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1巻
1-3
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◇◇◇
そうしてやってきたお見合いの日当日である。
驚くほどに澄んだ青空が広がる良い天気だった。
本当なら家でのんびりしたり、近くのカフェでゆっくりお茶でも飲みながら雑誌を読んだりしたい。
けれど、今日はお見合いなのだ。
そんなわけにもいかない。
叔母は大袈裟にしないで、という穂乃香のお願いは聞いてくれたようで、最初のご挨拶だけは一緒に行くけれど、すぐにお暇するから、と言っていた。
先日電話があった時のことだ。
『お相手の方も仰々しいのは嫌だとおっしゃるから、今回はホテルのレストランを先方で予約してくださったの。お着物でなくていいわ』
着物でなくていい、と言われて穂乃香はホッとする。
『穂乃香ちゃんのお着物、可愛いからぜひ見ていただきたいけれどねぇ』
「いえいえ、それはまたの機会に……」
穂乃香の気のない感じが伝わってしまったのか、電話の向こうの叔母の声が低くなる。
『穂乃香ちゃん、お断りするつもりじゃないでしょうね?』
(はうっ! つい本音が!)
「いいえ、そんなつもりはありませんから」
慌ててそう言って、穂乃香は電話を切った。
気が重いけれど仕方ない。
ここで穂乃香が断れば、叔母が母にキツく当たることは目に見えているからだ。
穂乃香はため息をついて、叔母から伝えられた場所と時間を、再度確認した。
当日、つい念入りに準備してしまうのは、もう性格なのだとしか思えない。
ナチュラルで肌が綺麗に見える派手ではないメイク、髪もしっかりとツヤが出るように丁寧にセットして、ワンピースは清楚なベージュを選択した。
きっと清楚なお嬢さん、という印象に仕上がっているはずだ。叔母が用意してくれたタクシーで一緒にホテルに向かう。
その間も「今日いらっしゃるのは本当に素敵な人だから」とかそんな話を延々と聞かされていたのだ。
そして、目の前にいる人物に、穂乃香は言葉を失くしていた。
それはその人物のほうも同様だ。
穂乃香の目の前にいたのは、スーツの似合う、涼し気な目元の眉目秀麗な……毎日見ている上司である。
華やかな艶のある素材のスーツは普段会社に着てくるものとはまた違うが、そんな姿も素敵なのは間違いない。
しかしお互いの紹介を痒くなるような思いで聞いていたのはおそらくお互い様のはずだ。
「穂乃香ちゃん、桐生さんはね、大学をとっても優秀な成績で卒業された後に大きな会社に入社されて、今も社長さんに期待されているエリートの方なのよ? お若くして課長さんなんですって!」
(ええ。存じてます。榊原トラストですよね。社長というかCEOですよね。ものすごく期待されているから専属アシスタントが持てるわけですよね。目の前にいますけども)
そして確かにエリートだ。穂乃香の会社のトップクラスの営業マンである。
「本当にご立派なご経歴よね?」
(あのー、社名は確認してないの?)
叔母には本当にこういうところがある。
そして、向かいに座った女性も口を開く。
「聡志、穂乃香さんはね、こちらにいらっしゃる私のお華のお友達の姪御さんで、大きな会社で受付業務をされていらっしゃった方なんですって。可愛らしい方よね? とっても清楚だし。受付なんてやりたくてもできるお仕事じゃないですものねぇ? 本当に素晴らしいわ」
(今は受付ではないんですよー。そのお隣にいらっしゃる方のアシスタントなんですよー)
そして、清楚でも、おっちょこちょいなのはバレている。
「そうですね」
目の前の桐生は微妙な顔をしていた。普段会社にいるときには見せたことがないような顔だ。
「聡志、愛想がないわよ。穂乃香さん、ごめんなさいね? 本当に愛想のない子で。でもいい子なのよ?」
さすがのエリート営業マンも母親にかかっては形無しだ。
愛想のない子扱いである。穂乃香は笑いそうになった。それをひやりとした瞳で見られて慌てて真面目な顔を取り繕う。
「穂乃香ちゃんも入社したときは受付だったんだけれど、今は優秀な方の専属秘書? か何かしているのよね?」
「いえ……アシスタントです」
叔母の適当さ加減に、穂乃香は言葉も少なくなってくる。頼むから盛らないでほしい。
おほほほ~とおば様たちは不思議な盛り上がりを見せていた。
(あの……もういいから早く帰ってくれないかな?)
「お母さん、そろそろ……」
さすがにいたたまれなくなったのか、桐生がそうっと促す。
やはり血の繋がりは隠せないということか、桐生の母はとても綺麗でサバサバとした人だった。
「あら、そうね? 気づかなくてごめんなさいね? じゃあ、あとはお二人でごゆっくり~」
二人が立ち去っていくのを見て、桐生と穂乃香は深くため息をついた。
「お見合い?」
桐生に聞かれて穂乃香はうつむく。
「は……い」
「なんでまた……」
そう言う桐生は呆れているように見えた。
一瞬無言になったけれど、この際だから言ってしまおうと、決意して穂乃香は顔を上げた。
もう、どうせこんなお見合いはお断りされるのだろうし、構わない。
穂乃香は目の前の桐生をまっすぐ見つめる。こんなふうに正面から見たことはないかもしれない。
桐生も驚いたような顔をしていた。そんな顔ですらイケメンなのはどうなのだろうか。
「結婚しようって思ったんです。……仕事に向いていないから」
「え? いや、佐伯さんは頑張っているだろう」
「そんなふうに思ってないくせにっ」
仕事中にはそんな言葉は絶対に使わないけれど、今は正直に言うと決めた穂乃香である。桐生は動揺したように見えた。
「思ってるよ! なんで、そう思うんだ⁉」
「だって、私なんて何にもできないし! 桐生課長だってそう思っていらっしゃるんでしょう? 使えない奴だって。だから、もう結婚して辞めようって……」
「ちょっと待て! そんなふうには思っていないぞ」
「無理しなくていいです」
「そんなつもりは……」
微妙な雰囲気に、穂乃香は水を飲もうと背の高いグラスに手を伸ばす。
けれどやはり動揺していたのかもしれない。手が引っかかって、水で満たされたグラスを倒してしまったのだ。
「あっ……」
「おい。大丈夫か?」
動揺していたうえに、グラスを倒して水をこぼしてしまって、穂乃香はもう泣きそうで身動きできなかった。
そんな穂乃香をよそに、桐生はさっと席を立って、おしぼりで穂乃香の濡れた服を拭いてくれる。いつもは堂々とした人なのに、穂乃香の足元に跪いて拭いてくれているのだ。
「大丈夫か? グラスが割れたりしなくてよかったな」
桐生はレストランの人にも乾いたタオルを頼んだりしていた。
プライベートでもリーダーシップは発揮されるうえに、普段の仕事中にはない優しい言葉に、穂乃香はますますどうすればいいのか戸惑う。
「水だからシミにはならないと思うが……。これでは帰れないだろう。乾かしたほうがいいな。部屋を取ろう。少し待っていてくれ」
その判断力でいつも仕事をしていることは、穂乃香が誰よりもよく分かっている。
桐生はテキパキと客室の手配をし、チェックインした後、部屋まで案内してくれた。
「服はタオルドライして部屋の中に干しておけば、すぐ乾くと思う。それまでは申し訳ないが、バスローブかなにか着ていてくれ。ああ、食事はこっちに持ってきてもらうよう手配したから」
「はい」
桐生からバスローブを受け取って、穂乃香はバスルームで着替える。
ワンピースを脱いだら、ブラジャーにまで水が沁みていたので、やむなくブラも外した。
そうして急に落ち込んでしまったのだ。
普段会社でも迷惑をかけているのに、叔母が桐生の会社と穂乃香の会社が一緒であることにも気づかずお見合いをセッティングしてしまうし、穂乃香はグラスを倒して、こんなふうに部屋まで取ってもらうくらいに迷惑をかけてしまった。
それに、上司の前でよりにもよってバスローブ姿!
恥ずかしすぎる。もう人生でこれ以上の恥を晒すことはないような気がするくらいだ。
穂乃香は意を決してカチャ……とバスルームのドアを開ける。桐生は大きな窓から腕を組んで外を見ていた。
すらりとしていて、けれど大きな背中。
ジャケットは脱いで掛けていたけれど、ベストは着たままのその姿は、会社にいる時の桐生のようだ。
けれどそれなのに、まとう空気はどこか会社にいる時よりも柔らかい。
いつもは近寄り難いくらいの、硬質な空気をまとっているから。
バスルームのドアの開いた音で振り返った桐生は、穂乃香を見て一瞬目を見開く。
「あ、の……お見苦しくて、すみません……」
「ん?」
バスルームから離れがたい。というか桐生のそばに行きづらい。
あんなに見とれるほど綺麗な桐生の前なのに、自分はバスローブ姿なんて。
「見苦しい?」
「その……こんなバスローブとか……」
「セクシーだよ」
言う桐生の目が笑っていた。
からかわれている。
「座って」
窓際にはテーブルと一人がけの椅子が二脚、向かい合って置いてある。
穂乃香はそこに座った。
「俺は、その……言葉がキツくて悪い。特に仕事中はキツいと思う」
気まずそうに桐生は言葉を続ける。
「いえ、でもそれは桐生課長が真剣にお仕事されているからだって、分かっています」
穂乃香はぎゅっと手のひらを握った。
「分かっているからこそ、私ではお役に立てないから申し訳ないって思うんです。それに桐生課長、私のことバカだって思っていますよね?」
「さっきも言ったが、そんなふうに思ったことはないぞ。一生懸命努力しているし、佐伯さんは見ていて和む」
(和む……?)
「一生懸命さが多少の失敗をカバーする可愛らしさがある、というか」
ピンポーンと部屋のインターフォンが鳴って、穂乃香が立とうとすると、桐生が手のひらを穂乃香に向けてそれを制した。
「いいから、君は座っていて」
すとん、と穂乃香はソファに座る。
インターフォンはルームサービスで、桐生が部屋に運んでもらったものだった。
目の前のテーブルに料理が並べられるのを見るともなく見ながら、急にホテルの部屋に二人きりだというこの状況に、穂乃香はドキドキしてきてしまった。
(しかも……桐生課長、会社にいる時と雰囲気が全然、全然違うんですけど‼)
会社にいるときのように叱られるようなこともない。きっと、付き合っている彼女には、こうして優しいのだろう。
桐生はさらに、ルームサービスでワインまで頼んでいた。
「もう、飲んでしまわないか?」
ワイングラスを穂乃香に掲げて見せて桐生は苦笑している。
お見合いならば、アルコールは本来ナシだと穂乃香も分かっている。
けれど確かにもうこれは、飲みでもしなければお互いやっていられない状況なのも間違いはない。
「ですね」
穂乃香も微笑んで同意した。
「ワインは適当に選んでしまったんだが大丈夫か?」
「そんなにこだわりはありませんから」
プライベートの桐生の優しさを意外に感じながら、穂乃香は答えた。
ワインを注いでもらって、桐生が客室係にもういいよ、と告げる。客室係は頭を下げて出ていってしまい、部屋の中でまた二人きりになってしまった。それでも穂乃香はもう最初のような居心地の悪さは感じていなかった。
乾杯して軽くグラスを重ね、お互いワインに口をつける。
ふわりと鼻から抜ける芳醇な香りに、高いワインなのかも、と穂乃香は感じる。
「桐生課長は……」
ワインが来たことですこし和らいだ雰囲気になり、食事をしようとお互いナイフとフォークを手にとった。
「……なんでお見合いなんて、される気になったんですか?」
桐生が息を呑むような気配がして、沈黙が訪れた。
桐生は少し動揺しているように見える。
(――まさかね)
「……適齢期かなって思ったんだがな」
気を取り直して、桐生は当たり障りのない言い訳を口にする。
「だって、トラストのトップセールスですよね? 選り取りみどりじゃないんですか?」
はあ……と軽いため息が桐生から漏れ聞こえてきた。ため息をつく姿すらスマートなのもどうなんだろうか。
「俺にそんな時間あると思うか?」
実際、その通りだ。
桐生の会社でのスケジュールは、ほぼ分刻みである。
「あ、まあ、そうですよねぇ」
「佐伯さんこそ、そんなに綺麗なんだし、受付していたわけだから、モテるだろう?」
「そうですね……」
「否定はしないんだな」
「受付ですって言うと目の色が変わるんです。変な制服好きの人とかには『制服着てほしい』とか言われるし」
桐生はくすくす笑っている。
「ま、分からなくもない」
「桐生課長、制服好きなんですか?」
まさかお前もか⁉ という表情でつい見てしまう穂乃香だ。
「そういうことではなくて、制服ってストイックさを感じるだろう。だから性癖がなくても惹かれるのは分かるってこと。女性だって制服にはドキドキするんじゃないのか?」
確かにその通りかも。否定はしない。
「それに佐伯さんは本当に綺麗だから、見てみたいと思う気持ちも分からなくはない」
「桐生課長だって観賞用って言われてますよ!」
「それは皮肉も込めてじゃないか?」
「そうなのかしら?」
穂乃香は首を傾げる。
「佐伯さんはどう思うんだ? 観賞用?」
どう思うのか、そう聞かれて穂乃香は考えてみる。
怖い人かと思っていたけど、今こうしてここにいる桐生はスマートで優しくて、最初よりも魅力的だと思う。
そんなふうに意識したら、急に顔が熱くなってきてしまった。
その素敵な人の前で、くどいようだが、バスローブ姿の自分。
「顔、赤くないか?」
「だって、私……課長のこと、素敵だって思います。なのに、すっごくいろいろドジってしまって……しかも桐生課長はそんなに素敵なスーツ姿なのに私はバスローブなんですよっ⁉」
「そうだな。目のやり場に困るくらいのな。……もう、今日は思ってもないことが起きすぎたな。お互い腹を割って話そう」
「はい」
穂乃香には先ほどからその覚悟はできていた。きりっと桐生を見つめる。
「……で? どうする? 辞めて結婚するか?」
「え⁉」
「俺はそれでもいいけど」
桐生が目を細めて微笑むので、穂乃香は顔を赤くしてうつむくしかできなくなってしまった。
(――このスマートさが素敵すぎるんだけど、どうしたらいいの⁉)
「さっきの……モテても、相手にはしていないんだろう?」
こくりと穂乃香は頷く。
「そうか。では今はそういう相手はいない、という認識で間違いはないんだな?」
「ええ」
「分かった」
何を分かったのだろうか……?
桐生は立ち上がり、そっと腰を折り、うつむく穂乃香の顎に手を触れる。そうして、顔を持ち上げた。
穂乃香は端正な桐生の顔を間近で見て、鼓動が大きくなるのを感じる。
「桐生……課長っ」
「違うだろう? 聡志、だよな?」
穂乃香の顔がとんでもなく熱い。絶対真っ赤だ。
それは穂乃香に桐生のことを名前で呼べ、ということで︱︱それに、違うだろう? と首を傾げる桐生は、見たこともないくらいに壮絶な色香を放っている。
(それに、声っ……。なんかやらしいっ……)
低くて、甘い。
桐生がソファの背に手をつく。まるで何かのスイッチが入ってしまったかのようだ。
壁ドンに近いその距離に、穂乃香は激しくなる鼓動を抑えることはできなかった。
「穂乃香……」
(きゃぁぁぁあぁ! 近いよ! やっぱりむっちゃイケメンだしなんなのっ? こんな桐生課長見たことない! どうしよう⁉ 色気が……フェロモンがやばすぎるんですけど!)
確かに桐生は顔もスタイルも穂乃香の好みどストライクだった。
会社では呆れたような表情や、冷めた口調ばかりで、穂乃香のことなど嫌いなのだと思っていたのに。
「穂乃香」と名前を呼ばれて初めて分かった。この人に名前を呼んでほしい。
もっともっと、呼んでほしい。
――「穂乃香」って、甘い声で呼んでほしい!
「あ……聡志、さん……」
甘えたような声が漏れてしまった。
けれどそんな穂乃香にも桐生は低く笑って「ん?」と甘い声で返事してくれて、緩く唇を重ねられた。
さらりとした唇の感触が心地いい。柔らかく唇を食まれて、その顔が離れたとき、穂乃香はつい唇で追ってしまった。
ちゅ……という音が聞こえて穂乃香は恥ずかしくなってしまったのだけれど、桐生は嬉しそうに笑ったのだ。
「穂乃香、可愛すぎ」
そんなふうに言われて抱き上げられたら、抵抗なんてできるわけがない。むしろするつもりもなくなってしまうというか。軽々抱き上げられたら胸がきゅんとするというか。
抱き上げられて連れていかれた先がベッドルームでも。
桐生は穂乃香をそっとベッドに置いてくれた。
「いやなら、今言って」
そう言った桐生の表情は真摯で、きっと穂乃香が嫌だと言ったらやめてくれるのだろう。
けれど穂乃香は首を横に振ってきゅうっと桐生に抱きついた。
だって今日は正直になるって決めたもの。
「やじゃない……です」
桐生の大きい手のひらと、長くて綺麗な指。
仕事中にもたまに見とれてしまうことがあったその手が、穂乃香の肌に触れている。
すらりとした指が、首筋から胸元にかけてゆっくりと撫でていく。その指先がバスローブの合わせ目につっ……と引っかかった。
それだけで穂乃香はどきんとしてしまう。
その指を動かしたら、胸が見えてしまうから。
「普段、穂乃香は胸元が見える服なんて着ないからな。スタイルいいんだな」
「恥ずかし……」
「綺麗だって。もっと見せて」
シュルッと音をさせてバスローブのリボンを解かれてしまう。ブラジャーはさっき外してしまったので、ふるっと胸がバスローブからこぼれてしまう。思わず穂乃香は胸元を手で隠してしまった。
指を絡められ、その両手をベッドに縫いつけられる。
「隠すなよ。綺麗なんだから、見せろって言ったよな?」
低く耳元でささやく声にとろけそうだ。
桐生の端正な顔立ちの中でもいちばん好みなのは、その切れ長な瞳だ。次に好きなのがやや薄めの唇で、今その唇がゆっくりと穂乃香の耳元から首筋をたどっていく。
「もっと、触れたい。穂乃香」
「あ……」
少し強引に胸元から外された手を、頭の上で片手で緩く押さえられる。恥ずかしいのに、その恥ずかしさにさえ穂乃香は感じてしまうのだ。
「どこが気持ちいい? 耳は? 首とか?」
聞かれて、耳元に熱い吐息がかかる。
それだけでも、穂乃香は身体の真ん中が熱くなってしまって、びくびくしてしまうのを感じた。
「感じやすくて可愛いな」
すうっと鎖骨から胸元にかけて撫でられるだけで、身体がぴくん、と揺れてしまうのだ。
「びくっとしたな。感じた? まだ、肝心なところにはどこも触れていないのに? これだけで?」
ちょっと意地悪っぽい囁きにまで背中がぞくんっとするのを穂乃香は感じる。
「っあ……」
もう耳元で囁かれるそのやらしい声と、肌を撫でる手のひらだけで、おかしくなりそう……
「聡志さん、私だけ、いや。お願い、聡志さんも……」
さっきから、穂乃香はバスローブをめくられてしまったりしているのに、桐生は胸元一つ緩んでいないのだ。
「ん。いいよ?」
桐生のその声に穂乃香は胸がきゅん、とした。
――いいよ? そんなに甘い声と言葉、仕事中に聞いたことがない。
(しかも、片手でネクタイを解くその仕草ヤバいですっ!)
「なんて目で見てるの。すごく可愛いな。プライベートの穂乃香はこんなに可愛いんだ……」
(その言葉、そっくりそのままお返ししたい……)
そうしてやってきたお見合いの日当日である。
驚くほどに澄んだ青空が広がる良い天気だった。
本当なら家でのんびりしたり、近くのカフェでゆっくりお茶でも飲みながら雑誌を読んだりしたい。
けれど、今日はお見合いなのだ。
そんなわけにもいかない。
叔母は大袈裟にしないで、という穂乃香のお願いは聞いてくれたようで、最初のご挨拶だけは一緒に行くけれど、すぐにお暇するから、と言っていた。
先日電話があった時のことだ。
『お相手の方も仰々しいのは嫌だとおっしゃるから、今回はホテルのレストランを先方で予約してくださったの。お着物でなくていいわ』
着物でなくていい、と言われて穂乃香はホッとする。
『穂乃香ちゃんのお着物、可愛いからぜひ見ていただきたいけれどねぇ』
「いえいえ、それはまたの機会に……」
穂乃香の気のない感じが伝わってしまったのか、電話の向こうの叔母の声が低くなる。
『穂乃香ちゃん、お断りするつもりじゃないでしょうね?』
(はうっ! つい本音が!)
「いいえ、そんなつもりはありませんから」
慌ててそう言って、穂乃香は電話を切った。
気が重いけれど仕方ない。
ここで穂乃香が断れば、叔母が母にキツく当たることは目に見えているからだ。
穂乃香はため息をついて、叔母から伝えられた場所と時間を、再度確認した。
当日、つい念入りに準備してしまうのは、もう性格なのだとしか思えない。
ナチュラルで肌が綺麗に見える派手ではないメイク、髪もしっかりとツヤが出るように丁寧にセットして、ワンピースは清楚なベージュを選択した。
きっと清楚なお嬢さん、という印象に仕上がっているはずだ。叔母が用意してくれたタクシーで一緒にホテルに向かう。
その間も「今日いらっしゃるのは本当に素敵な人だから」とかそんな話を延々と聞かされていたのだ。
そして、目の前にいる人物に、穂乃香は言葉を失くしていた。
それはその人物のほうも同様だ。
穂乃香の目の前にいたのは、スーツの似合う、涼し気な目元の眉目秀麗な……毎日見ている上司である。
華やかな艶のある素材のスーツは普段会社に着てくるものとはまた違うが、そんな姿も素敵なのは間違いない。
しかしお互いの紹介を痒くなるような思いで聞いていたのはおそらくお互い様のはずだ。
「穂乃香ちゃん、桐生さんはね、大学をとっても優秀な成績で卒業された後に大きな会社に入社されて、今も社長さんに期待されているエリートの方なのよ? お若くして課長さんなんですって!」
(ええ。存じてます。榊原トラストですよね。社長というかCEOですよね。ものすごく期待されているから専属アシスタントが持てるわけですよね。目の前にいますけども)
そして確かにエリートだ。穂乃香の会社のトップクラスの営業マンである。
「本当にご立派なご経歴よね?」
(あのー、社名は確認してないの?)
叔母には本当にこういうところがある。
そして、向かいに座った女性も口を開く。
「聡志、穂乃香さんはね、こちらにいらっしゃる私のお華のお友達の姪御さんで、大きな会社で受付業務をされていらっしゃった方なんですって。可愛らしい方よね? とっても清楚だし。受付なんてやりたくてもできるお仕事じゃないですものねぇ? 本当に素晴らしいわ」
(今は受付ではないんですよー。そのお隣にいらっしゃる方のアシスタントなんですよー)
そして、清楚でも、おっちょこちょいなのはバレている。
「そうですね」
目の前の桐生は微妙な顔をしていた。普段会社にいるときには見せたことがないような顔だ。
「聡志、愛想がないわよ。穂乃香さん、ごめんなさいね? 本当に愛想のない子で。でもいい子なのよ?」
さすがのエリート営業マンも母親にかかっては形無しだ。
愛想のない子扱いである。穂乃香は笑いそうになった。それをひやりとした瞳で見られて慌てて真面目な顔を取り繕う。
「穂乃香ちゃんも入社したときは受付だったんだけれど、今は優秀な方の専属秘書? か何かしているのよね?」
「いえ……アシスタントです」
叔母の適当さ加減に、穂乃香は言葉も少なくなってくる。頼むから盛らないでほしい。
おほほほ~とおば様たちは不思議な盛り上がりを見せていた。
(あの……もういいから早く帰ってくれないかな?)
「お母さん、そろそろ……」
さすがにいたたまれなくなったのか、桐生がそうっと促す。
やはり血の繋がりは隠せないということか、桐生の母はとても綺麗でサバサバとした人だった。
「あら、そうね? 気づかなくてごめんなさいね? じゃあ、あとはお二人でごゆっくり~」
二人が立ち去っていくのを見て、桐生と穂乃香は深くため息をついた。
「お見合い?」
桐生に聞かれて穂乃香はうつむく。
「は……い」
「なんでまた……」
そう言う桐生は呆れているように見えた。
一瞬無言になったけれど、この際だから言ってしまおうと、決意して穂乃香は顔を上げた。
もう、どうせこんなお見合いはお断りされるのだろうし、構わない。
穂乃香は目の前の桐生をまっすぐ見つめる。こんなふうに正面から見たことはないかもしれない。
桐生も驚いたような顔をしていた。そんな顔ですらイケメンなのはどうなのだろうか。
「結婚しようって思ったんです。……仕事に向いていないから」
「え? いや、佐伯さんは頑張っているだろう」
「そんなふうに思ってないくせにっ」
仕事中にはそんな言葉は絶対に使わないけれど、今は正直に言うと決めた穂乃香である。桐生は動揺したように見えた。
「思ってるよ! なんで、そう思うんだ⁉」
「だって、私なんて何にもできないし! 桐生課長だってそう思っていらっしゃるんでしょう? 使えない奴だって。だから、もう結婚して辞めようって……」
「ちょっと待て! そんなふうには思っていないぞ」
「無理しなくていいです」
「そんなつもりは……」
微妙な雰囲気に、穂乃香は水を飲もうと背の高いグラスに手を伸ばす。
けれどやはり動揺していたのかもしれない。手が引っかかって、水で満たされたグラスを倒してしまったのだ。
「あっ……」
「おい。大丈夫か?」
動揺していたうえに、グラスを倒して水をこぼしてしまって、穂乃香はもう泣きそうで身動きできなかった。
そんな穂乃香をよそに、桐生はさっと席を立って、おしぼりで穂乃香の濡れた服を拭いてくれる。いつもは堂々とした人なのに、穂乃香の足元に跪いて拭いてくれているのだ。
「大丈夫か? グラスが割れたりしなくてよかったな」
桐生はレストランの人にも乾いたタオルを頼んだりしていた。
プライベートでもリーダーシップは発揮されるうえに、普段の仕事中にはない優しい言葉に、穂乃香はますますどうすればいいのか戸惑う。
「水だからシミにはならないと思うが……。これでは帰れないだろう。乾かしたほうがいいな。部屋を取ろう。少し待っていてくれ」
その判断力でいつも仕事をしていることは、穂乃香が誰よりもよく分かっている。
桐生はテキパキと客室の手配をし、チェックインした後、部屋まで案内してくれた。
「服はタオルドライして部屋の中に干しておけば、すぐ乾くと思う。それまでは申し訳ないが、バスローブかなにか着ていてくれ。ああ、食事はこっちに持ってきてもらうよう手配したから」
「はい」
桐生からバスローブを受け取って、穂乃香はバスルームで着替える。
ワンピースを脱いだら、ブラジャーにまで水が沁みていたので、やむなくブラも外した。
そうして急に落ち込んでしまったのだ。
普段会社でも迷惑をかけているのに、叔母が桐生の会社と穂乃香の会社が一緒であることにも気づかずお見合いをセッティングしてしまうし、穂乃香はグラスを倒して、こんなふうに部屋まで取ってもらうくらいに迷惑をかけてしまった。
それに、上司の前でよりにもよってバスローブ姿!
恥ずかしすぎる。もう人生でこれ以上の恥を晒すことはないような気がするくらいだ。
穂乃香は意を決してカチャ……とバスルームのドアを開ける。桐生は大きな窓から腕を組んで外を見ていた。
すらりとしていて、けれど大きな背中。
ジャケットは脱いで掛けていたけれど、ベストは着たままのその姿は、会社にいる時の桐生のようだ。
けれどそれなのに、まとう空気はどこか会社にいる時よりも柔らかい。
いつもは近寄り難いくらいの、硬質な空気をまとっているから。
バスルームのドアの開いた音で振り返った桐生は、穂乃香を見て一瞬目を見開く。
「あ、の……お見苦しくて、すみません……」
「ん?」
バスルームから離れがたい。というか桐生のそばに行きづらい。
あんなに見とれるほど綺麗な桐生の前なのに、自分はバスローブ姿なんて。
「見苦しい?」
「その……こんなバスローブとか……」
「セクシーだよ」
言う桐生の目が笑っていた。
からかわれている。
「座って」
窓際にはテーブルと一人がけの椅子が二脚、向かい合って置いてある。
穂乃香はそこに座った。
「俺は、その……言葉がキツくて悪い。特に仕事中はキツいと思う」
気まずそうに桐生は言葉を続ける。
「いえ、でもそれは桐生課長が真剣にお仕事されているからだって、分かっています」
穂乃香はぎゅっと手のひらを握った。
「分かっているからこそ、私ではお役に立てないから申し訳ないって思うんです。それに桐生課長、私のことバカだって思っていますよね?」
「さっきも言ったが、そんなふうに思ったことはないぞ。一生懸命努力しているし、佐伯さんは見ていて和む」
(和む……?)
「一生懸命さが多少の失敗をカバーする可愛らしさがある、というか」
ピンポーンと部屋のインターフォンが鳴って、穂乃香が立とうとすると、桐生が手のひらを穂乃香に向けてそれを制した。
「いいから、君は座っていて」
すとん、と穂乃香はソファに座る。
インターフォンはルームサービスで、桐生が部屋に運んでもらったものだった。
目の前のテーブルに料理が並べられるのを見るともなく見ながら、急にホテルの部屋に二人きりだというこの状況に、穂乃香はドキドキしてきてしまった。
(しかも……桐生課長、会社にいる時と雰囲気が全然、全然違うんですけど‼)
会社にいるときのように叱られるようなこともない。きっと、付き合っている彼女には、こうして優しいのだろう。
桐生はさらに、ルームサービスでワインまで頼んでいた。
「もう、飲んでしまわないか?」
ワイングラスを穂乃香に掲げて見せて桐生は苦笑している。
お見合いならば、アルコールは本来ナシだと穂乃香も分かっている。
けれど確かにもうこれは、飲みでもしなければお互いやっていられない状況なのも間違いはない。
「ですね」
穂乃香も微笑んで同意した。
「ワインは適当に選んでしまったんだが大丈夫か?」
「そんなにこだわりはありませんから」
プライベートの桐生の優しさを意外に感じながら、穂乃香は答えた。
ワインを注いでもらって、桐生が客室係にもういいよ、と告げる。客室係は頭を下げて出ていってしまい、部屋の中でまた二人きりになってしまった。それでも穂乃香はもう最初のような居心地の悪さは感じていなかった。
乾杯して軽くグラスを重ね、お互いワインに口をつける。
ふわりと鼻から抜ける芳醇な香りに、高いワインなのかも、と穂乃香は感じる。
「桐生課長は……」
ワインが来たことですこし和らいだ雰囲気になり、食事をしようとお互いナイフとフォークを手にとった。
「……なんでお見合いなんて、される気になったんですか?」
桐生が息を呑むような気配がして、沈黙が訪れた。
桐生は少し動揺しているように見える。
(――まさかね)
「……適齢期かなって思ったんだがな」
気を取り直して、桐生は当たり障りのない言い訳を口にする。
「だって、トラストのトップセールスですよね? 選り取りみどりじゃないんですか?」
はあ……と軽いため息が桐生から漏れ聞こえてきた。ため息をつく姿すらスマートなのもどうなんだろうか。
「俺にそんな時間あると思うか?」
実際、その通りだ。
桐生の会社でのスケジュールは、ほぼ分刻みである。
「あ、まあ、そうですよねぇ」
「佐伯さんこそ、そんなに綺麗なんだし、受付していたわけだから、モテるだろう?」
「そうですね……」
「否定はしないんだな」
「受付ですって言うと目の色が変わるんです。変な制服好きの人とかには『制服着てほしい』とか言われるし」
桐生はくすくす笑っている。
「ま、分からなくもない」
「桐生課長、制服好きなんですか?」
まさかお前もか⁉ という表情でつい見てしまう穂乃香だ。
「そういうことではなくて、制服ってストイックさを感じるだろう。だから性癖がなくても惹かれるのは分かるってこと。女性だって制服にはドキドキするんじゃないのか?」
確かにその通りかも。否定はしない。
「それに佐伯さんは本当に綺麗だから、見てみたいと思う気持ちも分からなくはない」
「桐生課長だって観賞用って言われてますよ!」
「それは皮肉も込めてじゃないか?」
「そうなのかしら?」
穂乃香は首を傾げる。
「佐伯さんはどう思うんだ? 観賞用?」
どう思うのか、そう聞かれて穂乃香は考えてみる。
怖い人かと思っていたけど、今こうしてここにいる桐生はスマートで優しくて、最初よりも魅力的だと思う。
そんなふうに意識したら、急に顔が熱くなってきてしまった。
その素敵な人の前で、くどいようだが、バスローブ姿の自分。
「顔、赤くないか?」
「だって、私……課長のこと、素敵だって思います。なのに、すっごくいろいろドジってしまって……しかも桐生課長はそんなに素敵なスーツ姿なのに私はバスローブなんですよっ⁉」
「そうだな。目のやり場に困るくらいのな。……もう、今日は思ってもないことが起きすぎたな。お互い腹を割って話そう」
「はい」
穂乃香には先ほどからその覚悟はできていた。きりっと桐生を見つめる。
「……で? どうする? 辞めて結婚するか?」
「え⁉」
「俺はそれでもいいけど」
桐生が目を細めて微笑むので、穂乃香は顔を赤くしてうつむくしかできなくなってしまった。
(――このスマートさが素敵すぎるんだけど、どうしたらいいの⁉)
「さっきの……モテても、相手にはしていないんだろう?」
こくりと穂乃香は頷く。
「そうか。では今はそういう相手はいない、という認識で間違いはないんだな?」
「ええ」
「分かった」
何を分かったのだろうか……?
桐生は立ち上がり、そっと腰を折り、うつむく穂乃香の顎に手を触れる。そうして、顔を持ち上げた。
穂乃香は端正な桐生の顔を間近で見て、鼓動が大きくなるのを感じる。
「桐生……課長っ」
「違うだろう? 聡志、だよな?」
穂乃香の顔がとんでもなく熱い。絶対真っ赤だ。
それは穂乃香に桐生のことを名前で呼べ、ということで︱︱それに、違うだろう? と首を傾げる桐生は、見たこともないくらいに壮絶な色香を放っている。
(それに、声っ……。なんかやらしいっ……)
低くて、甘い。
桐生がソファの背に手をつく。まるで何かのスイッチが入ってしまったかのようだ。
壁ドンに近いその距離に、穂乃香は激しくなる鼓動を抑えることはできなかった。
「穂乃香……」
(きゃぁぁぁあぁ! 近いよ! やっぱりむっちゃイケメンだしなんなのっ? こんな桐生課長見たことない! どうしよう⁉ 色気が……フェロモンがやばすぎるんですけど!)
確かに桐生は顔もスタイルも穂乃香の好みどストライクだった。
会社では呆れたような表情や、冷めた口調ばかりで、穂乃香のことなど嫌いなのだと思っていたのに。
「穂乃香」と名前を呼ばれて初めて分かった。この人に名前を呼んでほしい。
もっともっと、呼んでほしい。
――「穂乃香」って、甘い声で呼んでほしい!
「あ……聡志、さん……」
甘えたような声が漏れてしまった。
けれどそんな穂乃香にも桐生は低く笑って「ん?」と甘い声で返事してくれて、緩く唇を重ねられた。
さらりとした唇の感触が心地いい。柔らかく唇を食まれて、その顔が離れたとき、穂乃香はつい唇で追ってしまった。
ちゅ……という音が聞こえて穂乃香は恥ずかしくなってしまったのだけれど、桐生は嬉しそうに笑ったのだ。
「穂乃香、可愛すぎ」
そんなふうに言われて抱き上げられたら、抵抗なんてできるわけがない。むしろするつもりもなくなってしまうというか。軽々抱き上げられたら胸がきゅんとするというか。
抱き上げられて連れていかれた先がベッドルームでも。
桐生は穂乃香をそっとベッドに置いてくれた。
「いやなら、今言って」
そう言った桐生の表情は真摯で、きっと穂乃香が嫌だと言ったらやめてくれるのだろう。
けれど穂乃香は首を横に振ってきゅうっと桐生に抱きついた。
だって今日は正直になるって決めたもの。
「やじゃない……です」
桐生の大きい手のひらと、長くて綺麗な指。
仕事中にもたまに見とれてしまうことがあったその手が、穂乃香の肌に触れている。
すらりとした指が、首筋から胸元にかけてゆっくりと撫でていく。その指先がバスローブの合わせ目につっ……と引っかかった。
それだけで穂乃香はどきんとしてしまう。
その指を動かしたら、胸が見えてしまうから。
「普段、穂乃香は胸元が見える服なんて着ないからな。スタイルいいんだな」
「恥ずかし……」
「綺麗だって。もっと見せて」
シュルッと音をさせてバスローブのリボンを解かれてしまう。ブラジャーはさっき外してしまったので、ふるっと胸がバスローブからこぼれてしまう。思わず穂乃香は胸元を手で隠してしまった。
指を絡められ、その両手をベッドに縫いつけられる。
「隠すなよ。綺麗なんだから、見せろって言ったよな?」
低く耳元でささやく声にとろけそうだ。
桐生の端正な顔立ちの中でもいちばん好みなのは、その切れ長な瞳だ。次に好きなのがやや薄めの唇で、今その唇がゆっくりと穂乃香の耳元から首筋をたどっていく。
「もっと、触れたい。穂乃香」
「あ……」
少し強引に胸元から外された手を、頭の上で片手で緩く押さえられる。恥ずかしいのに、その恥ずかしさにさえ穂乃香は感じてしまうのだ。
「どこが気持ちいい? 耳は? 首とか?」
聞かれて、耳元に熱い吐息がかかる。
それだけでも、穂乃香は身体の真ん中が熱くなってしまって、びくびくしてしまうのを感じた。
「感じやすくて可愛いな」
すうっと鎖骨から胸元にかけて撫でられるだけで、身体がぴくん、と揺れてしまうのだ。
「びくっとしたな。感じた? まだ、肝心なところにはどこも触れていないのに? これだけで?」
ちょっと意地悪っぽい囁きにまで背中がぞくんっとするのを穂乃香は感じる。
「っあ……」
もう耳元で囁かれるそのやらしい声と、肌を撫でる手のひらだけで、おかしくなりそう……
「聡志さん、私だけ、いや。お願い、聡志さんも……」
さっきから、穂乃香はバスローブをめくられてしまったりしているのに、桐生は胸元一つ緩んでいないのだ。
「ん。いいよ?」
桐生のその声に穂乃香は胸がきゅん、とした。
――いいよ? そんなに甘い声と言葉、仕事中に聞いたことがない。
(しかも、片手でネクタイを解くその仕草ヤバいですっ!)
「なんて目で見てるの。すごく可愛いな。プライベートの穂乃香はこんなに可愛いんだ……」
(その言葉、そっくりそのままお返ししたい……)
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