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第六話 

謀略・その二

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 その薬の行商人は、越中に家を構えており、三代目を引き継いだばかりなのだそうだ。

「あそこの関所の守護職は、先月入れ替わったばかりなんですが。どうにも評判が悪くてね。身なりがよくて初めて通過する者たちをああして脅して銭をむしり取っているんですよ」

 と苦笑した。

「私はもう何度も通っていますし、すぐに侍所を呼んで来たりするんで彼らとも顔馴染みになっているのでね」

 背中に背追う大きな商材を軽々と担ぎ、スタスタと軽快に歩いている。見かけは細く見えるが、相当に力持ちなのだろう。彼はちょうど関所を越えたところで、騒ぎを聞ききつけたそうだ。

「助かりました。お陰で必要以上に支払わずに済みましたし」

 氷輪は笑顔で応じた。

「いえいえ、こちらも薬草を買って頂いたりして却って恐縮です」

 琥珀は静かに氷輪の後を歩いている。

(しかし、守護職の奴らの慌てっぷりは可笑しかったなー。侍所見てへーこらしてやがんの。『物語僧と伺って興味深くて色々と質問をですな……』だってさー。バッカでぃ)

「へぇ? あの一番大柄な人が!」
「そうらしいですよ。あの辺りの守護大名だかの弟の息子なんだとか。だから侍所もあまり強く罰する事が出来ないっていう……」
「けれども他国に評判が良く無い噂が立っては良く無い。侍所も板挟み、という事ですね」
「そういう事になりますよね」

 二人の会話に、琥珀は内心で加わる。

(ほーん、あのでっぷりした奴がねぇ。意外に若いんだ? 随分と老けてるんだな。おっさんかと思った。妖界も神界も冥界も……どこの階層も親の七光りは健在なんだなー。何だかなー。まぁ、何にせよ薬の行商人の兄ちゃんが良い人で良かった。兄者って、強運の持ち主かもしんねーな)

 林道を歩いていくと、急に道が開けた。目の前に薄茶色の砂浜が広がる。海辺には様々な種類の船が停留していた。

「ここです。ここから伊勢の国に言って、突っ切るようにして行くと大和の国には最短で着けると思いますよ。行き先の交渉は、船頭さんと交渉してみて下さい。あそこの船頭が不愛想だけど、根は親切で情の深い人ですから」

 行商人はそう言って、一つの船を指差した。大きな白い帆が目立つ、安定した頑丈さを持つ船だった。

「ご親切に何から何まで。有難うございました」

 氷輪と同時に、琥珀もぺこりと頭を下げる。

「いいえとんでもない。良い旅を!」

 行商人は人の好さそうな笑みを浮かべて去って行った。

ザザー……ザザー……

 潮騒の音が心地良く耳に響く。船を行き来する人々の足音と会話が風に乗って混じり合う。氷輪は青い海と白波そして示された船を見た途端、トクンと鼓動が跳ねた。同時に、胸の奥から突き上げるように湧く熱い思い。

(急がねば……早く会わねば!)

 そんな感情が全身にみなぎっていくのを覚えた。彼の左隣を歩いていた琥珀は、すぐにその異変に気付く。心ここにあらずの様子で、遥か遠くを見つめる彼。何故か酷く心が急いている様子だ。ドキッと心臓が嫌な予感に悲鳴をあげた。

(兄者……。呼ばれちまってるのかな、宿世のひと、とやらに……。もう、俺の事なんか頭に無い……のか?)

 言い知れぬ不安に、胸が締め付けられる。哀しい予感を振り切るようにして、琥珀は精一杯明るい声、明るい笑顔で

「兄者! 兄者ってば!」

 氷輪は琥珀の呼びかけにハッと我に返る。ニシシ、と白い歯を見せて思い切り笑う彼女がいた。

「今、俺の事すっかり忘れてたろ?」

 悪戯っ子みたいにへへへ、と笑う。

(そうだ、私は一体何を……)

 それを即座に否定できない自分が恨めしかったし、罪悪感を覚えた。まるで一瞬だけ、誰か別の人格に支配されたように訳の分から無い感情だった。

「いや、まさか! 初めて乗る船に気を取られただけさ。それにしても、背中をしっかりと守ってくれたな。見事だった、有難う」

 守護職たちに取り囲まれた際、背後から切り掛かって来た二人を食い止めた琥珀。けれどもそれは、彼女なら訳もなくかわせる事は計算済みであった。無茶をさせたくはなかったが、彼女の誇りも踏みにじる事はしたくない。琥珀に意識を向けた瞬間、先程の不可解な感情は跡形も無く霧散した。

「なんのなんのあれくらい屁でもねーや。いや、でもあれは兼充のおっちゃんの仕込みが最高だったからな。鞘の部分で受け止めても、傷一つついてなかった」
「そうか。やはりな。私の方も、剣を弾いた束の部分、何の傷もついてない」

 二人は見つめ合い、破顔しあった。

「さ、行こう。伊勢の国の神宮にお参りをして、大和の国に急ぐぞ!」
「おう!」

 二人はどちらからともなく手を取り合って、足早に船に向かった。

 ザザー、一際大きく波の音が響いた。






 その頃、フワフワフサフサとした長い鋼色の塊が林の中を移動していた。それは子犬程の大きさの丸っこい生き物である。尻尾はなく、全体的にコロコロとしている。顔と腹は美味しそうな飴色だ。円らな栗色の瞳が愛らしい。

「ふふふ、このワイから逃げようったってそうは行かんのや! このワイの鼻にかかれば、千里先だって嗅ぎ分けられるってもんよ」

 その生き物は誰に言うともなくそう呟いた。幼さの残る男児特有の高めの声だ。

「お!」

 何かを見つけたようだ。木陰より、通りを覗き込む。背中に大きな荷物を背負った行商人を見つめた。

「へへん」

 その生き物は得意そうに呟くと、その場に屈み込んでからピョーンと飛び、その行商人の荷物に飛び乗った。お世辞にも長いとは言え無い細い手足からは想像も出来ない飛翔力だ。鋼色の布に包まれている荷物故に、その生き物は同化して目立たない。そのまま気持ち良さそうに座った。

 そう、この生き物は元産土神。思いの外早く修行を終え、大妖魔の称号を与えられた風牙ふうがであった。
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