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第四話
神無月、神有月・後編
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「出かける準備を」
竜胆の襲の姫は、傍らに付き添う侍女にそう声をかけた。肩に弛ませた艶やかな髪が、ハラリと流れた。梅花の甘さと百合の高貴な香りが混じり合った芳香が、微かに薫る。
「お待ちください! なりませぬ!」
束帯装束の男は立ち上がり、姫の目前に立つと激しい口調で止めた。侍女は腰を浮かしかけたが、どうしたらよいのか戸惑っている様子だ。
「お退きなさい! 私には代々伝わる神の宝を守る使命があるのです! 神無月を迎える前に、あの御方にお逢いせねば!」
姫は口調を荒げた。吸い込まれそうなほど深く澄んだ漆黒の瞳が、強い光を宿して男を見据える。その時、渡郎からこちらに近づく足音が響いた。
「姫、入るぞ!」
部屋の入り口、卵色の地に松の木が描かれた襖より男の声が響く。低めの太鼓の音を思わせる軽快な声だ。
「はい」
姫は答えたと同時に、襖が開く。
「何事だ! 騒々しい」
男は不快そうに濃い眉をしかめ、室内に足を踏み入れた。背は高く骨太な体を、滅紫色の狩衣と袴姿に身を包み、黄土色の折烏帽子を被っている。よく日焼けした浅黒い肌、鋭い目付きのその男はどことなく野生の狼を思わせる。
「父上、私は……」
「何処へ行くと?」
男はバサリと遮り、ジロリと娘を見つめた。
「神無月になっては遅いのです! ですから……」
「お前自らが出向くと言うのか? 宿世の相手に。信じられぬのか? その相手が!」
「あ……」
畳みかけるように鋭く問う父親に、姫は言葉を失う。
「宿世の相手なら、もうすぐ会えるであろう。とにかく、落ち着きなさい」
と宥めるように声を和らげた。
「……はい、申し訳ありません」
項垂れる姫。
「申し訳ございません」
面目なさそうに束帯装束の男は深々と頭を下げる。侍女も合わせるようにして頭を下げた。
「まぁ良い。焦るな、いいな」
男はそう言い残して、部屋を後にした。この男は、代々続く物部一族の総督。神薙一族と名を変えて、代々守り通してきた十種神宝の一部を秘かに守っている。姫は神の宝を守る巫女として生まれた。束帯装束の男は、一族を守る陰陽師なのであった。
尾張の国との関所が近づいた際、氷輪は尋常でない邪気を含んだ殺気を感じ取る。同時に琥珀も感じ取ったようだ。二人顔を見合わせる。
『琥珀、後ろに。私から離れるな!』
氷輪は琥珀に素早く耳打ちし、右手で琥珀の肩を抱き、庇うようにして自らの背後にまわした。そして油断なく前を見据えた。
ほどなくして、関所の詰所より枯れ草色の直垂に身を包んだ武士たちが五人ほど、ニヤニヤと下品な笑いを浮かべながらやってきた。
「これはこれは」
武士の一人が小馬鹿にしたように声を発する。
「また随分と身なりの良い坊様で」
隣を歩く武士が両手をこすり合わせながら言った。へっへっへ、と粗野に笑いながら彼らは近づいてきた。
竜胆の襲の姫は、傍らに付き添う侍女にそう声をかけた。肩に弛ませた艶やかな髪が、ハラリと流れた。梅花の甘さと百合の高貴な香りが混じり合った芳香が、微かに薫る。
「お待ちください! なりませぬ!」
束帯装束の男は立ち上がり、姫の目前に立つと激しい口調で止めた。侍女は腰を浮かしかけたが、どうしたらよいのか戸惑っている様子だ。
「お退きなさい! 私には代々伝わる神の宝を守る使命があるのです! 神無月を迎える前に、あの御方にお逢いせねば!」
姫は口調を荒げた。吸い込まれそうなほど深く澄んだ漆黒の瞳が、強い光を宿して男を見据える。その時、渡郎からこちらに近づく足音が響いた。
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部屋の入り口、卵色の地に松の木が描かれた襖より男の声が響く。低めの太鼓の音を思わせる軽快な声だ。
「はい」
姫は答えたと同時に、襖が開く。
「何事だ! 騒々しい」
男は不快そうに濃い眉をしかめ、室内に足を踏み入れた。背は高く骨太な体を、滅紫色の狩衣と袴姿に身を包み、黄土色の折烏帽子を被っている。よく日焼けした浅黒い肌、鋭い目付きのその男はどことなく野生の狼を思わせる。
「父上、私は……」
「何処へ行くと?」
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「神無月になっては遅いのです! ですから……」
「お前自らが出向くと言うのか? 宿世の相手に。信じられぬのか? その相手が!」
「あ……」
畳みかけるように鋭く問う父親に、姫は言葉を失う。
「宿世の相手なら、もうすぐ会えるであろう。とにかく、落ち着きなさい」
と宥めるように声を和らげた。
「……はい、申し訳ありません」
項垂れる姫。
「申し訳ございません」
面目なさそうに束帯装束の男は深々と頭を下げる。侍女も合わせるようにして頭を下げた。
「まぁ良い。焦るな、いいな」
男はそう言い残して、部屋を後にした。この男は、代々続く物部一族の総督。神薙一族と名を変えて、代々守り通してきた十種神宝の一部を秘かに守っている。姫は神の宝を守る巫女として生まれた。束帯装束の男は、一族を守る陰陽師なのであった。
尾張の国との関所が近づいた際、氷輪は尋常でない邪気を含んだ殺気を感じ取る。同時に琥珀も感じ取ったようだ。二人顔を見合わせる。
『琥珀、後ろに。私から離れるな!』
氷輪は琥珀に素早く耳打ちし、右手で琥珀の肩を抱き、庇うようにして自らの背後にまわした。そして油断なく前を見据えた。
ほどなくして、関所の詰所より枯れ草色の直垂に身を包んだ武士たちが五人ほど、ニヤニヤと下品な笑いを浮かべながらやってきた。
「これはこれは」
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「また随分と身なりの良い坊様で」
隣を歩く武士が両手をこすり合わせながら言った。へっへっへ、と粗野に笑いながら彼らは近づいてきた。
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