【R18】星屑オートマタ

春宮ともみ

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18.夢の在り処

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 その場にしゃがみ込んだまま赤くなった顔をもとに戻そうと大きな呼吸を繰り返し、自分を落ち着けるようにコンパクトをポーチに仕舞う。指先が震えていることを認識すると思わず小さな吐息がこぼれ落ちていった。

 これまで私の中で考えていた前提が、一気に覆された。千歳は『誰か』の代わりに私を抱いているのだ、と、そう思っていたけれど。でも、そうではないかもしれない。ほくろの位置まで把握するほどに――『私』のことを真っ直ぐに見てくれていたのかもしれない。

(……『逃がさない』…)

 そうであるならば。先ほど亀ちゃんが席を外した瞬間にぶつけられたこの言葉の真意も、なんとなく……掴める、ような気がして。

「~~~~っ……」

 さっきは即座にその言葉の意味が理解できなかったけれど。今、こうしてゆっくり紐解いていけば、思考は肯定そちらへとどんどん傾いていく。かっと全身が燃えるように熱くなった。

(……どうしよ…)

 心を落ち着けてから仕事に戻ろうと思っていたのに、もう言葉がひとつも出てこない。年甲斐もなくうずくまったまま膝を抱えてそこに顔をうずめると、その動作に合わせてさらりと自分の髪が揺れ動いた。

(もし……もし、千歳が…本当に、私を想ってくれて、いるのなら)

 有り得ないと思ってた、億が一の可能性。それがもし、本当だったなら?


 そんな風に……私にとって都合の良い、小さな可能性に。
 もしかすると、私は酔っていたのかもしれない。


『……ら、…………い』
『おま………と、って』
『な……い、…………た』


 レストルームの扉の外。そこから誰かと誰かの小さな会話が、ぽつぽつと響いていた。二人分のその声にゆっくりと現実に引き戻される。

(……そろそろ)

 戻らなければ。今はまだ、取材仕事中なのだ。いつまでもここで時間を浪費するわけにはいかない。頭を大きく振り、千歳の真意を推し測り続ける自分を諫めた。

 幸いなことに彼の連絡先は思わぬ形で知ることが出来た。こんな年齢になってまで恥ずかしい限りだけれど、私は恋愛の駆け引きのイロハなどわからない。自分の感情をきちんと整理するのも後回し。彼とはその後で時間を取ってきちんと話し合うことにしよう。

 なんにせよこの件は後からだと大きなため息を吐き出し、ゆっくりとその場から立ち上がった。壁に取り付けられた鏡で少しばかり身だしなみを整え、ゆっくりと扉へと足を向ける。

 ぽつぽつとした声は今も響き続けている。廊下で立ち話し、だろうか。盗み聞きはよろしくない、というのはわかっているけれど、本当に重要な話題であればこんな場所で会話をするはずはない。誰かが世間話でもしているのだろう、そんな風に結論付け、扉の取っ手に手を伸ばした――その、瞬間。

『千歳。お前』
『だから。お見合いは絶対に受けない。会長にもそう言って』

 遠くから聞こえていたぼそぼそとした声色。私が廊下に近寄ったことでハッキリとしたものとなって、私の耳朶に届けられた。刹那、バシャン、と。頭から勢いよく冷水を浴びせられたような、気がした。取っ手に向かって伸ばした腕も、思考も、何もかも。全身ごと思いっきり強張っている。

(今……の)

 千歳の秘書である、靏田さんの声。それに、千歳本人の……声、だった。靏田さんに言葉を放つ千歳の声色は、大いに苛立ちを含んだようなそれだった。
 恐らく。私がいないうちに靏田さんが何かしらの用で社長室を訪れた。二人は社長室で待機している亀ちゃんに聞かれてはいけないから、と、この扉を隔てた先の廊下に出て会話をしていたのだ。

(…………おみ、あい)

 お見合い。私には縁遠い言葉。その言葉の意味を噛み砕くまで、私には少しの時間が必要だった。


 景元グループの会長――すなわち、千歳のおじいさん。景元グループの創始者・景元千也、その人物から、千歳はお見合いに臨むよう指示が出たのだ。それを靏田さんは千歳に伝えにきて、そしてその指示を千歳は突っ撥ねた……まさにそのタイミングに私は居合わせたのだろう。


 考えてみれば。千歳はいわゆる、財界の御曹司、という立場。
 今もなお拡大を続けていく景元グループに連なる人物。
 閨閥けいばつを目的とした『政略結婚』を求められる……そういった立ち位置の人間だ。


(……そう、だ)

 初めからわかっていた。何度も何度も、自分に言い聞かせてきた。


 私と千歳は価値観が違う。仮に、私たちの想いが本当に通じあっていたとて、年齢も釣り合っていない、そして将来的に子どもを望む私と子どもを望まない彼の願いは平行線で交わることはない。

 私たちに明るい未来は用意されてはいない。例えここで私が千歳の手を取る選択をしたとしても、その先に待っているのは――『破滅』の二文字だ。

 もう私は、出産や育児の事を考えれば後には引けない年齢に差し掛かっている。次に手を取る男性ひとが最後の人であってほしい。
 千歳だって、今舞い込んでいるお見合い話を蹴ると、創業者の総意に反抗したと看做され親族内でも会社内でも立場が悪くなる未来も考えうるシナリオだ。
 私は富裕層の生まれではないから、こうした上流階級の習わしである、各々の影響力を強化し継続させるための婚姻が当たり前に行われている世界のことは、さっぱりわからない。けれど、今千歳が置かれている立場を鑑みるに、その可能性は低くはない、はず。


 ガタン、と。扉が閉まる音がした。その音ではっと我に返る。息を殺して耳を澄ませても、廊下からは静寂しか返ってこない。彼らが会話切り上げ、千歳は亀ちゃんが待つ社長室に戻ったのだろう。
 扉の取っ手を、力の限り握り締めた。手のひらに爪の先が食い込んでいく痛みで、強引に自分を律する。

(……もう。終わらせた、関係…だから)

 そう。私たちは、一月前に終わったのだ。私から告げた一方的な終わりだったかもしれないけれど、それでも終わらせた。だからもう、この先に私と千歳がどうにかなる未来なんて、私の都合の良い、独りよがりの身勝手な夢でしかない。

 唇を震わせて漏れでそうな嗚咽を噛み殺した。暴れだしそうな想いを堪えきれた。だから、もう大丈夫。
 彼の熱い視線を振り切ることだって、千歳の想いに気が付かないふりをすることだって。


 私は――――なんだって出来る。

 お互いのために。
 私は、千歳の手を、絶対に取らない。

 キリキリと胸の奥が痛んだ。その鋭い痛みを抱えながらも、毅然と前を向く。唇を噛み締めたまま、私はゆっくりと目の前の扉を押し開いた。
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