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第四話
神無月・神有月・前編
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瑠璃色の瞳が、物憂げに天を仰いだ。金色の髪がハラリと方に流れる。見上げる先はどこまでも続く蒼天だ。透けるような白い羽衣に身を包んだ天女達が優雅に空を舞っている。夕星は深い溜息をついた。その時、後方に何か気配を感じる。ふわりと闇色の狩衣に紫紺色の袴姿の者が姿を現した。藍色の布を頭からすっぽりと被り、右手に持った銀の錫杖がシャンと鳴る。辺りに咲き乱れる唐傘大の牡丹が微かに揺れた。途端に甘く高貴な芳香を放つ。
「月黄泉命様……」
夕星は降り返り、その名を口にした。
「もう、穢れを払うのも、本心を読まれぬようにするのも板についてきたようだな」
月黄泉は淡々と言葉をかける。
「……いいえ、そのような事は」
伏目がちに夕星は応じた。
「いや、『心ここに在らず』で穢れを払ったり、私の気配を察知出来るとはなかなかのものだ」
相変わらず冷たく無機質な面持ちの月黄泉命。彼の真意を測りかね、どうこたえて良いのか戸惑う。それが尚一層、瑠璃色の瞳を虚ろに見せる。
「……有り難く存じます……」
無難にそう答え、丁寧に頭を下げた。そうするしか方法がなく、またそれが最善に思えた。
「……まぁ、良い。そなたに命ずる」
月黄泉はしばらく夕星の様子を見ていたのち、唐突に切り出した。驚いたように見つめる夕星の瞳に、意思の光が宿る。
「私に、でございますか?」
「そうだ。二階堂佳月の夢枕に立って人柱の件を伝えて欲しい。贄と人間どもの欲望の均衡が崩れて来ている、とな」
夕星は息を呑んだ。悲しげに双眸をほ細め月黄泉命に一歩近づく。
「……それでは、炎帝の具合は……」
「大丈夫だ。ただし、そう長くは持たない」
月黄泉はやや強めの口調で遮った。その感情の無い表情に夕星は再び戸惑うも、炎帝が息災だと知って安堵する。同時に、禍津日神の言葉が戯れではなかった事を意外に思う。
「だからこそ、その現状を信心と祈りの力で尽くそうとしている者に伝えるのだ。いつどう伝えるのかは任せる」
「……彼らに、何をお望みです? 指示はどのように……」
「そこまで人間どもに迎合するつもりはない!」
月黄泉命はピシャリと冷徹に会話を断絶した。呆然と見つめる夕星を冷ややかに見つめ返しながら、ふわりと空に浮かび上がった。
「どうしたら良いかは、奴らに考えさせろ。それと、来月の神々の会議には末席を用意させる。必ず出席しろ」
そう言い残すと、風に乗るようにして消えた。
「出雲の会議に……」
月黄泉命が去った後を見つめながら、ぼんやりと呟いた。
そこは十四畳ほどの大きさの、森の中をそのまま部屋にしたような場所だった。壁も天もトネリコの木そのものを活かすように作られており、床には柔らかな苔が敷き詰められていた。
「このようなところにわざわざ足をお運び頂きまして、恐悦至極にございまする。お久しぶりでございます」
甘く艶のある声と共に、白衣に浅葱色の袴姿の男が優雅に頭を下げた。フサフサとした胡桃色の長い髪がサラリと、青みがかった抜けるような白い顔の周りに零れる。ふんわりと桔梗の花の香りが舞った。女のように端麗で甘やかな顔立ちの男は、面をあげると桃の花びらのような唇が穏やかに綻ばせた。柔らかな空色の涼し気な眼差しには、白玉色の髪に血のように赤い瞳を持つ禍津日神が映る。
「堅苦しい挨拶は抜きにしましょうよ。久しいですねぇ。三百年振りくらいでしょうかね?」
禍津日神はそう言って親し気に微笑んでみせた。口が裂けて血が滴るように見えるのは、あまりにも白過ぎる肌に、血のような赤さが異様に目立つせいか……?
「そのくらい経ちますでしょうかねぇ。それにしても、来月の神々の会議の件で、不在の間留守を任せるモノたちに引き継ぎをしたりなど、やる事は山積みでお忙しいでしょうに」
男はそう答えながら、禍津日神に座るよう右手で誘導した。示された先は唐傘大の青いキノコである。座りやすいように加工されており、ふかふかと座り心地が良さそうだ。彼が腰をおろしたのを見届けると、男はその向かい側の青いキノコの上に座った。彼らを挟んだ真ん中には、木の器に林檎や梨が盛られた台が置かれている。大木の切り株をそのまま台に利用しているようだ。
「全然」
禍津日神はそう言って肩をすくめた。そして言葉を続ける。
「和の国にはご存じの通り、八百万の神が居ますからねぇ。むしろやる事など殆どありませんよ。高位の神々は、下々の者に威厳を保ちたいが為に忙しいように見せるのが上手いですけどもね」
と皮肉な笑いを浮かべる。
「おやおや、宜しいのですか? そのような内部事情、私のような一介の妖魔に話してしまって」
男は大げさに両手を広げて見せた。
「何をおっしゃいますか。妖の長と言えば中間層の神に匹敵するほどの位。あなたもよくご存じの事でしょうに。信頼の証ですよ。神の中間層以上ともなれば、真の名を堂々と名乗っても何の差し支えもないほどです。ねぇ? 朱天(※①)殿」
禍津日神は男の真の名を呼び、芝居がかった笑みを浮かべた。朱天と呼ばれた男から笑みが消えた。そして
「……それで、私に折り入って話したい事とは?」
と真顔で問いかけた。
「これが、海……」
その頃、氷輪と琥珀は美濃の国から尾張の国の境目近くに来ていた。初めて自分の目で見る広大な大海原に、氷輪は圧倒されていた。
(※九天<古代中国で天を中央と九つの方角に分けた総称>で、西南方向の空を差す言葉)
「月黄泉命様……」
夕星は降り返り、その名を口にした。
「もう、穢れを払うのも、本心を読まれぬようにするのも板についてきたようだな」
月黄泉は淡々と言葉をかける。
「……いいえ、そのような事は」
伏目がちに夕星は応じた。
「いや、『心ここに在らず』で穢れを払ったり、私の気配を察知出来るとはなかなかのものだ」
相変わらず冷たく無機質な面持ちの月黄泉命。彼の真意を測りかね、どうこたえて良いのか戸惑う。それが尚一層、瑠璃色の瞳を虚ろに見せる。
「……有り難く存じます……」
無難にそう答え、丁寧に頭を下げた。そうするしか方法がなく、またそれが最善に思えた。
「……まぁ、良い。そなたに命ずる」
月黄泉はしばらく夕星の様子を見ていたのち、唐突に切り出した。驚いたように見つめる夕星の瞳に、意思の光が宿る。
「私に、でございますか?」
「そうだ。二階堂佳月の夢枕に立って人柱の件を伝えて欲しい。贄と人間どもの欲望の均衡が崩れて来ている、とな」
夕星は息を呑んだ。悲しげに双眸をほ細め月黄泉命に一歩近づく。
「……それでは、炎帝の具合は……」
「大丈夫だ。ただし、そう長くは持たない」
月黄泉はやや強めの口調で遮った。その感情の無い表情に夕星は再び戸惑うも、炎帝が息災だと知って安堵する。同時に、禍津日神の言葉が戯れではなかった事を意外に思う。
「だからこそ、その現状を信心と祈りの力で尽くそうとしている者に伝えるのだ。いつどう伝えるのかは任せる」
「……彼らに、何をお望みです? 指示はどのように……」
「そこまで人間どもに迎合するつもりはない!」
月黄泉命はピシャリと冷徹に会話を断絶した。呆然と見つめる夕星を冷ややかに見つめ返しながら、ふわりと空に浮かび上がった。
「どうしたら良いかは、奴らに考えさせろ。それと、来月の神々の会議には末席を用意させる。必ず出席しろ」
そう言い残すと、風に乗るようにして消えた。
「出雲の会議に……」
月黄泉命が去った後を見つめながら、ぼんやりと呟いた。
そこは十四畳ほどの大きさの、森の中をそのまま部屋にしたような場所だった。壁も天もトネリコの木そのものを活かすように作られており、床には柔らかな苔が敷き詰められていた。
「このようなところにわざわざ足をお運び頂きまして、恐悦至極にございまする。お久しぶりでございます」
甘く艶のある声と共に、白衣に浅葱色の袴姿の男が優雅に頭を下げた。フサフサとした胡桃色の長い髪がサラリと、青みがかった抜けるような白い顔の周りに零れる。ふんわりと桔梗の花の香りが舞った。女のように端麗で甘やかな顔立ちの男は、面をあげると桃の花びらのような唇が穏やかに綻ばせた。柔らかな空色の涼し気な眼差しには、白玉色の髪に血のように赤い瞳を持つ禍津日神が映る。
「堅苦しい挨拶は抜きにしましょうよ。久しいですねぇ。三百年振りくらいでしょうかね?」
禍津日神はそう言って親し気に微笑んでみせた。口が裂けて血が滴るように見えるのは、あまりにも白過ぎる肌に、血のような赤さが異様に目立つせいか……?
「そのくらい経ちますでしょうかねぇ。それにしても、来月の神々の会議の件で、不在の間留守を任せるモノたちに引き継ぎをしたりなど、やる事は山積みでお忙しいでしょうに」
男はそう答えながら、禍津日神に座るよう右手で誘導した。示された先は唐傘大の青いキノコである。座りやすいように加工されており、ふかふかと座り心地が良さそうだ。彼が腰をおろしたのを見届けると、男はその向かい側の青いキノコの上に座った。彼らを挟んだ真ん中には、木の器に林檎や梨が盛られた台が置かれている。大木の切り株をそのまま台に利用しているようだ。
「全然」
禍津日神はそう言って肩をすくめた。そして言葉を続ける。
「和の国にはご存じの通り、八百万の神が居ますからねぇ。むしろやる事など殆どありませんよ。高位の神々は、下々の者に威厳を保ちたいが為に忙しいように見せるのが上手いですけどもね」
と皮肉な笑いを浮かべる。
「おやおや、宜しいのですか? そのような内部事情、私のような一介の妖魔に話してしまって」
男は大げさに両手を広げて見せた。
「何をおっしゃいますか。妖の長と言えば中間層の神に匹敵するほどの位。あなたもよくご存じの事でしょうに。信頼の証ですよ。神の中間層以上ともなれば、真の名を堂々と名乗っても何の差し支えもないほどです。ねぇ? 朱天(※①)殿」
禍津日神は男の真の名を呼び、芝居がかった笑みを浮かべた。朱天と呼ばれた男から笑みが消えた。そして
「……それで、私に折り入って話したい事とは?」
と真顔で問いかけた。
「これが、海……」
その頃、氷輪と琥珀は美濃の国から尾張の国の境目近くに来ていた。初めて自分の目で見る広大な大海原に、氷輪は圧倒されていた。
(※九天<古代中国で天を中央と九つの方角に分けた総称>で、西南方向の空を差す言葉)
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