68 / 273
本編・第二部
102
しおりを挟む
「せ~んぱい? 今日は何の日でしょう~?」
三木ちゃんが明るい髪を揺らしてニッコリと微笑みながら、お弁当を摘んでいる私に笑いかけた。
(今日? なにかあったかしら…)
仕事のスケジュールを脳内に思い浮かべるも、心当たりはない。思わず、むぅ、と、口を尖らせて考える。
「うーん? 今日……14日?…あ!」
今日は、3月…14日。ホワイトデー。
「そうです! はい、先輩。私からのホワイトデーですっ!」
ひらり、と、ラッピングのリボンが揺らめいて。私の前に鮮やかなオレンジ色の箱が置かれていく。その光景に、驚きのあまり目を白黒させた。
「え!? 私、バレンタインあげていないのに…」
そう、私はバレンタインは智さん以外にはあげていない。だから、こうして職場でホワイトデーのお返しを貰うなんて思ってもいなかった。ゆっくりと瞬きをして、目の前にあるブラックのアイライナーに彩られた勝気な瞳を見つめ返す。
「えぇ? 貰いましたよ? バレンタインの翌週に」
きょとん、と。三木ちゃんが首を傾げる。その言葉に心当たりがなくて必死に考えを巡らせた。
そして。バレンタイン前日に、随分と初歩的なミスをしてみんなに手伝って貰ったあの光景が脳裏に蘇る。片桐さんに仕事の抱え込みを指摘された……あの時。
それが、片桐さんが張っている囲い込みの罠かもしれないから…警戒してくれ、と……ダークブラウンの真剣な瞳に貫かれた瞬間のことをも思い出して。心のうちでふるりと頭を振って、三木ちゃんに向き直る。
「あ、あれは私のミスをカバーしてくれたお礼よ? 気を遣わなくてよかったのに」
あの時、三木ちゃんには仕事の順番の入れ替えをやって貰って、遠くの銀行まで行ってもらったから……相当な負担だったと思う。そう思って、三木ちゃんにはお値段は張るけれど地元の自慢の銘菓を実家にお願いして送ってもらい、お礼として手渡した。
目の前に座る三木ちゃんが食堂で頼んだハンバーグをお箸で器用に割りながら、口の先を尖らせてじとっと私を見つめる。
「いいんです! 私がホワイトデーにかこつけて、先輩にあげたかっただけです。受け取ってくださいよぅ」
……だから、三木ちゃん。そのジト目、貴方の綺麗な顔に合ってないよ。そんなことを心の中で呟きながら三木ちゃんの顔と、目の前に置かれたオレンジの包装紙を交互に見遣った。
「ぅう~…なんだか申し訳なさすぎて受け取れない…」
やっぱり、これは受け取れない。だって、仕事を手伝ってもらったお礼に対する、お礼だなんて……筋が通らないような、そんな気がする。
「先輩の喜ぶ顔を想像しながら選んだんですぅ~…お願いします! 受け取ってくださいっ」
瞬時に、うるっと。勝気な瞳が大きく揺れて、湿っていくのがわかった。
……ここまで言われて、涙まで浮かべられて。その気持ちを無下にするのは心苦しい。
「………三木ちゃんがそこまでいうなら…ごめんね? ありがとう」
一気に言い終えて、ぎゅっと唇を結んで。ぺこりと頭を下げると、三木ちゃんが満足そうに笑う笑顔が目に入った。
同性の私から見ても、三木ちゃんって本当に可愛いなぁ、と思う。仕事も出来る上に、その場の意見の纏め役も出来て。こうやって気配りも出来て、美人で……笑顔も、こんなにキラキラして、とても魅力的なのに。
この前、三木ちゃんが振られました、と声を震わせていたことを思い出すと、思わず眉間に皺がよる。
……こんなに魅力的な三木ちゃんを振ったという男の人が信じられない。その男の人が目の前にいたら思いっきり頬を引っぱたいてやるのに。
ゴールドのラメが編み込まれた、イエローのリボンが社員食堂の無機質な照明に煌めいている。箱に手を伸ばして「開けていい?」と、視線で訊ねると、「もちろん」という視線が返ってきた。
何が入っているのかな。逸る気持ちを押さえながら、ゆっくりとリボンを解いて開封していく。
「わ………!! 可愛い!」
そこに詰め込まれていたのは、リアルな薔薇の形をした入浴剤だった。赤、青、黄、オレンジ、水色の5色。一輪一輪が、筆記体で『Bath additive』と書かれた別々のクリアケースに、ちょこん、と、飾られている。
「泡風呂になる入浴剤なんです! 綺麗でしょ? 私のお気に入りなんです…!」
ふふん、と。自慢げに三木ちゃんが笑っていた。赤い薔薇の箱を手に取ってじっと観察する。まるで本物の薔薇みたいに綺麗な造形をしている。花びらの葉脈までが繊細に再現されていた。
「綺麗……」
そう呟いて、うっとりと。その繊細な造形を見つめた。
「ソープフラワーはメジャーでしょ? だから同じ形の別の何かにしたかったんです」
三木ちゃんが外箱をすっと触ると、説明が書いてある小さな紙を手に取った。
「入浴剤が薔薇の花びらになってるんです。一枚ずつ剥がして、湯船に置いて、それからお湯を溜めてくださいね。そうすると、お湯が溜まる勢いで泡になっていくので」
「わぁ…ほんと、ありがとう! 素敵」
こんなにワクワクする贈り物を貰ったのは久しぶりかもしれない。あと数日で智さんが日本を発つから、早速今夜のお風呂で使わせてもらって……先に智さんに入ってもらって、感想を聞いてから私も入ろう。
「ほのかにいい香りもするんですよ! しゅわしゅわの泡の肌触りも気持ちいいので、香りと泡の感触を……彼氏さんと一緒に、楽しんでくださいね?」
三木ちゃんが何かを企んでいるように、悪戯っぽく笑う。その言葉の意味を理解して顔が熱くなっていくのを自覚した。
「っ、もうっ、三木ちゃんってば、何言ってるのっ?」
三木ちゃんの言葉の直前に智さんのことを考えていたから余計に恥ずかしかった。赤い顔を必至で隠しながら三木ちゃんを恨めしく見つめる。
私のその表情に三木ちゃんがくすくすと笑って。その笑顔が、嬉しそうなのに、なんとなく……違和感がある。強いていうなら、儚い、と表現するのが適切な気がして。
先月も、こうやって社員食堂で話しているときに、一瞬だけ違和感のある表情をしていたのを思い出した。僅かに翳った勝気な瞳が、瞬時にいつもの瞳に戻ったあの光景が目の前に浮かんでくる。
(あのときの…悩みごと? 解決していないのかなぁ……?)
その次の週に約束通り食事に行ったけれど、その時にも聞き損ねてしまっていたのだった。かといって、三木ちゃんが自分から話してくれないことを無理に聞き出すのも……気が引ける。
相談に乗ってあげたい気持ちはあるけれど…どう声をかけたらいいのだろう。
つぅ、と。手元のお弁当に視線を落とした。
智さんが毎日作ってくれているお弁当。このささやかな幸せを手にするまで、辛いことも苦しいこともたくさんあった。すれ違うことも、ぶつかることもあった。
だけど。報われない苦しみなんて、ないんだと……そう、素直に思うから。
「三木ちゃん。私はいつだって、三木ちゃんの味方だよ。今は辛いと思うけど、絶対報われる日がくるから。三木ちゃんは間違ってなんかないと思うよ」
……自然と、その言葉が出てきた。三木ちゃんが抱えている事情は、私にはわからない。だけど、この言葉を言わなきゃならないような、そんな気がした。
三木ちゃんの勝気な瞳が、大きく見開かれて、揺れた。三木ちゃんが、なにか一言を言い出そうと口を動かした……その、瞬間。
「知香ちゃ~ん? 俺からも、はい。ホワイトデー」
人懐っこい声が、真横から割り込んでくる。癪に障るようなその声の方向を振り向くと。いつの間にか、片桐さんが三木ちゃんの真横に座っていた。
ヘーゼル色の瞳が、私を静かに見つめている。
す、と。その蛇のような瞳が、私から視線を動かして……片桐さんの真横に座った三木ちゃんを見据えた。
「真梨ちゃん? 俺も君の選択は間違っていないと思うよ?」
「っ」
片桐さんが紡いだ言葉に、三木ちゃんが驚いたように息を吸って、ふっと物憂げに目を伏せた。その仕草に違和感を感じた。
「……?」
怪訝な顔をした私を、片桐さんがくす、と笑って。腕を伸ばして、手に持っていた淡いブルーの箱を私の前に置いていく。
「はい。これ。俺からのホワイトデー。いつも仕事でお世話になってるお礼。イギリスのメーカーのチョコレートだよ。智くんと食べて?」
真梨ちゃんにも。と言いながら、片桐さんが三木ちゃんの前にも淡いブルーの箱を置いていく。
智さんと食べて、と片桐さんが口にした通り、私の前に置かれた箱は三木ちゃんのそれよりも一回り大きいものだった。
けれど、智さんにこれを食べてもらうなんて考えたくもなかった。智さんが告白されたと言う人のチョコレートを受け取らず、自宅に持って帰ってこなかったように、私だって片桐さんからのホワイトデーのお菓子を受け取りたくない。
「……私は、いりません。お返しします」
「ええ~。つれないなぁ。別に愛の告白のつもりで渡したわけじゃな~いよ?」
片桐さんが、こてん、首を傾げる。飄々とした雰囲気をその身に纏わせながら、ふわりと笑った。首を動かすと同時に、さらり、と。明るめの髪が揺れる。
その仕草に思わず顔を顰めながら、ヘーゼル色の瞳を睨み返す。
「そういうつもりがなくても、私は受け取れません。お返しします」
仕事でお世話になっているお礼だなんて。片桐さんが育ったイギリスでのホワイトデーの習わしなんてわからないけれど、少なくとも、私は片桐さんから受け取るような義理はないはず。
「んん~。お菓子勿体ないじゃん。せっかく食べられるために作られたのにさ?」
片桐さんが困ったように笑う。
すっとした高い鼻が映える整った顔に……その仕草。見る人が見れば、色っぽく感じるのだと思うけれど。
……片桐さんは、バッサリ断ったって、何度も食いついてくるのだから。正直、鬱陶しくてたまらない。その容姿なら引く手数多だろうになぜ私に固執しているのかも……わからない。
「……では片桐さんが召し上がったらどうですか」
私の言葉に、片桐さんが不機嫌そうに眉根を寄せて口を尖らせる。
「俺、甘いの食べれないんだ」
「……駄々っ子ですか」
はぁ、と、大きくため息をつく。
……食材を無駄には、したくない。目の前のお菓子だって、棄てられるために作られたわけじゃないのだから。
先日、グリーンエバー社に見学に行った時のことを思い出す。きっと、このお菓子だって……たくさんの人の手が関わって、ここにあるもの。仕事で食品の取り扱いをしているからこそ、このお菓子がどんな工程を辿って生産されてきたのか。それに思いを馳せると……申し訳ない気持ちも溢れてくる。
ぎゅ、と、唇を結んで、斜め前に座る片桐さんを見つめた。
「一度受け取ったら、その先は私の自由ですよね?」
私の言葉に、へにゃり、と。片桐さんがふたたび困ったように笑った。
「ん~……知香ちゃんが何を考えてるか大体想像ついたけど。まぁ、いいよ? 受け取ったあとは自由だよ」
よし。言質は取れた。ならば、私が一旦受け取った、そのうえで。
「……三木ちゃん。あげる」
「えっ……私でいいんですか?」
三木ちゃんの、その大きな瞳がこぼれ落ちそうなほど見開かれる。私はその瞳を見つめて、うん、と頷いた。
このまま受け取りたくはない。だけど、お菓子を無駄にはしたくない。そんな思いで出した結論。
「最近、実家に帰る機会が増えたって言ってたでしょ? ご家族のみなさんに持って帰って」
三木ちゃんはご実家が自営業なんだそう。時折帰っては自営業のお手伝いをしている、という話しを聞いたから。これくらいの大きさのお菓子なら、ご家族の方々にすぐ召し上がっていただけるだろう。
私の言葉に片桐さんが思いっきり苦笑する。
「もう、ホントにつれないよねぇ、知香ちゃんってば」
そして。その苦笑いが……心底、愉しそうな笑顔に変わって。
「ねぇ。小林くんのウワサ、聞いた?」
ヘーゼル色の瞳が。獲物を見据えたように……歪んだ。
三木ちゃんが明るい髪を揺らしてニッコリと微笑みながら、お弁当を摘んでいる私に笑いかけた。
(今日? なにかあったかしら…)
仕事のスケジュールを脳内に思い浮かべるも、心当たりはない。思わず、むぅ、と、口を尖らせて考える。
「うーん? 今日……14日?…あ!」
今日は、3月…14日。ホワイトデー。
「そうです! はい、先輩。私からのホワイトデーですっ!」
ひらり、と、ラッピングのリボンが揺らめいて。私の前に鮮やかなオレンジ色の箱が置かれていく。その光景に、驚きのあまり目を白黒させた。
「え!? 私、バレンタインあげていないのに…」
そう、私はバレンタインは智さん以外にはあげていない。だから、こうして職場でホワイトデーのお返しを貰うなんて思ってもいなかった。ゆっくりと瞬きをして、目の前にあるブラックのアイライナーに彩られた勝気な瞳を見つめ返す。
「えぇ? 貰いましたよ? バレンタインの翌週に」
きょとん、と。三木ちゃんが首を傾げる。その言葉に心当たりがなくて必死に考えを巡らせた。
そして。バレンタイン前日に、随分と初歩的なミスをしてみんなに手伝って貰ったあの光景が脳裏に蘇る。片桐さんに仕事の抱え込みを指摘された……あの時。
それが、片桐さんが張っている囲い込みの罠かもしれないから…警戒してくれ、と……ダークブラウンの真剣な瞳に貫かれた瞬間のことをも思い出して。心のうちでふるりと頭を振って、三木ちゃんに向き直る。
「あ、あれは私のミスをカバーしてくれたお礼よ? 気を遣わなくてよかったのに」
あの時、三木ちゃんには仕事の順番の入れ替えをやって貰って、遠くの銀行まで行ってもらったから……相当な負担だったと思う。そう思って、三木ちゃんにはお値段は張るけれど地元の自慢の銘菓を実家にお願いして送ってもらい、お礼として手渡した。
目の前に座る三木ちゃんが食堂で頼んだハンバーグをお箸で器用に割りながら、口の先を尖らせてじとっと私を見つめる。
「いいんです! 私がホワイトデーにかこつけて、先輩にあげたかっただけです。受け取ってくださいよぅ」
……だから、三木ちゃん。そのジト目、貴方の綺麗な顔に合ってないよ。そんなことを心の中で呟きながら三木ちゃんの顔と、目の前に置かれたオレンジの包装紙を交互に見遣った。
「ぅう~…なんだか申し訳なさすぎて受け取れない…」
やっぱり、これは受け取れない。だって、仕事を手伝ってもらったお礼に対する、お礼だなんて……筋が通らないような、そんな気がする。
「先輩の喜ぶ顔を想像しながら選んだんですぅ~…お願いします! 受け取ってくださいっ」
瞬時に、うるっと。勝気な瞳が大きく揺れて、湿っていくのがわかった。
……ここまで言われて、涙まで浮かべられて。その気持ちを無下にするのは心苦しい。
「………三木ちゃんがそこまでいうなら…ごめんね? ありがとう」
一気に言い終えて、ぎゅっと唇を結んで。ぺこりと頭を下げると、三木ちゃんが満足そうに笑う笑顔が目に入った。
同性の私から見ても、三木ちゃんって本当に可愛いなぁ、と思う。仕事も出来る上に、その場の意見の纏め役も出来て。こうやって気配りも出来て、美人で……笑顔も、こんなにキラキラして、とても魅力的なのに。
この前、三木ちゃんが振られました、と声を震わせていたことを思い出すと、思わず眉間に皺がよる。
……こんなに魅力的な三木ちゃんを振ったという男の人が信じられない。その男の人が目の前にいたら思いっきり頬を引っぱたいてやるのに。
ゴールドのラメが編み込まれた、イエローのリボンが社員食堂の無機質な照明に煌めいている。箱に手を伸ばして「開けていい?」と、視線で訊ねると、「もちろん」という視線が返ってきた。
何が入っているのかな。逸る気持ちを押さえながら、ゆっくりとリボンを解いて開封していく。
「わ………!! 可愛い!」
そこに詰め込まれていたのは、リアルな薔薇の形をした入浴剤だった。赤、青、黄、オレンジ、水色の5色。一輪一輪が、筆記体で『Bath additive』と書かれた別々のクリアケースに、ちょこん、と、飾られている。
「泡風呂になる入浴剤なんです! 綺麗でしょ? 私のお気に入りなんです…!」
ふふん、と。自慢げに三木ちゃんが笑っていた。赤い薔薇の箱を手に取ってじっと観察する。まるで本物の薔薇みたいに綺麗な造形をしている。花びらの葉脈までが繊細に再現されていた。
「綺麗……」
そう呟いて、うっとりと。その繊細な造形を見つめた。
「ソープフラワーはメジャーでしょ? だから同じ形の別の何かにしたかったんです」
三木ちゃんが外箱をすっと触ると、説明が書いてある小さな紙を手に取った。
「入浴剤が薔薇の花びらになってるんです。一枚ずつ剥がして、湯船に置いて、それからお湯を溜めてくださいね。そうすると、お湯が溜まる勢いで泡になっていくので」
「わぁ…ほんと、ありがとう! 素敵」
こんなにワクワクする贈り物を貰ったのは久しぶりかもしれない。あと数日で智さんが日本を発つから、早速今夜のお風呂で使わせてもらって……先に智さんに入ってもらって、感想を聞いてから私も入ろう。
「ほのかにいい香りもするんですよ! しゅわしゅわの泡の肌触りも気持ちいいので、香りと泡の感触を……彼氏さんと一緒に、楽しんでくださいね?」
三木ちゃんが何かを企んでいるように、悪戯っぽく笑う。その言葉の意味を理解して顔が熱くなっていくのを自覚した。
「っ、もうっ、三木ちゃんってば、何言ってるのっ?」
三木ちゃんの言葉の直前に智さんのことを考えていたから余計に恥ずかしかった。赤い顔を必至で隠しながら三木ちゃんを恨めしく見つめる。
私のその表情に三木ちゃんがくすくすと笑って。その笑顔が、嬉しそうなのに、なんとなく……違和感がある。強いていうなら、儚い、と表現するのが適切な気がして。
先月も、こうやって社員食堂で話しているときに、一瞬だけ違和感のある表情をしていたのを思い出した。僅かに翳った勝気な瞳が、瞬時にいつもの瞳に戻ったあの光景が目の前に浮かんでくる。
(あのときの…悩みごと? 解決していないのかなぁ……?)
その次の週に約束通り食事に行ったけれど、その時にも聞き損ねてしまっていたのだった。かといって、三木ちゃんが自分から話してくれないことを無理に聞き出すのも……気が引ける。
相談に乗ってあげたい気持ちはあるけれど…どう声をかけたらいいのだろう。
つぅ、と。手元のお弁当に視線を落とした。
智さんが毎日作ってくれているお弁当。このささやかな幸せを手にするまで、辛いことも苦しいこともたくさんあった。すれ違うことも、ぶつかることもあった。
だけど。報われない苦しみなんて、ないんだと……そう、素直に思うから。
「三木ちゃん。私はいつだって、三木ちゃんの味方だよ。今は辛いと思うけど、絶対報われる日がくるから。三木ちゃんは間違ってなんかないと思うよ」
……自然と、その言葉が出てきた。三木ちゃんが抱えている事情は、私にはわからない。だけど、この言葉を言わなきゃならないような、そんな気がした。
三木ちゃんの勝気な瞳が、大きく見開かれて、揺れた。三木ちゃんが、なにか一言を言い出そうと口を動かした……その、瞬間。
「知香ちゃ~ん? 俺からも、はい。ホワイトデー」
人懐っこい声が、真横から割り込んでくる。癪に障るようなその声の方向を振り向くと。いつの間にか、片桐さんが三木ちゃんの真横に座っていた。
ヘーゼル色の瞳が、私を静かに見つめている。
す、と。その蛇のような瞳が、私から視線を動かして……片桐さんの真横に座った三木ちゃんを見据えた。
「真梨ちゃん? 俺も君の選択は間違っていないと思うよ?」
「っ」
片桐さんが紡いだ言葉に、三木ちゃんが驚いたように息を吸って、ふっと物憂げに目を伏せた。その仕草に違和感を感じた。
「……?」
怪訝な顔をした私を、片桐さんがくす、と笑って。腕を伸ばして、手に持っていた淡いブルーの箱を私の前に置いていく。
「はい。これ。俺からのホワイトデー。いつも仕事でお世話になってるお礼。イギリスのメーカーのチョコレートだよ。智くんと食べて?」
真梨ちゃんにも。と言いながら、片桐さんが三木ちゃんの前にも淡いブルーの箱を置いていく。
智さんと食べて、と片桐さんが口にした通り、私の前に置かれた箱は三木ちゃんのそれよりも一回り大きいものだった。
けれど、智さんにこれを食べてもらうなんて考えたくもなかった。智さんが告白されたと言う人のチョコレートを受け取らず、自宅に持って帰ってこなかったように、私だって片桐さんからのホワイトデーのお菓子を受け取りたくない。
「……私は、いりません。お返しします」
「ええ~。つれないなぁ。別に愛の告白のつもりで渡したわけじゃな~いよ?」
片桐さんが、こてん、首を傾げる。飄々とした雰囲気をその身に纏わせながら、ふわりと笑った。首を動かすと同時に、さらり、と。明るめの髪が揺れる。
その仕草に思わず顔を顰めながら、ヘーゼル色の瞳を睨み返す。
「そういうつもりがなくても、私は受け取れません。お返しします」
仕事でお世話になっているお礼だなんて。片桐さんが育ったイギリスでのホワイトデーの習わしなんてわからないけれど、少なくとも、私は片桐さんから受け取るような義理はないはず。
「んん~。お菓子勿体ないじゃん。せっかく食べられるために作られたのにさ?」
片桐さんが困ったように笑う。
すっとした高い鼻が映える整った顔に……その仕草。見る人が見れば、色っぽく感じるのだと思うけれど。
……片桐さんは、バッサリ断ったって、何度も食いついてくるのだから。正直、鬱陶しくてたまらない。その容姿なら引く手数多だろうになぜ私に固執しているのかも……わからない。
「……では片桐さんが召し上がったらどうですか」
私の言葉に、片桐さんが不機嫌そうに眉根を寄せて口を尖らせる。
「俺、甘いの食べれないんだ」
「……駄々っ子ですか」
はぁ、と、大きくため息をつく。
……食材を無駄には、したくない。目の前のお菓子だって、棄てられるために作られたわけじゃないのだから。
先日、グリーンエバー社に見学に行った時のことを思い出す。きっと、このお菓子だって……たくさんの人の手が関わって、ここにあるもの。仕事で食品の取り扱いをしているからこそ、このお菓子がどんな工程を辿って生産されてきたのか。それに思いを馳せると……申し訳ない気持ちも溢れてくる。
ぎゅ、と、唇を結んで、斜め前に座る片桐さんを見つめた。
「一度受け取ったら、その先は私の自由ですよね?」
私の言葉に、へにゃり、と。片桐さんがふたたび困ったように笑った。
「ん~……知香ちゃんが何を考えてるか大体想像ついたけど。まぁ、いいよ? 受け取ったあとは自由だよ」
よし。言質は取れた。ならば、私が一旦受け取った、そのうえで。
「……三木ちゃん。あげる」
「えっ……私でいいんですか?」
三木ちゃんの、その大きな瞳がこぼれ落ちそうなほど見開かれる。私はその瞳を見つめて、うん、と頷いた。
このまま受け取りたくはない。だけど、お菓子を無駄にはしたくない。そんな思いで出した結論。
「最近、実家に帰る機会が増えたって言ってたでしょ? ご家族のみなさんに持って帰って」
三木ちゃんはご実家が自営業なんだそう。時折帰っては自営業のお手伝いをしている、という話しを聞いたから。これくらいの大きさのお菓子なら、ご家族の方々にすぐ召し上がっていただけるだろう。
私の言葉に片桐さんが思いっきり苦笑する。
「もう、ホントにつれないよねぇ、知香ちゃんってば」
そして。その苦笑いが……心底、愉しそうな笑顔に変わって。
「ねぇ。小林くんのウワサ、聞いた?」
ヘーゼル色の瞳が。獲物を見据えたように……歪んだ。
0
お気に入りに追加
1,544
あなたにおすすめの小説
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――
お見合いから始まる冷徹社長からの甘い執愛 〜政略結婚なのに毎日熱烈に追いかけられてます〜
Adria
恋愛
仕事ばかりをしている娘の将来を案じた両親に泣かれて、うっかり頷いてしまった瑞希はお見合いに行かなければならなくなった。
渋々お見合いの席に行くと、そこにいたのは瑞希の勤め先の社長だった!?
合理的で無駄が嫌いという噂がある冷徹社長を前にして、瑞希は「冗談じゃない!」と、その場から逃亡――
だが、ひょんなことから彼に瑞希が自社の社員であることがバレてしまうと、彼は結婚前提の同棲を迫ってくる。
「君の未来をくれないか?」と求愛してくる彼の強引さに翻弄されながらも、瑞希は次第に溺れていき……
《エブリスタ、ムーン、ベリカフェにも投稿しています》
独占欲強めな極上エリートに甘く抱き尽くされました
紡木さぼ
恋愛
旧題:婚約破棄されたワケアリ物件だと思っていた会社の先輩が、実は超優良物件でどろどろに溺愛されてしまう社畜の話
平凡な社畜OLの藤井由奈(ふじいゆな)が残業に勤しんでいると、5年付き合った婚約者と破談になったとの噂があるハイスペ先輩柚木紘人(ゆのきひろと)に声をかけられた。
サシ飲みを経て「会社の先輩後輩」から「飲み仲間」へと昇格し、飲み会中に甘い空気が漂い始める。
恋愛がご無沙汰だった由奈は次第に紘人に心惹かれていき、紘人もまた由奈を可愛がっているようで……
元カノとはどうして別れたの?社内恋愛は面倒?紘人は私のことどう思ってる?
社会人ならではのじれったい片思いの果てに晴れて恋人同士になった2人。
「俺、めちゃくちゃ独占欲強いし、ずっと由奈のこと抱き尽くしたいって思ってた」
ハイスペなのは仕事だけではなく、彼のお家で、オフィスで、旅行先で、どろどろに愛されてしまう。
仕事中はあんなに冷静なのに、由奈のことになると少し甘えん坊になってしまう、紘人とらぶらぶ、元カノの登場でハラハラ。
ざまぁ相手は紘人の元カノです。
あいにくですが、エリート御曹司の蜜愛はお断りいたします。
汐埼ゆたか
恋愛
旧題:あいにくですが、エリート御曹司の蜜愛はお受けいたしかねます。
※現在公開の後半部分は、書籍化前のサイト連載版となっております。
書籍とは設定が異なる部分がありますので、あらかじめご了承ください。
―――――――――――――――――――
ひょんなことから旅行中の学生くんと知り合ったわたし。全然そんなつもりじゃなかったのに、なぜだか一夜を共に……。
傷心中の年下を喰っちゃうなんていい大人のすることじゃない。せめてもの罪滅ぼしと、三日間限定で家に置いてあげた。
―――なのに!
その正体は、ななな、なんと!グループ親会社の役員!しかも御曹司だと!?
恋を諦めたアラサーモブ子と、あふれる愛を注ぎたくて堪らない年下御曹司の溺愛攻防戦☆
「馬鹿だと思うよ自分でも。―――それでもあなたが欲しいんだ」
*・゚♡★♡゚・*:.。奨励賞ありがとうございます 。.:*・゚♡★♡゚・*
▶Attention
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!
過去1ヶ月以内にエタニティの小説・漫画・アニメを1話以上レンタルしている
と、エタニティのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にエタニティの小説・漫画・アニメを1話以上レンタルしている
と、エタニティのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。