上 下
87 / 110
第八話

歯車・その一

しおりを挟む
「禍津日神か? 久しいな」

 男は口元を綻ばせた。背筋がゾッとするほど艶めかしい笑みだ。

「ええ、お久しぶりです。二百年振りくらいでしょうかねぇ?」

 禍津日神は愛想の良い笑顔を浮かべ、ふわっと男の目の前に降り立った。男の方が背が高い為、禍津日神は激流の上に浮いている形となる。

「そのくらいになるか。それにしても、わざわざこんなところに何の用だ? 来月出雲の国で神々の会議の筈」

 男は怪訝そうに見つめる。

「そう警戒しないで下さいよ。忙しいのは中間層より下位の神々でしょう。普段から仕事が多い分留守の間を任せる側近に引き継ぎ事項も多い。あなたもよくお分かりでしょうに」

 禍津日神はフン、とやや不機嫌そうに眉をしかめた。

「まぁな。上のくらいになればなるほど、今度は神々同士縦と横に繋がりを気にしてそれはそれでくたびれる。我に言わせればどうでも良い事なんだがな」

 男は肩をすくめた。

「……やはり、今年も参加はなさいませんか?」

 禍津日神は声をひそめて問う。

「もう二度と御免だ。あんな見せしめのような会議はな。それに、私は表向きはここ、常陸の国のとある神社に封印されている訳だしなぁ。で、人間どもには『荒ぶる神』として祀られている訳だ。ハッハッハッハッ……」

 と、男は乾いた笑い声をあげ、不意に真顔になった。

「何せ、我は日本書記とやらにはハッキリと邪神、悪い神として描かれているそうではないか」

「まぁまぁ……」

 禍津日神はなだめすかすようにして声をかける。

「何事にも白黒はっきりつける事よりも中庸を好む和の国の者どもは極力避ける表現ですが、邪神や悪霊やら、それは人間にとってどうか、という基準に過ぎませんからねぇ。けれども神々としては、闇や悪を担う存在がないと困った事になる訳ですよ。何もあなた限った事ではありませんよ。西洋の国でも、暁の名を持つ神の使いが天より堕とされたりして邪悪な存在の代名詞となっていると聞きますよ? 星を司る『天津甕星あまつみかぼし』様」

 と意味有り気に問いかけた。

「我は元々、神々同士つるむのは苦手だったし。天地創造の際から、上に逆らってばかりだったから気に入らなかったんだろう」

 天津甕星と呼ばれた男は溜息混じりに応じた。禍津日神は、右手に血色の檜扇を出し、サッと広げる。そして耳打ちするよう天津甕星の右耳にそれを添えた。そして唇を近づけて囁く。

『そろそろ、表舞台に立ちませんか? あなたもそのつもりでしょう?』
「何を馬鹿な!」
『シッ、お静かに。ちょうど良い具合に使えそうな人間どもを見つけたのですよ。あなたも、素直に常陸の国に留まっていた訳ではない。存じ上げているのですよ、あなた……およそ七百年ほど前、無念の死を遂げた僧侶の……』

 ハッとして目を見開く天津甕星に、にっこりと微笑んで見せる。

『皆まで言わずとも、ここまで言えばお分かりでしょう?』

 天津甕星は音も立てずにスッと離れる諦めたように苦笑いを浮かべた。

「……全て知ってて我に近づいた訳か。相変わらずの策士だな。そうだ、その通り。この容姿はその人間のものだ。我が力を与える代わりに頂いた、というよりそいつは我の一部になった。人間にしておくには惜しい容姿と妖力だったからな。仕方無い、協力しよう。詳しく話を聞かせろ」

 それを聞いて、禍津日神はほくそ笑む。そして

「では、再びお耳を」

 と言って檜扇を広げた。





 氷輪は背筋を正し、叢の上に正座をしている。目の前には鞘から抜きとった刀を両手で掲げ、ひたすら無心で刃に映る己の顔を見つめていた。刀は兼充から買い取ったものである。そこには夢枕に立った乙女に心を奪われ、恍惚と彷徨い歩く己の姿が映し出されていた。

(何と! これが今の私のまことの姿とは……。何て情けない! 女人に魂を奪われてしまうとは!)

 一目見た途端、羞恥心に耐え切れずに目を背けそうになった。けれども、必死で耐えた。

(己の愚かさを凝視せねば! もう二度と、琥珀にあのような悲しい顔をさせる訳にはいかない!)

 琥珀への想いと己の矜持、そして旅の目的が、理性と意志に更なる力を与えた。

(兄者……)

 そんな氷輪を、琥珀は静かに見守っていた。少なくとも、宿世の女に出会うまでは二人でいられるのだ。そう思うと、一刻も時を無駄にしたくない。

(嫉妬で醜く歪んだ顔なんか、見せたくないもの。少しでも、マシな姿のあたしを見て欲しい。己の欲望に打ち勝つ刀、迷いを絶ち切る刀。あたしも、兼充さんの刀の力、借りるね!)

 心の中でそう語りかけると、懐から二つの短刀を取り出した。その瞳は、強い決意の光を宿して輝いていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

御機嫌ようそしてさようなら  ~王太子妃の選んだ最悪の結末

Hinaki
恋愛
令嬢の名はエリザベス。 生まれた瞬間より両親達が創る公爵邸と言う名の箱庭の中で生きていた。 全てがその箱庭の中でなされ、そして彼女は箱庭より外へは出される事はなかった。 ただ一つ月に一度彼女を訪ねる5歳年上の少年を除いては……。 時は流れエリザベスが15歳の乙女へと成長し未来の王太子妃として半年後の結婚を控えたある日に彼女を包み込んでいた世界は崩壊していく。 ゆるふわ設定の短編です。 完結済みなので予約投稿しています。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

魅了だったら良かったのに

豆狸
ファンタジー
「だったらなにか変わるんですか?」

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

私はいけにえ

七辻ゆゆ
ファンタジー
「ねえ姉さん、どうせ生贄になって死ぬのに、どうしてご飯なんて食べるの? そんな良いものを食べたってどうせ無駄じゃない。ねえ、どうして食べてるの?」  ねっとりと息苦しくなるような声で妹が言う。  私はそうして、一緒に泣いてくれた妹がもう存在しないことを知ったのだ。 ****リハビリに書いたのですがダークすぎる感じになってしまって、暗いのが好きな方いらっしゃったらどうぞ。

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

【完結】義妹とやらが現れましたが認めません。〜断罪劇の次世代たち〜

福田 杜季
ファンタジー
侯爵令嬢のセシリアのもとに、ある日突然、義妹だという少女が現れた。 彼女はメリル。父親の友人であった彼女の父が不幸に見舞われ、親族に虐げられていたところを父が引き取ったらしい。 だがこの女、セシリアの父に欲しいものを買わせまくったり、人の婚約者に媚を打ったり、夜会で非常識な言動をくり返して顰蹙を買ったりと、どうしようもない。 「お義姉さま!」           . . 「姉などと呼ばないでください、メリルさん」 しかし、今はまだ辛抱のとき。 セシリアは来たるべき時へ向け、画策する。 ──これは、20年前の断罪劇の続き。 喜劇がくり返されたとき、いま一度鉄槌は振り下ろされるのだ。 ※ご指摘を受けて題名を変更しました。作者の見通しが甘くてご迷惑をおかけいたします。 旧題『義妹ができましたが大嫌いです。〜断罪劇の次世代たち〜』 ※初投稿です。話に粗やご都合主義的な部分があるかもしれません。生あたたかい目で見守ってください。 ※本編完結済みで、毎日1話ずつ投稿していきます。

処理中です...