上 下
2 / 25
琥珀の蜜

一話

しおりを挟む
 カタカタと水晶焜炉の上の薬缶が沸騰する音で、店の女主人は目を覚ました。男物の藍染の着物と羽織を纏い、短髪に中折れ帽を被った女店主は、一見すれば男性のようにも見える。

「おっと……」

 慌てて火を止めると、薬缶の湯を準備していた鉱石茶のグラスに注ぎ込む。グラスの中に入れたのは、夢に出たのと同じ月長石。石は注がれた湯に流されて、グラスの中をころころと遊び回る。

 グラスに口をつけると、蒸気がふわっと顔を覆った。

 極楽堂鉱石薬店は、彼女ー極楽院奈落が祖父から引き継いだ店だ。跡を継ぐ気のなかった両親に代わり、祖父に懐いていた奈落が鉱石薬を学んで跡を継いだ。元々幼い頃から祖父に預けられることが多く、店に出る祖父を見ていたり時には手伝いをしていたので人よりは知識があった。奈落がその意思を祖父に伝えると、彼は喜んで孫にその店を譲った。

 鉱石から精製された薬を扱うのが、この店のような鉱石薬店だ。鉱石薬の種類は多岐に渡り、粉末にして飲用するもの、溶かした際に発生する蒸気を吸引するもの、誘導体を皮膚に塗布してその上に直接石を乗せる灸などがある。ただ、普通の薬がそうであるように鉱石薬にも禁忌はある。例えば吸引法のひとつである真珠煙管は、真珠に薬液を滴下しその蒸気を煙管で吸引するものであるが、不眠・精神安定に効果がある反面、滴下する薬剤には毒性もあり身体の未発達な未成年の服用は禁止されている。だが、服用に用いる硝子煙管と真珠の美しさから女学生の服用が後を絶たず、社会問題となっている。

 いつの世も、婦女子は見目麗しいものに心を囚われるものだ。

 奈落は先程の夢を思い出していた。自分が見目麗しいかどうかはわからないが、女学生時代の奈落はたいそう下級生に慕われていた。女学生の間では「エス」という、上級生と下級生の間で結ばれる姉妹を模した親密な関係が流行している。奈落の「妹」を望む下級生は少なくなかった。だが、奈落は終ぞお目を作ることはしなかった。当時既に店を継ぐと決めていたため、勉学で忙しかったせいもある。だが、本当の理由は。

 月長石がグラスの中できらきらと、青い光彩を放つ。月のように淡い光を放つそれは、奈落の中の苦い記憶を呼び起こす。

「……やれやれ。鉱石茶に月長石を選んだのは失敗か。香りは立つが、人を選ぶな……」

 奈落は独りごちて、グラスを茶托に戻した。日は傾き始め、店の看板の影を長く伸ばしている。今日はもう店を閉めようか、そんな事を考えていた矢先だった。

「御免下さいまし」

 ドアベルが鳴り響いて、女性の声が入ってきた。幼い少女を連れた和装の女性が、入口から顔を覗かせていた。

「もし、こちらのお店はまだ開いてらっしゃいますでしょうか……?」

「いらっしゃいませ。はい、開いておりますよ。何か急ぎのご入り用ですか?」

 奈落は来客に声をかけた。だが、客は奈落の方をじっと見つめ、驚いたように口元を押さえていた。

「……かか様?」

 女性に手を引かれた少女が、母を見上げる。だが女性はそれに反応せず、ようやく押し出すように声を絞った。

「奈落……先輩?」

 先輩と声をかけられた奈落は、彼女の面影から記憶を辿る。長い髪は結い上げられて、藍色松葉の小紋が落ち着いた印象を与えていたが、その顔には覚えがあった。

「……千代さん」

 鉱石茶の甘い香りが店の中に立ち込めて、奈落と女性の間に漂う。少女は少し不安げに、母親にしがみついて奈落を伺っていた。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

処理中です...