少し休憩しましょ」

 三木ちゃんに座学での解説を切りの良いところで切り上げさせ、一旦休憩を取ることにした。

 三木ちゃん、加藤さん、南里くんと一緒に休憩ブースに入り、コーヒーを飲みながら地元のことを聞いてみたり、家族構成の話しを聞いてみたりとコミュニケーションを取ってみる。

 加藤さんは外見は清楚系だけれど、話していくと芯がしっかりしていて、総合職を希望するだけはあるなぁという感じだった。

「加藤さんはどうして総合職を希望したの?」

 極東商社では初めての女性総合職新入社員、ということもあって、どうして総合職を希望したのか気になっていた。すると、加藤さんが大きな二重の瞳を切なそうに細めて、少し考え込むように口を開いた。

「顔は朧げにしか覚えていなくて、名前も知らない人なんですけれど……家の近所に、歳上のハーフの人がいて。普段は外国にいるらしくて、たまに日本に帰ってくるくらいの人で……私が小学校に上がるくらいにはもう日本こっちにすら帰って来なくなって」

 なんとなく。加藤さんの、その細めた目に宿る感情が、誰かに似ていて。

(…誰だっけ……)

 ぼんやりと考えていると、こてん、と、加藤さんが首を傾げなら私を見つめた。

「で、その人の影響で、英語が好きになって……大学は英語学科に進学しました。だから英語が活かせる貿易の仕事に興味があったって理由です。……主任はどうして総合職に?」

 さらり、と、艶のある黒髪が揺れる。加藤さんとは身長が同じくらいだから、視線が同じ場所にあって。真っ直ぐに私を見つめる瞳には、切なそうな光はもう宿っていなかったから、誰に似ているのかを思い出すに思い出せなくなってしまった。

 主任、と呼ばれることがなんとなくむず痒く感じる。苦笑しながら、『主任』でなく苗字でいいと加藤さんに告げて。

「取引先に、三井商社っていう会社があるの。そこに池野さんっていう女性営業さんがいるのよ。世界を飛び回った経験があって、自分に軸を持っていて。本当に営業ができる人でねぇ。その人に憧れてるの」

「さっき、一瀬さんがお電話かけていた人ですか?」

 思わず驚いて目を瞬かせる。

「そうそう。よく聞いてたわね?」

 さっき、池野さんに電話をかけて、智が出たときの電話のことだ。私の隣は南里くん、三木ちゃん、加藤さんで並んでいたし、三木ちゃんの説明を聞いていただろうから、さっきの電話を聞いているとは思っていなかった。

 加藤さんが照れたように鼻の頭を掻いて私に視線を合わせる。

「学生時代に事務のバイトしてたとき、同じ部内の会話は出来るだけ聞き耳を立てていた方が、どういう仕事の流れをしているのか把握できる近道だって気がついたので」

 その一言に大きく息を飲んだ。

 配属初日で緊張していただろうに、三木ちゃんの説明を聞きながらしっかりとメモを取りつつ、質問もして。その上で私や水野課長の会話を聞いていた、ということなのだろうか。ハイスペックすぎないか、この子は。

 彼女なら…きっと、あっという間に片桐さんや小林くんの穴を埋められる存在になると思う。

(心強い子が配属になってよかった……)

 ほう、と、小さく息を吐き、南里くんとコミュニケーションを取っている三木ちゃんに視線を向ける。どうも南里くんも野外フェスが好きらしく、さっきから海外アーティストグループの話しで盛り上がっているようだった。

「じゃぁ三木さん、今年の夏フェス一緒に行きませんか?俺チケット取りますから」

「ん~。私、フェスはひとりでいくタイプなの。南里、フェスに行くのも良いけどあんた通関士の勉強もしなきゃいけないのわかってる?さっきの私の説明聞いてた?」

 三木ちゃんが口の先を尖らせて、じとっと南里くんを見つめる。……三木ちゃん、ほんとその表情、綺麗な顔が台無しだよ…。

「あ……そうでした…ガンバリマス」

 一瞬で、しゅん、とした南里くん。やっぱり、チワワが耳を垂れさせているように見えてしまう。可愛い。

(南里くん…2課のムードメーカー的な感じになってくれるかしら)

 西浦係長も穏やかなひとだった。2課は今日から大幅にメンバーが入れ替わる形だったけれど、今後もいい雰囲気で仕事ができそうだ。

「さて……休憩終わり!戻りましょう」

 そう口にして、他愛もない話をしつつ、4人で言葉を交わしながら休憩ルームを後にした。

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