俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる

春宮ともみ

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挿話

It was like the expression he showed.

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「三木、さん。俺は、一瀬さんを忘れるなんて、出来ないかもしれない。こんな風に言うのは、逃げでしかなくて…卑怯だと、自分でも思っています」

 そう言葉を紡ぐ小林の顔が、今にも泣きそうだった。






 もともとから、じれったいやつだな、とは思っていた。

 だって。入社して、先輩が教育係になって2ヶ月もしないうちに、小林の視線は常に先輩を追っていたから。先輩は平山さんと付き合っている、と、遠回しに教えた。それでも、小林の視線は、変わらなかった。

 先輩が平山さんに捨てられた噂が広がった時。小林が、一歩踏み込むかもしれないな、と思った。だって、あんなに先輩を視線で追っていたから。それなのに、一歩も踏み込むことをせず、挙句の果てに合コンあの場ですら、小林は動かなかった。

 小林は自分自身の恋心にすら気が付けていない、と気づいた時には、じれったいを通り越して腹が立つほどだった。


 でも、そのじれったさに、ほっとした私もいた。小林の想いが実らなかったことは、悔しくて、それでいて安堵した。そんな自分が情けなかった。






 ぼんやりと過去に思考を飛ばしていると、小林の瞳が、小さく揺れた。

「でも……それでも、俺は、死ぬときに後悔したくない。傲慢に、怠惰に、飲み込まれたくない。だから。こんな中途半端な関係は止めて、ちゃんと……」

 その言葉を最後に、黒曜石のような黒い瞳が、湿っていく。



 小林がこの先、口にしたい言葉くらい、すぐにわかる。



 小林に抱かれているとき。先輩を重ねているのだと、ずっと思っていた。それでいいと、思っていた。

 けれど。あの日―――トランクルームで倒れかかった私を、咄嗟に支えに来てくれた時。

 小林の瞳に。先輩ではなく『私』が。私が、映っていることを、認識した。



 だって。私は。この一年間、ずっと……小林のことを、目で追っていた、から。

 小林のその視線が、先輩を重ねているのではなく、『私』を見ている、と。瞬時に気が付いた。


 あの時の言いようのない感情は……一生忘れられないと思う。


 気まずそうに勢いよく腕を引いていった小林の動作に。小林が、いつの間にか先輩ではなく私をみている、という、その気持ちにすら……小林自身が気づいていない、と気が付いて。



 私は、呆れた。
 小林に、呆れた。
 こんな底なしのばかを好きになった私にも、呆れた。



(……こんな時くらい、しっかり言いなさいよ……)

 それでも。こんなにじれったい、こんな時にびしっと決められない、じれったい男でも。






 ―――途方もないくらい、好き、だった。






 こんな時くらい、男に花を持たせてやらないと。小林自身が……自分の心に、先輩の笑顔に、ケリをつけられないだろうから。だから、私は、言いたいことがわかっていても、黙って……聞いていようと、思っていた。






 小林が顔を上げて。ぐっと、私の目を、真っ直ぐに見つめるまでは。






(……なんて顔してんのよ)

 あの日のように。
 私たちの偽りの関係が始まった、あの夜のように。



 ―――ものすごく、傷ついた顔をして、いた。



 都合がいい話だと、虫がいい話だとわかっている。だから、これから先に続ける言葉を拒否される、それもわかっている。

 そんな……覚悟を決めた表情。

 何かに怯えたような。私が惚れた……憂いを帯びた、何かの恐れを孕んだような。そんな…そんな瞳を、していた。






(ほんっと、あんたって、ばかね)




「ちゃんとした関係を、俺たちで築いていけ―――」




(ずっとあんたを見てきた私を、見くびらないで欲しいものだわ)






 ぷつん、と。自分の中の何かが切れて。



 気が付いたら、灰色のネクタイを掴んで。



 小林の、薄い唇に。口付けて、いた。






 抱かれているときは、絶対に正面から抱かせなかった。先輩を重ねていると、知っていたから。こうして、唇を合わせることすら、赦さなかった。





 だけど。もう、小林は。

 ―――私を、見てくれているから。





 唇がゆっくり離れて。

「……じれったいのよ、あんた」

 照れ隠しのように、小林を突き放していく。


 目の前にある、黒曜石のような瞳が。あの日のように……私が小林をはたいて、想いを告げてしまったあの夜のように。

 その瞳が、大きく。動揺で、大きく揺れ動いていた。


 芝居がかったように、はぁっ、と。肩を上下させながら、大きなため息をついた。

「要は、事でしょ? 男なら、こういう時くらいばしっと決めなさいよ。私、なんでこんなじれったいヤツが好きなのかしら」







 小林の一重の眦から、ゆっくりと。一筋の涙が零れていった。



















 そのあと、小林を買い物に付き合わせた。ただただ無言で、私の隣をついてくる。さりげなく車道側を歩き、さりげなく私の荷物を持ってくれる。いつも以上に寡黙な小林との会話はほとんどなかった。

 でも。それだけでも、幸せ、だった。






 傾いた日差しを浴びて隣に並んで歩く、穏やかな時間が過ぎていった。

「……私、異動願い出すから」

 ヒールの音をコツコツとアスファルトに響かせながら、小林にそう伝えた。

 ウチの会社は社内恋愛が多い。だから、小林とこういう関係になった、ということも、別に誰に咎められるわけでもない。けれど。

「同一部内での社内恋愛がバレたらどちらかが異動になるもの。遅かれ早かれ私か小林のどっちかが異動になるわ。それなら先に異動願いを出しておくほうが後腐れもなくていいでしょう」

 もし、私たちがこの先、破綻してしまったら。私は、通関部で仕事を続けられる自信がなかった。



 偽りの関係から始まった私たちだから。傷の舐めあいから始まった私たちだから。

 だから、私は。小林といると、心地いい。安心する。
 小林から与えられる、愛と快楽に溺れ切っているのは、それが……理由だと、知っているから。

 傷を持った者同士は、いつか破綻するということを。
 傷を持った者同士は、同じモノを求めているということを。

 私は―――知っている。

 だからこそ、私は。いつか……いつか、私たちが破綻するときがくる。なんとなく、そう思っていた。




 小林に私の真意を気づかれないように、社内恋愛がバレた時のことを前面に出して、異動の意思を口にした。

 私の隣を歩く小林が、私の言葉に立ち止まった。

「……小林?」

 振り返った私の後ろに立つ小林の表情が、読めなかった。その表情に思わず怪訝な顔になる。

 黒曜石のような黒い瞳に、強い意志を宿して。小林の瞳が、真っ直ぐに、私を―――貫いた。



「俺。邨上の上を行く営業になります。三木さんと、一緒に幸せになるために。俺の人生を、俺のために歩みたい。だから、俺が。通関部から、販売部に……販売部の営業に、異動願いを出します」



 その言葉に、唖然とした。

 だって。数時間前の、小林と。
 あの夜のように、傷付いているような表情をしていた小林と、全然、違う。



 小林自身が―――気が付いている。

 邨上あの人の強い背中に憧憬している、という気持ちに。気が付いて、いる。


 そして。



「……三木さん。傷の舐めあい、なんて思わせる気は、ありませんから」




 じれったいやつだと、思っていたのに。
 鈍いやつだと、思っていたのに。

 傷の舐めあいだと……思って、いたのに。






(……なん、で)






 なんで、小林が。私の気持ちに、気が付いているんだろう。








「……ふっ」

 小林の薄い唇から、小さな笑いが漏れた。あんぐりと口を開けた私の唖然とした表情に、思わず笑みが込み上げたのだと気がついた。

 その事実に、なんとなく気恥ずかしさが込み上げた。

「……あんたって、生意気だわ」

 顔が赤くなるのが、自分でもわかった。わざと口の先を尖らせて、小林の顔を見つめる。

「………生意気で、上等です。スカした笑顔ができるまでになってやりますから」




 ふっと、口の端を歪ませるその表情が。その、仕草が。




 まるで……邨上あの人が、見せる表情のよう、だった。




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