【R18】星屑オートマタ

春宮ともみ

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34.手を伸ばせば、まだ

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「…………はい?」

 何を言われたのか。全くわからなかった。呆けたようにカウンター越しのマスターの顔を見つめる。

「年下がだめなら。年上の俺だったらいいのか?」
「え、」

 何を言われているのか、全く理解ができない。
 ふい、と。マスターが私から視線を外す。そうして、カウンターの内側からこちら側に足を動かしていく。トン、トン、と。マスターが履いているスニーカーの軽い音が、木目張りの床に響いた。

「年上のオバサンに固執するな――千歳には、そう思ってる。さっきお前が自分で言ったろ? 年下はお前にとって恋愛対象として見れない。そういうことなんだ、っとな。……お前よりも年下の千歳が恋愛対象として見れないなら、年上の俺だったら恋愛対象としてみれるのか、ってこった」

 すとん、と。私の隣に、マスターが座った。いつもカウンター越しにしか会話を交わさない彼が、真横にいる。肩が触れそうな距離にいるマスターが吐きだす、吐息。その熱さに、はっと息を飲む。

「……冗談に聞こえるかもしれねぇが。俺は、ずっと前から、お前の事が好きだ」
「……!?」

 ありえない。だって、マスターが、私をそんな目で見ているなんて……これまで微塵も感じていなかった。瞠目したまま、真横のマスターを見つめる。

「まずもって、俺はお前より一回り近く年上だ。だから、叶わねぇ願いだと思っていた。諦めなければ、と自分に言い聞かせた。誰かに振られて愚痴をこぼしに来るたび、せめて俺が慰めてやろうって思ってた」
「ちょ、……え、と」

 混乱のあまり、途切れ途切れの言葉しか紡ぎだせなかった。
 マスターのことは、男性として見たことがない。私にとって、目の前のマスターは……私が悩んだときに。人生の岐路に立った時に、相談に乗ってくれる。絶対的に、味方でいてくれる。そんな位置づけのひと、で。

「お前よりも年下の千歳が、お前にとって恋愛対象じゃねえなら。俺を、そういう対象として見ることはできねぇか?」
「……」

 渋みと深みのある、マスターの声。いつも穏やかに、時にはきはきと紡がれるその声は、今だけは――少し。少しだけ、震えているように思えた。

 眼前にある、琥珀色の瞳。今まで宿っていたのは、父性のような光、だったのに。
 今、目の前ある瞳に。確かなが、灯されて……い、る。

「やよい」

 わずかばかり掠れた声で、私の名前が紡がれた。こちらに伸ばされた手が、私の左頬に触れる。流したままのサイドの髪が彼の節ばった指先によって、そっと……耳にかけられた。

 どくん、と。心臓が跳ねた。

 マスターが自然な流れで私の頤に指を滑らせる。その仕草の意味を理解して、ぎくりと身体が強張った。反射的に腕が動く。
 パンッと乾いた音が響き、同時にガタンっ! と、ひどく大きな音がした。私が立った拍子にカウンター席に備え付けられていた、私が座っていた黒い椅子が倒れた音だった。

「っ、」
「……っ、あ……」

 片手で咄嗟にマスターの頬を打って彼から距離を取った。思わずよろよろと数歩後ずさる。椅子の足の部分がふくらはぎに絡んでバランスを崩しそうになる。ドクドクと早い鼓動を刻む自分の心臓の音を聴きながら、頬に手を当てて顔を伏せたマスターの姿に我に返った。それでも彼の意図は掴めなくて、呆然と彼のその姿を眺めるしかできなかった。

「……っく、本気できやがったな。ったく、お前らは本当に世話が焼ける」
「…………」

 くくく、と笑い声を落としながら肩を震わせる彼の様子に、私は状況が掴めずに混乱したまま彼を見つめ続ける。ふっと顔を上げたマスターが、にやりと口の端に薄く笑みを浮かべる。

「やよい。思い出せ、俺は若いころなにを目指していた?」
「……え……えっと、」

 目の前の彼が浮かべている表情と、唐突すぎる話題に戸惑った。こんな状況で、彼が何を考えているのかまったくわからない。頭が回らない。ただただ投げかけられる問いに思考を巡らせるしか出来ない。これはあれか、禅問答かなにかだろうか。走る心臓を抑えながら浅い呼吸のまま胸元をぎゅうと握り締める。
 マスターの夢。なぜ、彼はコーヒーロースターになろうとしていたのか。若いころ彼が考えていたこと。さっき、取材として――『星霜出版社の鷹城』として聞いたばかりのそれらを脳裏に思い浮かべ、わずかばかり呼吸が引き攣った。

「……役、者」

 思い当たった単語をポツリと呟くと、マスターが「正解」と楽しげに笑みを浮かべる。彼の先ほどの言動は、だったのだ。そう気が付くと全身からどっと力が抜けるよう、で。カタカタと震える身体で大きく安堵のため息を吐きだした次の瞬間、真剣な表情を浮かべたマスターが私を真っ直ぐに見つめていた。

「やよい。逃げんな」
「っ、」

 マスターの強い瞳が、私を真っ直ぐに貫いていく。

「俺はな。嫌なこと、苦しいことから逃げるのは否定しない。それでお前が幸せに生きられるならいくらでも逃げろ。逃げて遠回りしたって、お前が死ぬときに幸せだったって思えればそれでいい。これはお前にずっと言ってきてることだ。――――でもな、自分の心からは逃げんな」
「……ぁ……」

 逃げるな、と。退路を断つ言葉を向けられて、喘ぐように息を吸った。
 私はずっと、逃げてきた。逃げて逃げて、楽な方に流されて生きてきた。そんな自分を変えたいと思って、だからこそあの日に西沢先輩の代打を引き受けた。だというのに、ふたたび巡り会った千歳から――いや、自分の本心から。ずっとずっと、逃げることを選択しつづけている。
 自分よりも若く、未来ある千歳のためと誤魔化して、自分の本心から――私は逃げて逃げて、逃げ続けている。
 そのことに気が付かされた気がして、じわりと視界が歪んだ。

「千歳以外の人間を拒否するくらいには千歳が好きなんだろう。俺から逃げるのは構わん。だがな、何度でもいう。自分の本心から逃げるな」
「……っ、」
「ライターを辞める、っつうのも本心じゃねぇだろう。自分の心から逃げるな、やよい。お前はなぜライターになりたかった?」

 マスターの渋みのある声が――――私を大きく揺さぶっていく。

 どうして私は、ライターになりたかったのか。 今のマスターのような、「演じる人たち」の滾るような熱い想いに触れ、そんな人たちの声なき声を綴る職に就きたい――そんな経験からライターになりたいという夢を抱いた。……その、はずだった。

(ぁ……)

 思わず視線が落ちる。胸元を握りしめていた手をほどき、歪んだ視界の中で震える手のひらを眺める。手を伸ばせば、まだ届くだろうか。逃げて続けてきた私でも……この手を伸ばせば。


 そう考えた刹那、リィン、と。電話機の呼び出し音が、明るいメロディを刻んだ。
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