15 / 87
4.黒い大型犬
黒い大型犬④
しおりを挟む
浅緋が庭で転倒して泣いた時、彼は大きな声で吠えてそれで自宅の大人たちは気付いてくれた。
それなのに大きな声で吠えたから、浅緋が泣いてしまったのだと誤解されて、叱られているのを見たときのようだ。
あの時もあの黒い大きな犬は『ごめんなさい』という顔をして、尻尾を垂れていた。いつもはきりりとして祖父のそばに侍っているのに、その申し訳なさそうな顔に浅緋の方が申し訳のない気持ちになったものだった。
その後わんちゃんは悪くないという説明を一生懸命にして、分かってもらった浅緋は犬と、とても仲良くなった。
ふと、その時のことを思い出した浅緋はふわ……と槙野の頭を撫でた。
「おい……どういうつもりだ」
唸っているわ。
こうなるともう、犬にしか見えない。
くすくすと笑う浅緋に槙野はまた大きくため息をついて、浅緋の顔の方に手を伸ばす。
その手が浅緋の後ろから伸びてきた手に抑えられた。
「そんなしつけの悪い犬は飼った覚えがないがな」
その人のそんな地を這うような低い声は、浅緋は聞いたことがなかった。
いつも怜悧な印象の相貌からは、強い焦りのような表情が浮かんでいた。
片倉は浅緋を片腕に抱きしめて、逆の手で槙野の手をつかんでいる。
「俺は飼われた覚えはない」
槙野は軽くその手を振り払っていた。
「そんなに大事ならしまっておけ」
「出来るものならそうしている」
槙野にも触れられることは怖かったのに、この人の腕だけはどうしてこんなに安心するのだろうか?
「慎也さん」
「浅緋さん、お迎えに来ましたよ」
その慎也の顔を見て、槙野は心の中で呟く。
──そんなに焦って来るくらいなら、俺の側から離れるなと言って閉じ込めてしまえばいいんだ。
澄ました顔で理解のあるフリなんかしているからそんなことになる。
「俺はとりあえず、義理は果たしたんで」
「祐輔」
「何だ」
「とりあえず、礼を言う。ありがとう」
「どういたしまして。いつまでも放し飼いしていると、どうなるか分からないぞ」
「飼う気はないからな」
「はいはい」
くるりと背を向けて手を振る槙野を見送って、片倉はため息をついた。
「浅緋さん、帰りましょうか」
「はい」
帰りは片倉の運転だった。
そういえば、浅緋は片倉が運転する姿を見たのは初めてだ。
「慎也さん、運転されるんですね」
「ええ」
いつもならばとても優しいのに、今は何だか片倉に余裕がなさそうに見える。
忙しいところを無理して迎えにきたのかも知れない、と思い浅緋は申し訳ない気持ちになった。
「お忙しかったのなら……すみませんでした」
「いや、そんなことは浅緋さんは気にしなくていいんです」
少しだけ柔らかい雰囲気。
最初、浅緋が片倉のマンションに引っ越した当時は、お互いぎこちなくて、言葉も探していた。
最近はそんなこともなくなりかけていたのに、今は何だかとてもぎこちない空気に包まれている。
マンションの地下駐車場に車を入れ、エンジンを止めた片倉は車を降りた浅緋の手を取った。
何も不安などないはずなのに、さっきから言いようのない不安のようなものが浅緋を包む。
「慎也さん……?」
「はい」
呼べばいつものように返事をしてくれるけれど、何かが違う。
──分かった。目線が合わないのだわ。
いつもなら、浅緋が戸惑うくらい、真っ直ぐに浅緋の顔を覗き込んで微笑んでくれる片倉なのに。
「慎也さん」
エレベーターの中で繋いだ手とは別の方の手で浅緋は片倉の腕をきゅっと握って、片倉の顔を覗き込もうとした。
それをすうっと逸らされる。
「見ないでください。こんな顔、あなたには見られたくないんだ」
そうして、手を引かれた浅緋は片倉の胸に抱き込まれる形になって、なおさら顔を見ることはできなくなったのだった。
それなのに大きな声で吠えたから、浅緋が泣いてしまったのだと誤解されて、叱られているのを見たときのようだ。
あの時もあの黒い大きな犬は『ごめんなさい』という顔をして、尻尾を垂れていた。いつもはきりりとして祖父のそばに侍っているのに、その申し訳なさそうな顔に浅緋の方が申し訳のない気持ちになったものだった。
その後わんちゃんは悪くないという説明を一生懸命にして、分かってもらった浅緋は犬と、とても仲良くなった。
ふと、その時のことを思い出した浅緋はふわ……と槙野の頭を撫でた。
「おい……どういうつもりだ」
唸っているわ。
こうなるともう、犬にしか見えない。
くすくすと笑う浅緋に槙野はまた大きくため息をついて、浅緋の顔の方に手を伸ばす。
その手が浅緋の後ろから伸びてきた手に抑えられた。
「そんなしつけの悪い犬は飼った覚えがないがな」
その人のそんな地を這うような低い声は、浅緋は聞いたことがなかった。
いつも怜悧な印象の相貌からは、強い焦りのような表情が浮かんでいた。
片倉は浅緋を片腕に抱きしめて、逆の手で槙野の手をつかんでいる。
「俺は飼われた覚えはない」
槙野は軽くその手を振り払っていた。
「そんなに大事ならしまっておけ」
「出来るものならそうしている」
槙野にも触れられることは怖かったのに、この人の腕だけはどうしてこんなに安心するのだろうか?
「慎也さん」
「浅緋さん、お迎えに来ましたよ」
その慎也の顔を見て、槙野は心の中で呟く。
──そんなに焦って来るくらいなら、俺の側から離れるなと言って閉じ込めてしまえばいいんだ。
澄ました顔で理解のあるフリなんかしているからそんなことになる。
「俺はとりあえず、義理は果たしたんで」
「祐輔」
「何だ」
「とりあえず、礼を言う。ありがとう」
「どういたしまして。いつまでも放し飼いしていると、どうなるか分からないぞ」
「飼う気はないからな」
「はいはい」
くるりと背を向けて手を振る槙野を見送って、片倉はため息をついた。
「浅緋さん、帰りましょうか」
「はい」
帰りは片倉の運転だった。
そういえば、浅緋は片倉が運転する姿を見たのは初めてだ。
「慎也さん、運転されるんですね」
「ええ」
いつもならばとても優しいのに、今は何だか片倉に余裕がなさそうに見える。
忙しいところを無理して迎えにきたのかも知れない、と思い浅緋は申し訳ない気持ちになった。
「お忙しかったのなら……すみませんでした」
「いや、そんなことは浅緋さんは気にしなくていいんです」
少しだけ柔らかい雰囲気。
最初、浅緋が片倉のマンションに引っ越した当時は、お互いぎこちなくて、言葉も探していた。
最近はそんなこともなくなりかけていたのに、今は何だかとてもぎこちない空気に包まれている。
マンションの地下駐車場に車を入れ、エンジンを止めた片倉は車を降りた浅緋の手を取った。
何も不安などないはずなのに、さっきから言いようのない不安のようなものが浅緋を包む。
「慎也さん……?」
「はい」
呼べばいつものように返事をしてくれるけれど、何かが違う。
──分かった。目線が合わないのだわ。
いつもなら、浅緋が戸惑うくらい、真っ直ぐに浅緋の顔を覗き込んで微笑んでくれる片倉なのに。
「慎也さん」
エレベーターの中で繋いだ手とは別の方の手で浅緋は片倉の腕をきゅっと握って、片倉の顔を覗き込もうとした。
それをすうっと逸らされる。
「見ないでください。こんな顔、あなたには見られたくないんだ」
そうして、手を引かれた浅緋は片倉の胸に抱き込まれる形になって、なおさら顔を見ることはできなくなったのだった。
1
お気に入りに追加
453
あなたにおすすめの小説
社長、嫌いになってもいいですか?
和泉杏咲
恋愛
ずっと連絡が取れなかった恋人が、女と二人きりで楽そうに話していた……!?
浮気なの?
私のことは捨てるの?
私は出会った頃のこと、付き合い始めた頃のことを思い出しながら走り出す。
「あなたのことを嫌いになりたい…!」
そうすれば、こんな苦しい思いをしなくて済むのに。
そんな時、思い出の紫陽花が目の前に現れる。
美しいグラデーションに隠された、花言葉が私の心を蝕んでいく……。
冷血弁護士と契約結婚したら、極上の溺愛を注がれています
朱音ゆうひ
恋愛
恋人に浮気された果絵は、弁護士・颯斗に契約結婚を持ちかけられる。
颯斗は美男子で超ハイスペックだが、冷血弁護士と呼ばれている。
結婚してみると超一方的な溺愛が始まり……
「俺は君のことを愛すが、愛されなくても構わない」
冷血サイコパス弁護士x健気ワーキング大人女子が契約結婚を元に両片想いになり、最終的に両想いになるストーリーです。
別サイトにも投稿しています(https://www.berrys-cafe.jp/book/n1726839)
忙しい男
菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。
「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」
「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」
すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。
※ハッピーエンドです
かなりやきもきさせてしまうと思います。
どうか温かい目でみてやってくださいね。
※本編完結しました(2019/07/15)
スピンオフ &番外編
【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19)
改稿 (2020/01/01)
本編のみカクヨムさんでも公開しました。
溺愛ダーリンと逆シークレットベビー
葉月とに
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。
立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。
優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
隠れ御曹司の愛に絡めとられて
海棠桔梗
恋愛
目が覚めたら、名前が何だったかさっぱり覚えていない男とベッドを共にしていた――
彼氏に浮気されて更になぜか自分の方が振られて「もう男なんていらない!」って思ってた矢先、強引に参加させられた合コンで出会った、やたら綺麗な顔の男。
古い雑居ビルの一室に住んでるくせに、持ってる腕時計は超高級品。
仕事は飲食店勤務――って、もしかしてホスト!?
チャラい男はお断り!
けれども彼の作る料理はどれも絶品で……
超大手商社 秘書課勤務
野村 亜矢(のむら あや)
29歳
特技:迷子
×
飲食店勤務(ホスト?)
名も知らぬ男
24歳
特技:家事?
「方向音痴・家事音痴の女」は「チャラいけれど家事は完璧な男」の愛に絡め取られて
もう逃げられない――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる