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真珠クリイムと温熱鉱水‬

三話

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 由乃・奈落・利一・風吹・そして柘榴の五人が、天鏡沼の辺りにある旅館 猪代荘いのしろそうに付くと、森夫婦と出版会社「印宮堂」の編集者 天元てんげん面虎めんふうが五人を出迎えてくれた。

「ご無沙汰しています、森さん。今回はお誘い下さいまして有難う御座います」

 奈落が代表して挨拶したのは、文無あやなしの隣に立っていた中肉中背の男性だった。彼が件の小説家、森 紫鶴しづるだろうか。文無あやなしが小紋とは言えきちんと普段着の着物を着ているのに対して、どう見ても旅館の浴衣に羽織、素足にこれまた旅館の下駄をつっかけている。肩には手ぬぐいをかけていて髪が幾分濡れているのを見ると、直前に風呂を堪能していただろう事がありありとわかった。一見穏やかそうな顔つきではあるが、眼鏡の奥の眼光は意外にも鋭く、成る程繊細そうな一面が垣間見えた。

「もう、こんな格好で申し訳ありません……入浴後、さっきまで部屋で全裸で踊ってたんですよ。面虎さんがいるもんだから気分が高揚しちゃってるもんで……なんとか浴衣だけ着せたんですけど……」

 恥ずかしそうな文無あやなしの言葉に、繊細だという印象を受けた自分を瞬時に由乃は恥じた。

「ははは、相変わらずですねぇ森さんは」

 由乃はあまり動じてない奈落も意外だった。姉の交友関係がなんだかよくわからない。

「えええ、俺のせいですか? メメは俺がいなくてもこんなもんでしょう」

 洋装で恰幅のいいこちらの男性が天元面虎だろうか。どうも森氏と面虎氏は印象が似ているように思う。

「失敬な。人をそんな普段から全裸で踊ってるみたいな扱いをしくさって。だって温泉ですよ、温泉。開放的な気分にもなるってもんですよ」

 これが自分の憧れの小説家だろうか。なんだかただのおっさんにしか見えない。由乃は自分の中の森 紫鶴像が瓦解していく音を聞いた。

「……あー、その気持ちはよくわかりますがね。一応女学生も二人いますので、控えめにお願いします」

 奈落が苦笑いしながら由乃たちに目配せした。そうだ。こちらは招待されたのだし、挨拶をしなくては。

「初めまして……妹の、極楽院 由乃です。姉がいつもお世話になっております」

 そう言って頭を下げると、森が不思議そうな目で由乃を見ていた。

「由乃さんは、あなたの著書を読んでるんですって。『証人』も読んでいたと言っていたわ」

 文無あやなしがすかさず、助け舟を出す。それを聞いた森は突然笑顔になり、唐突に由乃の手をとって握手した。

「おお、そうですか。いや、有難う御座います。あれはどちらかというと男性向けに書いたので、こんな可愛らしいお嬢さんが読んで下さるとは思わなかった」
「おいメメ! どさくさ紛れに女学生の手を触ってるんじゃない!」
「なんだその言い草は。こちらは大事なフアンと交流を取ろうとだな……」
「下心が全くないんです?」
「もちろんある」

 そう言って笑う森は、本当に思い描いていた小説家とは違っていて、由乃は凍てついた笑顔を貼り付けて固まるしかなかった。

「旦那、『メメ』ってなんだい?」

 風吹はこそっと奈落に耳打ちしていた。そういえば面虎はさっきから森氏の事を「メメ」と呼んでいる。

「あぁ、あれは面虎さん特有の呼び方でな。彼の苗字が『森』だろう? そこから『メメントモリ』を連想して『メメ』になったらしい」
「はぁ。でも『メメントモリ』って?」
「ラテン語の警句です」

 コソコソと話していたところに森から声をかけられて、風吹は一瞬びくっとした。森と目があって、風吹は曖昧に笑うしかなかった。

「『自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな』という意味ですよ。芸術作品ではよくモチーフにされる言葉です」

 ふっと、風吹の曖昧な笑顔が消えた。それに気付いたのは、由乃だけだったのだろうか。普段の風吹らしくない、目の奥に暗い光が宿ったように見えた。

「いや、そんなに怖い意味でもないんですよ」

 森の脅すような言葉に、面虎が明るい口調で畳み掛ける。

「我々は明日死ぬかもしれない。だから、今を楽しもうよって解釈もあります。まあ、時代や状況によって解釈が色々ある言葉です。だから自分は、明るい意味で捉えてますがね」

 そう言って豪快に笑う面虎に、森は微妙な顔をした……ように見えた。

「ええ……紹介が遅れました。そちらが私の知人で、医者の常盤風吹です。常盤診療所を営んでいます。その隣が嘉月柘榴さん。うちがお世話になっている嘉月製造所の娘さんで、由乃の友達です」
「どうも……」
「初めまして、嘉月柘榴です。今日はありがとうございます」

 奈落の影に隠れて言葉少なく頭を下げた風吹に対して、柘榴は年若いにも関わらずしっかりとした挨拶をしていた。対照的な二人であるとも言える。

「利一の事はご存知ですよね。よく森さん夫婦のところや印宮堂に遣わしていますから……」
「こんにちは、ご無沙汰ですぅ!」

 今日は女装の着物姿の利一は、明るく三人に声をかけた。

「ははは、今日はそちらの格好なんですね。まあ、こんなところで立ち話もなんです。夕方には宴会の席を設けてますから、その前にゆっくり風呂にでも入ってきたらどうですか。こちらの温泉はとても気持ちがいいですよ」

 そう言った森の案内で、五人は旅館の中へと入っていった。

 ふと、由乃は誰かに見られている気がして、後ろを振り返った。だが誰もいない。なんだろう、このところこういうことがよくある気がする。あまり気分のいいものではなかった。



「ねえ……旦那。やっぱり風呂に入るのかい?」

 部屋に入って旅館の浴衣に着替えていると、まだ普段の服装のままの風吹がぽつりと呟いた。

「……なんだ、この期に及んで。そりゃあ温泉に来たのだから入るだろう」

 奈落は奇妙な顔をした。どうにも要領を得ない態度の風吹に、少し苛ついてもいる様だ。

「うーん……実はさ。あまり体を見られたく無いんだよね、僕。ちょっと……凄い傷痕があってさ……」
「えっ……」

 風吹の言葉に、奈落と由乃は顔を見合わせた。そして、どこかほっとした様な表情を見せた。

「なんだ、そんなことか。案ずるな、私たちも似た様なものだ」
「えっ?」

 きょとんとする風吹に対して、奈落が徐ろに着ていた着物をはだけ始めた。着物と中の襟無しシャツを脱ぎ捨てて、晒しと腰巻だけの姿になると、風吹を手招きして左の肩甲骨のあたりを指差して見せた。

「今はあまり目立たんが……わかるか?」
「んん……? これは……白い刺青……鈴蘭?」

 奈落の左肩には、うっすら傷痕の様な色の鈴蘭と蝶の模様が入っている。それは奈落の白い背中の左肩甲骨全体を覆っていた。

「『晶刺しょうさし』というものを知っているか? 私の様な鉱石体質者は、石の匂いを感知し過ぎると体調を崩す事がある。大体は水晶を身につけて予防するんだが、強過ぎる体質者はこうして水晶の粉末の塗料を刺青にして入れるのだ。それが『晶刺しょうさし』だ。普段生活してて目立つものでは無いんだが、風呂などに入ると肌が赤くなるから晶刺しょうさしが目立つんだよ」
「へえ、旦那刺青なんか入れてたのか……でも、僕の傷痕はこんなもんじゃ……」
「私の晶刺しょうさしはここだけだが……私よりも、由乃が凄くてな。お前に傷痕があるというなら、返って由乃の晶刺しょうさしが目立たなくて済むから助かる」
「由乃ちゃんが……?」

 そう言って、風吹は由乃の方を見た。なんだか由乃は居た堪れなくて、なんとなく視線を泳がせた。

「まあ、見れば解る。風呂に行こうじゃないか」

 いつのまにか浴衣に着替えた奈落は、手ぬぐいを持って一人先に部屋を出てしまった。由乃と風吹は、そんな奈落の後を追いかけていった。


「あら、遅かったですねぇ、皆さん」

 既に大浴場の湯船の中で、文無あやなしが肩から上を出して四人を待ち構えていた。

「ちょっと見て頂きたかったわ。さっき面白いものを見まして。入口の前に居た時、利一さんが先にお風呂に来たんですけど……あの格好でしょう? 男湯に入っていった途端、中が騒めいてまして。おかしいったら……」

 そう言って、文無あやなしは口元を押さえてくすくすと笑っていた。奈落は頭を抱え、風吹は少し呆れた様な顔でそれでも笑ってみせた。

「あー、おいちちゃんはそうだよねえ……」
「あいつ……あの格好のまま行ったのか……ったく、あの馬鹿が……」

 そんな他愛もない事を言いながら、おのおの手桶で体を流す。

 確かに風吹の傷痕は凄かった。その華奢な体の背中一面に、皮膚の引き攣れが広がっている。昔事故で受けた火傷の跡らしく、それは額にもあると言っていた。常に前髪で片目を隠しているのは、その為であるらしい。

 由乃の目線を感じて、風吹はぼそりと呟いた。

「……な? だから言ったろ」
「ええ……」

 風吹はあまり見られたくないと思ったのか、そそくさと隅の方に離れていってしまった。だが、見た目が凄いのは由乃も同じだった。

 湯船に浸かると、由乃の白い肌が徐々に赤くなっていく。薄っすらと見えていた桜の模様が、次第にはっきりと全身に現れた。

「……由乃さん! それは……」

 由乃の体を目にした柘榴は、思わず口元を手で押さえていた。文無あやなしも思わず、驚いた様な顔をしているのがわかった。

 由乃の晶刺しょうさしは桜の模様で、背中、腹、両腕、太腿……全身に広がっていた。唯一右の肩には姉の晶刺しょうさしと同じ模様の蝶がひとつ、まるで奈落と対になるように彫られている。

「あは……目立ちますよね」
「いえ……私の夫も全身なので……」

 気まずそうな由乃の顔を見て、あまり怯んだ様子の無い文無あやなしがそう言った。そう言えば、森氏は奈落よりも強い鉱石体質者だと言っていた。

「でも、なんで由乃さんが? 奈落さんほど強い体質ではないと聞きましたが……」
「……私、お姉ちゃんとは違って、石の匂いでは無いものを『嗅いで』しまうんです。それだと生活に支障が出るので……あまりその体質が普段出ないように、お姉ちゃんよりもたくさん晶刺しょうさしを入れてるんですよ。……でも、一度にたくさんは彫れませんから、毎年入れなきゃならなくて……」
「そう……大変だったんですね。夫も毎年入れに行っていて、話は聞いているからなんとなくわかります。お若いのに辛いでしょう……」

 そういうと、文無あやなしは由乃の頭を優しく撫でた。由乃は晶刺しょうさしを見られると大体ぎょっとされる事が多かったので、なんだか胸のあたりが熱くなって涙ぐみそうになった。

「その蝶……お姉さんと同じなのね」

 肩の蝶に気付いた柘榴が、その部分に触れて呟くように言った。

「これは……姉と私の、えにしなんです。私が初めて晶刺しょうさしを入れたのは五才いつつの時で……姉は、その時私と一緒に晶刺しょうさしを入れたんですけど、二人とも初めて入れたのがこの蝶だったんです」
「そう……」

 そういうと、柘榴はその蝶をなぞるように指を滑らせた。由乃はその感覚にぞくりとしたものを感じて、思わずその肩に反対の手でお湯をかけた。

「あー! もう! なんだよ折角の温泉なのに! お通夜じゃ無いんだよ!」

 突然大声を上げた風吹が、下卑た笑いを浮かべながら両手をわきわきさせてこちらに戻ってきた。それまで静かにしていた人間の急変に、一同が薄っすら恐怖感を覚えた。

「ふふふふふふ……旦那がおっぱい大きいのは晒しの上からも何となくわかってたけど、本当に大きいねぇ……。いいおっぱいだぁ……。それに、細身だと思っていた由乃ちゃんもなかなかのものじゃないか……」

 風吹の上ずるような声に、身の危険を感じる。風吹の目はもう、如何にも怪しく光っていた。

「さあ! 触診の時間だよ!」
「きゃあああああああああ!!!!」
「やめんか馬鹿者!!!!」
「僕はおっきいおっぱいなら旦那でも構わないよ!!!」
「うわああああああああああああ!!!!!」

 そんな女湯の騒ぎに、隣の男湯で男性陣が聞き耳を立てていたことを知るのは、また後ほどの事である。
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