上 下
73 / 110
第四話 

神無月、神有月・後編

しおりを挟む
「出かける準備を」

 竜胆の襲の姫は、傍らに付き添う侍女にそう声をかけた。肩にたゆませた艶やかな髪が、ハラリと流れた。梅花の甘さと百合の高貴な香りが混じり合った芳香が、微かに薫る。

「お待ちください! なりませぬ!」

 束帯装束の男は立ち上がり、姫の目前に立つと激しい口調で止めた。侍女は腰を浮かしかけたが、どうしたらよいのか戸惑っている様子だ。

「お退きなさい! 私には代々伝わる神の宝を守る使命があるのです! 神無月を迎える前に、あの御方にお逢いせねば!」

 姫は口調を荒げた。吸い込まれそうなほど深く澄んだ漆黒の瞳が、強い光を宿して男を見据える。その時、渡郎からこちらに近づく足音が響いた。

「姫、入るぞ!」

 部屋の入り口、卵色の地に松の木が描かれた襖より男の声が響く。低めの太鼓の音を思わせる軽快な声だ。

「はい」

 姫は答えたと同時に、襖が開く。

「何事だ! 騒々しい」

 男は不快そうに濃い眉をしかめ、室内に足を踏み入れた。背は高く骨太な体を、滅紫色けしむらさきいろの狩衣と袴姿に身を包み、黄土色の折烏帽子を被っている。よく日焼けした浅黒い肌、鋭い目付きのその男はどことなく野生の狼を思わせる。

「父上、私は……」
「何処へ行くと?」

 男はバサリと遮り、ジロリと娘を見つめた。

「神無月になっては遅いのです! ですから……」
「お前自らが出向くと言うのか? 宿世の相手に。信じられぬのか? その相手が!」
「あ……」

 畳みかけるように鋭く問う父親に、姫は言葉を失う。

「宿世の相手なら、もうすぐ会えるであろう。とにかく、落ち着きなさい」

 と宥めるように声を和らげた。

「……はい、申し訳ありません」

 項垂れる姫。

「申し訳ございません」

 面目なさそうに束帯装束の男は深々と頭を下げる。侍女も合わせるようにして頭を下げた。

「まぁ良い。焦るな、いいな」

 男はそう言い残して、部屋を後にした。この男は、代々続く物部一族の総督。神薙一族かんなぎいちぞくと名を変えて、代々守り通してきた十種神宝の一部を秘かに守っている。姫は神の宝を守る巫女として生まれた。束帯装束の男は、一族を守る陰陽師なのであった。





 尾張の国との関所が近づいた際、氷輪は尋常でない邪気を含んだ殺気を感じ取る。同時に琥珀も感じ取ったようだ。二人顔を見合わせる。

『琥珀、後ろに。私から離れるな!』

 氷輪は琥珀に素早く耳打ちし、右手で琥珀の肩を抱き、庇うようにして自らの背後にまわした。そして油断なく前を見据えた。

 ほどなくして、関所の詰所より枯れ草色の直垂に身を包んだ武士たちが五人ほど、ニヤニヤと下品な笑いを浮かべながらやってきた。

「これはこれは」

 武士の一人が小馬鹿にしたように声を発する。

「また随分と身なりの良い坊様で」

 隣を歩く武士が両手をこすり合わせながら言った。へっへっへ、と粗野に笑いながら彼らは近づいてきた。
 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

御機嫌ようそしてさようなら  ~王太子妃の選んだ最悪の結末

Hinaki
恋愛
令嬢の名はエリザベス。 生まれた瞬間より両親達が創る公爵邸と言う名の箱庭の中で生きていた。 全てがその箱庭の中でなされ、そして彼女は箱庭より外へは出される事はなかった。 ただ一つ月に一度彼女を訪ねる5歳年上の少年を除いては……。 時は流れエリザベスが15歳の乙女へと成長し未来の王太子妃として半年後の結婚を控えたある日に彼女を包み込んでいた世界は崩壊していく。 ゆるふわ設定の短編です。 完結済みなので予約投稿しています。

魅了だったら良かったのに

豆狸
ファンタジー
「だったらなにか変わるんですか?」

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

お馬鹿な聖女に「だから?」と言ってみた

リオール
恋愛
だから? それは最強の言葉 ~~~~~~~~~ ※全6話。短いです ※ダークです!ダークな終わりしてます! 筆者がたまに書きたくなるダークなお話なんです。 スカッと爽快ハッピーエンドをお求めの方はごめんなさい。 ※勢いで書いたので支離滅裂です。生ぬるい目でスルーして下さい(^-^;

「不細工なお前とは婚約破棄したい」と言ってみたら、秒で破棄されました。

桜乃
ファンタジー
ロイ王子の婚約者は、不細工と言われているテレーゼ・ハイウォール公爵令嬢。彼女からの愛を確かめたくて、思ってもいない事を言ってしまう。 「不細工なお前とは婚約破棄したい」 この一言が重要な言葉だなんて思いもよらずに。 ※約4000文字のショートショートです。11/21に完結いたします。 ※1回の投稿文字数は少な目です。 ※前半と後半はストーリーの雰囲気が変わります。 表紙は「かんたん表紙メーカー2」にて作成いたしました。 ❇❇❇❇❇❇❇❇❇ 2024年10月追記 お読みいただき、ありがとうございます。 こちらの作品は完結しておりますが、10月20日より「番外編 バストリー・アルマンの事情」を追加投稿致しますので、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。 1ページの文字数は少な目です。 約4500文字程度の番外編です。 バストリー・アルマンって誰やねん……という読者様のお声が聞こえてきそう……(;´∀`) ロイ王子の側近です。(←言っちゃう作者 笑) ※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

【完結】虐待された少女が公爵家の養女になりました

鈴宮ソラ
ファンタジー
 オラルト伯爵家に生まれたレイは、水色の髪と瞳という非凡な容姿をしていた。あまりに両親に似ていないため両親は彼女を幼い頃から不気味だと虐待しつづける。  レイは考える事をやめた。辛いだけだから、苦しいだけだから。心を閉ざしてしまった。    十数年後。法官として勤めるエメリック公爵によって伯爵の罪は暴かれた。そして公爵はレイの並外れた才能を見抜き、言うのだった。 「私の娘になってください。」 と。  養女として迎えられたレイは家族のあたたかさを知り、貴族の世界で成長していく。 前題 公爵家の養子になりました~最強の氷魔法まで授かっていたようです~

処理中です...