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蛍石の果実

一話

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「お姉ちゃん。お湯、無くなるわよ」

「あ」

由乃に声をかけられて奈落は我に返った。水晶焜炉の上の薬缶は随分前から湯気を放っていたらしい。店内の湿度は随分高くなり、手元の紙が心なしかしっとりしている。

「あああ…やってしまった」

慌てて火を止め、手拭いで薬缶の蓋を掴みのぞきこむと、水位が入れた時の半分以下になってしまっていた。水晶焜炉で沸かした水は鉱石薬の薬効を高める効果があるが、沸かし過ぎると濃度が高くなり過ぎて今度は副作用が出やすくなってしまう。水を差すと効果が変質するので使えない。奈落は溜息をついて、薬缶の水を流しに持っていって捨てた。

「お姉ちゃん、やっぱりこの前からおかしいわ。一体どうしたの?」

「…」

言えない。あどけない妹に千代との関係の事は。

そもそも、エスの関係を卒業後も続ける事はあまり世間体が良くないのに、卒業してからエスになるなど論外である。しかも相手は子どもも伴侶もいる身だ。良く思われるわけがない。

「まるで恋をしているようだわ」

ガシャーン。

派手な音を立てて薬缶が手から滑り落ちた。中のお湯を捨てた後だったのが不幸中の幸いだった。

しかし、これはまずい。図星だと言っているようなものだ。

「カフェー…」

「カフェー?」

「…鉱石茶を提供する純喫茶を併設出来ないかと考えていてな。鉱石茶は我々鉱石薬業の間では民間療法的に飲まれているが、一般に馴染みはない。だが、ガラスの器などを使えば見目は美しいし、女学生が好むのではないかと考えたのだ」

咄嗟にそんな事を口走ったが、あながち嘘ではない。それは以前から考えていたし、実は少しずつその準備も進めていた。

「まぁ。じゃあ水晶焜炉を買ったのもその為だったのね。薬を飲む為だったら、普通の白湯でも充分だもの。正直、水晶焜炉は私には扱い難いと思っていたのよ」

「薬を飲む為に晶沸水しょうふっすいは必ずしも必要ではないが、鉱石茶を淹れるには必需品だ。薬は石そのものを使うから効果が高いが、鉱石茶は石の内包物を抽出する。その為には水晶焜炉が必要だ」

奈落は安堵した。由乃もやはり鉱石薬業の娘なので、この手の話題には食いついてくれる。

「でも、私たちみたいに石の香りに鼻のきく人間には鉱石茶も美味しいと感じるけれど、一般の方はどうかしら?」

「中国には桂花茶や茉莉花茶など、香りの立つ花茶がある。鉱石に花の組み合わせは美しかろう。味気が無ければ蜜を使えばよい。ただ、菓子の類は心得が無くてな…どこか菓子屋と提携できれば良いのだが」

そこまで言うと、由乃はにやにやと笑って奈落に指差した。

「じゃあ、視察が必要ね」

「フルーツパーラーか。しかし、果実は高いぞ。この店では取扱えん」

「参考にはなるわ」

「ふむ。まあ良い考えだ。早速、出資者じいさまを呼び出すとしよう」

今の時間なら恭助は二階の自室にいる。由乃には鼓梅を誘って来てもらい、みんなで純喫茶に行くのもたまにはいい。そう思っていた矢先だった。

「ところで、その手紙はこの前のご婦人からじゃないの?湯気のせいでだいぶ湿気ってしまっているわ」

どきり。

奈落は全く気づいていなかったが、さっきからずっと千代からの手紙を握り締めていたらしい。紫陽花の描かれた可愛らしい封筒。一見して業者からのそれとは違うことがわかる。

いや、別に動揺することはないのだ。旧友同士手紙をやり取りする事などよくある事だ。

「あ、あぁ、そうだな」

「私、人妻の『妹』も退廃的で素敵だと思うわ。エロティックだと思うの」

勘のいい妹は姉の心も知らず、飄々とそんな事を言ってのけた。奈落はただ固まって、口を金魚のようにぱくぱくさせることしか出来なかった。
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