「十種神宝異聞」~天に叢雲、地上の空華~

大和撫子

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第八話

歯車・その三

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 風牙は得意満面で氷輪たちに近付こうとした。

(ん? 何や? 揉め事か?)

 だが、その背に琥珀を庇うようにして立つ氷輪に、怯えた様子の琥珀。そして見知らぬ男の様子に立ち止まった。くさむらに身を潜め、様子を窺う。

(人柱のあんさん、様子おかしいわ。あの半妖の小娘も。あの人形みたいな男、出来るな……。こりゃ下手に出ない方が良さそうやて……)

 風牙は気配を消し、瞬時に叢と同化した。どこからどう見ても叢があるようにしか見えない。




 男は氷輪を挑発するようにしてサッと近づく。跪いたまま音立てずスッと、まるで瞬間移動でもしたかのように。氷輪は直感した。

(この男、人間ではないな。そしてかなり……出来る!)

 そして琥珀を抱き上げて後ろに飛ぼうとしたその時初めて、いつものように体が軽快に動かない事に気付く。

(そんな! まさか……恐れを抱いて体が硬直しているのか?)

 全身に走る倦怠感、そしてじんわりと滲み出る不快な汗に戸惑う。『いきなりやって来て何用だ?』と問いただそうとしても、肺から気管、喉にかけて痛みを伴った熱さを感じて言の葉は虚しく空に消えていく。生まれて初めて感じる、戦わぬ内から感じる敗北感。狼狽と威信の失墜に唇を噛みしめる。

(……兄者?)

 守るようにして立つ氷輪の背に頬を寄せ、恐怖に身を震わせていた琥珀。ふと、彼の異変に気付く。いつもなら不敵な笑みを浮かべて問い正しているところだが……どうも様子がおかしい。

(これは俺……いや、わらわの問題。兄者に甘えてか弱い女に浸っている場合ではないわ!)

 と己に喝を入れるようにして両手で頬を挟む込むようにしてパンと叩いた。身を預けていた背中からそっと離れ、両足の裏に大地を感じ取り、丹田に力を込めて背筋を伸ばす。

(琥珀?)

 氷輪は、背中に感じていた琥珀の温もりが離れた事に気付いた。

(私の情けない状態、見抜かれてしまったか……)

 そう思っても、全身を縛りつける倦怠感は、更に体の節々に気怠い痛みを与えはじめていた。自己嫌悪に陥りつつも、琥珀が自らの意志で決意した事を尊重し成り行き見守る必要がある事も感じていた。男が何者で何の目的があって来たのかは分からぬが、少なくとも琥珀に危害を加えるつもりではない事だけは明らかだったから。

「さぁ、姫、帰りましょう。下賤な人間界は十分堪能なさったでしょう? お戯れもほどほどになさいませ。旦那様が首を長くしてお待ちかねでございますよ」

 事も無げな様子で、男は言葉を発した。琥珀は氷輪の前に進み出た。そして氷輪に手を出さぬよう右手を軽くあげて制し、跪く男と対峙する形となった。氷輪が素直に一歩後ろに下がったのを見届けると、半ば睨みつけるようにして男を見据えた。

「おやおや、なんとみすぼらしく粗野な衣装でございましょう。男に身をやつさねばならぬ危険な旅など、もうお辞めくださいませ」

 如何にも重大事件だ! というように芝居がかった声で男は応じる。だが、相変わらず無表情のままなのでさながら人形が話しているような奇妙な感覚に囚われる。氷輪は琥珀の様子を見守り、いざという時は身を挺して守れるようにと静かに立ち位置をずらした。(何だ? この体の軋みは。そんなに、魂があの男を恐れているというのか?)体を動かすごとに感じる節々の痛みと倦怠感は時の経過と共に増していく。

「わらわはとうに家を捨てたのだ! 父上もそれを望んだ筈だ! 今更迎えに来たなんて、どういう風の吹きまわしだ?」

 琥珀はその声にありありと怒りを含み、男に言葉を投げ捨てた。すると男は初めて困惑したように眉を下げ、必死に諭すようにして琥珀を見つめた。そこで、初めて男が人形ではなかった事に気づかされる。

「姫! それは大いなる誤解でござます! 旦那様は、ずっと姫様の事を気にかけておいででした。此度こたびの件は、これから先旅を続けても姫様にとっては傷つく結果になるだけだ、と……」
「ずっと、覗いていた……のか?」
「他の女に心を奪われ、忘れ去られて捨てられるような事になるのを見過ごす訳にはいかない! と。それで連れて戻せと私めを……」
「だから父上はずっと覗いていたのか? と聞いている!」

 琥珀は声を荒げた。全身が怒りに打ち震え、ギラギラと輝く眼差しで睨みつける。答えに窮している男に更に声をぶつけた。

「こたえろ! 久遠くおん、これはあるじであるわらの命令だ!」
「……で、ですから……それは、大事な娘様の事が心配で……」

 名を呼ばれ、命令に背く訳にはいかず男は辛うじてそう答えると、力無く項垂うなだれた。琥珀は口惜しさで涙が溢れそうになる。腹の底から込み上げる父親への嫌悪感に吐き気を覚えた。

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