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8.イヌのきもち

イヌの気持ち⑥

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 知らずに済ませていい事とはとても思えない。
 園村の娘であることも、片倉の婚約者であることももっと自覚してほしい。

「俺はあなたが人見知りすると聞いていたから、あまり近づかないようにしていたんだ」
「近……づかない?」
「苦手なんだろう? 特に男が」
 こくん、と浅緋は頷く。

「片倉は知ってたよ。だから気をつけろと言われていたし、……俺は……、あなたを怖がらせるなと散々言われて……」

 そうだ……散々言われていた。
 なのにこの状況はどうしたことだろうか。
 これは完全に片倉に怒られるやつなのではないだろうか。

 片倉を怒らせたくはない。
 なぜなら、本気で怒ると怖いからだ。

「怖がってただろ?」
 そっと、槙野は浅緋に聞いてみた。

『怖いです』と言われたら、怒られること決定だ。

 けれど、その質問に対して少し考える様子を見せた浅緋は、何故かふわりと槙野の頭を撫でたのだ。

「おい……どういうつもりだ」
 この流れで槙野の頭を撫でるというのは、どういう選択肢なんだろうか。
 全くもって、どういうつもりなのかがさっぱり分からない。

 けれど、その手には性的なものは一切なくて、むしろ出来の良いペットを褒めるかのような……。

 ──くっそ……お嬢まで、犬扱いかよ。

 くすくすと笑う浅緋の声が聞こえて、見たこともない笑顔が槙野に向けられていた。

 ゆるふわのくせに……っ、だからっ!そういうところが無自覚なんだよっ。
 槙野は大きくため息をついて、つい浅緋の顔の方に手を伸ばす。

 その手が浅緋の後ろから伸びてきた手に抑えられた。

「そんなしつけの悪い犬は飼った覚えがないがな」
 地を這うような声と、大事そうに抱えた浅緋と俯いた顔から目だけがギラギラと槙野を睨み付けているその様子と。

 片倉の普段の余裕などかなぐり捨てたその様を見たら、槙野は何も言えなくなった。

 ただ、掴まれた腕がやたらと痛い。
「俺は飼われた覚えはない」
 槙野は軽くその手を振り払った。

「そんなに大事ならしまっておけ」
「出来るものならそうしている」

 嫌われたくはない。
 そういう事なのか。

「慎也さん」
 やはり、片倉を呼ぶ時の浅緋の声は甘い。
 それを片倉は知っているのだろうか。
「浅緋さん、お迎えに来ましたよ」
 その片倉の顔を見て、槙野は心の中で呟く。


 ──そんなに焦って来るくらいなら、俺の側から離れるなと言って閉じ込めてしまえばいいんだ。
 澄ました顔で理解のあるフリなんかしているからそんなことになる。

 それにそんなに大事なんだったら、最初から言っておいてほしかった!
 なんなんだよ!澄ました顔で『そうでもしないと結婚しないから』だ⁉︎
 むちゃくちゃ、独占欲強いんじゃねーかよ!

「俺はとりあえず、義理は果たしたんで」
「祐輔」

「何だ」
「とりあえず、礼を言う。ありがとう」

「どういたしまして。いつまでも放し飼いしていると、どうなるか分からないぞ」
 一瞬だけ、ちょっとだけ槙野は、浅緋を可愛いかもしれないとは思ったのだ。

「飼う気はないからな」
「はいはい」
 槙野はくるりと背を向けた。

 なんだあれ。
 むちゃくちゃ思い合ってるじゃねーかよ。
 政略結婚どころか、ものすごい溺愛だ。

 それに、浅緋は無自覚すぎる。
 賭けてもいいが、片倉はあの無自覚に振り回されているはずだ。

 自分も先程散々振り回されたことを考えたら、片倉も振り回されてしまえばいいと槙野は思ったのだった。

 ──ざまーみろだ。
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