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第六話

謀略・その三

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「あー……何だか臓器がひっくり返って口かあ飛びだしそうだ……」

 氷輪はげんなりしている。酷く顔色が悪い。船の縁を右手で掴み、床に屈み込むようにして左手をついていた。完全に船酔いである。網代笠は取り、荷物と共に後ろ側にまとめて立て掛けてある。琥珀もそこに荷物をまとめ、座り込んでガサガサと琥珀の荷物を漁っていた。やがて「あった! これだ! えーと、薬は一日三回一回八粒、と」と嬉しそうな声をあげた。そして急いで氷輪に駆け寄る。

「兄者、大丈夫か? ほら、水とこれだ、船酔いの丸薬。まずは薬から先に口に入れちまえ」

 と左手で竹筒を、右手には丸薬を八粒握り締めて差し出した。先程から、船体は大きくゆっくりと揺れている。氷輪は壁に寄りかかると、琥珀に笑顔を向け、弱々しく微笑んだ。

「すまない……有難う」

 と今にも込み上げそうになるのを堪えながら、両手の平を上に向けて差し出す。琥珀は船の揺れで薬を落とさないように気をつけながら、そっと丸薬を渡した。氷輪は両手で包み込むようにして受け取ると、右手で握り締めるようにして薬を持ち変え、ゆっくりと口に運んだ。鳶色の丸薬は米粒大程の小さなもので、微かに梅の実の香りがした。

「ほら、水だ。咽ないように、ゆっくり飲めよ」

 氷輪が薬を全て口の中におさめたのを見て、琥珀は竹筒を差し出す。氷輪はしっかりと受け取るとゆっくりと飲み始めた。

「……有難う」

 氷輪は琥珀に竹筒を渡すと、すこしはにかんだように口元を綻ばせた。

「気にすんな。初めての船旅じゃ、仕方ねーさ。大抵の奴は船酔いするって聞くし」

 と、琥珀は微笑み返した。

(俺は人じゃねーから、初めてでも平気だったけどな)

 内心でそう自嘲しながら。

「薬が効いてくるまでもう少し時間かかるだろうし、そのままじっと休んでろよ。俺、荷物整理して来る」

 そう言って、その場を離れた。

(参ったなぁ。初めての船旅が船酔い体験とは……)

 背中を壁に預けた氷輪は苦笑しつつ、薄青い空を見上げた。

 琥珀はどことなく嬉しそうに荷物の整理を始めている。クスッと小さく笑った。

(……あんな弱ってる兄者、初めて見たわ。ちょっと可愛いかも。きっと、滅多に見られない貴重な体験ね)

 と思った。無意識に、少女の顔に戻っていた。






 行商人は木の切り株に腰を下ろし、麦が混じった白米の握り飯を食べている。膝の上に、柏の葉で包まれた握り飯があと四つほど乗せられていた。足元には竹筒に入った水が置かれている。風牙は行商人の右脇に置かれた荷物の影から、静かに様子を窺っていた。

 男は水を飲もうと、右太ももの辺りの空いている切り株の上に握り飯を置いた。するとササササ……と鋼色のまあるいモフモフが荷物の影より転がるようにやって来て、サッと握り飯の一つを咥え目にも止まらぬはやさで林の奥へと転がるように走って行った。男は一陣の風が己の右脇に吹いたように感じ、水を飲みながら目をやる。

「あれ?」

 四つある筈の握り飯が三つしかない。男は首を傾げ、辺りを見回した。握り飯が地に転がっている形跡は無い。

「はて……無意識に一つ食べてしまったのかいな?」

 しきりに首を傾げながら、握り飯に手を伸ばした。

「んめぇ。かぁちゃん飯の炊き方なかなかだなぁ。とっつぁん、一個有り難く頂いたぜ」

 風牙は体の三分の一はあろうかと思われる握り飯を満足そうに食べ始めている。男から少し離れた林の奥だ。近くに川が流れる音がする。口の真ん中の上下に二本ずつ生えている長く鋭い歯を器用に使いながら、あっと言う間に平らげてしまった。

「フーッ」

 と満足そうに溜息を吐く。円らな瞳を細め、嬉しそうに笑った。

「食ったー食った! とっつぁん、ごっそさんな。ワイは義理と人情を重んじる大妖魔様だからな。なんたって元産土神様だし。お礼に、何か一つ幸運を授けてやんよ」

 というと後ろ足二本で立ち上がり、両手を口元を拭き始めた。舌と両手を器用に駆使し、念入りに毛繕いを始める。

「さーて、と。そこの川で水でも飲んで、また旅立つとするかな」

 そう言うと、チョコチョコと川を目指して歩き始めた。




(ふん、妖怪毛羽毛現けうけげんですね。お馬鹿そうですから、使ってみますか)


 川辺で水を飲む風牙を、上空に突如出現した禍津日神が見ている。


「ん? 何か今、誰かワイの事『馬鹿』って言った気がする……」

 水を飲むのを止め、ムッとしたように上空を見上げた。

「おやおや、随分と勘が働くようですねぇ」

 風牙が見上げる先に、禍津日神が姿を現した。突然の事でポカンとして見つめる風牙。

(何や? 白玉色の髪、血のように赤い目ん玉に、血で染めたような唇……て!)

「ひっ、ひぃいいいいいーーー! 禍津日の神さんやーーーっ!」

 と二足歩行で後ろにのけぞるようにして叫ぶと、両手で頭を抱えてその場にうずくまった。

「い、命ばかりはお助けをーーーー!」

 と震える声で呟いた。禍津日神は刹那、寂しそうに風牙を見つめる。けれども次の瞬間、いつもの小馬鹿にしたような表情に戻った。

「落ち着いてください」

 半ば呆れたように、声をかけた。
 
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