【R18】星屑オートマタ

春宮ともみ

文字の大きさ
上 下
24 / 39

24.ぬくもりを乞う

しおりを挟む
「ま……すたー……」

 強引に私たちの間に割り込んだマスター。目の前の人物を認識すると同時に訪れる、数多の疑問。千歳も一昨日――私が景元証券の社長室に足を踏み入れた時のように、大きく目を瞠っている。混乱のままに私が声を落とせば、夜の静寂に呆れたようなため息がひとつ横たわった。

「今日は店休日だからな、都内に買い出しに出てたんだ」
「……店休、日……」

 マスターの本業は周辺のレストランに卸すコーヒー豆の焙煎と販売。けれどあのお店は喫茶店も兼ねており、土日も営業している代わり平日に2日間の定休日を設けている。脳内にカレンダーを思い浮かべ、よくよく考えれば今日はその店休日だと思い当たった。

『あぁ、先日ご紹介するとお約束していた例の喫茶店、もうすぐ閉まってしまいますね。また日を改めていただいた方が私としても助かるのですが』

 つい先ほど。千歳はそう口にしていた。もし、私が今日残業をせずに退勤していた場合、アポをすっ飛ばしたという建前は作れなくなる可能性だってあった。その時はどうするつもりだったのだろうと思っていたけれど、今日は店休日でどの道あの店には行けやしない。店休日だから日程を改めたいという流れに持っていくつもりだったのだろうし、結局はどちらに転んでもよいような計画になっていたのだ。改めて感じる千歳の頭の切れ具合に、眩暈がしそうになる。

「んで、名港区に戻るにはこの道が近道だろ? 来週妹夫婦が帰ってくっからいろいろ買い込んだらだいぶ遅くなったし、近道して帰るかと思ったら、お前らがそこを歩いてる。珍しい組み合わせだなと見てたらなんか言い争いしてるような雰囲気だったし、オイオイと思ってな」
「……」

 マスターがちらりと視線を左側へ向けた。まったく気が付いていなかったけれど、マスターの視線の先には、道路脇にハザードがたかれたままの2ドア仕様の外車が停車していた。誰もが知っている、ドイツの高級自動車メーカーのロゴが月明かりに静かに照らされている。マスターの口ぶりからするに、自分の店の常連客同士が口論をしている様子に、その仲介をしようと慌てて車から下りてきたのだと察した。それだけで、マスター自身がどれほど自分の店に訪れる客のひとりひとりを大切に思っているのかが窺えるような気がした。……それでも。

(……知られたく……なかった、な……)

 先ほどとは違う意味で、視界がゆらゆらと揺らめいた。私が最後に叫んだ『ただのセフレだった』という言葉も、もしかするとマスターは聞いていたのかもしれない。彼にだけは、私と千歳のこの歪な関係を知られたくはなかった。時に親友のように、時に父親のように、人生の壁にぶち当たって蹲ってしまうたびに、そっと腕を引いて立たせてくれて、背中を押してくれる。そんな彼にだけは、こんな惨めな想いを知られたくなかった、のに。

 マスターが割って入ってくれたことで、千歳は必然、私の腕から手を放していた。よろよろと一歩下がれば、カツンとヒールの乾いた音が鳴る。

「……で。お前ら、何やってんだ」

 私を背中に庇うように立ったマスターは、きっと一瞬でこの状況を理解したのだと思う。ひと悶着あった挙句、千歳が私に追いすがっているのだ、と。

「マスターには関係ない。これは俺とやよさんの問題だから」
「俺にはやよいが嫌がっているようにみえるが? 違うか?」
「……」

 マスターの詰問、とも呼べるような勢いに、自分を取り戻したような千歳が不機嫌そうに顔を顰めた。ふたたび訪れた静寂のあと、マスターはまたひとつため息を落とし、ゆるゆると背後の私を振り返った。

「やよい。お前、家この近くだったろ。ひとりで帰れるか?」
「え? …………あ、う、うん」

 思いもよらない質問に、生まれた涙が引っ込んだ。就職する際、出版社は激務だと聞いていたからせめて通勤時間を短くしようと考え、私はこの近くに立つマンションの一室を借りている。その話も、いつだったかちらりとマスターにこぼしたことがある。そんなこともマスターは覚えていたのか。改めて、マスターは顧客のひとりひとりを本当に大切に思っているのだと実感する。

 私がこくこくと頷けば、その返答にこちらに向けられていた琥珀色の瞳がふっと優しい色を灯した。呆けたようにマスターの顔を見上げると、背の高い彼が腕を伸ばし、私の頭を、ぽんぽん、と優しく撫でていく。お店でも、私を慰める時に必ずしてくれるこの仕草。

「気を付けて帰れよ。今日はちょっと肌寒いからな」

 優しく、名残りを惜しむように私の頭から離れたマスターの無骨な手。その手が、不意に千歳の腕を掴んだ。

「で……千歳。俺はお前に話がある」
「ちょっ……!?」

 マスターは千歳の返答を待たず、彼の腕を引いて強引に歩き出した。つんのめるように千歳の身体が前へと揺れる。マスターは引きずるように千歳の腕を引き、私の真横を通って停車していた車の助手席へと長身の躯体を放り込んだ。

「やよい。大丈夫だから。今日はちゃんと寝ろよ?」

 ただ、ひとつ。含みのある笑みを浮かべたまま、その言葉を残して。大きなエンジン音が、私しかいない静かな交差点に響いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

契約結婚のはずなのに、冷徹なはずのエリート上司が甘く迫ってくるんですが!? ~結婚願望ゼロの私が、なぜか愛されすぎて逃げられません~

猪木洋平@【コミカライズ連載中】
恋愛
「俺と結婚しろ」  突然のプロポーズ――いや、契約結婚の提案だった。  冷静沈着で完璧主義、社内でも一目置かれるエリート課長・九条玲司。そんな彼と私は、ただの上司と部下。恋愛感情なんて一切ない……はずだった。  仕事一筋で恋愛に興味なし。過去の傷から、結婚なんて煩わしいものだと決めつけていた私。なのに、九条課長が提示した「条件」に耳を傾けるうちに、その提案が単なる取引とは思えなくなっていく。 「お前を、誰にも渡すつもりはない」  冷たい声で言われたその言葉が、胸をざわつかせる。  これは合理的な選択? それとも、避けられない運命の始まり?  割り切ったはずの契約は、次第に二人の境界線を曖昧にし、心を絡め取っていく――。  不器用なエリート上司と、恋を信じられない女。  これは、"ありえないはずの結婚"から始まる、予測不能なラブストーリー。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~

吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。 結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。 何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

恋とキスは背伸びして

葉月 まい
恋愛
結城 美怜(24歳)…身長160㎝、平社員 成瀬 隼斗(33歳)…身長182㎝、本部長 年齢差 9歳 身長差 22㎝ 役職 雲泥の差 この違い、恋愛には大きな壁? そして同期の卓の存在 異性の親友は成立する? 数々の壁を乗り越え、結ばれるまでの 二人の恋の物語

あまやかしても、いいですか?

藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。 「俺ね、ダメなんだ」 「あーもう、キスしたい」 「それこそだめです」  甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の 契約結婚生活とはこれいかに。

【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜

雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。 【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】 ☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆ ※ベリーズカフェでも掲載中 ※推敲、校正前のものです。ご注意下さい

駆け引きから始まる、溺れるほどの甘い愛

玖羽 望月
恋愛
 雪代 恵舞(ゆきしろ えま)28歳は、ある日祖父から婚約者候補を紹介される。  アメリカの企業で部長職に就いているという彼は、竹篠 依澄(たけしの いずみ)32歳だった。  恵舞は依澄の顔を見て驚く。10年以上前に別れたきりの、初恋の人にそっくりだったからだ。けれど名前すら違う別人。  戸惑いながらも、祖父の顔を立てるためお試し交際からスタートという条件で受け入れる恵舞。結婚願望などなく、そのうち断るつもりだった。  一方依澄は、早く婚約者として受け入れてもらいたいと、まずお互いを知るために簡単なゲームをしようと言い出す。 「俺が勝ったら唇をもらおうか」  ――この駆け引きの勝者はどちら? *付きはR描写ありです。 エブリスタにも投稿しています。

処理中です...