「十種神宝異聞」~天に叢雲、地上の空華~

大和撫子

文字の大きさ
上 下
72 / 110
第四話

神無月、神有月・中編

しおりを挟む
 氷輪の視線は大海原を沿って、遥か遠くを見つめている様子だ。海には船が活発に行き来している。今までは父親が描いた物しか知り得なかった氷輪は初めて間近に見る船に感激していた。

(兄者……)

 琥珀は、氷輪がそのまま自分を置いて遠くへ旅立ってしまいそうな気がした。何となく、氷輪の視線の先に天女のような美しい女性が手招きしているような気がした。それが先読みのいうところの『宿世のひと』かと、突如として言い知れぬ寂しさが胸の奥から突き上げる。

「行かないでっ!」

 自然にそう懇願する女子の声が流れ、気付いたら夢中で氷輪の背に抱きついていた。

「……琥珀?」 

 氷輪は留めるようにして抱きついて来た琥珀に虚を突かれ、探るようにして見やる。

(震えて……いるのか?)

 自らの背中に感じる、微かに震える体。グッと抱き締めて安心させてやりたい衝動に駆られる。けれども理性の力でその激情に歯止めをかけ、右手を後ろに回してポンポン、と軽く琥珀の背中を叩いた。

「どうした? 何を心配している? 私がお前を置いて何処へも行くというのだ?」

 と優しく問いかけた。

 琥珀は氷輪に優しく背中を叩かれる毎に、少しずつ不安が消えていくを感じていた。そして彼の優しい声が心地良く耳に響くと不安は消え、心地良い安心感に包まれるのだった。

「……兄者……」

 甘えたように呼び、そして氷輪の背中に額を擦りつける。

(女の子だし、精一杯頑張って男子のふりをして生きているのだ。たまにはこうして無防備になる事も必要だろう)

 氷輪はそう判断し、しばらくそのまま動かずにいた。

ザブーン、ザー、と規則正しい波の音が二人に安らぎを与える。やがて、琥珀の耳には浜辺を行きかう行商人を始めとした人々の足音も響いてきた。一気に我に返る。同時に文字通りボッと顔から火が出る思いがした。

「う、うわっ! す、すまねー! 兄者!」

 大慌てでサッと後方にのけぞるようにして氷輪から離れた。唐突な琥珀の変わり身に、心の臓が躍り上がる氷輪。そして二人だけの束の間の時が終わってしまった事をちょっぴり残念に感じた。

「いや、あの……その、なんだ……」

 琥珀はどもりながら必死で言い訳を考える。

「ほら、えーと。そうそう!」
 
 瞬時に閃いた。

「ここの海ってな、海女の妖が出るんだと。波間を見つめてるとな、海に引きずりこんで死へと誘う。物凄い美女がな、男を海へ誘い込むんだとさ」
「ほほぅ、私がその妖に魅入られたかもしれぬ、と?」


 氷輪は咄嗟に誤魔化す琥珀に、少々意地悪な気持ちが起こった。

「あ、うん。だって男は殆ど例外なく引きこまれるっていうし。ほ、ほら! 周り歩いている男どもは誰も海に目をくれないだろ?」

 必死な様子の琥珀。真っ赤になっているところが可愛らしいと思う。

「お前も男ではないか」

 氷輪は悪戯っ子みたいな笑みを浮かべた。

「あ! あー、あのほら、元服迎えた男限定なんだよ、うん」
「はっはっは。なるほど、そうか。さて、先を急ぐぞ。今日中に尾張の国へ行っておきたい」

 琥珀は軽くあしらうようにして流すと、スタスタと歩き出した。

「あ、え……?」

 呆気に取られて見守る琥珀。

「あ、あー!」

 揶揄われたのだと漸く悟った琥珀は、慌てて彼の後を追った。

「待てよー、兄者ーーーー!」






「姫、それはなりませんぞ。自らが宿世の相手を出向くなぞ!」

 黒の束帯装束に身を包んだ精悍な顔立ちの男が、毅然とした態度で言った。

「いいえ、来月の神無月を待てば、魑魅魍魎や妖魔ども、邪神が活発になります!」

 竜胆の襲に身を包んだ美しい姫君はきっぱりとそう答え、キッと男を見据えた。

 


 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

魅了だったら良かったのに

豆狸
ファンタジー
「だったらなにか変わるんですか?」

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

だいたい全部、聖女のせい。

荒瀬ヤヒロ
恋愛
「どうして、こんなことに……」 異世界よりやってきた聖女と出会い、王太子は変わってしまった。 いや、王太子の側近の令息達まで、変わってしまったのだ。 すでに彼らには、婚約者である令嬢達の声も届かない。 これはとある王国に降り立った聖女との出会いで見る影もなく変わってしまった男達に苦しめられる少女達の、嘆きの物語。

愚者による愚行と愚策の結果……《完結》

アーエル
ファンタジー
その愚者は無知だった。 それが転落の始まり……ではなかった。 本当の愚者は誰だったのか。 誰を相手にしていたのか。 後悔は……してもし足りない。 全13話 ‪☆他社でも公開します

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

戦国陰陽師〜自称・安倍晴明の子孫は、第六天魔王のお家の食客になることにしました〜

水城真以
ファンタジー
自称・安倍晴明の子孫、明晴。ある日美濃に立ち寄った明晴がいつもの通りに陰陽術で荒稼ぎしていたら、岐阜城主・織田信長に目を付けられてしまう。城に連れて行かれた明晴は、ある予言を当ててしまったことから織田家の食客になることに!? 「俺はただ、緩くのんびり生きられたらいいだけなのにーー!!」 果たして自称・安倍晴明の子孫の運命やいかに?!

【完結】竜人が番と出会ったのに、誰も幸せにならなかった

凛蓮月
恋愛
【感想をお寄せ頂きありがとうございました(*^^*)】  竜人のスオウと、酒場の看板娘のリーゼは仲睦まじい恋人同士だった。  竜人には一生かけて出会えるか分からないとされる番がいるが、二人は番では無かった。  だがそんな事関係無いくらいに誰から見ても愛し合う二人だったのだ。 ──ある日、スオウに番が現れるまでは。 全8話。 ※他サイトで同時公開しています。 ※カクヨム版より若干加筆修正し、ラストを変更しています。

むしゃくしゃしてやった、後悔はしていないがやばいとは思っている

F.conoe
ファンタジー
婚約者をないがしろにしていい気になってる王子の国とかまじ終わってるよねー

処理中です...