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第八話
歯車・その一
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「禍津日神か? 久しいな」
男は口元を綻ばせた。背筋がゾッとするほど艶めかしい笑みだ。
「ええ、お久しぶりです。二百年振りくらいでしょうかねぇ?」
禍津日神は愛想の良い笑顔を浮かべ、ふわっと男の目の前に降り立った。男の方が背が高い為、禍津日神は激流の上に浮いている形となる。
「そのくらいになるか。それにしても、わざわざこんなところに何の用だ? 来月出雲の国で神々の会議の筈」
男は怪訝そうに見つめる。
「そう警戒しないで下さいよ。忙しいのは中間層より下位の神々でしょう。普段から仕事が多い分留守の間を任せる側近に引き継ぎ事項も多い。あなたもよくお分かりでしょうに」
禍津日神はフン、とやや不機嫌そうに眉をしかめた。
「まぁな。上のくらいになればなるほど、今度は神々同士縦と横に繋がりを気にしてそれはそれでくたびれる。我に言わせればどうでも良い事なんだがな」
男は肩をすくめた。
「……やはり、今年も参加はなさいませんか?」
禍津日神は声をひそめて問う。
「もう二度と御免だ。あんな見せしめのような会議はな。それに、私は表向きはここ、常陸の国のとある神社に封印されている訳だしなぁ。で、人間どもには『荒ぶる神』として祀られている訳だ。ハッハッハッハッ……」
と、男は乾いた笑い声をあげ、不意に真顔になった。
「何せ、我は日本書記とやらにはハッキリと邪神、悪い神として描かれているそうではないか」
「まぁまぁ……」
禍津日神はなだめすかすようにして声をかける。
「何事にも白黒はっきりつける事よりも中庸を好む和の国の者どもは極力避ける表現ですが、邪神や悪霊やら、それは人間にとってどうか、という基準に過ぎませんからねぇ。けれども神々としては、闇や悪を担う存在がないと困った事になる訳ですよ。何もあなた限った事ではありませんよ。西洋の国でも、暁の名を持つ神の使いが天より堕とされたりして邪悪な存在の代名詞となっていると聞きますよ? 星を司る『天津甕星』様」
と意味有り気に問いかけた。
「我は元々、神々同士つるむのは苦手だったし。天地創造の際から、上に逆らってばかりだったから気に入らなかったんだろう」
天津甕星と呼ばれた男は溜息混じりに応じた。禍津日神は、右手に血色の檜扇を出し、サッと広げる。そして耳打ちするよう天津甕星の右耳にそれを添えた。そして唇を近づけて囁く。
『そろそろ、表舞台に立ちませんか? あなたもそのつもりでしょう?』
「何を馬鹿な!」
『シッ、お静かに。ちょうど良い具合に使えそうな人間どもを見つけたのですよ。あなたも、素直に常陸の国に留まっていた訳ではない。存じ上げているのですよ、あなた……およそ七百年ほど前、無念の死を遂げた僧侶の……』
ハッとして目を見開く天津甕星に、にっこりと微笑んで見せる。
『皆まで言わずとも、ここまで言えばお分かりでしょう?』
天津甕星は音も立てずにスッと離れる諦めたように苦笑いを浮かべた。
「……全て知ってて我に近づいた訳か。相変わらずの策士だな。そうだ、その通り。この容姿はその人間のものだ。我が力を与える代わりに頂いた、というよりそいつは我の一部になった。人間にしておくには惜しい容姿と妖力だったからな。仕方無い、協力しよう。詳しく話を聞かせろ」
それを聞いて、禍津日神はほくそ笑む。そして
「では、再びお耳を」
と言って檜扇を広げた。
氷輪は背筋を正し、叢の上に正座をしている。目の前には鞘から抜きとった刀を両手で掲げ、ひたすら無心で刃に映る己の顔を見つめていた。刀は兼充から買い取ったものである。そこには夢枕に立った乙女に心を奪われ、恍惚と彷徨い歩く己の姿が映し出されていた。
(何と! これが今の私の真の姿とは……。何て情けない! 女人に魂を奪われてしまうとは!)
一目見た途端、羞恥心に耐え切れずに目を背けそうになった。けれども、必死で耐えた。
(己の愚かさを凝視せねば! もう二度と、琥珀にあのような悲しい顔をさせる訳にはいかない!)
琥珀への想いと己の矜持、そして旅の目的が、理性と意志に更なる力を与えた。
(兄者……)
そんな氷輪を、琥珀は静かに見守っていた。少なくとも、宿世の女に出会うまでは二人でいられるのだ。そう思うと、一刻も時を無駄にしたくない。
(嫉妬で醜く歪んだ顔なんか、見せたくないもの。少しでも、マシな姿のあたしを見て欲しい。己の欲望に打ち勝つ刀、迷いを絶ち切る刀。あたしも、兼充さんの刀の力、借りるね!)
心の中でそう語りかけると、懐から二つの短刀を取り出した。その瞳は、強い決意の光を宿して輝いていた。
男は口元を綻ばせた。背筋がゾッとするほど艶めかしい笑みだ。
「ええ、お久しぶりです。二百年振りくらいでしょうかねぇ?」
禍津日神は愛想の良い笑顔を浮かべ、ふわっと男の目の前に降り立った。男の方が背が高い為、禍津日神は激流の上に浮いている形となる。
「そのくらいになるか。それにしても、わざわざこんなところに何の用だ? 来月出雲の国で神々の会議の筈」
男は怪訝そうに見つめる。
「そう警戒しないで下さいよ。忙しいのは中間層より下位の神々でしょう。普段から仕事が多い分留守の間を任せる側近に引き継ぎ事項も多い。あなたもよくお分かりでしょうに」
禍津日神はフン、とやや不機嫌そうに眉をしかめた。
「まぁな。上のくらいになればなるほど、今度は神々同士縦と横に繋がりを気にしてそれはそれでくたびれる。我に言わせればどうでも良い事なんだがな」
男は肩をすくめた。
「……やはり、今年も参加はなさいませんか?」
禍津日神は声をひそめて問う。
「もう二度と御免だ。あんな見せしめのような会議はな。それに、私は表向きはここ、常陸の国のとある神社に封印されている訳だしなぁ。で、人間どもには『荒ぶる神』として祀られている訳だ。ハッハッハッハッ……」
と、男は乾いた笑い声をあげ、不意に真顔になった。
「何せ、我は日本書記とやらにはハッキリと邪神、悪い神として描かれているそうではないか」
「まぁまぁ……」
禍津日神はなだめすかすようにして声をかける。
「何事にも白黒はっきりつける事よりも中庸を好む和の国の者どもは極力避ける表現ですが、邪神や悪霊やら、それは人間にとってどうか、という基準に過ぎませんからねぇ。けれども神々としては、闇や悪を担う存在がないと困った事になる訳ですよ。何もあなた限った事ではありませんよ。西洋の国でも、暁の名を持つ神の使いが天より堕とされたりして邪悪な存在の代名詞となっていると聞きますよ? 星を司る『天津甕星』様」
と意味有り気に問いかけた。
「我は元々、神々同士つるむのは苦手だったし。天地創造の際から、上に逆らってばかりだったから気に入らなかったんだろう」
天津甕星と呼ばれた男は溜息混じりに応じた。禍津日神は、右手に血色の檜扇を出し、サッと広げる。そして耳打ちするよう天津甕星の右耳にそれを添えた。そして唇を近づけて囁く。
『そろそろ、表舞台に立ちませんか? あなたもそのつもりでしょう?』
「何を馬鹿な!」
『シッ、お静かに。ちょうど良い具合に使えそうな人間どもを見つけたのですよ。あなたも、素直に常陸の国に留まっていた訳ではない。存じ上げているのですよ、あなた……およそ七百年ほど前、無念の死を遂げた僧侶の……』
ハッとして目を見開く天津甕星に、にっこりと微笑んで見せる。
『皆まで言わずとも、ここまで言えばお分かりでしょう?』
天津甕星は音も立てずにスッと離れる諦めたように苦笑いを浮かべた。
「……全て知ってて我に近づいた訳か。相変わらずの策士だな。そうだ、その通り。この容姿はその人間のものだ。我が力を与える代わりに頂いた、というよりそいつは我の一部になった。人間にしておくには惜しい容姿と妖力だったからな。仕方無い、協力しよう。詳しく話を聞かせろ」
それを聞いて、禍津日神はほくそ笑む。そして
「では、再びお耳を」
と言って檜扇を広げた。
氷輪は背筋を正し、叢の上に正座をしている。目の前には鞘から抜きとった刀を両手で掲げ、ひたすら無心で刃に映る己の顔を見つめていた。刀は兼充から買い取ったものである。そこには夢枕に立った乙女に心を奪われ、恍惚と彷徨い歩く己の姿が映し出されていた。
(何と! これが今の私の真の姿とは……。何て情けない! 女人に魂を奪われてしまうとは!)
一目見た途端、羞恥心に耐え切れずに目を背けそうになった。けれども、必死で耐えた。
(己の愚かさを凝視せねば! もう二度と、琥珀にあのような悲しい顔をさせる訳にはいかない!)
琥珀への想いと己の矜持、そして旅の目的が、理性と意志に更なる力を与えた。
(兄者……)
そんな氷輪を、琥珀は静かに見守っていた。少なくとも、宿世の女に出会うまでは二人でいられるのだ。そう思うと、一刻も時を無駄にしたくない。
(嫉妬で醜く歪んだ顔なんか、見せたくないもの。少しでも、マシな姿のあたしを見て欲しい。己の欲望に打ち勝つ刀、迷いを絶ち切る刀。あたしも、兼充さんの刀の力、借りるね!)
心の中でそう語りかけると、懐から二つの短刀を取り出した。その瞳は、強い決意の光を宿して輝いていた。
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