俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる

春宮ともみ

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本編・第二部

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 大きなあくびが出る。2月の冷たい風に吹かれて、耳たぶが冷えていく。

「うう~~…眠い……」

 今日は本当に忙しかった。もうすぐ3月ということもあって、書類の量も凄まじかったのだ。

「なんとか定時で片付いてよかった……ふぁ…」

 頑張りすぎたのか、今日はなんだかすごく眠い。このまま電車に乗ったら寝過ごしそう。

「知香」

 いつもの交差点で、電柱に凭れかかったまま。智さんが待っていてくれた。冷たい風が吹いて、さらりと智さんの黒髪がなびいた。すっとスマホをコートのポケットに仕舞い、手を伸ばされる。私は、躊躇いなくその手を取った。

 お互いに定時であがれるときは、ここで待ち合わせて買い物をして帰ることになっている。といっても、智さんが勤める三井商社は8時半始業17時半終業、対して私は9時始業18時終業だから、智さんをいつも待たせてしまっているけれど。

「いつも待っててもらってごめん…」

 冷たくなった智さんの手が手袋越しに伝わる。その冷たさが申し訳なくて視線が落ちる。私のしょんぼりした声に、ふっと、智さんが笑った。

「いや、いいんだ。好きで待ってんだから」
「……うん」

 その笑顔に、心を撃ち抜かれていく。どれだけ、智さんに溺れればいいのだろう、私は。

「……知香。待ち合わせ場所、ちょっと変えよう」
「え? なんで?」

 智さんが困ったように笑って、私の手を握る力がぎゅっと強くなる。

「……ここだと今日みてぇに風が強い時、くっそ寒ぃんだ。俺が冷えたら、知香の手の体温まで俺が奪っちまうから、さ」

 自分が寒いから、という理由ではなく。私の体温のことまで考えてくれる、その思慮深さに。また、私は……智さんに、堕ちていく。

「……ごめん…ありがとう」
「んーん。夕食の食材、買って帰ろ」

 ふふ、と、智さんがやわらかく笑った。

 私があの家に引っ越して……存在価値と、機能価値の話をしたあの日から。智さんの笑顔が、変わった気がする。

 やわらかくて、優しい。そんな微笑みになった。

(……智さんも…痛みを昇華して、成長した、ってことかしら)

 そんなことを考えながら、ふたりで電車に乗って。自宅の最寄り駅まで出る。最寄り駅近くに、いつも行くスーパーがあるから、そこに立ち寄って、帰る、というルートが定番。

「智さん…ちょっと、寝ていい? なんか眠くて…」

 座席に座って電車に揺られていると、電車内に効かされた暖房の温かい空気に、眠気が誘われていく。

「ん? いーよ、肩貸してやるから」
「ありがと…ごめんね?」

 智さんの肩に寄りかかって、うとうとしていると、すごく心地よい気持ちになってくる。

 ガタンガタンと揺れる電車内の音に紛れて、智さんの穏やかな呼吸がわずかに聞こえてくる。智さんのにおいが香る。安心、できる。

「……知香。もう着くぞ?」
「へ?」

 肩を揺さぶられて目を覚ますと、もうあと一駅で到着、というところまで来ていた。

「……あ…私、ずいぶん寝入っちゃってたみたい。ごめんね?」
「大丈夫」

 ふっと、また智さんが優しく笑う。ふたりで改札を通り抜けて、改札を通り過ぎてすぐのスーパーに立ち寄った。

 智さんが白菜やカブ、ほうれん草にバナナを籠に放りこんでいくのをぼんやりと眺めながら、隣を歩いていく。

 智さんが料理を担当しているから、日々の食材は智さんが購入する。洗剤等の日用品は私が購入して、月に一度レシートを持ち寄って、家賃や生活費なども同時に精算する、という形を取っている。

 ふと、先日田邉部長から手渡された給料明細を思い出して。レジに一緒に並んでいる隣の智さんに声をかけた。

「先月、残業が多かったから、手取りが少し多かったの。共同貯金にいれておくね」

 私の言葉に智さんが目を丸くする。

「いいのか? 知香が頑張った成果なんだから、知香の小遣いにしたっていいんだぞ」
「いいの。今、欲しいものってあんまりないし。それより貯金にしてこの先の生活資金にしたい」
「……貯金だって、無理しなくたっていいんだぞ?俺も稼いでないわけじゃねぇし」

 その言葉に、私はふるふると頭を振って、ダークブラウンの瞳を見つめた。

「ううん。私がそうしたい」

 私がやりたいと言ったことは智さんは基本的に反対しない。それをわかってるからこそ…ズルいとは思っているけれど。『そうしたい』、と口にする。

「……わかった。頼む」

 智さんが優しく笑って、引いてくれる。あのすれ違い以降、日々を過ごしていても喧嘩をしたことがなくて。本当に心地よい時間を過ごしていけている。

 智さんも……そう思ってくれていると、いいんだけど。

 セルフレジで精算をしている智さんが不意に私を向いた。

「知香…5円玉持ってねぇ?」
「5円? あったと思う、待ってて」

 鞄をごそごそと探ってお財布を引っ張り出す。小銭いれのチャックを開けて、5円玉を取り出して、セルフレジに投入する。

「……小銭ってさ。持ってなくていいときはじゃらじゃらある癖に、欲しいときにねぇんだよな」

 セルフレジのパネルをタップしながら、智さんが苦笑する。確かに、言われてみればそうかもしれない。

「そういうものかもしれないね?」

 レシートを受け取りながら、顔を見合わせてくすくすと笑いあった。

 うん。きっと、私たちは同じ気持ちでいるんだ。そう、実感する。

 穏やかで、ゆっくりとした時間。こういう何気ない会話すらも、とてつもなく…愛おしく、幸せな時間を……過ごしていけている、と。







 カチャリ、と、無機質な音がした。オートロックが解錠され、自動ドアが開く。そのままふたりでエレベーターに乗り込んで、玄関を開く。

「ただいま~」

 自分のコートを脱いだ流れで智さんのコートを受け取ろうと手を伸ばすと、逆に智さんの手に私のコートが取られていく。

「??」

 その動作に不思議な顔をしていると、智さんが、こてん、と首を傾げた。

「知香は少し寝てな?」
「え……えぇ? いいよ、洗濯物畳んだりとかするから、コート貸して」

 智さんからふたり分のコートを奪い取ろうとするも、智さんが私の手の届かない高さまで持ち上げる。

「もう生理来るから眠いんだろ? 無理すんなって」

 切れ長の瞳が、心配そうな感情を湛えていた。薄い唇から紡がれたその言葉に、はっと息を飲む。

「…あ…そっか、生理……明日くらいからだ…」

 だから、今日は眠かったのか。月末に近いから、仕事を頑張りすぎた所為かなと思っていたけれど。

「今朝、寝起き悪かったから、そうだろうなって思ってた。だから寝てな、いろいろやっておくから」

 智さんがコートを持っていない手で頭を撫でてくれる。その大きな手が、とても心地よい。

「…う……ごめん………」

 盛大に、甘やかされている。それを感じて、申し訳なさと同時に、途方もない嬉しさが込み上げてくる。

「いいって。その分….生理終わったら覚悟しておけよ?」

 ニヤリ、と。智さんが口の端を吊り上げた。その表情に、その声に。全身がかっと熱くなるのを感じた。

「っ、もうっ、智さんのっ、ばかっ!」

 パチン、と、智さんの腕をはたいて。私は智さんをぎゅっと睨みあげた。私の表情に、智さんがまた、ふっと笑みを浮かべる。

「知香と一緒にいて、生理前になると睡眠が長くなるってことと、食べる量が普段より少し増えるって気づいたんだ。だから、な? 今日は少し多めに作るつもり。もし残っても明日の朝食に回しても大丈夫なメニューだから」

 そう言葉を紡ぎながら、さぁ行った行ったと背中を押されて寝室に促される。

「いつもより食べたり寝たりすることで体力の回復を無意識に行ってるってことだ。生理つぅのはそれだけ体力を消耗するってことだな。まぁ、よく考えたら不要な血液を排出するんだから、体力も消耗するわなぁ。ほんと、人間の身体ってシステマチックに作ってあるよなって実感するぜ?」
「……なるほど…」

 納得はできる。だって、生理前って食欲も増えるし、少し寝坊することもある。身体が無意識のうちに体力回復を求めているくらい、生理中は体力を失うのだろう。そう考えるなら……今日くらいは智さんに甘えてしまおう。

「じゃぁ…お言葉に甘えて、少し寝かせてもらおうかな……」

 私の言葉に智さんが満足そうに頷いた。

「準備出来たら呼ぶから」

 そういって、智さんが暖房のリモコンを操作して、パタンと寝室の扉が閉められた。

 上着だけを脱いで軽く畳んで、枕元に置く。ぽふりと音を立てて布団に沈み込み、掛け布団をずりあげる。

 本当に。本当に、甘やかされている。それしか言葉が出てこない。言葉でも、眠る前に必ず『好きだ』と囁かれて。行動でも、こんなにも愛されていると示されている。

「………幸せすぎて、なんだか怖いくらい」

 頬がにやけるのを止められやしない。効きはじめた暖房のおかげで室温が上がっていく。掛け布団の温かさも相まってうとうとと微睡んでいると、今日の仕事のことが頭に浮かんできた。

 夕方、丸永忠商社の牛肉の通関業務を小林くんに託して終業した。同時に、確か……片桐さんも、うちの水産販売部に頼まれた資料を作るからと残業していた気がする。

(まさか……ふたりだけで残業…とか、やってないよね…)

 微睡んでいた意識がぐわりと急上昇する。ぱちりと目を開けた。

 片桐さんは囲い込みを得意とするタイプでは、という智さんの推測を聞いたからこそ。今日、もし……ふたりだけで残業をしていたなら。

 その事実に行き着き、バクバクと心臓が跳ねだす。横になっているのに、一向に落ち着くことができない。

 片桐さんも、会社でなにかを起こす気は、ない、だろう。だって、縁故入社だから。なにか起こしたら、槻山取締役の顔に泥を塗ることになる。いくら小林くんとふたりきりで残業をすると言っても、仕事中は淡々と業務を遂行している姿を見ているから。私が片桐さんに絡まれるのは休憩中だけ。

 思い起こせば、1課も残業していた。1課は真横のブースだから。

 ……きっと、その辺は、片桐さんだって弁えているだろう。

 その答えに辿り着き、鼓動が徐々に緩やかになっていく。

(……色々、考えすぎなだけよ。生理前だし、マイナス思考になってる)

 生理前はどうしたってマイナス思考になりやすい。だから、こんな事を考えてしまったのだろう。そう自分を納得させていると、リビングから智さんの声が聞こえて。私は布団から抜け出して、リビングに向かった。





「わぁ……!」

 硝子天板のテーブルの上に、白で統一されたお皿たち。そこには、鶏肉とカブのクリーム煮に、ほうれん草のおひたし。パプリカとツナのサラダに、白菜のポトフ。レバーの炒め物まで用意してあった。

「とにかく身体が温まるメニューにした。レバーとおひたしは残ったら明日の朝、一緒に食べよう」

 おいで? と、ソファに誘われる。智さんの隣に座り、手を合わせた。

「いただきます」
「ん、どうぞ」

 ほかほかと湯気が立ち上るご飯茶碗を手に持って、ゆっくりと口に運んでいく。他愛もない話しだったり、仕事の話だったり。ゆったりと言葉を紡いでいく。

 智さんが、水の入ったコップに手を伸ばして、口をつけて。ほぅ、と息を吐くと、唐突に私の方を向いた。

「来月、イタリアに出張が決まった。17日に日本を出て、24日に帰ってくるから」
「イタリア?」

 思わぬ地名に目を瞬かせる。

 そういえば……出会った夜、海外出張に行った時にパスポートを失くして散々な目にあった、ということを聞いていたなぁ、と、ぼんやり思い出す。

「ん。新部門のことで。6泊8日。畜産チームの担当と一緒に行く。再来月は、ノルウェーにも行くことになる」
「そっか………えっと、24日は私、期末慰労会だったと思う」

 三木ちゃんに相談された、東翔会の残額を落とすための飲み会。それが確か24日だった気がする。食事中で行儀が悪いけれど、と断りを入れてテーブルに箸を置き、鞄から手帳を取り出してスケジュールを確認する。

「うん、24日だ」
「そうか。俺が帰国する時間と被るかもしれねぇな。そうなったらどこかで合流しよう」

 お仕事だから仕方ないけれど……8日間も会えないなんて。付き合い始めてから、初めてのことなのでは。時差もあるだろうからなかなか連絡も取れないだろう。

 少しだけ落ち込んだ私に、すまない、と、声をかけて、そっと頭を撫でてくれる。

「俺が好きなチョコレートで、イタリアのブランドのがあるんだ。お土産に買ってきてやるから、それで勘弁してくれ、な?」

 チョコレートを買ってきてもらうのは嬉しいけれど。お土産なんかよりも、智さんが無事に帰ってきてくれることの方が、よっぽど嬉しいお土産だ。

 智さんの瞳が、急に真剣さを帯びた。ダークブラウンの瞳と視線が交差する。


 しばらく、智さんが私のそばからいなくなる。
 ヘーゼル色の、瞳が。不意に…脳裏に蘇る。


 ざわざわと、言いようのない不安感が迫り上がってくる。思わず、手に持った箸を再びテーブルに置いた。智さんの大きな手に、ぎゅう、と、引き寄せられて、抱き締められる。

「知香を……守ってやりたい。けど、出張に行けば……知香を守りきれるか、わからねぇ」

 酷く不安そうな声で、智さんが呟いた。



 幸せすぎて、怖い。そう思っていた。穏やかで、ゆるやかで、幸せな日々が……当たり前でないことを、こうして突きつけられる。



 でも……それでも、私は。

「守られるだけじゃ、いやだ。大事にしてもらってるからこそ…智さんの想いに報いたい。強くありたい」

 智さんをぎゅうと抱き締め返した。

「……智さんが出張中。片桐さんに気をつけて、過ごすから。だから、大丈夫」

 智さんの背中をさすりながら、自分にも言い聞かせるように。言葉を紡いでいく。

「……なんかあったら、俺に教えてくれ。俺が出張に行く前でも、絶対だ。小さなことでも、隠さないでほしい」
「うん、わかった」

 ゆっくりと、身体が離れて。唇が合わさる。クリーム煮の甘い香りが漂っていく。

「出張中、知香に触れられないのに耐えられそうにねぇわ………」

 欲を孕んだ瞳に真っ直ぐに貫かれた。紡がれた言葉と、智さんの表情の意味を理解して。

「も、ほんと、性欲おばけっ!」

 顔を真っ赤にしながら、視線を逸らす。くすくすと、智さんが笑い声をあげた。

(……大丈夫。きっと、なにも、起こらない)

 智さんのふざけたような表情に安堵しながら、そう、自分に言い聞かせた。
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