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淡水真珠と龍神
五話
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「……でも、この龍神伝説も酷い話だわ。村人全員、女の子に寄ってたかって……そもそも、生贄なんてナンセンスよ」
由乃はそう言って頬を膨らませた。
「まぁ、今は雨が降る理屈もわかるが、昔はそういうのがわからないからな……。当時は当時で、生きるために必死だったんだろう」
鉱石茶に口を付けながら、姉はそんな風に呟いた。それも理屈はわからないではないのだが、やはり由乃は単純に酷い話だと思う。愛する人と引き剥がされた挙句、目を潰されて殺されるなど、娘の気持ちを思うとやりきれない。水害のひとつも起こしたくなって当然だ。
「でも、大体昔話というものは片手落ちなものが多いのですけれども、この話にも謎な部分がありますよね。娘と一緒に逃げた男はどうしたんでしょう」
文無の言葉に、由乃ははっとした。そういえば、娘の想い人だった男のその後というのは伝承の中で語られていない。
「そういえば謎ですね……。村人が娘にした仕打ちを思うと、男も殺されたのかなぁって思いますけど……」
「そうなんでしょうけれどもね。でも、不思議なのは龍神になった娘を慰めているのが、その男ではなく櫛名田比売だというところでしょうか……その娘は愛していたはずの男性ではなく、通りすがりの女性にというのが少し腑に落ちなくて」
文無の考察は確かに的を射ている。由乃は文無の鋭さに感心して小さく溜息をついた。やはり、芸術分野に秀でている人は視点が違うものなのだろうか。
すると、由乃と文無のやりとりを聞いていた姉が口を開いた。
「私が、聞いた話なのですが。この伝承に登場する男とは、本当は男性ではないという説があるのです。娘と共に逃げようとした想い人は実は女性だったのですが、それだと色々と世間体も悪いし、語り継がれていくうちに皆が納得できるように男だということになった。櫛名田比売とされるのは本当はその想い人の女性で、結局その女性は龍神になった娘の後を追って入水自殺したか、そもそも生贄にされることを苦にした娘と共に心中した話が龍神伝説になったという……」
まるで、時が止まったように静かになった。文無の疑問を考えると、姉の説はとても説得力があった。
「まぁ、ただの噂です。記録が残っているわけでもないので、そう考えると納得がいくという想像の産物かもしれません。それに、天鏡沼では真珠を養殖していますから女性的な言い伝えがあったほうが都合がいいのでしょう。実際、天鏡珠はその龍神伝説になぞらえて『女神の涙』などとも言われていますからね」
奈落の補足は、少し緊張感が走っていた空気を和らげた。確かに、天鏡沼で採れる淡水真珠は「女神の涙」と言われている。あれはもともと真珠が「人魚の涙」と言われているものをもじったのだと由乃は思っていた。そんな由来があることも知らなかった。
姉の博識には頭が下がる。ただし、姉は博識の割に日常のちょっとしたことが出来ない人なので、いいとも悪いとも言えないのだが。
「真珠と言えば……由乃、もしかしたら女学校でもお達しが出てるんじゃないかと思うんだが、真珠煙管の話は聞いているか?」
真珠煙管。それは、鉱石薬店で扱っている薬のひとつだ。硝子の煙管の火皿部分に真珠を置き、特殊な薬液を滴下して真珠を溶かす。すると真珠が蒸気を放って溶け始める。その蒸気を吸引する、煙草に似た薬のことだった。
「時々、先生から指導が入ることはあるわ」
「どういうことです?」
文無が姉と自分の会話を聞いていて頭を傾げていた。真珠煙管は少し特殊な薬なので、鉱石薬に詳しい訳ではない文無にはぴんとこないらしい。
「真珠煙管は、恐怖感や緊張感を和らげるための薬でしてね。精神に作用する薬ですし、処方外の使用は厳重に注意されているんですよ。見た目にも煙管のようなので、女学校では学生の安易な服用を禁止しているようなのですが……美しい硝子の煙管で真珠を吸引するという見目の良さや、精神に作用するということでサナトリウム小説・活動写真のモチーフにされやすい事から、どうも女学生の間で流行り初めているようなのです」
奈落は少々困ったような表情で文無に説明した。
姉の困惑も当然だ。真珠煙管問題は度々女学校でも指導されており、その度に街で一番大きな鉱石薬店である極楽堂は過敏な保護者からの問い合わせがくる。しかし、極楽堂は祖父の代から処方外での真珠煙管の販売はしていない。きちんと許可を取った人間にしか、専用の煙管も、煙管用の真珠も、薬液も販売はしていないのだ。だが、それでも女学生の間ではどこからか真珠煙管を入手しているようで、影で喫煙している女学生がいるらしい。
「私も、うち以外の流通経路を探しているんですが……なかなか難しいのですよ」
「あら……奈落さんはそんなことまでなさってたのですか……お忙しいのに大変ですね」
「いやまぁ……そこは流石に人を使っているんですけれどもね」
一瞬、姉が何かを言い淀んだ気がした。人を使っているとのことだが、そんな協力者がうちにいただろうかと由乃は首を傾げた。
「そんなわけだから、由乃。悪いがお前の方でも、女学校で真珠煙管を吸っている生徒を見つけたら私に教えてくれないか?」
「わかったわ」
「すまないな。だが、くれぐれも深入りはしないように。吸っている生徒にも直接話しかけたりはせずに、誰が吸っていたかだけ私に教えてくれればいい。あとはこちらで調べる」
「えー、つまんない」
せっかく面白そうな任務をもらったのに、と由乃が頬を膨らませると、姉は酷く真面目な顔で手にしていた鉱石茶のグラスを置いた。
「由乃、遊びではないのだよ。まだ流通経路で、何が絡んでいるのかわからないのだ。危ない組織などが絡んでいたらお前だって危険なのだよ。そもそもお前には普通の人や私とも違う体質のことがある。さっきはあの程度で済んだが、私の目の届かないところでもっと酷いことがあったらどうする。私は心配なんだ」
あまりにも真剣な姉の言葉に、由乃は少し居心地が悪くなった。そんなに危ないことが潜んでいるのだろうか。姉の杞憂ではないのだろうか。
目を泳がせていると、隣の文無がくすくすと笑っていた。
「奈落さんは妹想いと言うか……誰にでもそんな風に心配をなさるんですね。それでは気苦労が絶えないでしょう。大丈夫ですよ。妹さんだってこんなにしっかりしていらっしゃるんですもの」
文無に笑われて、奈落はややばつが悪そうに足を組んで、口元を手で隠した。
「そうよそうよ! 文無さんもっと言ってください! 私、もう十五歳なのよ。お嫁にだって行ける歳だわ!」
文無の加勢を受けて、やや興奮気味に姉に食ってかかると、奈落は懐から取り出した何かを由乃に投げつけた。
「いたっ!」
額に当たって落ちたそれを、額をさすりながら拾い上げた。透明な水晶のひと欠けが、革紐の先端に括り付けられていた。
「調子にのるな。今年の『晶刺』はもう少し先だろう、その間それを付けておけ。何も付けてないよりはましだ」
「はぁーい……」
晶刺。嫌な事を思い出させられた。由乃は渋々その水晶を拾い上げると、紐を首に通して首飾りのようにぶら下げる。それはすぐ服の中にしまい込んで、胸元の肌に直に触れるようにした。
「さて、それでは私もそろそろお暇いたします」
そう言って文無が立ち上がった。もうちょっとゆっくりするものかと思っていた由乃は思わず、文無を見上げて哀しそうな目をした。
「ふふ、由乃さんまた来ますよ。天鏡沼の近くに温泉地があるでしょう? 今、夫とそこに滞在しているのです。しばらくこちらに居ますので、是非遊びに来てください」
「うわぁ、いいんですか!? 是非!!」
思わず由乃は立ち上がって文無の手を取った。こんなふうにお近付きになれるとは思ってなかった人物なので、素直に嬉しかった。
学校に行ったら真っ先に鼓梅に自慢しよう。そう思いつつ、天鏡沼という言葉と姉の着物の柄に、先程の話を思い出していた。色んな都合で男という事にされた女性と、辛い目にあって龍神となった娘。それは、過去の姉と千代の関係に似ている。そして同時に、校内でまことしやかに流れている噂話の事もずっと頭の中を掠めていた。
由乃はそう言って頬を膨らませた。
「まぁ、今は雨が降る理屈もわかるが、昔はそういうのがわからないからな……。当時は当時で、生きるために必死だったんだろう」
鉱石茶に口を付けながら、姉はそんな風に呟いた。それも理屈はわからないではないのだが、やはり由乃は単純に酷い話だと思う。愛する人と引き剥がされた挙句、目を潰されて殺されるなど、娘の気持ちを思うとやりきれない。水害のひとつも起こしたくなって当然だ。
「でも、大体昔話というものは片手落ちなものが多いのですけれども、この話にも謎な部分がありますよね。娘と一緒に逃げた男はどうしたんでしょう」
文無の言葉に、由乃ははっとした。そういえば、娘の想い人だった男のその後というのは伝承の中で語られていない。
「そういえば謎ですね……。村人が娘にした仕打ちを思うと、男も殺されたのかなぁって思いますけど……」
「そうなんでしょうけれどもね。でも、不思議なのは龍神になった娘を慰めているのが、その男ではなく櫛名田比売だというところでしょうか……その娘は愛していたはずの男性ではなく、通りすがりの女性にというのが少し腑に落ちなくて」
文無の考察は確かに的を射ている。由乃は文無の鋭さに感心して小さく溜息をついた。やはり、芸術分野に秀でている人は視点が違うものなのだろうか。
すると、由乃と文無のやりとりを聞いていた姉が口を開いた。
「私が、聞いた話なのですが。この伝承に登場する男とは、本当は男性ではないという説があるのです。娘と共に逃げようとした想い人は実は女性だったのですが、それだと色々と世間体も悪いし、語り継がれていくうちに皆が納得できるように男だということになった。櫛名田比売とされるのは本当はその想い人の女性で、結局その女性は龍神になった娘の後を追って入水自殺したか、そもそも生贄にされることを苦にした娘と共に心中した話が龍神伝説になったという……」
まるで、時が止まったように静かになった。文無の疑問を考えると、姉の説はとても説得力があった。
「まぁ、ただの噂です。記録が残っているわけでもないので、そう考えると納得がいくという想像の産物かもしれません。それに、天鏡沼では真珠を養殖していますから女性的な言い伝えがあったほうが都合がいいのでしょう。実際、天鏡珠はその龍神伝説になぞらえて『女神の涙』などとも言われていますからね」
奈落の補足は、少し緊張感が走っていた空気を和らげた。確かに、天鏡沼で採れる淡水真珠は「女神の涙」と言われている。あれはもともと真珠が「人魚の涙」と言われているものをもじったのだと由乃は思っていた。そんな由来があることも知らなかった。
姉の博識には頭が下がる。ただし、姉は博識の割に日常のちょっとしたことが出来ない人なので、いいとも悪いとも言えないのだが。
「真珠と言えば……由乃、もしかしたら女学校でもお達しが出てるんじゃないかと思うんだが、真珠煙管の話は聞いているか?」
真珠煙管。それは、鉱石薬店で扱っている薬のひとつだ。硝子の煙管の火皿部分に真珠を置き、特殊な薬液を滴下して真珠を溶かす。すると真珠が蒸気を放って溶け始める。その蒸気を吸引する、煙草に似た薬のことだった。
「時々、先生から指導が入ることはあるわ」
「どういうことです?」
文無が姉と自分の会話を聞いていて頭を傾げていた。真珠煙管は少し特殊な薬なので、鉱石薬に詳しい訳ではない文無にはぴんとこないらしい。
「真珠煙管は、恐怖感や緊張感を和らげるための薬でしてね。精神に作用する薬ですし、処方外の使用は厳重に注意されているんですよ。見た目にも煙管のようなので、女学校では学生の安易な服用を禁止しているようなのですが……美しい硝子の煙管で真珠を吸引するという見目の良さや、精神に作用するということでサナトリウム小説・活動写真のモチーフにされやすい事から、どうも女学生の間で流行り初めているようなのです」
奈落は少々困ったような表情で文無に説明した。
姉の困惑も当然だ。真珠煙管問題は度々女学校でも指導されており、その度に街で一番大きな鉱石薬店である極楽堂は過敏な保護者からの問い合わせがくる。しかし、極楽堂は祖父の代から処方外での真珠煙管の販売はしていない。きちんと許可を取った人間にしか、専用の煙管も、煙管用の真珠も、薬液も販売はしていないのだ。だが、それでも女学生の間ではどこからか真珠煙管を入手しているようで、影で喫煙している女学生がいるらしい。
「私も、うち以外の流通経路を探しているんですが……なかなか難しいのですよ」
「あら……奈落さんはそんなことまでなさってたのですか……お忙しいのに大変ですね」
「いやまぁ……そこは流石に人を使っているんですけれどもね」
一瞬、姉が何かを言い淀んだ気がした。人を使っているとのことだが、そんな協力者がうちにいただろうかと由乃は首を傾げた。
「そんなわけだから、由乃。悪いがお前の方でも、女学校で真珠煙管を吸っている生徒を見つけたら私に教えてくれないか?」
「わかったわ」
「すまないな。だが、くれぐれも深入りはしないように。吸っている生徒にも直接話しかけたりはせずに、誰が吸っていたかだけ私に教えてくれればいい。あとはこちらで調べる」
「えー、つまんない」
せっかく面白そうな任務をもらったのに、と由乃が頬を膨らませると、姉は酷く真面目な顔で手にしていた鉱石茶のグラスを置いた。
「由乃、遊びではないのだよ。まだ流通経路で、何が絡んでいるのかわからないのだ。危ない組織などが絡んでいたらお前だって危険なのだよ。そもそもお前には普通の人や私とも違う体質のことがある。さっきはあの程度で済んだが、私の目の届かないところでもっと酷いことがあったらどうする。私は心配なんだ」
あまりにも真剣な姉の言葉に、由乃は少し居心地が悪くなった。そんなに危ないことが潜んでいるのだろうか。姉の杞憂ではないのだろうか。
目を泳がせていると、隣の文無がくすくすと笑っていた。
「奈落さんは妹想いと言うか……誰にでもそんな風に心配をなさるんですね。それでは気苦労が絶えないでしょう。大丈夫ですよ。妹さんだってこんなにしっかりしていらっしゃるんですもの」
文無に笑われて、奈落はややばつが悪そうに足を組んで、口元を手で隠した。
「そうよそうよ! 文無さんもっと言ってください! 私、もう十五歳なのよ。お嫁にだって行ける歳だわ!」
文無の加勢を受けて、やや興奮気味に姉に食ってかかると、奈落は懐から取り出した何かを由乃に投げつけた。
「いたっ!」
額に当たって落ちたそれを、額をさすりながら拾い上げた。透明な水晶のひと欠けが、革紐の先端に括り付けられていた。
「調子にのるな。今年の『晶刺』はもう少し先だろう、その間それを付けておけ。何も付けてないよりはましだ」
「はぁーい……」
晶刺。嫌な事を思い出させられた。由乃は渋々その水晶を拾い上げると、紐を首に通して首飾りのようにぶら下げる。それはすぐ服の中にしまい込んで、胸元の肌に直に触れるようにした。
「さて、それでは私もそろそろお暇いたします」
そう言って文無が立ち上がった。もうちょっとゆっくりするものかと思っていた由乃は思わず、文無を見上げて哀しそうな目をした。
「ふふ、由乃さんまた来ますよ。天鏡沼の近くに温泉地があるでしょう? 今、夫とそこに滞在しているのです。しばらくこちらに居ますので、是非遊びに来てください」
「うわぁ、いいんですか!? 是非!!」
思わず由乃は立ち上がって文無の手を取った。こんなふうにお近付きになれるとは思ってなかった人物なので、素直に嬉しかった。
学校に行ったら真っ先に鼓梅に自慢しよう。そう思いつつ、天鏡沼という言葉と姉の着物の柄に、先程の話を思い出していた。色んな都合で男という事にされた女性と、辛い目にあって龍神となった娘。それは、過去の姉と千代の関係に似ている。そして同時に、校内でまことしやかに流れている噂話の事もずっと頭の中を掠めていた。
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