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4.黒い大型犬

黒い大型犬④

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 浅緋が庭で転倒して泣いた時、彼は大きな声で吠えてそれで自宅の大人たちは気付いてくれた。

 それなのに大きな声で吠えたから、浅緋が泣いてしまったのだと誤解されて、叱られているのを見たときのようだ。

 あの時もあの黒い大きな犬は『ごめんなさい』という顔をして、尻尾を垂れていた。いつもはきりりとして祖父のそばに侍っているのに、その申し訳なさそうな顔に浅緋の方が申し訳のない気持ちになったものだった。

 その後わんちゃんは悪くないという説明を一生懸命にして、分かってもらった浅緋は犬と、とても仲良くなった。

 ふと、その時のことを思い出した浅緋はふわ……と槙野の頭を撫でた。
「おい……どういうつもりだ」

 唸っているわ。
 こうなるともう、犬にしか見えない。

 くすくすと笑う浅緋に槙野はまた大きくため息をついて、浅緋の顔の方に手を伸ばす。

 その手が浅緋の後ろから伸びてきた手に抑えられた。

「そんなしつけの悪い犬は飼った覚えがないがな」

 その人のそんな地を這うような低い声は、浅緋は聞いたことがなかった。

 いつも怜悧な印象の相貌からは、強い焦りのような表情が浮かんでいた。
 片倉は浅緋を片腕に抱きしめて、逆の手で槙野の手をつかんでいる。

「俺は飼われた覚えはない」
 槙野は軽くその手を振り払っていた。

「そんなに大事ならしまっておけ」
「出来るものならそうしている」

 槙野にも触れられることは怖かったのに、この人の腕だけはどうしてこんなに安心するのだろうか?

「慎也さん」
「浅緋さん、お迎えに来ましたよ」

 その慎也の顔を見て、槙野は心の中で呟く。

──そんなに焦って来るくらいなら、俺の側から離れるなと言って閉じ込めてしまえばいいんだ。
 澄ました顔で理解のあるフリなんかしているからそんなことになる。

「俺はとりあえず、義理は果たしたんで」
「祐輔」

「何だ」
「とりあえず、礼を言う。ありがとう」

「どういたしまして。いつまでも放し飼いしていると、どうなるか分からないぞ」
「飼う気はないからな」
「はいはい」

 くるりと背を向けて手を振る槙野を見送って、片倉はため息をついた。

「浅緋さん、帰りましょうか」
「はい」

 帰りは片倉の運転だった。
 そういえば、浅緋は片倉が運転する姿を見たのは初めてだ。

「慎也さん、運転されるんですね」
「ええ」

 いつもならばとても優しいのに、今は何だか片倉に余裕がなさそうに見える。
 忙しいところを無理して迎えにきたのかも知れない、と思い浅緋は申し訳ない気持ちになった。

「お忙しかったのなら……すみませんでした」
「いや、そんなことは浅緋さんは気にしなくていいんです」

 少しだけ柔らかい雰囲気。
 最初、浅緋が片倉のマンションに引っ越した当時は、お互いぎこちなくて、言葉も探していた。

 最近はそんなこともなくなりかけていたのに、今は何だかとてもぎこちない空気に包まれている。

 マンションの地下駐車場に車を入れ、エンジンを止めた片倉は車を降りた浅緋の手を取った。
 何も不安などないはずなのに、さっきから言いようのない不安のようなものが浅緋を包む。

「慎也さん……?」
「はい」
 呼べばいつものように返事をしてくれるけれど、何かが違う。

──分かった。目線が合わないのだわ。
 
 いつもなら、浅緋が戸惑うくらい、真っ直ぐに浅緋の顔を覗き込んで微笑んでくれる片倉なのに。

「慎也さん」
 エレベーターの中で繋いだ手とは別の方の手で浅緋は片倉の腕をきゅっと握って、片倉の顔を覗き込もうとした。
 それをすうっと逸らされる。

「見ないでください。こんな顔、あなたには見られたくないんだ」

 そうして、手を引かれた浅緋は片倉の胸に抱き込まれる形になって、なおさら顔を見ることはできなくなったのだった。
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